メフィストが迎えに来ると言った翌朝が来た。小鳥が囀る朝、修道院に現われたメフィストはピエロを思わす白を基調とした相変わらず変わった格好をしている。衣服や生活用品はダンボールに詰め、既に修道院に住み込みで働く男達が郵送をした様で、手持ちの荷物は少ない。


「やぁ…晴れましたな。新たな門出にふさわしい晴天だ…!」

「…おい、お前についてって本当に大丈夫なんだろーな…」


修道院の外に出ると頭上には真っ青な空が浮かび、葬儀の日とは打って変わった晴天である。今更ながら、メフィストに付いて行っても問題ないのか不安になってきた燐が困惑した様にメフィストの後に続くと、猛スピードを上げてやってきた長細いド派手なピンク色のした如何にも高級そうな車が急ブレーキで修道院の目の前に止まる。どうやら此の車に乗って行くようだった。


「それじゃあ、燐ともよろしくお願いします。ファウストさん」

「お任せ下さい。修道院の運営も援助いたしますので、ご安心を」


修道院に勤める顎髭を生やした若い神父とメフィストが言葉を交わす間、興味津々といった風に車を眺める燐の隣を、は車の後部座席の扉を開ければさっさと荷物を放り込む。少ない荷物とは言え、重いものは重いのだ。


「あれ?お前“メフィスト”って名前じゃなかったっけ?」

「実は私、表向き“ヨハン・ファウスト5世”の名で、名門私立正十字学園の理事長もしているのです」


神父とメフィストが話し込んでいるのを端から聞いていた燐は、聞き覚えの無い名に引っかかり、頭上にクエスチョンマークを浮かべながらメフィストに名の確認を取ると、メフィストは実名はメフィストである事を肯定しながら、何故ファウストと呼ばれているのかを語るのだが、燐からすれば其れよりも気になる単語が新たに出た事の方が、よっぽど気を引かれるのである。


「正十字学園…って雪男の…」

「おはよう!」


燐が事実を問い詰めようとメフィストに更なる問い掛けをしようとした時、とても爽やかな声が背後から飛んでくる。燐と共にも其方へ視線を向ければ、真新しい綺麗な制服を身に纏った雪男が佇んでいた。


「雪男!?」

「ゴメン、遅れて。びっくりしたよ。理事長さんが僕らの後見人になるんだってね。もしもの為に神父さんが頼んでたんだって…」


両手に荷物を燐や同様にぶら下げた雪男はにこりと人当たりの良い笑みを浮かべており、はぼんやりと、そういえば荷物を郵送する為に玄関に出していたダンボールの量が、燐との二人分にしては多い様な気がしていた事を思い出すのだ。


「兄さんとと、同じ学校に通えるなんて思わなかった」


唖然とする燐に対し、雪男は決定的な言葉を放つ。メフィストが理事長をしているという名門私立正十字学園とは雪男がこれから通う学園の名なのだ。


「…て、うおおおーいい!!」


刹那、事態を読み取った燐が隣に立っていたメフィストの胸倉を引っ掴み食って掛かる。突然燐が取った行動に呆けた顔をする雪男の糊の効いた制服の裾をが引けば、雪男はへと視線を下ろして、にこりと口角を少し上げた。


「荷物重いし車、乗っとけば?」

「うーん…。先に乗っても良いのかな」

「いいと思う」


半ば強引に雪男を一足先に車内へと押し込み、は何やら小声で言い争っている燐とメフィストを見る。燐からすれば、祓魔師になりたい訳であり、学校に通う事は望んでいないのだから当然と言えば当然だろう。己の主張をメフィストに訴える燐を宥める様に、メフィストは口元に人差し指を立てて静かにと小馬鹿にした笑みを浮かべれば車内に先に乗り込んだ雪男を窓越しに一度見て、続いてへと視線を向ける。


「“祓魔師になりたい”というならば、まず学ばなければ!」


全くもって可愛らしくもないウィンクをしながら言った言葉に、燐は口篭る。メフィストは己の被るシルクハットの鍔を掴めば、を見てまた笑みを深めるのだ。


「無論、さんも同意頂けますね?」


其れは祓魔師になる為に勉強をする事を指す。自身、死神になる以前には、死神になる為に真央霊術院という学校に学びに通っていた為、まず学ぶ事が必要である事は十分に承知している。返事は勿論YESで、は静かに縦に一度頷けば、メフィストはマントをはためかせて燐と向き合った。


