獅郎に拾われ、燐と雪男が家族になり、どれくらい月日が経っただろうか。結論から言うと、長い時間生きてきた自分からしてみれば、ほんの少しの時間といった感覚である。血の繋がりはないが、家族と呼ぶようになった双子の兄弟、燐と雪男は今の所、何の問題も無く成長している。そして自身も、今の所それなりに良い三度目の人生を歩んでいた。
「はぁ?」
「はぁ?じゃねぇ」
獅郎は巧みに武器を操り、目の前に立ちはだかる悪魔を薙ぎ祓っていった。右、左、前、後、上、様々な方向からあらゆる悪魔が容赦なく牙を剥きだして襲ってくる。廃墟と化したビルの廊下を突き進みながら獅郎は悪魔を祓い続け、奥へ奥へと進んで行った。視界の端で悪魔が消えていくのを眺めながら、そんな獅郎の後ろをは歩いていた。
「なんでまた」
「あいつ、燐から魔障を受けててな。ずっと悪魔が視えてたんだ」
「そういうこと」
雑魚の任務が入ったと獅郎から聞かされ、着いて来た祓魔師の任務。悪魔と闘う獅郎の背中を眺めながら、は可愛らしい花柄のワンピースの裾をゆらゆらとゆらして歩いた。突如、の背後から現れた悪魔がに襲い掛かろうと尖った鋭利な爪を振りかざす。ふわりと伸びた黒髪を靡かせながらは迫り来る悪魔を見た。が、その鋭い爪がの額を抉ろうと、切っ先が触れかけた瞬間、ぶわりと風を起こして姿を消す悪魔。獅郎が祓ったのである。
「ちっとは手伝え。雑魚が多すぎる」
「他の祓魔師は?」
「近くには居ねぇから、大丈夫だ」
「そう」
は感情の無い声で短い返事をすると、獅郎の横に並ぶ様に、獅郎の影から身を現せば、正面から何十もの襲い掛かってくる悪魔達を真っ直ぐ見据えて右腕を静かに構える。凛とした声が廃墟の廊下に静かに響き渡った。
「破道の六十三、雷吼炮」
雷を帯びたエネルギーが球状に圧縮され、一気に掌から放たれる。眩い光を放ち、飛んだ其れは、瞬く間に前方に見える悪魔と、その向こうに潜んでいた悪魔諸共、全てを祓う。後方に潜んでいた悪魔は其の間に全て獅郎が祓ったらしく、廃墟には静けさが取り戻された。
「それで。さっきの話は本気?」
「ああ。雪男もやるってよ」
「ふーん」
「だから今日でお前を任務に連れて来るのは最後だ」
正装をした中年の男と、可愛らしい洋服を纏う少女。何とも不釣合いな二人は、これまた不釣合いな状況と場を、慣れた足取りで突き進んで行く。
「後は上の階行って残りの悪魔を祓ったら終わりだ」
「獅郎」
上の階へと続く階段を目の前に、無数の悪魔が潜む気配を感じながら獅郎は階段の一段目にかけた足を止めた。が獅郎を呼び止めたからである。振り返れば相変わらず無表情の仏頂面をぶら下げたが真っ直ぐ獅郎を見つめていた。
「一人で行きたい」
「馬鹿かお前は。上には雑魚だけじゃねぇんだぞ、子供一人で行かせられるか!」
「獅郎よりも何倍も歳上だけど」
「うるせぇババア!」
「あ?」
睨み合う獅郎と。其の間にも上の階からは只ならぬ空気を漂わせる悪魔の気配がある。此れだけの悪魔を此の場に引き寄せる、所謂根源の悪魔が潜んでいるのだ。は獅郎を追い抜き、勝手に階段を登り始めると、獅郎は直ぐ様、その細く白い腕を掴む。
「おい!幾らその鬼道が優れてるつっても、まだ本来の力までは出ねぇんだろ」
の持つ死神の力は幼児化した際にかなりの衰えをみせていた。身体が成長するごとに、威力は元のものへと近付いてきたのだが、未だ未だ本来のものとは程遠い事をは感じており、また、獅郎も知っていた。腕を掴まれ強引に動きを制されたは、顔だけを獅郎の方へと振り返る。
「試したいことがある」
そう言ったに、獅郎は暫し黙り込むと、直ぐに一つの答えが導き出され目を見開くのだ。
「…“斬術”か?」
「うん」
腕を引けば、力の入っていない獅郎の手は易々と振り解く事が出来、は邪気の溢れる上の階へと向かって階段を登った。その数歩後ろを歩く獅郎は、口に煙草を咥え、煙を吐き出す。
「危なくなった手を出すぞ」
「わかった。でもあまり近付かないでね」
上の階は下の階よりも薄暗く、温度も低く感じられる。其れは此処にいる悪魔の所為か、其の邪気に皮膚がピリピリと痛むのを感じた。ゆらり、目の前の黒い闇が揺らめく。向こうから出迎えに来てくれたらしい。
「巻き添え、喰らいたくないでしょ」
そしては己の胸に右の掌を押し当てた。トクン、トクンと心臓が優しく鼓動する。
廃墟を後にした獅郎とは真っ暗な空の下、白い雪の積もったアスファルトを踏みしめ、街灯と月明かりで照らされた夜道を二人並んで歩く。廃墟に入る前に獅郎に預けていた真っ黒のトレンチコートをワンピースの上に羽織ったは、首元に巻いた白いマフラーに鼻を埋める。鼻先は真っ赤に染まっていた。
「寒くねぇか」
「寒い」
「俺も寒い」
