「…変だな。この女は君の大事な人間なんじゃないんですか?」

「くたばれ…!!」


瓦礫の上で血反吐を吐く燐をしえみを抱えるアマイモンが冷めた目付きで見下ろした。こうしてみれば、メフィストに良くに似た顔立ちは、アマイモンとメフィストに血縁関係を感じさせる。燐の目の前に静かに降立ったアマイモンは呆れた様に息を吐くと抱えたしえみを見上げて爪の尖った指を掲げた。


「なーんだ。…じゃあもうこの女は用済みだな。折角だから目玉を一つ頂こうかな。人間の目玉を集めてるオカルト趣味のイトコに頼まれてたんです」

「!?や…やめ」


アマイモンの指先がしえみに突き刺されそうになる瞬間、燐の真横を甲高い音と光を放って通り過ぎていく一本の花火。横を掠めていった其れにアマイモンが背後を振り返れば、新たな花火にマッチを火を点ける勝呂が居た。


「俺らは蚊帳の外かい。まぜろや」

「よせ…バカ!!」


じっと勝呂を見つめるアマイモン。興味は燐から勝呂へと移ったらしい。燐が逃げる様に重い身体を何とか起こして勝呂に訴えるが、勝呂には逃げる様子は無く、真っ向からアマイモンに向き合っている。勝呂の両側には少しの距離を置いて志摩と子猫丸の姿有り、其々が一本ずつ花火を手に火を点けていた。


「奥村くん!もしスキが出来たら逃げるんや!」

「俺はあくまで杜山さんを救うためやからね…!」

「なにを…いいから逃げろ!」


子猫丸が燐に逃げろと言い、志摩は素直に助けると言えないのかしえみの為だと言い張る。其の間にも志摩の放った花火がアマイモンの横を掠めて行き、続いて子猫丸の花火が放たれる。が、其れはアマイモンの頭上、重力に逆らって尖らされた髪へと見事に命中するのだ。勿論最初から其れを狙っていた訳では無い。


「わああしもた!手元が…」

「子猫さん!!杜山さんになんてことを…!!」


一見、しえみの顔に当たったかの様にも見えた花火に顔面蒼白になる子猫丸。しかし、運良くアマイモンの髪に当たって消滅したらしく、しえみは無傷だ。煙が晴れて見えた花火を喰らったアマイモンの髪は、本来ならば垂直に尖っていた先端は無く。変わりにふわふわの円形に膨れ上がって、白い煙を上げているのだから、皆は其の髪に一瞬言葉を失うのだ。


「………あっ」


アマイモンも異変に気付いたのか、徐に己の髪へと手を伸ばし、其の柔らかい感触を手で確かめて声を漏らす。尖りの無い、ふわふわの柔らかい髪。綺麗に縮れた其れに、遂に志摩は我慢出来ず噴出すのだ。


「ブロッコリ…!!」

「志摩…!」


口元を覆い、笑いを何とか抑えようとするが、其れでも漏れる笑い声に勝呂は呆れた視線を志摩に向ける。ほんの一瞬、緊迫した空気が和やかになり緊張が解けた瞬間。アマイモンはしえみを抱いたまま地を蹴り飛び上がると、志摩の目の前へと降立ち、志摩がアマイモンを認識するよりも早く強烈な蹴りを放って志摩を後方へと蹴り飛ばす。


「志摩!!」

「志摩さん!!」


受身もままならず吹き飛んだ志摩の身体は木の幹に激突し、背中に走った衝撃に志摩は咳き込む。志摩の安否を心配し、名を叫ぶ勝呂と子猫丸だったが、直ぐに意識をアマイモンへと向けた。警戒は、一瞬たりとも怠る事は出来ない。


「ゲホッ」


上手く呼吸が出来ず、志摩は何度も咳き込み、激痛を走らせる胸部を手で抑えた。歪む視界で何とか焦点を合わせようと目に力を込めて正面を見れば、今度はアマイモンが勝呂の正面へと立ち塞がったのが見えた。


「………、?」


ポキ、と小枝が折れる音が近くで聞こえ、志摩は息を詰らせながら意識を其方へと向けた。立っている事も難しくなり、木の幹を伝って其の場に座り込めば、直ぐ近くで足音が聞こえ、志摩は目を其方に向ける。其処には悠然としたが志摩を横目に見下ろしていた。


、さ…ッ、ゲホッ…なん…」


詰る喉に乱れた呼吸ではまともに言葉を話すことすら出来ず、酷く掠れて聴き取りにくい声で志摩はを見上げた。てっきり、出雲と共に牆壁の中で待機していると思っていた人物が、直ぐ近くまで来ていた事に素直に驚くのだ。