「当学園は全寮制です。一度入ったら許可の無い外出は禁止しています。当分、修道院には戻って来れませんよ。生まれ育った修道院に別れの挨拶は済みましたか?」


卒業するまで修道院には戻ってくる事が出来ない。普通の学園のシステムなのであれば、通常通り行けば最短で三年後だろうか。三年、長い様で短い期間。其れでも名残惜しさは感じるもので、はじっと修道院を燐同様眺めた。あの幼児の身体から、ここまで成長するまで過ごしてきた“家”。沢山の思い出が此処に、獅郎との思い出が全て此処に詰っている。しかしは速やかに修道院へと背を向けると、後部座席の扉を開けて本を読む雪男の右隣に腰掛けた。何時まで眺めていても、仕方が無いからだ。


「驚いたよ、も同じ学校に通う事になるだなんてね」

「そうだね」

「小学校も、中学校も通わなかったのにね」

「…何が言いたい?」


相変わらず万人受けする笑みを貼り付けて言う雪男にはついに其の回りくどい言い回しに痺れを切らすと、少し強めの口調で横目に雪男を見れば、困ったように眉を下げて雪男は頬を掻くのだ。


「怒らないでよ。別に深い意味は無いんだ。ただ、」


そして雪男は眼鏡の奥の瞳をすっと細めての視線を怯む事無く受け止めるのである。


「どうしてかなって思って」


雪男は疑っている。其れに気付かないでもなかった。しかし今此処で雪男の求める答えるをするつもりが無いは、雪男の疑問を晴らすことはせず、だがはぐらかす様な回答もしなかった。


「護る為だよ」

「…護るって?」

「アンタ達、二人を」


雪男との視線が交差し、暫く二人は見つめ合ったまま黙り込む。まるで瞳から己の回答を導き出す更なる言葉を読み取ろうとするかの様に雪男はじっと深い闇の色をしたの瞳を見つめていた。しかし其の見つめ合いも、後部座席の扉を開け、入ってきた燐によって終わりを向かえ、車は静かに走り出す。移り行く窓から見える見慣れた景色はどんどん過ぎ去っていき、車内には妙な静けさが充満していた。


「どうしたの、恐い顔をして…」

「な、なんでもナイッス…!」

「?」


其の原因は主に燐になり、大方、雪男に獅郎の事や自身の事を何と説明するべきか悩んでいるのだろう。心情を表すように強張った表情に隣に座る雪男が気付かないはずもなく、雪男は読んでいた本を閉じて人二人分のスペースを空けて座る燐に問うのだが、燐は他人行儀な返事をするので益々雪男は首を傾げるのである。


「三人とも、学園が見えてきました」


同じく椅子に腰掛けるメフィストが、車の窓から見えてきた学園を見ながら燐や雪男、に向かって声をかける。其れにつられる様に三人が窓の方へと視線を向けると、其処にはまるで有名某アニメの天空の城を思わすような外見をした幾つもの建物で成り立った大きな一つの建物があった。


「当学園はあらゆる学業施設が集約されている、正十字学園町の中心です。ようこそ、正十字学園へ」



















「御気に召しませんでしたか?」


車内で制服に着替えた燐が、直に始まる入学式に出席する為、雪男と共に大講堂へと向かった後、メフィストに制服を与えられたは、メフィストと共に車に乗り込んだまま建物の中へと突き進んでいく。流石に女子を車内で着替えさせようという選択はメフィストにも無い様で、は連れられた無断に豪華な装飾を施された一室で着替えを済ませていた。着ていた衣服は制服の入っていた紙袋に詰め込み、部屋の外に出てきたを見てメフィストは首を傾げながら問う。


「当学園の制服は、これでも可愛いと結構評判なのですが…」

「制服なんて久しぶりだから恥ずかしくてね」

「成る程。ならば仕方ありませんな」


白いシャツに学園指定のチェックのネクタイを緩く締め、何故か最初から短かったプリーツスカートに一緒に袋に入っていた黒のニーハイソックスを履いたは、脇に制服のピンク色のブレザーを抱え、ブレザーを着用する様子は見せない。唯でさえスカートもピンク色なのだ、外見は15の少女とはいえど、精神年齢は其の歳の遥か遥か上を行く。心境的にもブレザーを羽織る勇気が無かったは、少し肌寒いがカッターシャツ一枚で居る事を選択したのだ。室内であるにも関わらず、シルクハットを被ったままのメフィストを軽くあしらえば、は一人無駄に広い廊下を歩き出す。其の足は入学式が行われている大講堂とは真逆の方向を進んでおり、メフィストは困った様にの後を追った。


