「お待たせいたしました」


桜の花弁が舞う美しい景色の中を、一人寂しくしゃがみ込んでいた燐の背後にが、そして燐の隣に建造されている凝ったデザインのランプの上にメフィストが姿を現す。気配や物音一つ無く現れたメフィストとだが、燐は驚いた様な仕草は見せず、メフィストへと視線を投げかける。


「祓魔師にはどうやってなるんだよ」

「…やる気満々で大変結構ですが、何事にも段取りを踏まねば。貴方方にはとりあえず塾に通っていただきます」


建造物からマントを靡かせて飛び降りたメフィストに合わせる様、燐も立ち上がり二人は向かい合う。勿論貴方方、という言葉には燐との二人の事を指している。燐の手にはしっかりと炎を抑えている降魔剣の入った袋があり、獅郎から其の剣の役割は死ぬ前に聞いていたのだろう、肌身離さず燐は其れを持ち歩いていた。


「塾!?」

「祓魔師の塾です。そこでまず“祓魔訓練生”として悪魔祓いを学んでいただく。高等部の始業は明後日からですが、塾は今日が初日です。…案内しましょう」


そして道案内の為、動き出すのかと思えばメフィストは真っ直ぐ左手の人差し指を突き出し燐を指出す。思わず其の行為にピクリと反応を示した燐は、口を噤み生唾を飲み込むのだ。


「ただし、ひとつ警告です。貴方がサタンの落胤である事は秘密です」


桜の花弁がひらり、ひらりと舞い落ちる。燐はただ、メフィストの口から零れる自分に向けられた言葉を聞いた。


「尻尾は上手く隠しているようですが、耳や歯や尻尾は誤魔化せても炎はシャレにならない。自制してください」

「………。努力するよ」

「…結構です」


燐の返答にメフィストは突き指した指を下ろすと、其の場でくるりと方向転換し、燐へと背を向ける。


「…しかしね。やや心配なので今回は私も見学させていただきますかね。1、2、3」


軽いリズムでカウントを刻み、最後の数字を言うと共に指を鳴らせば、音を立ててメフィストの身体が忽ち白い煙に覆われる。そして其の煙な中からはメフィストの姿は無く、代わりに派手な布を首に巻いた可愛らしい小型犬の姿があり、燐は大きく目を見開くのだ。


「では参りましょう」

「エッ、祓魔師って変身とかできんのか!?」

「できません。私は特別です」


小さな足を小さく動かし、爪がアスファルトに当たる小さな音を立てて、小型犬へと姿を変えたメフィストの後を燐は動揺しながらも追いかけた。歩幅も当然小さくなったというのに、前へ、前へと出される四本の足は速く、燐に決して遅れを取る事はない。メフィストは歩きながら徐に顔だけを振り返らせると、一度燐の後ろを歩くを見てから燐へと視線を向けるのだ。


「それから薄々気付いているとは思いますが、さんは貴方がサタンの息子である事は知っています」


其のメフィストの告白に、燐はそれ程驚きはしなかった。獅郎がサタンに憑依され、死んだ時、は其の現場に居たのだ。サタンだとか、そういった細かい事まで知らずとも、少なからず燐自身が人間ではない何かである事くらいは理解しているのだろうと、燐自身もそう思っていたからである。とは言えど、其の反応と言えば薄っぺらく、もしかすればもっと前から自分がサタンの落胤である事を知っていたんじゃないかと考えてしまうのだ。


「勿論悪魔も視えていますから…何か悩みでもあれば、彼女に相談するのも良いでしょう」


そして、いざこうしてメフィストに言われてしまうと、どうしようもない感情が燐の胸の中で渦巻くのだ。


、」


自身の後ろを歩くに振り返り、燐は初めて制服という衣服を見に纏うを真正面から見た。学校に一度も通わず、在籍すらしなかった彼女が、本来こうして学生の格好で、学生として過ごす事が正しい在り方なのだと分かってはいるものの、何だか妙に違和感を感じてしまう。


