避難した塾生達及び雪男の姿が見えなくなった所で、は空を仰ぎ見る。霊子を固めた足場を進み、遥か上空、空の上に立ち止まると、優雅にも椅子に座って燐とアマイモンの戦いを観戦しているメフィストの隣へと歩み寄るのだ。


「こんな所で傍観とは良い身分だね」

「良い身分も何も、実際私は身分の高い偉い人ですよ」


背中から降魔剣を突き刺され、燐の炎に焼かれるアマイモン。咄嗟に燐の晒された尻尾を掴めば燐は悲鳴を上げてアマイモンから飛び退き距離を取れば、アマイモンはまた愉快な笑い声を上げた。


「アマイモンを手引きしたのはお前だな」

「何を根拠におっしゃるのやら…」

「アマイモンは弟?」

「似てますか?」

「とても」


徐々に炎が肥大化していくに比例して、燐の理性が薄れて行く。血走った目で我武者羅に降魔剣を振り回し、炎を放つ燐の姿は最早悪魔というより獣と称した方がしっくりくる。燐の炎が木々へと移り、森はやがて黒い煙を上げながら火を大きくさせていった。


「さて、そろそろ止めましょうか。森が丸焼けとなってしまう前に」


漸く腰を上げたメフィストにも無我夢中で乱闘する燐とアマイモンを見下ろせば、メフィストは二人に向かって急降下し、其の後をが続く。再び衝突しようとした二人の間にメフィストとは割って入ると、メフィストはアマイモンの腕を、が燐の首根っこを引っ掴んだ。


「ハイハイ、僕達。そこまでです。これ以上は私の学園がケシズミになる。今日のお遊戯は、これにて終了」


ウインクをしてメフィストがアマイモンと燐に終戦を促すが、燐は再びアマイモンへと向かい、は力ずくで其れを阻止する。


「空が白んできたな…。さぁ二人とも、そろそろお家へ帰る時間だ」


闇に覆われていた空が、朝日によって淡く色付き始める。空が青くなるのも時間の問題の早朝で、四人は空に滞在していた。


「兄上!今回は兄上の筋書きに沿えば好きに遊んでいいと約束してくださったではないですか!!」

「学園を壊すなと言ったはずだぞ。それにお前、もうわかったのじゃないか?この麗しき死神と、末の弟との…圧倒的な力量差をブングル!?」

「僕はまだ負けてない!!!」


フルスイングした拳をメフィストの顔に叩き込み、メフィストの身体は遠く後方の大樹へと吹っ飛ばされ、枝をへし折りながら止まった。衝撃で飛んだシルクハットは普段は傘の姿をした蝙蝠が咄嗟に拾い、逆さになって鼻から血を流すメフィストは垂れる血を舌で舐める。


「アッハッハッハ…!!ウーン!」

「聞き分けの無い弟だね」

「ええ、全くだ」


最もなの意見に同意をし、メフィストはシルクハットを受け取ってから蝙蝠を傘の形状へと戻す。逆さになって大樹の葉に身を委ねたまま、シルクハットをアマイモンへと向け、傘の先端で鍔を数回叩けば御馴染の言葉を紡ぐ。


「アインス、ウヴァイ、ドライ!! お菓子の鳩時計 クーヘンズ・クッククスウァー !!!」


飛び出す様に現れた巨大な鳩時計。開いた扉から姿を見せたメフィストとお揃いのシルクハットを被った白鳩がアマイモンの眼前へと迫る。


「兄上ェ!!」

「アブラカダブラ」


鳩は嘴でアマイモンを掴み、時計の中へと引き摺り混むと、アマイモンの悲鳴も虚しく扉は閉ざされる。静まり返った鳩時計をメフィストは煙を上げて消し去れば、残るは理性を無くした燐だけが残された。


「さて、と。行きましょうか?さん、奥村くん。おや?」


牙を剥き、首根っこを掴むの手を振り払って燐は炎を纏った降魔剣をに振り翳す。其れを軽々とが避けてみせれば、燐は咆哮を上げて更に炎を身体から放出するのだ。


「完全に炎に呑まれていますね。代わりましょうか?」

「結構」


熱風だけでも皮膚が焼かれそうな熱にメフィストが卑しい目付きでに向かって名乗り出るが、其れを即座に断りは焦点の合わない目で炎を滾らす燐に手を翳す。


「縛道の六十一、六杖光牢」


六つの帯状の光が燐の胴を囲む様に突き刺さり、燐の動きを奪う。身動ぎ何とか逃れ様と燐が激しく抵抗するが、突き刺さる帯状の六つの光は決して燐に自由を与えはしなかった。


「お見事。…では、行きましょう。此方へ」


再度、燐の首根っこをが掴めば、メフィストは数回拍手を送って笑みを深めると、シルクハットを被り直して燐を掴むを手招きする。は素直に従い、燐を引き摺って歩み寄れば、メフィストはの肩を抱いてパチンと指を鳴らす。途端、視界が煙に包まれ浮遊感。そして急速に落下し、着地した足はしっかりと地面を踏んで、瞬間移動をしたのだと理解した頃には身を包む煙は晴れ、メフィストもの肩を抱いていた手を解放していた。


