太陽が沈めば空には月が輝く夜が来る。しかし夜も来れば去るもので、また太陽が昇る。そして一日はまた始まるのだ。合宿がスタートし、二日目。現在は聖書、教典暗唱術の授業中であり、時計の長針は時期に授業が終わる頃を指していた。教壇には大粒のアクセサリーを沢山派手に身に着け、脂肪をたっぷりと蓄えた女性の祓魔師が立っている。言わずもがな、此の授業を担当する教員である。


「大半の悪魔は“致死節”という死の理…必ず死に至る言や文節を持っているでごザーマス。詠唱騎士は“致死節”を掌握し、詠唱するプロなんでごザーマスのヨ!」


教師の肩に乗る白猫は大人しく、静かに授業を受ける塾生達を眺めている。皆が独特の話し方で授業を進行する教員を見ている中、志摩は時折振り返ってを見ていた。


「(また外見てる…授業ほんま聞いてへんなぁ…)」


頬杖を付いて窓の向こうを眺めるは一体何を見ているのだろうか。志摩も同様に窓の外を見るが、其処には何も無い空が映るだけだった。昨夜、志摩がの部屋に侵入してから、二人は言葉を交わしていない。というよりも、志摩だけで無くは誰とも口を利かなかった。入浴後も一度風呂上がりを知らせる様に皆が集まる部屋に顔を覗かせただけで、特に会話もせず早々に部屋へと戻って行ってしまったのである。


「(何でもええから何か喋りたいなぁ…)」


志摩はそんな事を思いながら、文字一つ書かれていない真っ白なノートの上にシャープペンシルを置いた。あの夜から、志摩の頭の中からが離れ無い。しっとりと髪を濡らしたが部屋に顔を覗かせた時は、其の艶っぽさに何だか気恥ずかしくなり無意識に目を背け、己の入浴の番が回ってきた時にはも此の湯船に浸かったのかと思うと思わず赤面してしまった程だ。就寝の為に潜り込んだ布団の中では、自身の下で真っ直ぐ見つめてくるの瞳を思い出し、なかなか眠る事も出来なかった。


「(って、俺ただの変態やん!)」


ガンッ、と勢い良く志摩の額が机に叩き付けられる。己の思考回路が気持ち悪過ぎて耐えられなくなった結果である。額を突如打ち付け、机にうつ伏せになったまま動かなくなった志摩に、隣に座っていた勝呂と子猫丸は驚いた様に目をひん剥いて志摩を見るが、直ぐに其れは引いたような目になり直ぐさま意識を授業へと戻す。きっとくだらない事を考えているのだろうと考えたからだ。実際、勝呂と子猫丸の推測は正しい。


「では宿題に出した“詩篇の第三〇篇”を暗唱してもらうでごザーマス!神木さん、お願いするでごザーマス」

「はい!」


教師に指名され、元気の良い返事をして立ち上がる神木。神木の隣は空席で、いつも其処に座っている朴の姿は無い。屍の魔障が未だ癒えておらず、大事をとって安静にしているからだ。


「“…神よ、我汝をあがめん。汝…我をおこして……我のこと”」


詠唱をしていた出雲の言葉が止まる。普段ならスラスラと堂々とした出で立ちで言葉を紡ぐ出雲に、疑問を抱いた塾生達は少なくない。口を開けたまま言葉を失った出雲に、教師も不思議に思ったのか、教科書に落としていた視線を上げて出雲へと向けた。


「ザーマス?」

「あ…あの…忘れました」

「ンまぁー、神木サン。貴女がめずらしいでごザーマス」


強張った表情で教師に素直に言う出雲に、教師は特に咎める事は無かった。授業態度も真面目で予習復習を欠かさない熱心な出雲だったからこそ、普段の行いもあって注意をする程の事じゃなかったからである。誰にでも、偶にはそういう日もあるものだからだ。教師は出雲を着席させると、此のクラスのもう一人の優等生へと今度は視線を向けるのである。


「では代わりに勝呂サン!」

「はい」


教師に名を呼ばれ、立ち上がった勝呂は一度静かに息を吸い、瞼を閉ざす。そして唇を薄く開くと頭の中に浮かぶ言葉を口にするのだ。


「“…神よ、我汝をあがめん。汝我をおこして我が仇の我ことによりて、喜ぶをゆるし給わざればなり。我が神よ、我何時によばわれば汝我をいやし給えり。神よ汝我が魂を陰府より救い、我をながらえしめて墓に下らせ給わざりき。神の聖徒よ、神をほめうたえ清き名に感謝せよ。…その怒はただしばしにて、その恵は命とともに流し”」


