皆が駆け出して直ぐに出くわしたのは大量の襲い来る血を吸う蛾、虫豸だった。彼方此方で絶叫や、応戦する物音が絶えない中、は至極冷静且つゆったりとした足取りで草木を掻き分けて歩く。ライトを点けなかったのは正解だったらしい。虫豸は光に引き寄せられる悪魔だからだ。暗闇の中で灯す光は、自らの居場所を敵に知らせる様なもので、何が潜んでいるか分からない状況下、わざわざ自らを危険に晒す等、有り得ない話だ。


「(メフィストに…アマイモン?)」


土を踏み、時には枝をへし折って、ある程度奥深く森の中へと進めば進路を突如大幅に変える。霊圧を辿って向かう先は燐の元だ。何を企んでいるのかは分からないが、メフィストがアマイモンと共に居る所から推測するに、アマイモンを学園内へと手引きしたのは、まずメフィスト本人だと考えて間違いは無いだろう。


「(また燐を狙う気か…)」


ある程度の危険ならば、其れは燐自身が乗り越えなければならない壁としては見守る方針だった。其れこそ、燐を監禁でもして護る方が手間は省ける。しかし駄目なのだ、其れでは。其れでは燐は何も成長しないまま、己の力すら制御出来ずに時だけが無駄に流れてしまう。


「(出来るだけ近くにいないと)」


燐は成長しなければならない。いつか、が死んで護る者が居なくなってしまった時、一人でも生きていける様に。己の身を護れるくらいには。


「(急がないと)」


メフィストやアマイモンの狙いは雪男では無く燐だ。万が一、雪男に矛先が向いたとしても、雪男の傍にはシュラが居る。雪男も今では立派な祓魔師なのだ。そう簡単に倒れはしない。問題は、燐だ。彼は未だ未熟である。炎を操る事も出来ず、腕も無く、何かとつけて炎に頼る。其れが、どれ程危険な事なのか、いまいち燐は未だ自覚していない。


「きゃああああ!!!!」

「しえみ!」


断末魔の様な絶叫の悲鳴。其の根源は直ぐ近くだ。足を早めて時折遭遇する虫豸を払いのけながら、しえみの元へ駆け付けるであろう燐の姿を探す。


「しえみ!しっかりしろ!!」


草木の合間から僅かに見えるライトの光。それ向って一直線に向かえば、虫豸に集られて意識を失うしえみの姿があった。虫豸に集られ、血を流すしえみの傍らには燐の姿がある。刹那、燐は身体から炎を出して虫豸を追い払った。暗闇には目が眩む様な激しい光を放つ、青い炎。逃げる様に飛んでいく虫豸を尻目には飛び出した。


「痛っ!!!」

「馬鹿」


握った拳で手加減なく燐の頭を殴る。肩で息をする燐は勢い良くに振り返り、の姿に目を丸くすると、は燐の頭部を手で鷲掴みをするのだ。


「えっ、な…なに…?ていうか、なんで此処に…?」


困惑する燐の頭部を掴む手を、ギリギリと力を込めて締め付ければ、軋む頭部に燐は小声で悲鳴を上げた。燐の傍らには依然として横たわったしえみがおり、特に目立った外傷は無いのは、燐が直ぐに虫豸を追い払っただろう。


「直ぐに炎を出す癖、止めなさい」


しかし、しえみの為とはいえ炎を使った事はあまりにも軽率。決して褒められる事では無い。静かに咎める様、耳元でが囁けば、燐は息を呑んで僅かに頷く。すると、枝の折れる音が耳を掠め、燐とは同時に振り返った。


「…お前!?」


其処には息を切らし、虫豸にやられたのか顔に無数の小さな切り傷と血を滲ませる勝呂の姿があった。


「何や、今のは」


走って来たのか、汗を滲ませて呆然と立ち尽くす勝呂に燐は息を飲む。見られたか、あの青い炎を。不安に燐の表情が不自然に強張る。


「勝呂…」

「大丈夫か、杜山さんは」


しかし、勝呂が追求したのは炎では無く、横たわるしえみの容態で、燐は言葉を詰まらせながら一度しえみに視線を落として頷く。


「た…多分。一応息はしてる。頭から血ィ出てるけど」

「ライト消せ。蛾は光に集まってくとるんや」

「えっ、そうなの?」


しえみの無事を聞き入れてから、勝呂は電源の切られたハンドライトを翳し、燐の点灯するハンドライトを指す。虫豸が光に集まる特徴を知らなかった燐は勝呂の指摘に素直にハンドライトのスイッチをオフにするのだ。


