ぶらぶらと、意味も無くと椿はメッフィーランド内を歩き回っていた。任務の内容は小さな男の子の霊を捜すというものではあるが、ははなから真面目に取り組むつもりは無かった。が任務を放棄し、何処で時間を潰そうとも、其れが気付かれなければ後に面倒な事になる事も無い。誰かが霊を見付け次第終了の任務、ただ誰とも遭遇しなければ良い。散り散りに散らばって捜索しているのだから、気を遣って周囲に警戒する必要も無かった。只一つ、予想外だった椿をパートナーに付けられた点さえ除けば。椿が隣にいる以上、堂々と腰を下ろして時間を潰す訳にもいかず、は結局意味も無く動かぬアトラクションを尻目に歩いていた。


「!」


刹那、突然飛躍的に燐の霊圧上がった事を察知し、は燐の居る方向へと勢い良く振り返る。此れだけの霊圧なのだ、降魔剣を鞘から抜いたのだろう。


「何だネ!?」


の反応に驚愕する椿だが、でかでかと建造されていたメフィストの銅像の首が突如破壊音と共に落ちたのなら、椿も事態を把握するのである。は呆然と立ち尽くす椿を其の場に置き去りに、勢い良く駆け出したのなら、燐が居る方面と持てる最大の速度で向かうのだ。


「(野放しにするんじゃなかった…!)」


燐と共に感じる霊圧は、任務前、メッフィーランドに入る前に違和感を感じた其れと同じ。己の判断の過ちに舌打ちを零しながら、建物と建物の間をすり抜けは走る。全力で駆けている事もあり、騒ぎの元になる現場とはだいぶ近付いた様だが、其れでも未だ遠かった。眼前に頭だけ見えるジェットコースターのレーンに、まるで其処に何かが落下してきた様に一直線に崩れる骨組み。一瞬、微かに見えたのは燐の降魔剣を肩に担ぐ敵の姿と、盛大に破損した骨組みの破片と共に落下する悪魔の姿と化した燐の姿だ。


「(燐…!)」


突如激しく揺れる地震も起き、ふらつきながらもは走る。事は一刻を争う事態だ。雪男も事態を察して向かっているのだろうが、待っている暇もなければ、雪男が駆けつけたからといって事態が好転するとは限らない。元より、は雪男を当てにはしていなかった。雪男自身も、獅郎に託された息子だからだ。わざわざ危険な場所に招く必要は無い。


「さっきのはもうおしまいですか?」


角を曲がり、見えたものは血を流し傷だらけの燐の姿と、其の前に只ならぬ霊圧を放つ見覚えの無い悪魔の姿。燐と悪魔はに気付いた様子は無く、は気配と足音を消して背後から一気に駆け出し近付く。


「兄上には止められていたけど、こうなったら剣を折ってしまおうかな」

「!?…何を…」


降魔剣の刀身に手を掛けながら、呟く悪魔の背後。其の後ろ、約3m。強く地面を蹴り、飛んだ身体は一直線に悪魔へと向き、其の脳天目掛けて一切の躊躇無く足を振り上げる。


…っ!」


悪魔の背後から飛び出す様に見えたの姿に、漸く燐がに気付く。そんな燐の反応に悪魔も背後に忍び寄る気配に気付くも、振り返る間も無く悪魔は後頭部に直撃する鋭い打撃に頭を傾けた。反動で項垂れる頭に手を付き、は軽やかに悪魔の頭上で身を捩って一回転させると、地面に着地する間際にするりと悪魔の手から降魔剣をくすね、燐に背を向けながら手で押し退ければ、呆然と立ち尽くす悪魔に狙いを定める。