スラスラと躓く事無く詠唱する勝呂を出雲は呆然と見つめていた。自身が出来なかったものを平然とやってのける勝呂に衝撃を受けたのだろう。見るからに負けず嫌いな出雲だ、其れが悔しくない筈が無く、視線を勝呂から外すと強く下唇を噛んで俯くのだ。其の間も、勝呂は詠唱を続ける。


「“…我ひたすら神に願えり。我墓に下れば我が血なにの益あらん。塵は…黙すことなからんためなり。我が神よ、我永遠に汝に感謝せん”」


結局、勝呂は最後まで平然と詠唱してみせ、閉ざしていた瞳を開いて教壇に立つ教師を見る。そしてどっと、教室が湧くのだ。


「スゲー!!」

「素晴らしいでごザーマス勝呂サン!完璧でごザマス」

「お前本当に頭良かったんだな」

「本当にって何や!?」


完璧な勝呂の暗唱に驚愕の表情で拍手をする燐としえみは熱い視線で勝呂を見ており、教師も教壇から勝呂を褒め称えれば、タイミング良く授業の終了を告げるチャイムが鳴り響く。教師が教材を持って部屋を後にした後も、教室を包む興奮は収まる事は無かった。比例して、出雲の表情が徐々に険しくなっていく。


「すごいねぇ、勝呂くん!びっくりしちゃった」


しえみが勝呂の座る席の方へと振り返りながら言えば、鼻高々と誇らしげに勝呂は笑みを浮かべた。相当嬉しいらしい。


「いやいや、惚れたらあかんえ?ええけど」

「てか坊やなくて俺にしとき。やさしくするし」


嬉しそうに笑う勝呂は、しえみの言葉に相当気を良くした様で何時もの顰めた表情は何処へやら。とても似合わない爽やかな笑みを浮かべている。其の隣では、にんまりと下心丸出しで微笑み、己を指差してしえみに自身を売り込む志摩がおり、教科書を片付けていた子猫丸がそっと微笑みながら口を挟むのだ。


「坊のは頭いい違おて暗記が得意なんですよね」

「コラ子猫丸?それつまり頭いいゆうことやろ?しばかれたいんか」

「あ、はい」


笑顔で勝呂に脅され、反射的に頷く子猫丸にちょっとした同情の念が浮かぶのは仕方ない事だろう。しえみは興味津々と、相変わらず勝呂達が固まって座る席の方へと振り返っており、燐は食い入る様に教科書を覗き込んで自主学習を行っている。勝呂に感化されたのだろう、決して勤勉とは言い難い燐にはとても良い傾向だ。しかし、漢字が読めないのか、時々謎の単語を発しながらブツブツと何やら唱えているのが気掛かりではある。


「暗記って何かコツあるの?」

「あー、コツ?コツかー」


しえみに問いかけられ、勝呂はとても嬉しそうだ。己の努力の結果を褒められ、こうして可愛らしい女子に尋ねられれば嬉しくない男子は居ないだろう。しかしそんな和やかな空気をよく思わない人物もいる。教師に最初に暗唱を当てられ、勝呂に対して良い感情を抱かない、負けず嫌いな出雲だった。


「暗記なんてただの付け焼刃じゃない!」


鼻で笑い飛ばしながら、出雲が吐いた言葉はとても毒のあるものだった。蔑む其の言い方と表情に、志摩は驚いた様に表情を破顔させ、勝呂は威圧的に声を漏らす。以前と違い、今度は燐VS勝呂では無く、出雲VS勝呂が始まるらしい。


「あ?…何か言うたかコラ」

「坊…」


相手が女子だというのに、其の喧嘩腰の姿勢は全く持って容赦が無く、志摩は控え目に勝呂を止めようと声を掛けるが、勝呂は一切耳を貸さずに出雲を見ていた。しかし怯んだ様子も見せない出雲は、どうやら肝は据わっているらしく、勝呂を煽る言葉を止めない。


「暗記なんて…学力と関係ないって言ったのよ…!」

「はあ?四行も覚えられん奴に言われたないわ」

「まあまあ、神木さんはクラスでトップの秀才ですよ?今日はたまたま調子が悪かったんですよ」


挑発的な表情で、今にも殴り掛かりそうな勝呂を何とか宥めようと言葉を繋ぐ志摩だが、其れは勝呂の耳には届かない。しかし、其れをしっかりと聞いていた出雲は歪に表情を歪ませると、突如声を荒げるのだ。


「あ…あたしは覚えられないんじゃない!覚えないのよ!!」


机に手を付き、勢い良く立ち上がった出雲。其の余裕の無い表情に、窓の外をずっと眺めていたが、遂に部屋の中に居る存在、出雲へと目を向けた。出雲の霊圧は酷く揺れていたからだ。


