三賢者の提案した多数決の末、幾つかの条件が出たものの燐とメフィストの処罰は一先ず先送りにされる事が決定し、退室を許可された中、法廷では次なる案件へと意識が向けられた。
「続いて、今其処にいる別の悪魔についての事ではあるが」
尋問官が己の机に設置されたモニターを皆に向けて反転させれば、其処に映るのは燐と同じく蒼い炎を放つの姿が映し出されている。エンジェルから解放され、シュラに支えられる燐が出口でもある扉の前で心配気に戸惑いの目をへと向けていれば、はほんの少し肩を落として陳述台に突っ立つメフィストを見上げた。
「メフィスト。これはあたしの番?」
疑問系であるにも関わらず、答えは決まったかの様な口ぶり。其の回答以外認めないとでも言うかの様に単調に紡がれた言葉を、メフィストは口角を吊り上げてが望む言葉を吐いた。
「はい。貴女の番です」
陳述台から卑しい笑みを浮かべて頷いた悪魔は、今の今迄大人しく感情を押し殺し黙していた死神を見下ろした。此れから彼女の取る行動を、一瞬たりとも見逃さない為に。
「その悪魔も、サタンの仔かね?」
尋問官がメフィストに問い掛けた。サタンの能力を継いだ子供が二人もいるとなれば、とんだ大事件だ。回答を待って観客達は囁き、疑惑の目をへと向ける。
「その前に」
メフィストが三日月が如く口元を歪めた刹那、血飛沫が宙を飛ぶ。腰に下げた大剣を抜く間も無く貫かれた腹部を見下ろせば、其処に凶器の姿は無く、唯々血が噴き出した。
「エンジェル!!」
エンジェルが抉れた腹部を認識したや否や、身体中の血が逆流し、沸騰した様に汗が湧いた。傷口を手袋越しに手で抑えれば、エンジェルの白い衣装は赤黒い血の色で染まっていき、ふらついた身体を何とか持ち直し、素早くエンジェルは大剣を引き抜いたなら、其の場からやや遠のいて距離を取り、エンジェルは大剣を構える。
「貴様…!!」
エンジェルの背後に佇んでいたを、距離を取り大剣を構えてエンジェルは殺気に満ちた眼光で射抜いた。の手には凶器は無く、血の汚れ一つなく悠々と佇んでいる。
「(気配も…殺気も無かった…。気を抜いていたとはいえ、一体どうやって…)」
エンジェルの負傷に嘆き叫ぶ大剣を聞き流し、エンジェルは腹部の傷口からなお血が流れ落ちるのを感じながら思考した。そして気付くのである。並々ならぬ殺気が、からどろりと溢れている事に。其の空気に、飲み込まれそうになっている自分自身を。
「申し訳ありません、エンジェル」
「フェレス卿!どういう訳か説明して頂こう!!」
陳述台でメフィストが淡々と心の篭っていない謝罪を口にすれば、エンジェルの負傷に悲鳴を上げる観客達の声を遮って尋問官が怒鳴る。何処に隠れ控えていたのか、彼方此方から長いロングコートを着用した祓魔師達がを取り押さえ様と武器を構え襲い掛かれば、燐が咄嗟に飛び出そうとしたのをシュラが慌てて腕を掴み止めた。
「彼女はとてもサタンの仔を大事に思っておりましてね。…無礼をお許し願いたい」
尋問官に悪びれる所が真っ向から堂々と言ってのけるメフィストを、忌々しげに尋問官が見つめ、三賢者は沈黙を貫く。
「早く医師を!」
「其の悪魔を処刑しろ!」
「サタンの仔なんて一人でも恐ろしいのに二人も居ただなんて…!!」
「死刑だ!!今直ぐ此処で其の首を!!」
降り注ぐ様に浴びせられる罵声と死を望む声。四方八方、を取り囲み、銃口が、切っ先が、の急所を狙い定める。今は微動だにしないだからこそ、其の刃は鉛玉はに傷を作る事をしないが、其れは何時まで続くかは分からない。
「やめろ!!に手出すんじゃねぇ!!!」
「待て!!お前まで出て行くと余計に事態は悪化するだけだ!!」
今にもを取り囲む祓魔師達に襲い掛かろうとする燐を、必死の形相でシュラが食い止める。其の腕を振り払えば、またシュラが素早く燐の首根っこを引っ掴み抑えた。
「さて、では一つ彼女に代わって訂正しましょう」
「訂正だと…?何を訂正するというのだ!」
「白々しい!どう見てもアレは凶悪な悪魔そのもの!!」
胸に手を添え、息を吐いて軽く会釈したメフィストに浴びせられる恐怖の色に染められた暴言は法廷内の彼方此方から沸き起こり、メフィストの身に降り注ぐ。しかしメフィストは狼狽える所か、実に清々しい態度で誰も必要としなかった訂正の言葉を口にした。
「彼女はサタンの仔ではありません」
どよめきが、一段と大きくなる。サタンの仔では無いのなら、アレは一体何の悪魔なのだと誰もが口にし呻いた。祓魔師は固唾を飲んでの動きに注意する。ほんの少し、1ミリでも動きがあれば切っ先は迷わず動かされ、引き金が引かれる。