「俺が、サタンの息子だって、いつから知ってたんだ?」


声は震えてはいなかった。ずっと気になっていた事、ずっと聴けずにいた問い掛けだった。降魔剣を布越しに強く握り締め、燐はに問うと、は表情一つ変えずに唇を動かす。


「最初から」


燐は一度口を開きかけるも、直ぐに閉じ、下唇を尖った牙で強く噛んだ。白くなるまで噛んだ其れは今にも傷を作り、内に流れる赤い液体を流しそうで、燐は眉間に皺を寄せると、とても苦しそうに言うのである。


「…お前、何で知ってたんだよ。何者なんだよ」

「秘密」

「何だよそれ…!」


満足のいかない回答に強くへ向かって一歩踏み出した。まるで燐の感情に影響されているかのように強い突風が吹き、桜の花弁が視界を遮るかの如く吹き荒れる。


「大丈夫。心配いらない」


そんな風と花弁が舞う中で、凛との声は響いた。燐に歩み寄り、力の篭った腕を優しく掴めば、燐は戸惑う様にを見て、腕に込めていた力を緩ませる。


「敵じゃない。分かるでしょ」


そういえば燐は視線を揺らして、最後には情けなそうにくしゃりと笑うのだ。燐は思い出す。そう、いつだって獅郎とは自分や雪男よりも一歩も二歩も、三歩先の所に立っていて、いつもこうして自分達を見ていた事を。今更疑うなんて、どうかしていた。そう思って燐は小さく謝罪を述べるのだが、はあえて聞こえない振りをする。燐との会話が終われば、今まで口を閉ざしていたメフィストが其の小さな口に二本の鍵を加えて燐とに振り返るのだ。


「それでは“塾の鍵”を差し上げましょう」

「鍵…」


家の玄関の鍵や、そういった見慣れた鍵よりも一回り大きなシンプルなデザインの其れを、燐が受け取り、一本をへと差し出す。其の鍵を見て顔を顰めたに燐は不思議そうに首を傾げれば、は足元で行儀良くお座りをしているメフィストを見下ろすのだ。


「メフィスト」

「はい、何でしょう」

「此の鍵についてる唾液は、犬の唾液?それともメフィストの唾液?」

「外見は犬そのものですが、私は私のままなので私の唾液ですね」

「………。」


の言いたい事が分かったのか、しっとりと濡れている鍵を持った燐は此れ以上無く顔を渋くさせており、に早く鍵を受け取れと言わんばかりに突き出す。嫌々其れを人差し指と親指で摘むようにして受け取ったにメフィストは只々沈黙を貫いた。


「…いつでもどこの扉からでも塾へ行ける便利な鍵ですよ。試しに適当なドアを其の鍵で開けてみてごらんなさい」

「………?」


仕切り直し、気持ちを入替え、まるで唾液の流れは無かったことの様に済まし、メフィストが鍵を持つ燐に指示をすれば、困惑しつつもメフィスト同様切替の早い燐は受け取ったばかりの鍵を近くの古びた扉の鍵穴に差して、捻る。鉄の音がして、鍵が開いたかの様な鉄の音がして、もしやと思いつつドアノブに手を掛ければゆっくりと開かれる扉。其の向こうに見えたものは、外から見れば絶対に有り得ない天井の高い空間があった。


「スゲッ」

「一年生の授業は一一〇六号教室です」


薄暗く、大きな扉が幾つも存在する通路をメフィストを先頭に燐とが続いて歩く。どれだけの数の部屋の前を通り過ぎて行っただろうか、メフィストはとある一室の前に立ち止まると自然と燐との足も其の部屋の前で止まった。


「ここですね」

「なんかドキドキしてきた…」


扉の前で緊張を露わにし、恐る恐るドアノブに手をかければ燐は静かに扉を押し開ける。


「(汚ね…)」

「(汚…)」


部屋の中を見て燐とが感じた事は全く同じだった。まるで廃墟の様な部屋の有様に掃除は一切していないのだと思われる。壁に掛けられた額縁は落ち、壁紙は剥がれており、床にはゴミが落ちていて、あちらこちらに蜘蛛の巣が張られている。空気も埃っぽい静まり返った教室には燐や同様、真新しい制服を纏った生徒達が其々離れた席に固まって座っていた。


