高等部男子寮旧館。其れは今は使われていない過去の男子寮で、建物自体かなり古く、年季が入っていてまるで幽霊ホテルのような外見だ。一足先に寮に訪れたは、あてがわれた自室に山の様に積まれたダンボールをそのままに、入浴をする為、風呂場に訪れていた。シャワーだけで済まし、石鹸の香りがする身体をタオルで水滴を拭き取ると、これまた柔軟剤の香るラフな部屋着に着替えて風呂場を出る。


「帰ってきたかな」


上の階が何だか騒がしい。燐が先程帰ってきていたから、自室で荷物を片付けていた雪男と対面を果たしているのだろう。湿った髪をタオルで拭きながら、は薄暗い廊下を歩き、階段を上って行く。行き先は六〇二号室、燐と雪男の部屋である。


「祓魔師になりたいんでしょ?なら少しの不自由くらい我慢しなきゃ」

「…ふっふっふっふっ……のやろォー、上等だよ!」

「その意気その意気!…じゃあまず今日出した課題を片付けちゃおうよ」

「え!?か…かだい?」

「………。」


部屋の前まで来れば、中から燐と雪男の声が漏れてくる。どうやら仲直りはちゃんと出来た様で、修道院に居た頃と変わりない会話をする二人に少しだけは安堵した。ドアノブに手を掛け、扉を開けると驚いた顔をする燐と、特別驚きもせずを見る雪男。どうやら雪男は事前にも此処に住む事を知らされていたようだった。


「おかえり、燐」

「え、なんでも此処に…!?」

「此処に住むから。ちなみに部屋は四二三号室」


メフィストに指定された部屋の番号を言い、は前髪から滴る水滴をタオルで拭う。余談だが何故四二三号室という微妙な数字の部屋を与えられたのかと言うと、死神から由来するらしい。しにがみ、4、2、が、3。故に四二三号室。が、は数字で表す事が出来なかった事と、四桁の部屋が無かった為、がを飛ばして四二三号室となったのだ。


「お風呂空いてるし、燐入って来なよ。何か焦げ臭いし」

「焦げ…わかった」


制服の裾や、手を匂いながら渋い顔をする燐は素直にの提案を飲んでタオルと着替えの衣服を持つと、そそくさと部屋を後にし風呂場へと向かう。気配が遠ざかって行くのを感じながら、はベッドの上に乗せられたダンボールを端に寄せ、其の空いた空間に腰を下ろすと真っ直ぐ雪男を見た。


「あたしが此処に住むこと聞いてたんだ?」

「聞いたのはついさっきだけどね」


不敵にが笑ってみせれば、雪男もにこりと笑みを浮かべる。互いに笑みを絶やさず見つめ合う光景は端から見れば目を逸らしたくなるものだが、生憎部屋には雪男との二人だけで逃げ出す輩は居ない。


「兄さんを追い出してまで、何か話したい事でもあるの?」

「話したいのは雪男じゃないの?」


雪男は口を噤み、にこりと笑う。挑発的には笑みを深めると、頭の上から頭を被せ、その場で白く細い足を組む。組んだ足に肘を乗せ、頬杖を付いたのなら、雪男は探るように目を細めての瞳を見るのだ。


「今まではぐらかしてきたのに?」

「燐が居たから。でも、暫く燐は帰ってこない」


燐はが促した通り、風呂場へ向かった。往復に掛かる時間と、シャワーを浴びる時間を考慮すれば十分な時間がある。雪男は小さく笑みを浮かべると、ずれてもいない眼鏡を押し上げて表情を引き締めるのだ。


「僕達を護るって言ってよね」

「言ったね」

「どうして?」


椅子の背凭れに肘を掛け、に問い掛ける雪男の出で立ちは、まさに真剣そのもので、も応える様に浮かべて居た笑みを引っ込め雪男の問いに答える。


「頼まれた」

「…誰に?」

「獅郎」


飛び出た名に雪男を言葉を詰まらせ、表情を強張らせる。は其れに気付いていながらも続きを口にするのだ。


「燐と雪男を護ってやってくれ、と」


薄く開いていた口を閉ざし、雪男は強く奥歯を噛み締める。あの日、雪男は修道院には居なかった。任務が入って外に出ていたのだろう、雪男だけが獅郎の最期を見ることが出来なかったのだ。