「彼女は此の世界に迷い込んだ、悪魔とは異なるモノ。今から約10年程前、藤本獅郎が偶然にも出逢い、保護した美しくも恐ろしき高貴な存在」
勿体振った物言いで、演技掛かった振る舞いでメフィストは三賢者を見る。しかし三賢者は口を固く噤み、メフィストの声を唯々聞いた。
「御託は良い!簡潔に申せ!」
「ならばその様に致しましょう」
急かす尋問官に嫌な顔一つせず、むしろ待ってましたと言わんばかりにメフィストは後方に身を振り返らせた。凶器に包まれながらも怯える様子も無く佇むを見下ろして、其の長く細い手を差し伸べるが如くへと向けて、周囲の目がへと集中するよう促す。メフィストの望む舞台が、演出が、今、全て整った。
「彼女は死神。死を司る神です」
突拍子も無い発言。誰もが予想だにし無かった暴露をメフィストはした。唖然と言葉を失い静まり返る法廷内で、メフィスト一人だけが悠々と此の状況を楽しんでいた。を取り囲み威嚇する祓魔師達に困惑と動揺が広がる。けれど、向けた凶器の先が下りないのは、彼等も敵と対峙するプロ故か。はたまた唯のプライドか。
「しに、がみ…?」
戸惑いを隠し切れない燐の声が、やけに良く法廷内に響いた。其れは誰もが言葉にせずとも胸に秘めた動揺だったが、一人、燐を抑える張本人であるシュラだけは違った。
「お前…、知らなかったのか?」
「だって…アイツ、何も…!」
シュラが驚愕の面持ちで燐に問えば、言葉を詰まらせながらも燐はシュラの目を見て頷く。瞬時にシュラは今迄メフィストとが燐に隠して来ていたのだと悟ると、緊迫する空気に息を潜めながら薄く唇を震わせるのだ。
「………アイツは此の世じゃない彼の世…、若しくはもっと違う次元から来た」
シュラが言葉を区切り、乾いた唇を潤わすかの様に口を閉ざす。けれども乾いていたのか唇だけで無く、口腔内もで乾きは結局潤うことは無かった。
「正真正銘の
死神
だ」
悪魔では無い。人間でも無い。化物と呼ぶには相応しく無い。正しく表す名称は、死神。しかし死を司る神だと言われても信じ難く、素直に受け入れられる程、皆は余裕が無かった。だからこそ皆はを悪魔では無く、人間では無く、化物として恐怖と軽蔑の眼差しで見るのだ。
「得体の知れなさで言えば、お前も凌いで一級品。完全に未知数だよ」
言葉を失った燐にシュラは最後の止めだとも言える言葉を突き刺せば、燐の脳裏を駆け巡る昔の記憶。は、気付いた時には修道院に居て、無口で無愛想で何時も部屋に引き篭もっていた。幼稚園にも通わずに、いつも修道院の中で過ごしていたを羨ましく思っていたのは、獅郎と四六時中一緒だったのが理由だ。
「なんだよ…それ…」
幼稚園の頃と言えば、同じ歳の子を怪我をさせてしまった時に獅郎と一緒に迎えに来てくれたっけ。獅郎はそのまま骨を折って救急車で病院に運ばれて。は、手を繋いで一緒に修道院に帰ってくれた。燐と雪男が小学校に上がっても、はやはり修道院に篭って学校には通わず、外にもロクに出なかった。何で学校に通わないのかを尋ねた事もあったが、いつも聞き流されてちゃんとした理由は聞いた事がない。だから燐も雪男も、結局気にするだけ無駄だと納得し、深く追求することは無かった。口煩い獅郎がにとやかく言わなかった事も理由の一つかもしれない。今思えば幼い頃からはやけに大人びていたと思う。そして学校に通わなかったのも、彼女が本当に死神だというのなら、今なら其の理由が分かる。学校に通う必要が無かった、だから通わなかった。それだけの事。と、なると獅郎は初めから知っていたのだろう。が死神だという真実を。そしても、初めから知っていたのだろうか。
「(だから、俺がサタンの子供だって知ってたのか…?だから…親父が死んだ時も)」
責めなかったのか?何もかも知っていたから。
「死神なんて…冗談だろ…?」
掠れた声で呟かれた問いに、誰も答える事は無く。武器に囲まれ身動き一つ取らないの背中を見つめた。燐の声は、に届いていただろうか。届いていたからこそ、沈黙を貫いていたが此処に来て漸く唇を開いたのかもしれない。
「…確かに燐は人間じゃない、サタンの仔。怪我を負っても直ぐに治癒するのは否定出来ない事実」
淡々と紡がれる言葉に、主にを囲む祓魔師達が緊張を走らせ身を引き締める。呼吸すら阻まれる様な緊張感が犇めく中、其の中心にいるは実に淡白に声を響かせた。
「けど」
空気が、震える。
「だからとは言え、無抵抗の者に対する行動としては些か行き過ぎな様にしか見えない。出来る事なら同じ様に其の足、両断してやりたいところだが」