「無理に動かない方が良い」


力無く地面に座り込む志摩の手が、胸部を押さえているのを捕らえ、仏頂面で一言投げ掛ければは騒ぎの中心へと向かって歩を進めた。勝呂を守る様にしてアマイモンとの間に身を滑り込ませた子猫丸は、怯えた表情でアマイモンを見上げるも、決して其処から退こうとはしない。


「猫!!」


勝呂が己を前に両手を広げる子猫丸に声を荒げるが、子猫丸は其処から一歩も動かない。アマイモンは勝呂を真っ直ぐ見据えたまま、子猫丸の左肘を軽く人差し指で突くと、其の動作からはとてもじゃないが想像出来ない尋常じゃない骨の折れる音が響いた。


「うああ」

「子猫丸!!」


真っ赤に腫れ上がる子猫丸の折れた腕。激痛に膝を付く子猫丸に勝呂は其の肩を抱こうとするが、其の前にアマイモンに首を掴まれて勝呂の足が宙へと浮く。


「…ヴッ」


締め付けられる首に呼吸が止まり、勝呂の顔に赤みが帯びて行く。しかし其の目だけは、鋭くアマイモンを睨んだままだ。


「僕を笑ったな」

「…ケッ。…お前なんかに用ないわ、俺が腹立ててんのは…手前や、奥村!!」


依然として呼吸は締められた手により妨げられ、勝呂の額に嫌な汗が浮かぶ。勝呂は己の真後ろで蹲る燐に向けて、己の思いを言葉に乗せて吐き出した。


「手前勝手かと思えば人助けしたり、特に能力もないかと思えば好プレーしたり、謎だらけや…!何なんや手前は!?」


勝呂の目は背後に居る燐へと向ける事は出来ない。首を絞められ宙に浮かぶ身体では自由に身動き一つ取る事すら叶わなかった。それでも、勝呂は毅然とした態度でアマイモンに怯える事無く、燐へと叫ぶ。


「何なんや!!」


身を起こした燐は、口から垂れる血を拭う事すら忘れて言葉を詰らせた。勝呂の問い掛けは、燐の最大の秘密にして、誰にも話せない真実に繋がる。


「…何の話ですか?僕は無視されるのはキライだな」

「ガボッ」

「やめろ!!!」


より一層強くアマイモンが勝呂の首を締め付ければ、勝呂の口から飛び出す鮮やかな赤の血。勝呂を救おうと咄嗟に飛び出そうと燐が身を起こした刹那、緊迫する空気を切り裂く様に澄んだ声が飛ぶ。


「縛道の一、塞」


まるで見えない何かに両手を拘束された様に、アマイモンの手が素早く勝手に背へと回され、アマイモンに首を掴まれていた勝呂と、抱えられていたしえみが開放されて地に落ちる。急激に酸素を吸い込んだ肺に、勝呂は己の首を抑えながら流れ込んでくる酸素に咽ながら、虚ろな目で倒れるしえみを尻目に勢い良く振り返るのだ。


「キミは…あの時の…?そうですか、キミが」


意味深げに呟き、納得した様に頷くアマイモンに向けて、志摩より少し前に出て佇むは、人差し指と中指を揃えてアマイモンへと指先を向けていた。拘束される手首を力技で見えない“其れ”を引き千切り、開放される両腕には目で勝呂にしえみを連れて離れるよう訴えれば、戸惑いながらも勝呂はの意図を正確に読み取って、しえみを担いで其の場を離れる。流石に縛道、其れも一となれば足止めする事も難しいとは踏んでいたが、一先ず勝呂としえみを解放したのだから良いとした。


「“君臨者よ”」


紡いだ声は酷くしなやかで、穢れを浄化するかのように清麗且つ、鮮麗だった。


「“血肉の仮面・万象・羽搏き・ヒトの名を冠す者よ。真理と節制、罪知らぬ夢の壁に僅かに爪を立てよ”」


一時の瞬きすら許さぬとでも言う様に、耳にした事も無い独特な詩の詠唱するを、食い入る様に見つめた。誰が、だなんて愚問だった。皆が其れに魅入っていた。がすっと右手を持ち上げ、アマイモンへと掌を翳す。そんな仕草すら、神秘的だった。


「破道の三十三、蒼火墜」


刹那、の掌から放出され、アマイモンを包む蒼い炎。サタンの炎を彷彿させる炎はアマイモンを呑みこんでは辺りに肌に突き刺す様な熱風を送った。言葉を失い目の前で燃ゆる炎に、喉の渇きを覚えた時、釘付けにしていた蒼き炎は一筋に切り裂かれた風と共に消し飛ぶのだ。