「それはそうと今の青い光、何やったん」

「!!」

「暗闇で急に光ったから目ェ眩んでよう見えんかったけど」


訝しみ尋ねる勝呂に、明らかに身を硬直させて戸惑う燐に思わずは溜息が溢れそうになった。ぐっと其れを飲み込んで、言い訳に頭を悩ます燐を庇う為、勝呂の意識がへと向く様に一歩前へと出てる。


「あたしだよ」

「は?」

「あたし」


名乗り出たに、勝呂は眉を顰めてを見た。は表情一つ変えず、淡々と言葉を繋ぐ。


「うちの家に代々伝わる術」

「ほー…。そんなもん隠し持っとったんか」

「隠してはいない」


勿論家に代々伝わる術など存在しない。強いて言うならば、死神が用いる鬼道の蒼火墜は、蒼い炎を放つ術だ。勝呂が言及するのであれば、実際に術を使用して見せても良いと思ってはいたのだが、どうやら勝呂は納得したらしい。


「つーか、お前は何しに来たんだよ!」

「何て…!助けに来たんやろ」

「…お前……助け合いはナシとかなんとか…」

「やっ、やかましい…!あない断末魔みたいな悲鳴聞いたら放っとかれへんやろ!」


顔を赤くしながらも、声を荒げる人情に厚い勝呂に、燐の顔に笑みが浮かぶ。一先ず話がしえみに逸れた事で、は其の場に膝をつくと、しえみの首筋に人差し指と中指を添えて脈を計る。意識は無い様だが、傷も軽傷で大した事は見た所無かった。


「まあ、しえみは大丈夫みてーだし…。ここは俺に任せて、お前等先に行けよ!」

「任せてってお前は…?」

「拠点にコイツ預けに戻る。そんでまた引っかえすよ!」

「…お前な…」

「………。」


笑顔でしえみの事は気にせず、先に行けと言う燐に、勝呂の額には青筋が浮かび、は口を一文字に噤んだ。置いてく訳が無いのに。そんな感情が勝呂とに湧き起こり、何と言ってやろうかと言葉を選んでいたならば、しえみは小さく唸って身動ぐのだ。


「ん…」

「しえみ!」

「燐…あれ…まっくら…ニーちゃん!!」


意識を取り戻したしえみは、眼前に見える燐の姿にぼんやりとした意識で状況を把握する。そして一気に覚醒したのなら、勢い良く起き上がって辺りを見渡すのだ。しかし、しえみの使い魔の姿は無い。


「ニーちゃん!!……ニ、ニーちゃ…」

「どっ、どうした!!」


使い魔の名を繰り返し呼び、大粒の涙を流しながら、真っ二つに千切れた魔法円の印された紙をしえみは千切り締める。突如号泣し出したしえみに戸惑う燐とは正反対に、事情を速やかに理解した勝呂とは的確な指摘をするのだ。


「魔法円があれば、また同じ使い魔を呼び出せるやろ」

「円描いた紙のストックは無いの?」

「!そっか!……あれ…荷物少しなくなっちゃってる…襲われた時に落ちたのかな…」

「襲われたって…蛾にか?」


地面に落ちていた鞄の中を涙を拭いながら探るしえみに、燐はしえみの言葉を聞き返す。


「…振り返ったらすぐ頭を打って…気を失っちゃったから…。でも大っきな蛾みたいだったけど…」


予備の紙が無くなっている事に気付き、諦めたしえみは、変わらず瞳を涙で潤ませながら小さく頷く。蛾というなら、虫豸なのだろうが、大きいというのが引っかかる。四人は揃って黙り込むと、一匹の虫豸が燐の目の前に現れた。同時に、一筋の光が差し、光に集まった大量の虫豸が姿を見せる。


「伏せろ!」

「きゃっ」


燐の荒げた声に、しえみは悲鳴を上げながら素早く身を低くし、勝呂とは一歩後ろへと引く。刹那、襲い掛かる様に飛び出した錫杖を木刀で受け止める燐。木刀に弾かれ飛躍し、華麗に着地してみせた桃色の髪の青年の背後には何時の間にか勝呂の姿があり、彼の背負う鞄を引っ掴むのだ。


「志摩!!光消せ!つーか何で咥えてる?」

「坊!?」


周りを見ていなかったのか、錫杖を片手にライトを口に咥えた志摩が弾けた様に顔を上げた。周囲を見渡し、虫豸では無く馴染みの顔が揃っている事に気付くと、志摩はライトの電源を切りながら慌てふためき右往左往する。


