「まさか…抜き打ち試験だったなんてな…。すっかり騙されたな!!」
「…少しは可能性考えとくべきやったねぇ」
場所は変わり学園内に設置される医務室。一番体力の消耗が酷かったしえみは、今は安らかな表情でベッドで眠っており、其の直ぐ傍らには燐がベッドの脇に腰掛けていた。隣のベッドでは志摩と子猫丸が腰掛けており、其のベッドの足元の枠には寄り掛かって立っている。勝呂はしえみの眠るベッド側へと椅子を引き寄せて座り、勝呂の斜め後ろには出雲が座っていて、それから更に距離を取った所にはいつもフード付きパーカーを目深く被る性別も分からない人物と、いつもぬいぐるみを持ち歩いている宝の姿がある。皆の腕には点滴が施されているのだが、燐とだけが何も治療を施されずにいた。実際無傷の二人には手当てと言う手当てが必要なかったからだ。
「僕大丈夫やろか…」
「なんや、そんなもん今考えてもしょーもないで」
「坊や志摩さんはええですよ!…僕ときたらろくに腰立たんようになってたんですから…」
顔を覆い、頭を抱えて唸る子猫丸を勝呂が呆れ顔で宥めるのだが効果は薄い。腰が立たなくなったとはいえ、勝呂と共に屍に詠唱で太刀打ちしようとしたのだから、其の姿勢は評価されるに十分値するものなのだが、子猫丸には安心出来ない様子だった。
「あんた達は大丈夫でしょ。…奥村先生は試験前…チームワークについて強く念を押してたわ。…つまり候補生に求められる素質は“実践下での協調性”…!」
今迄口を噤んでいた出雲が、苦々しく言葉を紡ぎながら俯く。過るのは屍が襲ってくる直前に部屋を後にした雪男の言葉。其れも、出雲に向けられていた言葉だったのだから出雲の落ち込みは察するものだろう。
「…それでいうと、あたしは最低だけどね」
最後の最後で加勢に加わった出雲だが、其れを協調性があってのチームワークとしての行動だったのかと問われれば何とも言えないものだ。不合格、脳裏に過る三文字の言葉に出雲が肩を落とすのも無理も無い事だった。
「お前はまだ全然マシやろ。あいつらなんか完全に外野決めこんどったんやぞ。なんか言うことないんかお前ら、え!?」
あれ程、出雲といがみ合っていた勝呂が、珍しくも出雲をフォローする言葉を口にする。出雲よりも勝呂の癇に障る者が居るからだ。言わずもがな、何も行動を起こさなかった目深くフードを被る人物と、宝である。
「やったー。緑竜の爪ゲットー。改造改造」
「…チッ。うるせェガキ共が!!テメーらと話すことなんかありゃしねーんだよ!」
吠える勝呂に見向きもせずにゲーム機で遊ぶ何も知らぬ生徒と、手に持つ人形を用いて腹話術で暴言を吐いた宝に、みるみる内に勝呂の怒りのボルテージは上がっていく。身体が万全であったのなら、今にでも飛んでいきそうな程に勝呂の表情は荒れていた。
「あ…」
そんな時、小さく声を漏らしたしえみに逸早く気付いた燐が、眠っていたしえみへと振り返る。眠りから覚醒したのか、目元を擦るしえみは閉ざしていた瞼を薄っすらと開いて、焦点の合わない瞳を燐へと向けた。どうやら騒ぎすぎたらしく、しえみが目覚めた様だった。
「わり…起こしちった!」
「ううん、もう大丈夫…。だいぶ元気になったよー、みんな何のお話してるの…」
未だ目覚めたばかりで朦朧とする意識に、殆ど開かれていないといっても過言ではない細い目で、しえみは起き上がると、ベッドの周囲に其々腰掛ける燐や勝呂、志摩や子猫丸を見て尋ねる。ほっと、誰かが安堵の息を吐いた。
「…試験のことについてな」
「…一番の功労者は杜山さんやな」
「………」
深い眠りから覚めたばかりのしえみを見て、志摩と子猫丸は柔らかい表情を浮かべ、勝呂は何か言いたい事でもあるのか、口を噤んでじっとしえみを見ている。そして徐に勢い良く頭を下げるのだ。実に気持ちがいい程の頭の下げ具合であるが、しえみを驚かせるには十分だったらしく、殆ど開かれていなかった瞳が見開かれる。
「杜山さんがおらんかったらと思うとぞっとするわ。ほんまにありがとお」
「え?そ…そんな…こちらこそ!」
「杜山さんは絶対合格やな」
「ハハ…でないと俺ら全員落ちます」
勝呂の感謝の言葉を聞き、称える志摩と子猫丸に、しえみの頬は赤く色付く。褒められる言葉よりも、只々感謝された言葉が嬉しいのか、しえみはぼんやりと勝呂から視線を離せないでいた。
「せやけど、さんも凄かったなぁ」
話の矛先が徐にへと向けられ、傍観を決め込んでいたの意識が此の場へと戻って来る。何時の間にか視線は全てへと向けられており、心なしか名も知らぬ生徒もゲームをする手を休め、宝もに意識を向けている様に感じられた。
