強化合宿には全員が参加し、合宿初日、雪男、燐、は正十字学園男子寮の旧館の前で待機していた。塾生達を出迎える為にわざわざ外に出て来たのである。


「完璧にパシられてんだろ…」

「え?」

「…いや…まあ…何でもない」


出雲から受ける最近のしえみの扱いの事を考えていたのだろう。燐が零した心の声が表に出た事で、クエスチョンマークを頭上に浮かべる雪男に、燐は歯切れの悪い曖昧な言葉を返す。そんな時、前方に荷物を抱えた塾生達が歩いて来る姿が見えた。


「うわ、なんやコレ。幽霊ホテルみたいや!」

「おはようございます」


着替えの衣服をボストンバックに詰めた塾生達。此れから合宿の場となる旧男子寮の外観に思わず本音が溢れる。其の外観はとてもじゃないが綺麗だと言えない程に悪いものだったからだ。出雲の斜め後ろには相変わらず緩い笑顔を絶やさないしえみの姿があり、思わず燐は表情を歪める。


「ヤダなにココ。気味悪ーい!…もうちょっとマシなとこないの?あ、コレお願い」

「うん」


出雲がしえみに鞄を投げて寄越せば、嫌な顔一つせず受け取り荷物を持つしえみ。其れを見ていた朴は思わずしえみに声を掛けるのだ。


「も、杜山さん!嫌なら嫌って言わないと…!」

「朴さん!私、嫌じゃないよ!」

「え?」


見かねて朴がしえみに指摘するのだが、しえみは明るい表情だ。其の頭には以前召喚した緑男の幼生の使い魔、通称ニーの姿がある。


「お友達の役に立ってるんだもん」

「………、そっ……か」


はっきりと曇りない笑顔で言われてしまえば、其れ以上朴は何も言えなかった。出雲の分まで荷物を持たされたしえみは、覚束ない足取りで時にはフラフラとしながら合宿先である旧館男子寮の中へと入っていく。そんなしえみの後ろ姿を、信じ難いと言わんばかりに呆然と燐は眺めていた。


「………どう思う?」

「どうも何も。…ほら、入るよ。遅れると雪男が五月蝿い」

「…おう」


煮え切らない表情で、燐は渋々との後ろを歩いた。



















「…はい、終了」


腕時計で時刻を確認していた雪男が静かに終了の合図を掛ける。すると一斉にペンをプリントに走らせていた面々はペンを置き、其々息を抜く様に姿勢を崩して静かに息を吐くのだ。


「プリントを裏にして回してください」


長テーブルに等間隔に座った塾生達は、其々記入したプリントを裏に向けて隣に座る生徒に手渡す。もプリントを隣に座る燐へと渡すのだが、燐の目が死人の様に生気の無いものになっている事に気付き、思わず呆れた顔をする。プリントは一番角に座っていた志摩へと渡り、志摩は緩い笑みを浮かべて椅子に腰掛けて時間を見ていた雪男に全員分のプリントを束ねて提出すると、雪男はプリントの枚数を確認しながら塾生達に向かって言うのだ。


「今日はここまで。明日は6時起床、登校するまでの1時間答案の質疑応答やります」


筆記用具を片付け、じっと座っていた為に凝り固まった身体を解す様に伸びをし、肩を回す塾生達。は筆記用具を仕舞い、鞄の中へと片付けたのなら、ふいに隣に座っていた燐が広げた筆記用具を片付けもせずに徐に立ち上がる。


「ちょ…ちょっとボク夜風にあたってくる」

「おう、冷やして来い…」


何時ぞや勝呂から貰ったというヘアピンで前髪を勝呂同様上げて止めていた燐の額からは白い湯気が出ており、目を回しながら覚束ない足取りで燐はふらり、ふらりとゆったりとした足取りで出入口の方へと歩いていく。只でさえ座学が苦手な燐だ、其の一人称すら変わってしまっている事から相当ダメージが大きいらしく、勝呂はそんな燐を哀れに思いながら優しく見送るのだ。


「朴、お風呂入りにいこっ」

「うん…」

「お風呂!私も!」


朴の隣に座るしえみには目もくれず、出雲は朴を風呂へと誘う。其の手には着替えの衣服が既に入れられているのだろう。和気藹々とした空気が流れるが、どうも出雲は朴しか視界に入れておらず、しえみは一人空回りしている様に見える。そんなしえみと出雲を交互に見ながら、朴は困った様子でしえみと出雲を交互に見ており、落ち着かない様子だった。


「うはは、女子風呂かー、ええなー」


部屋を後にし、風呂場へと歩いていく女子三人の背中を眺めながら、志摩は酷く緩んだ表情で呟く。何を考えているか等、聞かずとも容易に想像がついて勝呂と子猫丸は顔を、どちらからともなく溜息を吐くのだ。


「こら覗いとかなアカンのやないんですかね。合宿ってそういうお楽しみ付きもんでしょ」

「志摩!!お前、仮にも坊主やろ!」

「また志摩さんの悪いクセや」

「そんなん言うて二人とも興味あるくせにー」


想像通りの志摩の発言に、顔を一変させた勝呂が咎め、子猫丸が呆れた視線を志摩へとやった。だが、志摩はというと、にやにやと笑みを浮かべたままで、は部屋に掛けられた時計を見上げた。女の風呂は長いと相場が決まっている。彼女達が出てくるまでの時間、自室でのんびりと過ごそうか。そんな事を男子達の会話をぼんやりと聞き流しながら考えていた時である。