「詠唱騎士なんて…詠唱中は無防備だから班にお守りしてもらわなきゃならないし、ただのお荷物じゃない!」


出雲は馬鹿にした様に、嘲笑う様な態度で勝呂に笑い飛ばせば、完全に勝呂の頭に血が上る。強く拳を握り、我慢ならないと出雲に向かって大股で歩き出した勝呂に対して、出雲も同じく自身の席から離れると勝呂へと向かって歩を進めるのだ。一触即発である。


「なんやと…!?詠唱騎士目指しとる人に向かってなんや!」

「坊!」

「なによ!暴力で解決?コッワーイ。さすがゴリラ顔ね!殴りたきゃホラ、殴りなさいよ!」

「〜〜〜!!…大体、俺はお前気にくわへんねや!人の夢を笑うな!!」


慌てて志摩と子猫丸も立ち上がり、暴走しそうになる勝呂を止めに掛かるのだが、勝呂の怒りは収まらない。蝦蟇を使った授業で勝呂がサタンを倒すと豪語したあの日、腹を抱えて出雲が笑っていた事を勝呂は決して許していなかった。勝呂と出雲は丁度燐を間に挟む状態で互いに向き合うと、勝呂は黙々と聖書に目を通し自己学習をしていた燐の机を勢い良く感情のままに手を叩き付ける。派手な物音に聖書を集中して読んでいた燐も流石に状況に気付き、自分を間にして言い争う出雲と勝呂を見上げた。完全に巻き込まれつつある燐を、はほんの少しだけ憐れに思ったのは此処だけの話である。


「ああ…あの“サタンを倒す”ってやつ?…はッ、あんな冗談笑う以外にどうしろってんのよ!」

「じゃあ何やお前は…。何が目的で祓魔師なりたいんや…あ?言うてみ!!」


勝呂の放った言葉に、出雲は一瞬身を強張らせる。刹那、乱れる出雲の霊圧には目を僅かに細めるのだ。


「目的…?」


揺らぎ揺らめく霊圧は、出雲の心を写しており、祓魔師を目指す事を決めたきっかけに、何か深い理由がある事が容易に察する事が出来る。は出雲に同情の念を向けた。未だ若いのに可哀想に、と婆婆臭い事を思うのだ。


「………あたしは他人に目的を話した事はないの!あんたみたいな目立ちたがりと違ってね…!」

「この…」


遂に勝呂が出雲の胸倉を引っ掴む。不味い、と、志摩と子猫丸が咄嗟に勝呂を抑えようと手を伸ばすのだが、其の手が届くよりも早く、今迄黙って状況を見ていた燐が徐に立ち上がった。二人を止める為だろう。が、立ち上がった瞬間に飛ぶ出雲の平手打ち。其れは本来勝呂の頬に直撃する筈だったのだが、憐れにも燐の頬へと当たる。只々、燐からすれば災難な事だ。


「あっ」


乾いた音が教室に響き、丁度教室に現われた雪男は其の現場に思わず言葉を失くす。教室はやけに静かになり、雪男はゆるりと笑みを浮かべた。



















「皆さん、少しは反省しましたか」

「な…なんで俺らまで」


日が落ちた薄暗い外ではカラスの鳴き声が響き、男子寮旧館の一室で塾生達は雪男に集められ半円形に並ばされ正座をさせられていた。其の膝の上には石等に憑依する囀石と呼ばれる悪魔がおり、持つとどんどん重くなる其の石に皆が皆、苦しんでいる。言わずもがな、の膝の上にも囀石はあり、時間が経つにつれて其の重みは増えていくものだから、正座をし慣れたからしても、其れはかなりキツい罰則だった。


「(天井、床下、戸棚…押入れに二人…合わせて五人…)」


雪男に導かれて入室させられた部屋の彼方此方に息を殺して潜む霊圧。其れは雪男同様に研ぎ澄まされたもので、其の正体が祓魔師である事を悟らせる。其れも其の内の一つがの記憶にも深く残っていた椿のものがあるのだから、先ず祓魔師達で間違い無いだろう。


「(何かが…始まる)」


祓魔師が挙って身を隠し息を潜めている此の状況、疑問を抱かない訳も無く、は自然な素振りで周囲を観察した。室内には特に此れといった仕掛け等は無く、ならば次に浮かぶのは此の部屋で“何かが起きる”という事だ。其の何かはきっと“塾生達を試す”ものに違いないだろう。何せ今は候補生認定試験に備えての合宿中なのだ。候補生認定試験に関する“何かが始まる”に違いなかった。