「…あれ?皆こんな所で何してはるの?」

「お前こそどうしたん!!」

「…大量の蛾が俺の全身を包み込んで…それからの記憶が…」

「そうか…。お前虫嫌いやったな…」


呆れる燐、しえみ、を放置し、勝呂と志摩は言葉を交わす。虫嫌いの志摩は、光に集る虫豸に余裕を無くし、ひたすら突っ走っていたらしい。顔色を真っ青にさせて記憶喪失だと言う志摩に勝呂が遠い目をすれば、静かな夜に響くバイブレーションの音。


「ん?」

「あ!俺も?」


発信源は鞄に入れていた勝呂と志摩の携帯からで、二人は鞄の中から目当ての物を取り出す。画面を明るく照らしたながら震える其れをボタンを押して停止させれば、表示される文面と宛先に、勝呂は燐、しえみ、に向き直った。


「子猫丸からや」


翳された携帯の画面には子猫丸から受信されたメールが映し出される。内容は協力を要請するもので、皆は一度頷くのだ。


「行ってみるか!」

「決まりやな。こっちや」


偶然にも合流した五人、一先ず子猫丸の要請に従う事へと決めれば、本文にあった場所へと向かってライトは付けずに集団となって歩を進める。場所は幸いにも遠くは無かった様で、直ぐに子猫丸の姿を見つける事が出来た。


「!坊?」

「子猫さぁん!」

「志摩さん!奥村くんにさん、杜山さんも…。よかった…!こっちです!」


草木の間から様子を伺っていた子猫丸に志摩が錫杖を持つ手で大きく手を振る。子猫丸はほっと胸を撫で下ろすと、問題の其れを指して一同は大きな其れに唖然とするのだ。


「!?はぁ?何やあれ!」

「はは、成程。こら一人じゃ運ばれへんわ」


驚愕する志摩に勝呂が引き攣った笑みを浮かべる。大きく鎮座する其れに、一人でクリア等、不可能であった事を其々は瞬時に悟るのだ。


「デ…デケーよ!!これ提灯か!?」

「石燈籠…かな」

「“化燈籠”や。夜間、人が火を灯すのを待ち構え…火が灯ると動き出し、生き物を喰って燃料にする。特に女が好物。燃料が尽きるか、朝になると動かなくなる…ゆう悪魔や」


比較的大柄な勝呂でも、其の三倍はあるであろう大きさ。化燈籠と呼ばれる石灯籠を見上げ、呆然と立ち尽くす。傍には化燈籠を運ぶ用にとリアカーが用意されており、乗せて運ぶのだろうが、かなりの力を必要とされるだろう。


「化燈籠見て…何や僕らルールの解釈間違ってたんやないか思て」

「そやなぁ。この訓練、皆で協力せなあかんわ…!」


リアカーを引く事が出来たとしても、一人では化燈籠をリアカーに乗せる事すら難しい。となると、此の訓練の仕組みや意図は自ずと見えてくるものだ。祓魔師は決まって複数の班で行動するものだから。子猫丸に同意する様に、堂々とした振る舞いで断言した勝呂に、途端皆の表情は柔らかくなる。


「あれぇ、坊。“この任務、助け合いはナシや”言わはってたのにィ」

「じっ、実戦の参加資格“3枠”て言葉に惑わされたんや!」

「…確かに先生“3枠”言うてはったけど“3人”とは言うてはらへんかったですもんね」


燐、しえみ、志摩から温かい目を向けられて、言い訳を口にする勝呂を子猫丸がフォローをする。訓練スタート時に己が言い放った言葉を、こうして状況を冷静に分析し、素直に誤りを認識して言葉を覆す事が出来るのは、勝呂の良い所だ。


「…とにかく!協力戦、俺は大好きやから願ったりや!誰か神木と宝の携帯のアドレス知っとる奴おるか?」

「俺は出雲ちゃんに何度も聞いて何度も断られてます。デートの誘いも全滅です」

「志摩、いつの間に…」


人差し指と小指を立て、電話を彷彿される手付きで問い掛ける勝呂に志摩はグズっと涙を飲んで言えば、あからさまに勝呂は引いた。志摩の行動の早さには感服である。


「あの…ぼ、僕…。取り敢えずこの6人で運ぶフォーメーションを考えました」


控え目に手を上げながら、子猫丸が口を開けば、皆の目が子猫丸へと向く。此の場に居ない神木と宝との連絡手段が無い現状、此の六人でやるしか無いのだ。










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