「…一応ここに教師がいるのをお忘れなく」


全員の視線が、部屋の隅で椅子に腰掛け、集めたプリントに視線を落とす雪男に向けられた。飛び交っていた言葉が消え、皆が言葉を失って無表情にプリントに目を通す雪男を見る。志摩はそっと雪男に歩み寄ると、まるで悪魔の誘惑の様に雪男にそっと囁くのだ。


「教師いうたって、アンタ結局高1やろ?無理しなはんな?」

「僕は無謀な冒険はしない主義なんで」


ずれてもいない眼鏡を静かに押し上げ、雪男は志摩の誘いを拒絶する。此れが燐だったのなら、また話は違っていたかもしれないが、相手は根っからの生真面目、優等生まっしぐらの雪男だ。雪男に限ってそんな行動を取る筈が無いのである。は荷物を纏めて立ち上がると、雪男の肩に手を置いていた志摩の視線がへと向き、ほんの少し首を傾げて、にこりと笑みを浮かべるのである。


さんは一緒に女子風呂行かへんの?」

「………。」

「嫌やなぁ、そんな目で見んとって!堪忍や!」


其の問い掛けに下心が無かったかと問われれば嘘になる。勿論其れを見抜いていたは、志摩へと振り返るものの、其の表情は険しく、眼力だけで人をも殺せそうな殺気立った睨み付きだった。口を噤み無言を貫く辺りが更に其の迫力を増しており、思わず志摩は乾いた笑みを浮かべて引き攣る口元で何とか笑ってみせながら反射的に謝罪を口にするのだ。しかし、の表情は1mm足りとも和らぐ事は無かった。


「「きゃああああああああ!!!」」


刹那、響いた悲鳴と、激しく何かが壊れた様な物音。全員が同時に顔を上げた時、誰よりも一番早く状況を察知したが今迄に一度でも見せた事の無い様な俊敏さで立ち上がり、数秒遅れで雪男が椅子から腰を浮かす。


「何や!?」

「今の…神木さんと朴さんの声やなかったですか…?」

「ちょ、二人共早っ!!」


状況が把握出来ず、動揺する勝呂、子猫丸、志摩の目の前を凄い勢いで部屋を飛び出して行ったと雪男を、特に志摩が驚いた表情で見ていた。廊下に飛び出したの後ろを雪男が落ち着かない表情で駆ける。


「女子風呂から…!?」

「悪魔が居る」

「悪魔が!?」


前を走るへ雪男が足を動かしながらも問えば、返って来た言葉は最悪のものだった。風呂場は1階に有り、此処からではかなりの距離がある。実戦訓練も無い様な塾生、其れも男子よりも非力な女子となれば、雪男が不安を抱くのも仕方の無いだろう。


「燐も、居る」


が続けた言葉に、雪男は思わず舌打を零しそうになる。何故悪魔が女子風呂に居る事や、其の場に燐が?椹ている事が分かるのかと、雪男はに問う事は無かった。其れはきっと“死神”だからこそ分かるの能力の一つなのだろうと踏んでいたからだ。雪男は頭の中を駆け巡る凡ゆる最悪の展開に思わず頭痛を覚え、表情を歪ませた。燐が其の場に居るのなら、神木や出雲、しえみを避難くらいはさせそうではあるが、直ぐにサタンの力に頼る燐だ、其の力を見られたらと思うと雪男の胸に渦巻く不安は更に大きくなる。そもそも何故悪魔が紛れ込んで来たのか、雪男は目一杯足を動かしながら考えた。此の学園は強力な魔除けで守られてはいるものの、稀に悪魔が入り込む事がある。とは言え、何故此の場所で、此のタイミングなのか。怨まずにはいられなかった。


「先に行く」


漸く階段が見えてきた所で、突然は後ろを走る雪男へと振り返り、淡々と言い放った。どう言う事だ、と考える間も無く、は階段とは逆方向の、開けたままになっていた窓枠へと足を掛けた。の行動を瞬時に理解した雪男が慌てて止めようと手を伸ばすも、其の手は届く事無く、の体は薄暗い闇の中へと吸い込まれていく。


「冗談だろ…」


窓枠に両手を付き、飛び降りたの姿を目視すれば、雪男は思わず表情を引き攣らせた。何も無い空間だというのに、まるで其処に“何か”があるかの様に着地しながら、はとんでもないスピードで下降していく。風呂場は男女共に1階に設置されている為、階段を下るよりもの様に飛び降りた方が早いだろう。勿論、雪男は飛び降りるつもりは無かった。あの得体の知れない見えない“何か”は明らかにの能力に依るものだったからだ。同じ様に飛び降りた所で、地面に激突して死ぬのがオチだろう。


「奥村先生!!」


後を追って来ていたのだろう、呆然と窓枠に手を掛け下を見下ろす雪男を見て目を丸くする勝呂、志摩、子猫丸の姿に漸く雪男は呆然としていた意識を取り戻すのだ。慌てた様に今度こそ窓の向こうへは目もくれず、階段に向かって全力で駆け出す。其の後ろに勝呂、志摩、子猫丸は付くと、四人は階段を最大の速度で下りて行く。


「そう言えばさんは?」


雪男と勝呂、志摩、子猫丸との間が開き始めた頃、微かに聞こえた志摩の言葉に雪男は下唇を噛み締める。の事だ、出雲や朴、しえみの前で死神の能力を使ったりはしないだろうが、かといって身一つで悪魔に立ち向かっていくなど危険にも程がある。雪男は己の武器である銃を握り締めながら、只々懸命に足を動かした。










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