「連帯責任ってやつです。この合宿の目的は“学力強化”ともう一つ、“塾生同士の交友を深める”っていうのもあるんですよ」


一番端に座るの隣には志摩が居り、囀石を乗せて間も無い頃は何かと話し掛けて来ていたものだが、今ではすっかり口を噤んで顔を強張らせている。相当囀石に堪えている様で、は横目に志摩を見ると、志摩は今にも死にそうな顔をしていた。はそっと視線を戻し、今度は自身の膝の上に乗る不細工な顔をした囀石を見下ろす。一先ず、流れに身を任せる事を決めて。


「こんな奴等と馴れ合いなんてゴメンよ…!」

「コイツ…!」


素っ気無く言い放った出雲に勝呂は牙を向く。其れは今にも囀石を退けて飛び掛からんばかりだ。実際、此の場に雪男がいなければ、そんな行動をとっていた事だろう。正座の並びも出雲と勝呂の間には燐が居り、燐は膝の上から伝わる重みに苦しみながら、左右から聞こえて来る棘のある言葉や怒りの言葉を聞き流していた。


「馴れ合ってもらわなければ困る。祓魔師は一人では闘えない!お互いの特性を活かし、欠点は補い、二人以上の班で闘うのが基本です。実戦になれば戦闘中の仲間割れは、こんな罰とは比べものにならない連帯責任を負われる事になる」


最もな事を雪男は塾生達に言う。悪魔と戦うという事は、命の危険も付き物で、そんな時に仲間割れなどしたら自分達だけでなく、周りにも迷惑を掛ける事となるのだ。


「そこをよく考えてください」


其の言葉は明らかに出雲へと向けられており、正論故に言い返せないのか出雲は複雑そうな表情で俯くのだ。


「…では僕は今から三時間程、小さな任務で外します」

「!?」


雪男は腕にした時計に視線を落とすと、其の時刻を見て今度は出雲だけでなく、塾生全員に向かって言う。雪男の言葉に驚きの表情を浮かべる面々を変わらぬ表情で眺めながら、雪男は続けた。


「…ですが昨日の屍の件もあるので、念の為、この寮全ての外に繋がる出入口に施錠し、強力な魔除けを施しておきます」

「施錠って…俺ら外にどうやって出るんスか」

「出る必要はない」


戸惑う塾生達に掛ける強い言葉とは裏腹に、雪男の浮かべる表情は実に爽やかだ。笑みをより一層濃くすると、雪男は部屋の扉へ手を掛けて、ニッコリと笑い掛けるのである。


「僕が戻るまで三時間、皆で仲良く頭を冷やしてください」


三時間、唯の正座では無く、囀石を乗せたまま今から180分もの長時間を過ごせと雪男は言う。とても残酷な言葉を吐きながら、実に清々しい微笑を浮かべて雪男は部屋を後にすると、扉が閉まった音がやけに響き、部屋の中の空気はより一層重くなるのだ。


「三時間…!鬼か…!?」

「う…」

「もう限界や…お前とあの先生、ほんま血ィつなごうとるんか」

「…ほ…本当はいい奴なんだ…きっとそうだ」


顔に影を落とし絶望する志摩に、まるで重みを感じていないかの様に涼しい顔をする、既に限界が近いのか声を漏らすしえみ。勝呂は雪男の残していった厳しい罰を思い、隣で小刻みに身体を震わせながら囀石の重みに耐える燐に問いかけると、まるで自己暗示の如く呟く燐。対照的な二人だが、燐と雪男は紛れも無く血の繋がった双子の兄弟である。


「つーか、誰かさんの所為でエラいめぇや」

「は?アンタだってあたしの胸倉掴んだでしょ!?信じらんない!」

「先に喧嘩売ってきたんはそっちやろ!」

「…また微妙に俺を挟んで喧嘩するな!」


雪男に頭を冷やせと言われたばかりだと言うのに、再び始まりそうな二人の喧嘩。勝呂と出雲の言い合いの間に挟まれた燐は痺れる足に顔を青くさせながら喧嘩をするなと訴える。しかし、其れで怒りや興奮が収まる勝呂や出雲では無かった。


「…ほんま性格悪い女やな」

「フン、そんなの自覚済みよ。其れが何!?」

「そんなんやと周りの人間逃げてくえ」

「………!!」


勝呂が吐いた言葉に初めて出雲が表情を歪ませる。勝呂の言う通り、過去にも周りの人間が離れて行った事があったのだろうか。其の真相は出雲にしか分からない。追求する事も誰もしなかった。否、出来なかったというのが正しい。部屋を明るく照らしていた照明が突然落ちたからだ。明るかった部屋は闇に包まれ、視界を遮り思考も停止する。混乱が、部屋の中に渦巻いた。










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