さん、入学早々サボりですか?いけません、其れはいけませんよ」

「メフィスト」


ふざけた様な軽い口調で、両手を広げるという大袈裟なパフォーマンスまでするメフィストに、は顔だけ振り返り、其の場に立ち止まるとメフィストも自然と足を其処に立ち止まらせてを見下ろす。こうしてみると本当に背の高い男だった。


「全寮制って聞いたけど、あたしの部屋は他の女子達と一緒?」

「いえ、貴女には奥村君達同様、高等部男子寮の旧館に住んで頂きます。外観は少々アレですが、住めない事はありませんよ」

「ならいい」


他の女子と同じ部屋でも良いと言えば良かったのだが、それだと燐や雪男に何かあった時に直ぐに駆けつける事が出来ない。可能であれば出来る限り二人と近い場所に居たかったのだが、其の心配は無用だったようだ。


さん、大講堂は反対側ですよ」

「出る気ない」

「おや、そうですか。奥村くん…弟さんの方ですね。彼の晴れ舞台ですよ?」

「興味ない」

「冷たいですね」


クスクスとメフィストは笑いながら、強くを引き止めようとはせず、の後を追うのである。廊下を歩き進めれば、廊下は天井が無くなり、広く外へと繋がった空間に出る。風に乗って其処等中に植えられた桜の花弁が舞い上がり、其の景色はまさに新生活の始まりに相応しい眺めだった。


「メフィスト」

「何でしょう?」

「獅郎と色々聞いてると言ってたけど、実際何処まで聞いてる?」


振り返り、桜吹雪の中、がメフィストに尋ねれば、メフィストはシルクハットの鍔で目元に影を落とし、不気味な雰囲気を漂わせながらひっそりと口角を吊り上げた。


「死を司る神…と」


此の場に似つかわしくない声色で、メフィストははっきりと告げればは視線を風に靡く髪を鬱陶しそうに耳に掛けて抑えるのである。


「そう」

「否定しないんですね」

「間違ってはいないから」

「では貴女はやはり、死神様ですか」

「そんな大層なものじゃない」


死神。そう言えば此の世界の人々はとても驚いた顔をして、興味深く其の実体を尋ねてくるのだが、実際に死神だったからすれば、死神なんて存在は大したものではなく、何処にでも居るといった印象の方が強い。確かに死を司る神と書いて死神だが、自分自身、そんな大それた存在である感覚も勿論無く、むしろ神だなんて、まず有り得ないという感想が本音だった。


「失礼、いやはや…今年は面白い事ばかりですな」


クスリ、メフィストが顔を少し俯かせて笑う。シルクハットの唾を掴み、顔を隠すように深く下げるのだか震える肩が其の行動を無意味なものとさせる。メフィストは震える声で、呟くのだ。


「祓魔師を目指すサタンの息子と、サタンの息子を護る為、同じく祓魔師を目指す死神…!これ程面白い事はありませんよ!」


そしてついにメフィストは盛大に声を荒げて笑うのだ。腹を抱え、顔をくしゃりと歪ませ、大きく口を開いて只ひたすら笑う。そんな失礼にも程があるメフィストを冷めた目で見つめるは大層不機嫌そうに表情を引き攣らせて、メフィストを睨みながら言うのである。


「あたし、お前嫌い」

「残念です。私は結構貴女の事、好きですよ」

「気持ち悪」

「傷付きます!」


わざとらしく顔を引き攣らせて言うメフィストは、何処からどう見ても傷付いている様には見えない。何処からか風に乗って人の声が聞こえてき、其の音はどんどん大きくなっていくことから時間的にも燐や雪男が出席している入学式が終わったのだろう。


「さて、そろそろ入学式も終わった頃でしょうか。奥村くんを迎えに行きましょう」


そう言ってメフィストはに向かってウィンクをする。彼の中で其の行動は流行っているのか、やけに慣れた様子で其の仕草をするメフィストを、は無視するのだが、また無視される事にも慣れているのかメフィストはへこたれない。まるでジェントルマンのように足を引き、腰を落として手を差し出せばメフィストは甘ったるい声で言うのである。


「死神様、もし宜しければお手を。道案内をさせて頂きます」

「断る」


しかし其れを一蹴したはさっさと燐の元へと向かって歩き出すのだ。未だ此の建物の造りや道は分からない。しかしどの方角に燐が居るのかさえ分かっていれば、其の方向に向かって歩けば良いだけで道を知らない事等大した問題ではなかった。一人さっさと歩き出したの後ろで、何処からか傘を取り出したメフィストは手の中で傘を弄びながら徐々に小さくなっていくの背を見届けた。


「つれませんねぇ」


そしてメフィストも歩き出す。騒がしい生徒達の集団から外れ、一人佇んでいる燐の下へと向かう為に。










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