「(1、2、3、4、5、6、7)」


室内に居た人間の数を数えながら燐は適当な席に着く。其の後を追う犬の姿をしたメフィストと、は腰掛けた燐の隣に自然と腰を落ち着かせた。


「すくな…!」

「祓魔師は万年人員不足でしてね。これでも多い方ですよ」


入室して来た燐とを部屋にいた生徒達は一度は見るも、殆どが直ぐに興味を無くして各々の連れと小声で談笑を交わす。そんな中、遠くから靴を鳴らして歩く足音に気付き、は自然と視線を教室の扉へと向けた。


「はーい、静かに」


扉を上げて、入ってきた人物の姿に燐は思いっきり噴き出す。其の人物が、祓魔師として任務に就ている事を知っていたからすれば、燐ほど驚く事は無かったのだが、まさか教師として現れるとは思っておらず少なからず顔には出さないものの驚いた。


「席について下さい。授業を始めます」


祓魔師の証である衣服を身に纏い、腰に凡ゆる道具を引っ提げた眼鏡の似合う見慣れた彼は、これまた爽やから笑みを浮かべて教壇に立った。


「はじめまして、対・悪魔薬学を教える奥村雪男です」


教師は燐の双子の弟にして、今まで共に暮らして来た人物であり、燐が動揺しないはずもなく、勢い良く立ち上がると教壇に立つ雪男を凝視するのだ。


「ゆきお????やっぱり!?」

「はい、雪男です。どうしましたか?」


まるで何てこと無い、とでも言うよりにあっけらかんと雪男であると頷く彼は未だ状況を把握し切れない燐に優しく微笑みかけるのだ。


「や…どどどうしましたかじゃねーだろ!お前がどうしましたの!?」

「僕はどうもしてませんよ、授業中なので静かにして下さいね」

「????」


渋々腰をまた下ろし燐は目の前で資料を広げる雪男を戸惑いながら見つめた。しかし雪男はそんな燐に目もくれず、授業の準備に取り掛かる。


「メフィスト!どういう事だよ、あいつなん…」

「コラコラ、何を気安く呼び捨てにしてるんです。いわば私は貴方の上司ですよ、失敬な…」


燐が犬の姿をしたメフィストに状況を尋ねれば、呆れた様な表情で燐の言葉遣いを指摘するメフィストに燐の表情は破顔した。そんな燐の隣で頬杖を付きながらは今まで見たことのない雪男の祓魔師としての姿を眺める。


「おい!!あいつ、雪男…」

「そうだね」

「そうだね、じゃねぇよ!驚けよ!」

「知ってたし」

「!!??」

「静かにしないと、また怒られるよ」


遠回しに燐に黙る様告げれば、ふと雪男と視線が合わさる。雪男は目が合ったと分かるとに一度、笑みを向ければ、も答える様に口角を吊り上げてみせるのだ。


「お察しのとおり、僕は皆さんと同い年の新任講師です。…ですが、悪魔祓いに関しては僕が二年先輩ですから、塾では便宜上“先生”と呼んでくださいね」


あくまで同級生とではなく、教師として振る舞う雪男をそう言って簡易な自己紹介を終えると散らばって座る生徒達をぐるりと見渡して右手を挙げた。


「まず、まだ魔障にかかった事のない人はどの位いますか?手を上げて」


雪男の指示に従い、ショートカットの女子生徒と、まるで鶏の様な頭をした厳つい顔立ちの男子生徒、小柄て坊主頭の男子生徒が静かに手を上げる。


「三人ですね。では最初の授業は“魔障の儀式”から始めましょう」


雪男は鬼族という悪魔の巣になっている事から、普段此の教室が使われていない事を先ず説明すると、持ち込んだ大きなケースの中から一つの試験管を取り出し、生徒達に見える様に掲げる。動物の腐った血が入っているという試験管を、これから鬼族の好きな牛乳で薄めて一滴垂らし悪魔を数匹呼び出す事を告げた。其の悪魔を使って、魔障を受けたことのない生徒達をまず悪魔が視える様にする為に儀式を執り行うという。教壇の上に道具を広げ、雪男が準備に取り掛かると、今迄黙っていた燐が突如立ち上がり、雪男の元へと歩いて行った。


「止めないのですか?」

「どうせ無駄だし」


こっそりとメフィストに掛けられた言葉を、小さく息を吐きながらが答える。止めた所で燐は己が納得しなければ言う事を聞かないのだから、其れなら好きにさせればいいというのがの考えだった。