口から零れる息は白く、冷たい風に流され消える。空からは白い粉雪が降っており、初めて獅郎と出逢った日の事を思い出した。
「自販機はっけーん!何か飲むか?」
「ホットコーヒー」
「好きだなぁ。今からそんなもん飲んでたら身長伸びねぇぞ」
「別にいい」
道の端に設置された自販機に歩み寄れば、獅郎は二人分の珈琲代の小銭を入れて温かく保温された缶を取り出す。一つをに手渡せば、は冷え切った手を温める様に缶を両手で包み込んだ。
「お前と初めて会った日も、こんな景色だったな」
「そうだっけ」
知らぬ振りを決め込んだが、勿論其の日の事はもちゃんと憶えている。こんな粉雪が空から舞い降りてきて、もっと肌寒かった。其れはあの日は薄着だったから余計にそう感じたのかもしれない。
「憶えてる癖によく言うぜ」
「………。」
獅郎は珈琲を片手に歯を見せて笑った。どうやら獅郎の方が今回は上手だったらしい。は缶に口を付けると、じわりと広がる苦味のある液体をごくりと飲んだ。口腔内から食道へ、そして胃へ。温かい液体が流れていくのを感じながら、また一口、珈琲を口にした。
「、ちょっと来い」
「嫌だ」
「なんでだよ!」
きっぱりと拒否の姿勢を見せたのだが、獅郎は聞く耳持たずで梢の腕を引く。真っ白に染まったアスファルトを二人で早足で歩いた。後ろを振り返れば大きな足跡と、小さな足跡が並んでおり、二人が歩いてきた道を示している。
「痛い」
「痛くねぇ!」
「いや痛いし」
強引に引かれる腕を、離してと腕を引いて見せれば、獅郎は一度腕を掴む手を離したものの結局直ぐにの手を掴んだ。触れる掌と掌。結局拘束は解いてはくれない様で、はひっそりと白い息を吐き出すのだ。手に持った缶珈琲は温かい。握った掌は、もっと温かかった。
「前にお前、自分の誕生日知らねぇって言ってたな」
「うん」
年末の事である。燐と雪男の生誕を祝う、12月27日の事だった。誕生日ケーキに目を輝かせ、ケーキに立てられた蝋燭を二人で吹き消す姿はまだ記憶に新しい。其の時、何気なく燐がに問うたのだ。の誕生日は何時なのか、と。は分からないと答えた。
「嘘だろ」
「どうして」
「何となくだ」
歩き進めた先、目に付いたのはとても綺麗な真っ赤な椿を植えた一軒家だった。其の赤は雪で真っ白に染まった空間に良く栄え、とても美しく見える。凍えそうな寒い夜、椿は立派な華を咲かせていた。其の花弁に粉雪を乗せて。
「お前の誕生日、いつなんだ」
獅郎も其の椿に目が留まった様で、二人して其の一軒家が育てている椿を眺めた。見れば見るほど美しい椿の花は、まるで麻薬の様にさえ思える。獅郎の指先が椿の花弁に触れた。花弁の上に乗っていた粉雪が、さらりと優しい音を立てて地面に落ちる。
「―――…二日」
「あ?」
「一月、二日」
紡いだ声は何故か弱々しく、は生唾を飲み込む。最後に己の誕生日を誰かに明かしたのは何年前だったか、誰だったか。嗚呼、もう思い出せそうにない。ただ一つ、分かるのはの誕生日を聞いた獅郎がやけに上機嫌であるという事だ。
「あの日だったんだな」
「そうだね」
「そんでもって今日かよ」
「そうだね」
獅郎とが出会った日も、今日も同じ一月二日。獅郎は触れていた椿の根元に指を這わすと、其れを何の惜しみも無く引っ張って、茎から華を千切るのだ。花弁に雪が積もっているのもそのままに、獅郎は椿の華を片手にの前に膝を付けば同じ高さで二人の視線が交差する。
「急だったからな、とりあえずだ。ちゃんとしたプレゼントはまた日が昇ってる時に買いに行こうぜ」
そう言って獅郎はの耳辺りの髪に椿の茎を差し込んで、其の真っ赤な華を髪に飾った。少しの重みを感じながら、はそっと手を伸ばし、己に飾られた椿の華に触れる。花弁は冷たくなっていて、雪が指先の熱で直ぐに溶けた。
「だから、椿?」
「さぁな。そうかそうかー、の誕生日は今日かー。またケーキ買いに行かねぇとな!」
「別にケーキなんかいらないよ」
「バカ!誕生日つったらケーキだろ!」
獅郎とは手を繋ぎ、雪の降る静かな夜道を並んで歩いた。大きな足跡と小さな足跡は長く長く続くが、空から降る粉雪が少しずつ、時間を掛けながら其の足跡を消していく。吐く息は白く、頭や肩に積もった雪が冷たい。修道院では燐と雪男がもう布団の中で眠りについている事だろう。起こさないよう、静かに戻らなければ。獅郎とこうして二人で外に出る事も今日で最後になる。名残惜しさが無いと言えば、嘘になる。だが、其れも仕方の無いことなのだろうと自分を納得させればはふぅっと息を空に向かって吐き出した。一月二日、其れはの生誕の日。誕生花は赤い椿。花言葉は、気取らない優美。
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