其の眼光は鈍色の刃物を彷彿させ、三日月に吊り上がる唇は狂気を映す。声は酷くエンジェルを責め立て、の視線がエンジェルの無傷な右足へと落ちれば、氷の様な冷たい目に背筋が凍った。しかしの浮かべる余裕の表情は挑発している様にさえ見え、エンジェルは歪で皮肉な笑みを浮かべて平常心を装うのである。
「唯の人間に、それは大人気ない。今回は其の傷だけで勘弁してやる」
「…なめられたものだな」
「なめるもなにも、あたしとお前じゃ格が違う」
の抑えていた霊圧が、突如として跳ね上がり法廷内に充満する様に広がる。目に見えない力、圧倒的な恐怖を感じずにはいられない強烈な其れに突然息苦しさを覚えて観客席で傍観していた者達は一斉に立ち上がり、のたうち回り、奇声を上げ、気道を確保する様に首を抑えた。けれど上手く呼吸が出来ず、呼吸困難に陥る者や、失神し倒れる者が続出し、法廷内は一種の混乱に見舞われる。祓魔師達も有る程度の影響があるのか、武器こそはから降ろしはしないものの、酷く苦しそうな面持ちで足を震わせた。
「ついでにはっきりと言っておく」
刹那、の姿が視界から消え去る。
「!?い、何時の間に…!!」
「一体どうやって…!!」
取り囲んでいた筈の姿が、突如として消え去り見失う。次にが姿を現したのはメフィストが佇む陳述台の柵の上で、不安定な細い柵の上に微動だにせず立つは、法廷内に居る皆に向けて言葉を放つ。まるで、宣戦布告をするかの様に。皆へと向けて。
「あたしは唯、燐に害が降りかからなければ良い。後は其方の自由、好きにすると良いとさえ思ってる。基本的に平和主義だ、争いが無いに越した事は無い。けれどあたしにも譲れないものはあるのだよ」
細く華奢な身体が、此の場の最大にして最強の脅威だった。何かされた訳ではない。精々、此の殺気が、から言わせれば霊圧が、重く重く身に伸し掛かるだけだ。たった其れだけの事。其れだけの事なのに、聖騎士の称号を持つエンジェルでさえも滴る血を其の儘に、を止める事が出来ずに居た。“あてられ”ては居ないものの、行動を起こす程の気力は無いらしい。笑みを浮かべて笑っていたのは、メフィストだけだった。余裕があるのも、メフィストだけだった。
「燐に手を出すな。勿論雪男にも。さもなくば…どうするかは言うまでも無いな」
明らかに三賢者に牽制する様に挑発的に嗤って告げるに三賢者は沈黙を貫く。そして静まり、治る霊圧に人々が苦しみから漸く解放された頃、意識朦朧としている燐の首根っこを相変わらず引っ掴んだままのシュラが乾いた唇を舌で舐めた。
「(味方の内は心強いが敵に回れば厄介なんてもんじゃない)」
顎を伝って落ちる冷や汗が、冷たい大理石の床へと落ちた。崩れる様に落ちた燐を腕を回して支えたシュラは、焦点が合わず肩で呼吸をする燐の横顔を見下ろす。
「(分かってるか?)」
言葉には出さず、思いはあくまで胸の内で。シュラは囁く。
「(お前には、強大なバックが付いてるって事を)」
再度陳述台の方を見上げれば、話は済んだとばかりに三賢者へと背を向けて階段を降りてくると、其の後ろに続くメフィストの姿。ほんの少し和らいだ空気に安堵の息を吐いたのも束の間、皆を手を下す事も無く圧倒してみせたに、畏れ多くも投げ掛けられる一声。
「本当に…死神なのか?」
三賢者の一人が、静かに問い掛けた。は反応を示す様に階段を下る足を止めたのなら、顔だけを振り返らせて、にやりと嗤う。
「是」
其の姿は、とても誇らしげに見えた。見た事の無い、人間としてでは無い。死神のの姿だった。
「創設者及び総隊長、山本元柳斎重國率いる実動部隊、護廷十三隊。我が名は!戦闘専門部隊、更木剣八率いる十一番隊所属、第四席である!!」
聞き覚えの無い部隊名と人名は、人間はおろか悪魔にすら分からない死神内での、其れに関わるものだろう。胸を張り、背筋を伸ばして堂々と迷い無く真っ直ぐに言ってのけたは、鼻で笑った。言っても伝わらない、意味の無い己の言葉を笑う様に。
「…とまぁ、畏まって言いはしたが、結論はメフィストが紹介した通り、死神だ」
些か、先程から話し言葉が固く聞こえるのは、彼女が死神として振る舞い、話しているからだろうか。授業もまともに聞かずに聞き流し、面倒臭そうに目を逸らして、他人と距離を保ちたがろうとする普段のからは、全く想像もつかなかった姿。
「以後、宜しく頼む」
の印象が、すり替えられる。今迄通りの彼女として見れる気がしなかった。どうしても、今後拭える事は無いだろう。誰もがもう、普通の目で、認識で、を見れずにいた。は、死神だ。死を司る、神。もう彼女以前の様に見、接する事は難しいだろう。
戻ル | 進ム
|