「グルルオ゛オ゛グア゛あ゛ア゛ッ」


我を失い獣の様に唸る燐を掴み離さず、突き刺さる帯状の光が燐の動きを制限する。は状況を把握すべく周囲に目を配れば、どうやら橋の上にいるようで、塾生達がシュラの背後で怯えた様子で燐を見ていた。


「おや、お久しぶりですね。エンジェル。この度は“聖騎士”の称号を賜ったとか。深くお喜び申し上げる」

「エンジェル?」

「彼の名ですよ」

「…ふーん」


橋の先、塔の上に佇む変わった衣服を身に纏う男を見上げてメフィストが畏まった口調で話せば、彼の口から溢れた日本語で天使を指す名称にが眉を顰めると、メフィストは男を見上げながらの疑問を晴らす言葉を告げる。再度、はエンジェルと言う名を持つ男を見上げるのだが、天使といえば美少女を連想するは、何とも言えないがっかり感に直ぐに目を背けるのだ。


「“もしそれがサタンに纏わるものであると判断できた場合、即排除を容認する”…シュラ、この青い炎を噴く獣はサタンに纏わるものであると思わないか?」


メフィストが燐の握る降魔剣の刀身を鞘に戻せば、途端燐の炎は収まり、脱力して燐は身を傾ける。同時に六杖光牢を解いて、はすかさず倒れない様に支えれば、塔の上で優雅に佇み風に髪を靡かせるエンジェルが、眉を顰めてメフィストに言う。


「メフィスト…とうとう尻尾を出したな。お前の背信行為は三賢者まで筒抜けだ。この一件が決定的な証拠となった」

「…私は尻尾など出してませんよ。紳士に向かって失敬な」


一触即発、緊迫した空気に誰かが息を呑んだ。腰の大剣に手を添えたエンジェルに、メフィストは燐を小突いて意識の無い燐を起こす。小声で囁くメフィストに燐は訝しみながらエンジェルを見上げると、エンジェルは鞘から刀身を引き抜くのだ。


「カリバーン…“我に力を”」

《キャッ、アーサー喜んで》


エンジェルの囁きに応える様に黄色い悲鳴を上げる話す大剣。刹那、塔の上にあったエンジェルの姿が消え、一瞬にして燐の前へと現れ、其の首に鷲掴みにし、剣を添わす。エンジェルの動きが見えていなかった燐は目を見開きエンジェルを凝視した。


「正十字騎士團最高顧問、三賢者の命においてサタンの胤裔は誅滅する」


しかし、皆が皆、エンジェルの動きが見えていなかった訳ではない。燐の首を斬り落とそうとしたエンジェルにシュラが斬り掛かり、同時にが燐の腕を後ろへ強く引く。シュラの剣を避ける様に瞬時に後退したエンジェルへ、シュラは己の剣に親指の平を噛み千切り、溢れた血を塗り付け構えた。


「…霧隠流魔剣技…蛇腹化…蛇牙」


右足で地面を力強く踏み、蛇腹に刀身を畝られる刀をエンジェルへ向かって放つ。剣圧によって塔が煙を上げて亀裂を上げ、破損するが、其処にエンジェルの姿は無い。


「………チッ」

「シュラ、何故このサタンの仔を守る。メフィスト側に寝返ったのか?」


シュラの背後を取り、刀を握る左手を掴み、大剣を首筋に当てがうエンジェルにシュラは息を呑んだ。下手に動けば首に刺さる鋭利な切っ先に、最早抵抗すら叶わない。


「なワケねーだろ」

「そういえばお前、藤本からこの仔に魔剣を教えるよう頼まれたと言っていたな。“冗談じゃないあのクソ!ハゲ!!”と息巻いていたのに…まさか死んだ師の遺志に添おうとでも思ったのか?…あんな歴代聖騎士の中で最も不適格だった男の為に」

「ちげーよクソバカ、ハゲ!!純粋培養には一生理解できねーからすっこんでろ」

「??俺はハゲてないぞ?アッハッハ!!面白い冗談だ!」

「………!!」


シュラの暴言を間に受け、笑い飛ばすエンジェルはシュラの言う通り純粋培養だ。通じない罵倒にシュラは苛立ちを隠しもせずに表情を歪めるも、エンジェルは気にする素振りは無い。


「…しかし三賢者の命は絶対だ。たとえお前であっても…」


目が据わるシュラに表情を引き締めてエンジェルが諭す其の時、エンジェルが左耳に付けていたイヤホンから機械音が流れた。コール音に続き、聞き取れないが何か人の言葉が漏れ、応えるようにエンジェルが相槌をする。