「“八つ姫を喰らう”」


一切の隙無く、剣先を悪魔に向ける精練された構え。付け入る隙も与えずが悪魔を睨んでいれば頭上から男の割には高い女の声が降ってきた。


「“蛇を断つ”!」


目深くかぶったフード、其の格好は塾生の一人である山田そのものだ。其の胸元には紋章の様なものが描かれており、山田は其処から一振りの刀を取り出して悪魔へと斬り掛かる。其れを鞘で持って受け止めた悪魔は後方に一歩飛び退いて、まるで山田や、燐から距離を取る様にして佇んだ。


「キミ達は誰ですか?」

「お前、地の王アマイモンだな」


アマイモン、山田にそう言われた悪魔の問い掛けは最もだろう。突如現われたと山田に、標的を燐だけに絞っていたアマイモンは至極二人の乱入者が不思議でならなかったに違いない。しかしだからといって素直に名乗る様な山田とでは無かった。


「お前みたいな“大物”がどうやってこの学園に入った。メフィストの手引きか?」

「燐、下がって。あと少し借りる」


山田が刀身に奇妙な紋様が描かれた刀をアマイモンに向けて構え、其の後方で燐を手で抑止ながら燐が降魔剣を構える。


「邪魔だなぁ」

「邪魔はお前だ」

「次は鞘を貰う」


アマイモンの手の中にある降魔剣の鞘、其れが無くては降魔剣に封印されている燐の炎を収める事が出来ないのだ。何としてもアマイモンから鞘も奪わねばならない。気を引き締め、一向に動きを見せぬアマイモンに先手を打とうとが腰を落とした時、アマイモンは燐を見た。相当体力を消耗しているのか、肩で息をする燐は其の場に立っていることもままならなくなり、其の場に膝を付く燐。するとアマイモンはそんな燐に興味を失くしたのか、溢れていた霊圧を押さえ、肩を落とすと、視線を山田とに戻して差し出す様に鞘を突き出す。


「やっぱやめました。またの機会に…」


気怠い動作で鞘を放り捨て、アマイモンは逃げる様に背中を向けて飛び上がる。と燐の眼前に突き刺さる鞘に燐は呆然と目を見開き、は鞘を手に取ると素早く刀身を鞘に収め、燐の炎は煙を上げて消し去るのだ。


「!待てコラ!…チッ、にゃろぉ完全に遊んでくれたな…!おい!…すぐ人が集まる、その尻尾は隠しておけよ!」


アマイモンを追い掛けるつもりか、一度燐に剣先を向けて振り返った山田は燐に忠告を残しアマイモンの後を追って飛び出す。取り残された燐は露になっていた尻尾を制服の中に戻しながら、膝を付いたまま動けずに居た。己の腕を掴み、項垂れる様に俯く姿は何か思い詰めている様にも見え、は燐に声を掛けようと口を開きかけるも、結局そのまま口を閉ざすのだ。


「大丈夫ですか!?…兄さん……何があった…」


遅れて駆けて来た雪男と椿は辺りの惨事と血塗れの燐の姿、降魔剣を手に佇むの姿を見つめ、緊迫した表情で燐を見下ろした。そんな時、の視界の端に掠める布切れ。視線で其の先を追うと、山田が何処からか拾ってきたのか、降魔剣を入れていた細長い布袋を片手に佇んでいる。は素直に其れを受け取ると、其の布袋の中に降魔剣を収め、口の封を閉めるのだ。


「遅ぇぞ、雪男。お前が遅いからこっちが動くハメになったろーが」

「…………。………!ま…まさか」

「久しぶりだな」

「!!」


まるで面識があるかの様な雪男の口ぶり。今更になって山田の声をまともに聞くのが初めてだったと気付く。雪男の知り合いとなれば正体が気になるのは当然で、立つ気力の無い燐は膝をついたまま己の斜め前に佇む山田を見上げた。


「まあ、いい加減この格好も厭きた頃だったしな」


山田はそう言って着用していたパーカーに手を掛ける。見えたのは括れた細いウエストに、そして溢れんばかりの豊満な胸。後を一気に脱ぎ捨てパーカーを放れば、露になったのは長い髪をポニーテールに結った、サイズが合っていないのか、溢れ零れ落ちそうな胸にビキニだけを着用した美女だった。