「おい!」

「………何ですか?」

「説明しろ…!」

「…授業中ですよ。席について」

「ふざけんな!」


燐が声を荒げる。其れに黙って雪男の準備を待っていた生徒達が一斉に顔を上げた。皆の視線が雪男と燐に集まり、何事かと囁く。燐と雪男は二人にしか聞こえない程度の声量で幾つかの言葉を交わすと、ついに燐の我慢が超えた。


「なんで俺に言わねーんだ!!!!」


燐が雪男の腕を引っ掴み、腐った血の入った試験管が床に落ちて割れる。薄められる事もなく原液のまま零れた粘り気のある液体は床に飛び散り、広がる異臭。刹那、天井が大きな音を立てて崩れ落ち皆が一斉に立ち上がり天井が落ちた箇所に振り返った。


「悪魔!」

「え、どこ!?」

「そこ!!」


天井が落ちたのは、其処から悪魔が現れた為で、其の悪魔を目にした髪の長い女子生徒が声を荒げた。魔障を受けた事が無く悪魔が視えない鶏頭の男子生徒は、其の悪魔と言うフレーズに挙動不審に周囲を慌しく見渡す。悪魔の居る場所を指差して再び髪の長い女子生徒が声を上げると呆然とする燐の隣で雪男が直ぐ様戦闘体制を取った。


「あ…」

「小鬼だ…!」


雪男が素早く腰に装備していた銃を引き抜き、女子生徒二人に襲いかかった小鬼に銃口を向ける。引き金は素早く引かれ、銃弾は小鬼に命中し、小鬼は直ぐ様祓われた。


「教室の外に避難して!」


雪男が速やかに指示を飛ばせば、慌しく教室から飛び出す生徒達。も続こうと座っていた椅子から腰を上げれば、隣に座っていたメフィストも床へと軽く飛び降りてに振り返る。


「悪魔に慣れているようですね」

「獅郎と何回か一緒に任務に行ったから」

「それでですか」


とメフィストが教室の外に出れば、出入口に佇む雪男はドアノブに触れたまま廊下に出た生徒達を見る。小鬼の現れた教室には燐だけが残されていた。


「ザコだが数が多い上に完全に凶暴化させてしまいました。すみません、僕のミスです。申し訳ありませんが…僕が駆除し終えるまで外で待機していてください。奥村くんも早く…」


しかし、突如勢い良く閉ざされる扉。派手な音を立てた所為で驚いた女子生徒が悲鳴を上げる。静まり返った廊下では、部屋の中に取り残された燐と雪男の様子は分からない。


「一体どうなっとんねん…」

「まあ、先生も若いといえど俺らの目指す祓魔師やし、大丈夫やろ」


眉間に皺を寄せ、更に威圧感の増す鶏頭に、連れなのだろう、先程が一緒に居るピンク色の頭をした男子生徒が閉め切られた扉を見ながら言った。中からは燐と雪男が何やら話している声と銃声、爆音が響いており全く何一つ聞き耳を立てた所で聞き取る事が出来ない。


「さっきの子、大丈夫かな…」

「さぁ…」


女子達も心配なのか、扉の向こうをじっと見つめており、は壁を背凭れに凭れ掛かると其の場で腕を組んだ。生徒達が締め出された廊下には再び静寂が訪れ、一同は雪男と燐が出てくるのをひたすら待つ。どれ位の時間が流れただろうか。静かになった扉の向こう、暫しの間を置いてゆっくりと扉が開かれる。扉から顔を覗かせた雪男は、先程も浮かべた様にまた優しく爽やかな笑みを浮かべて生徒達の前へと出る。


「すみませんでした、皆さん。別の教室で授業再開します。奥村くんも!」


教室の中に居た燐に雪男が振り返り声を掛けた。教室の中は火がついており、灰色の煙が上がっている事から生徒達は思わず息を飲んだ。そんな中、何処か吹っ切れた様にも見える燐が雪男に続く様に教室の外へと出てくる。


「…はーい、先生!」


そう言った燐の表情を見て、は思わず笑みを浮かべた。これから此の双子の子守りは大変になるのだろうな、と思って。










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