「坊が詠唱で倒すやなんて言いはらんかったら、僕絶対何も出来ませんでした。やのに…あんな…まさか志摩さんの錫杖を奪い取ってまで挑むやなんて…恐れ入りますわ」
「あの屍を威圧する背中、思い出すだけでも身震いするわ…あかん!ほんまに惚れそう!」
「お前何言うとんねん!…せやけど、さんが時間稼ぎしてくれへんかったら倒せてへんかったわ」
子猫丸は嘆美し、志摩が想望し、勝呂は嗟歎する。向けられた6つの瞳から逃れる様に視線を落とせば、妙な静けさが場を包み込む。からすれば、そんな目を向けられても困るというものだ。
「さん」
静かに掛けられた言葉に視線を向ければ、神妙な面持ちで子猫丸が真っ直ぐとを見つめている。続きを促す様には口を噤んだまま、じっと待てば、子猫丸は薄く口を開いて問い掛けるのだ。
「怖くなかったんですか?」
純粋無垢に、真っ直ぐな何色にでも染まりそうな瞳が、の姿を移す。子猫丸には不思議で仕方が無いのだろう。ああして屍に立ち向かう事が咄嗟に出来たが。其の心の本音を、知りたいと思ったのだろう。其の問い掛けをはぐらかす事は簡単だ。しかし、敢えては本心を口にする。
「怖いよ」
危害を加える悪魔を目の前に恐れを抱かぬ者の方が可笑しいのだ。格下であっても、其の気になれば一瞬でカタをつけられる相手でも、何かの間違いや、ほんの些細なキッカケで将来が分かれる事もあるのだ。其れが只の一撃だったのなら良い。己の未来すら左右する一撃だったら最悪だ。
「ほな…何であんな事…出来はったんですか?」
子猫丸は恐ろしかった。突如現れた屍にどうすれば良いのか分からなかった。否、選択肢は戦う以外に無かったに等しいが、其れも勝呂が言い出さなければ何も出来ず怯えて終わるだけだっただろう。確かな恐怖に身を竦め、只々身体を震わす事しか出来なかった筈だ。だからこそ、子猫丸は問う。一体何が原動力となって立ち向かう事が出来たのかと。
「死にたくないから」
の返答は実にシンプルなものだった。戦わなくては死ぬ。死にたくないから戦う。恐怖はある。だからといって何しなければ死ぬだけなのだ。敵を前に怯えるだけで何もしないなど、愚の骨頂であるとは考える。死にたくないのに、わざわざ死を受け入れるなど、それも恐怖なんて感情に支配されて身動き一つ出来ないなど、其れ程、愚かなことは無いのだ。
「誰だって死にたくないでしょう」
一番良いのは戦わずとも生きていられる平和な環境に身を委ねる事。自ら戦う道を選んだのなら、其の命尽きるまで、戦う以外の道は無い。祓魔師を目指すということは悪魔と戦うということだ。悪魔と戦うという覚悟、其れが何よりも今は誰もが足りないものだった。
「せや!お前俺を盾にしたやろ!?」
ふいに勝呂がを見て声を荒げる。蘇るのは屍が体液を放出した際に迷い無く勝呂を盾に身を潜めたの姿だ。未だそんな事を気にしているのか、口には出さなかったものの、の心中は態度に出ており、皆は思わず苦笑いを浮かべる。
「敵が放ったものを素直に受ける方が悪い」
「腹立つ言い方やな、おいコラ…!」
歯を噛み締めて唸る勝呂を一瞥し、は名も知らぬ生徒と宝へと視線を向ければ、名も知らぬ生徒はゲームを再開させ、宝もぬいぐるみを弄り、へと向けていた視線を外す。そんな二人を観察する様にじっと見据えていただが、暫くすると瞼を閉ざして息を吐くのだ。
「そおいや奥村くん、どないしてあの屍倒したん?」
「えっ」
次の矛先は燐へと向き、子猫丸の問い掛けに思わず言葉に詰る燐は明らかに落ち着きが無くなる。サタンの炎を使ったのだろう、燐の態度を見れば一目瞭然だった。
「…あー、あれ…俺はあの剣でグサッと…」
いつも背負っている剣に視線を向けながら、曖昧に小さな声で言う燐は、とてもじゃないが普段通りの元気さが無い。其れに違和感を誰も抱かなかったのが不幸中の幸いと言えるだろう。付き合いの短さが幸運だった。
「はぁー…すごいなぁ。騎士の素質あるんやね…」
「何や剣でグサッとて!抽象的すぎるわ!」
勝呂は椅子の背凭れに持たれかかりながら燐に食ってかかるが、燐は誤魔化すように歪な笑みを浮かべる。
「俺はお前が一番謎や」
「まあな!俺ってこう見えてミステイクな男だからさ」
「バフォッ!?ちょ…ミステイクて…!?」
「…あり?」
ミステリアスと言いたかったのだろうが、いい間違えた燐に志摩は勢い良く噴出して笑う。学の無さが露見した瞬間だったが、燐は恥じる事は無い。今更だからだ。本来ならば、此の学校に来る事は無かったのだ。普通に受験しても確実に落ちる名門私立校、正十字学園。サタンの炎さえなければ、サタンの落胤でさえなければ、本来燐は此処には居ないのだから。
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