「畏まりました」


瞼を一度閉ざし、エンジェルがイヤホンから聞こえてくる向こう側の人物に従う姿勢を見せれば、エンジェルはシュラを拘束したまま、けれど突き付けていた大剣を下ろし、其の切っ先をメフィストと、の背後に佇む燐と向けて言い放つ。


「三賢者からの命だ。今より日本支部長メフィスト・フェレスの懲戒尋問を行うと決まった。当然そこのサタンの仔も証拠物件として連れて行く」

「…ほう!それは楽しみです」

「シュラ、お前も参考人として加わってもらうぞ。それと…」


指を鳴らしてシルクハットやマントを消し去り、服装も質素なコートへと変化させてメフィストが笑みを浮かべる。シュラを解放し、エンジェルは燐の前へと佇めば、燐を庇う様に立ちはだかるが強くエンジェルを睨み付けた。


「其処のお前もだ」


エンジェルは有無を言わさぬ口振りでを上から見下ろし言えば、は一度横目にメフィストを見る。メフィストはの目を見て笑みを深めたなら、は受け入れるかの様に、エンジェルが燐の肩を掴んだのを止めなかった。


「ブルギニョン!候補生を連れて行け!」

「はっ」

「あの、僕が引率します。この一年生の薬学の担任です」

「わかった」

「さあ、諸君。先生について行くんだ。まず医務室へ…」


呆然と立ち尽くし、信じ難い目で燐を凝視する塾生達を雪男が引率し、他の駆けつけた祓魔師達が此の場から離れさせ様と指揮を取る。首根っこを捕まれ、エンジェルに引っ張られながら燐はそんな困惑一色の塾生達に声を張り上げた。


「みんな無事か!?」


その一言がどよめきを生み、勝呂の張り詰めた糸を簡単に切ってしまう事も気付かずに。


「なんで…サタンの子供等がッ、祓魔塾に在るんや!!!!」


悲痛な表情で勝呂は吠えた。勝呂にとってサタンは絶対に許せない仇であり、敵なのだ。なのに、その子供が今迄身近に居たのだと事実を知った今、勝呂の心境は容易に想像がつくというものである。但し、も燐と同じくサタンの子供だと勘違いされている点は頂けない。青い炎を出しはしたが、其れはあくまで鬼道の炎であり、サタンに由来するものでは無いのだ。


「勝呂くん…!」

「坊!!」


いきなり声を荒げた故に咽せ、血を吐く勝呂に雪男と子猫丸が労わりの声を掛ける。としてはサタンの子である等と不名誉な勘違いは直ぐ様訂正しておきたい所ではあるが、今の彼等には何を言っても無意味だろう。


「…説明します。とにかく落ち着いてついてきて下さい」


雪男が勝呂を何とか宥め、背中を押せば医務室に向かって場を後にする塾生達が重い足取りで歩き出す。けれど、そんな中、なかなか後を追って去らないのは歪んだ表情で燐を真っ直ぐ見つめるしえみだ。


「…燐」

「し、しえみ…。体…平気か?」


燐の問い掛けにしえみの表情が崩れた。くしゃりと眉を顰め、唇を噛み、難しい顔をするしえみを見て、燐は訳が分からず慌てふためく。


「な、なんだよ。どっか痛いのか!?勝呂…大袈裟なんだよ。俺、別にこう見えてフツーの人間と大して変わんね…」


焦りで顔を引き攣らせながら、笑顔とは程遠い笑みで否定する燐だが、其の心情に比例する様に腹の前で左右に勢い良く動く黒い尾が、また一つ燐が人間では無い事を証明する。


「…て…せっ、説得力ねーか!ワハハ!!」


動く尾を引っ掴み抑え、空元気に笑い飛ばす燐は痛々しい。途端、しえみは酷く傷付いた様に顔を歪めると震える声で訴えた。


「どうして、わ…笑うの…」

「え?」

「なんにもおかしくなんかない!!」


零れ落ちる涙は悲しみを表し、けれど其の涙を拭うには二人の距離は余りにも離れていた。其の手が決して、届かぬ距離。虚しい其の距離を、燐としえみは縮める事は出来ない。他の塾生達を送り出し、残ったしえみを誘導する為に戻って来た雪男が控え目にしえみの隣へと並び、細い肩へと手を伸ばす。


「しえみさんも…」

「あ…、燐…」

「しえみ」

「来い」


まるで愛し合う男女を引き裂くかの様な光景だった。頬を涙で濡らしたしえみは雪男に連れられ、困惑する燐をエンジェルが強引に引く。


、さん…」


エンジェルと燐の後へと続き、メフィストと共に背を向けたを、しえみはか細い声で呼んだ。けれどは一瞥するだけでしえみから目を背けると、扉の前で鍵を手にした名も知らぬ祓魔師を見やる。


「直でオペラ座法廷の“被告人の舞台扉”へ出ます」


鍵が鍵穴に挿されて錠が外れる音が響く。開いた扉の向こうから覗かれたのは、大きなシャンデリアが目立つ洋館の広間。










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