「…痛いじゃないですか」

「痛いだけで済むとはね。普通は死んだって可笑しく無い筈だけど」


一応炎に焼かれたのか、全身をやや黒ずんだアマイモンは仏頂面でを見る。やはり効果は無いかとは肩を落とせば、足場の悪い岩山の上で次に備えて神経を尖らせる。


「しかし…似ています。父上の炎と。似ているだけで違いますが」

「当然でしょう。あたしは悪魔じゃないのだから」


似ているとは言っても、其れはただ蒼い炎を出せるだけの事。全く全てが同じという訳では無いのだ。悪魔と死神、両者はどちらも架空に存在する生き物ではあるが、決して同じ枠組みに入る同種では無い。


「悪魔の力は、あたしには無い」


有るのは死神の力だけ。


「やめろ!!」


今にもアマイモンとが同時に動き出そうとした時、二人を制止させるように燐が声を張り上げ、アマイモンとは燐へと目を向ける。


「やめろ…」


の放った蒼火墜にもほぼ無傷だったアマイモンに、の身の危険を感じたのか燐が袋の中へ閉まっていた降魔剣を取り出して立ち上がる。は眉を顰めれば、燐の行動を咎めるように強く言い放つ。


「燐、やめなさい」


困惑し、ぶれる瞳でアマイモンに立ち向かおうと鞘と柄を持つ燐を、は言葉と目だけで制した。


「大丈夫。貴方は護る」


力強い、言葉だった。


「貴方を護る。命に代えても、必ず」


同時にとても、とても重みのある言葉だった。美しいの双眼が、曇り一つ無く真っ直ぐに燐を映す。其処の恐怖も、躊躇も無い。あるのは只の強い意志。


「俺は…」


のその目を受け入れて、燐は一度瞼を下ろし視界を遮断すると、ゆっくりと瞼を押し開けて深く深く息を吸い、吐き出す。


「兄さん!!これは罠だ!誘いに乗るな!」


今まで姿の見えなかった雪男が、息を切らして駆け付け、今にも降魔剣を抜こうとする燐に制止を促す。けれど燐は降魔剣から手は離さず、アマイモンを真っ直ぐ見据え、は口を閉ざすのだ。もう、何を行っても燐は聞かないだろう。頑固な彼は、一度決めた事を簡単に曲げないのだから。


「雪男……わりぃ…俺。嘘ついたり誤魔化したりすんの…向いてねーみてーだ。だから俺は」


鞘から刀身が抜かれ、封印されていた蒼き炎が燐の身体から溢れる。大きく尖る耳、腰に巻きつく黒き尾。其の全てが燐を悪魔だと示し、人間では無いのだと物語る。


「来い!!相手は俺だ!」


アマイモンの表情が見る見る内に笑みへと変わり、腰を抜かした勝呂や子猫丸が呆然と姿形を変化させ、蒼い炎を纏う燐に釘付けになる。


「アハハ!ワーイ!!」


アマイモンは最早に見向きもしないで飛び上がり、刀を構えて佇む燐へと嬉しそうな声を上げて襲い掛かる。アマイモンの爪と、燐の降魔剣の刀身がぶつかっては、甲高い耳障りな音が立ち、二人は飛び上がって此の場を離れて行く。


「何…?なんなの…!?」

「皆さん大丈夫ですか?」

「先生。奥村君は、あれ…どうなって…」

「話は後で!とにかくこの場所から離れましょう。急いで!!」


雪男と共に来たのか、出雲の姿もあり、雪男は的確に指示を出すと塾生達を急かして立たせれば、身動き一つしないしえみを抱えて避難を始める。暴れ回る様なアマイモンと燐の激しい戦い。燐が一振り降魔剣を振るえば、アマイモンを飲み込まんばかりに襲い掛かる炎。其れを愉快に笑って交わせば、アマイモンは宙をくるりと一回転をして燐にまた襲い掛かる。


も!早く!」


雪男が誘導して全員を退避させ、雪男は最後に一人立ち尽くすを緊迫した声で呼び掛けた。は目を向ければ、不安げに此方を様子見る勝呂、志摩、子猫丸、出雲の姿が有り、其の瞳に恐怖の色が滲んで見えたのは、其れはサタンの炎では無いとしても、一見サタンの炎に見える蒼い炎を出したからか。


「行って」


呼ぶ雪男に有無を言わさぬ強い口調で去れと告げる。言葉を失い絶句する雪男に追い討ちを掛ける様には更なる言葉を重ねた。


「此処に残る」


雪男は唇を強く噛み締めて頷くと、塾生達は雪男の支持に従って出来るだけ遠くへと足を走らせる。時折、残ったを戸惑いの目で盗み見する者も居たが、燐とアマイモンの攻防が激しくなるに連れて、彼等はもう振り返る事は無くなった。










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