「アンタ達の“父親”が最期に残した言葉だよ」


脳裏に最期の獅郎の姿が過る。其の所為か声のトーンは何時もより少しばかり低くて、は頭の上に被せていたタオルを引き摺り落とすと、乱れた髪を掻き揚げて立ち上がる。雪男は俯き片手で顔を覆っていた。


「雪男」

「…何?」

「初めてあたしと会った日の事、憶えてる?」

「………。」

「まだ雪男は幼稚園だったから憶えてなくても当然なんだけど、あたしは良く憶えてるよ」


タオルを左手に持ち、雪男の前まで歩み寄ると、ぽたり、ぽたりと髪から雫が零れ落ちて床に染みを作る。


「燐は昔から五月蝿い子だった。雪男は弱い子だったね、直ぐ泣くし」

「…それは今は関係ない」

「其れだけよく憶えてるって事だよ」


雪男は弱々しい息を吐き出すと、前のめりの姿勢となって膝に肘を置き、目の前に立つを見上げる。


「…。君は祓魔師じゃないよね」

「そうだよ」

「でも悪魔が視える」

「そうだね」

「兄さんと、僕がサタンの息子なことも知ってるね?」

「勿論」


雪男は深く息を吐き出した。同時に肩に入っていた力を抜き、力無く笑うのである。


「どうして?」

「雪男」


そんな弱々しい雪男を見下ろし、は其の名を呼べば、雪男は目だけをに向けた。


「そんな事が、ずっと聴きたかったの?」


普段から仏頂面の無愛想な。時折浮かべる笑みは雪男の笑みとは違い何処か深みがある意地の悪いものが多い。そして今も、は雪男を見下ろしてそんな笑みを浮かべている。雪男は困った様に笑い、率直な疑問をぶつけるのだ。


「君は…何者なんだ?」


は満足そうに、嗤った。


「死神」



















「雪男ー、次お前風呂行けよー」


濡れた髪を乱暴に拭きながら部屋に燐が戻ってきた時には既に其処にはの姿は無く、椅子の背凭れに凭れ掛かって天井をぼんやりと眺める雪男の姿があった。が獅郎に拾われた経緯、今日に至るまでの全てを聞いた雪男は、帰ってきた燐の姿を見て疲れた様に目頭を解す仕草をして、気の抜けた返事をするのである。


「今行くよ」

「あれ?は?」

「もう寝るって」


湿った髪を拭いながら、ふーん、と相槌を打った燐を尻目に雪男は片付けたばかりの衣服とタオルを取り出して部屋を出る。薄暗い廊下には雪男の足音だけが響き、不気味さを漂わせる空間を雪男は歩いた。




「燐にはまだ秘密ね」




が部屋を出る時に言い残した言葉が脳裏を過る。口元に人差し指を立て、指を添えて不気味に微笑んだ彼女は、さっさと立ち去って行った。其の後すぐに燐が戻って来た事から、燐が戻ってくるのに気付き、部屋を出たのだろう。


「まるでもう一つの親だね」


雪男は思わず零れた自分の言葉にクスリと笑った。彼此何百年も生きているという死神の彼女は、見た目は自分と同い年のそれでも中身はずっとずっと老いている。今迄感じていた彼女の大人びた雰囲気は、其の内面から出てきているのだろうと、やっと分かった。


「となると…母さんかな」


獅郎が自分達を見守って来た様に、また彼女も自分達を見守って来たのなら、獅郎が父で、が母の様に思えた。何も知らない雪男に戦う術を教えた獅郎と、何も知らないふりして傍に居た。自分が隠して来た祓魔師の道は、全て筒抜けだったと思うと必死に隠して、隠せていると思っていた自分が恥ずかしくてたまらなかった。











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