「アタシは上一級祓魔師の霧隠シュラ」


丁度近くに居たのか、騒ぎを聞きつけて駆け付けてきたしえみや、燐までもがシュラの胸に釘付けになる。山田として男装していた際は、その胸を隠すために包帯を巻きつけて締めていたのだろう。脱ぎ捨てたパーカーを片手に、シュラと名乗った美女は胸に巻きつく包帯を解きながら雪男と椿に向かって言う。


「日本支部の危険因子の存在を調査する為に、正十字騎士團ヴァチカン本部から派遣された上級監察官だ」

「上級祓魔師…監察官…!?」

「あー、あとコレ。免許と階級証ね」


ズボンのポケットの中を弄りながら、取り出した免許と階級証を翳しながら、頭を掻くシュラはとても気怠げで高い地位に居る人物の様には見えない。


「ヤヤ…これは確かに。私は中級祓魔師の椿薫です」

「あー。いいよ。堅っ苦しいの苦手だからさ」


シュラの言葉が提示された免許と階級証で真実と明らかになれば、直ぐさま姿勢を整えた椿だが、其れを不要だとシュラは直ぐさま指摘する。雪男は以前に面識があったのだろうが、シュラの身分も、其の豊満な胸にも驚きを見せなかった辺り、もしかすれば深い関わりがあったのかもしれない。


「とりあえずコイツを日本支部基地に連行する。あと支部長のメフィストと話したいから引き摺ってでも連れて来い。それ以外の訓練生はみんな寮に帰しちゃってー」


皆が本部から派遣されたというシュラに言葉を失っていると、此の場で一番階級の高いシュラは己の後方で控える燐を一瞥し、有無を言わさぬ強い口調で指示を出す。しかし全員が其れで納得出来る訳も無く、は警戒する様にシュラを見ていた。


「オラ立て!お前にも話を聞くぞ」

「!!う?うも゛ぉおお!!」


未だ膝を付く燐の首に腕を絡め、顔を胸にと押し付けて連行するシュラに、燐は言葉にならない悲鳴を上げる。最初こそ顔に押し付けられた胸に興奮を覚えたが、上手く出来ない呼吸に直ぐ様その興奮は冷め切り、焦りが生まれた。


「あ…あの!」


立ち去ろうと燐を引き摺って歩くシュラの前にしえみが立ちはだかると、困った様にシュラに抱えられる燐を一度見てから、しえみは控え目にシュラへと訴えかけるのである。


「燐…怪我してるんです…手当てしてからでも…」

「んー?ああ…コイツはこのままでも平気だ。まだ乳臭い子はひっこんでな?」


軽くしえみの肩を叩き、シュラはしえみの隣を横切って大股に歩く。しかしシュラを引き止めたいのは何もしえみだけでは無いのだ。椿と雪男がシュラの行く道を開ける中、は降魔剣を片手にシュラの行く手を阻むように佇む。合わさるシュラの瞳との瞳。シュラは暫し口を閉ざして考え込むと、徐に「よし」なんて明るく言い放てば、燐を抱える手とは反対の手でを誘う様に手招きするのである。


「お前にも話を聞く。ついてきな」


挑発的な目と動作にの眉間に小さな皺が寄る。雪男が宥める様に背後から落ち着いて、なんて慌てた声が掛けられるが、は聞く耳持たずで歩き出したシュラの後ろをついて歩いた。日本支部基地が何処にあるのかは知らないが、鍵で移動するのだから所在地を聞く等と不要な事だろう。胸に圧迫され呼吸が上手く出来ない燐は時折咳き込みながら、また文句を零しながら、縺れそうになる足を何とか動かしてシュラに連行されるがまま歩く。其の一歩後ろを、降魔剣を持つが歩き、雪男と椿は事情も聞かされず一先ずメッフィーランドの外に避難させている塾生達の対応の為に足早に歩き出した。










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