「(傷も酷いけど…内部の瘴気の方が深刻…)」


手の平から感じる内部から放たれる瘴気は、少しずつ、けれど確実に八百造の身体を内部から蝕んでる。二週間で治ると誰が言ったのかは分からないが、怪我だけで見れば妥当な診断も、瘴気が消えての完全治癒には時間が全く足りはしない。告げるべきか、黙っておくべきか、暫し悩んでは口を一文字に噤む。


「どうなん?」


不意に隣から尋ねられ、は八百造から視線を外し、隣へと向ける。真っ直ぐとを見つめ、問う志摩の表情は真剣そのもので、は一度視線を落とすと再び八百造へと目を向ければ、はっきりと事実を口にするのだ。


「あと二週間じゃ、此れは治らない」

「えっ…」

「…何でそう思う」


戸惑いの声を漏らした志摩だが、八百造は至って平然としており、けれどの診断に納得がいかないのか訝しむ様に目を細めた。嘘偽りは通用しない、其の向こうまで見透かす様な鋭い瞳を一身に受け、は八百造から手を離し、膝の上に置くと背筋を伸ばしてはっきりと断言するのだ。


「全治二週間の診断は恐らく外傷のみの診断。発症してない為、医師も見逃したんでしょう。体内に瘴気を感じます」


体内から広がる瘴気の存在に女将は顔色を悪くさせて口元を手で押さえる。穏やかじゃない告白に勝呂や志摩は破顔し、八百造は心当たりがあるのか片眉を吊り上げた。の診断が確かであれば、こうしては居られない。腕に刺さる点滴の管は外傷の治癒を早める成分しか入っておらず、現状八百造には瘴気に対しての施しは無いのだ。居ても立っても居られず、子猫は丸は素早く立ち上がると切羽詰った表情で踵を返した。


「ぼ、僕医工騎士呼んで来ます!!」

「其の必要は無い」

「な、なんでそうやって言い切るん!さんが見るより、ちゃんと称号持った人に診て貰った方が安心や!!」


部屋を飛び出そうとした子猫丸をは淡々と無用であると引き止めれば、子猫丸はカッとなって声を荒げる。其の言い分はまるでが八百造の治療に当たる事が問題であるかの様で、八百造と女将は子猫丸とを交互に見ては首を傾げるのだ。折れていない方の手で拳を強く握り、子猫丸はを見下ろして強く睨み付けた。そんな子猫丸を見上げ、は口を固く閉ざしてただじっと見る。


「………な、何…!」


真っ直ぐと向けられる視線に子猫丸は狼狽える。口篭った声でと真っ向から向かい合う子猫丸の足は僅かに後退って引いており、はそんな子猫丸を挑発する様に嘲笑を浮かべた。


「あたしは確かに医工騎士ではない。けど、彼等よりは早い回復は見込めると思うが?」


はったりでも何でもなく、ははっきりと言い放つ。瘴気も全て消し去る事はにも出来ない。けれど、瘴気に気付きもしなかった医工騎士に任せるよりも自身が治療に当たる方が完治は早いと確信を持っていたからだ。薬を投与し傷が癒えるまで二週間なら、鬼道が用いた治癒術ならば其の半分は確実に早く完治が望めるだろう。は再び八百造へと手を伸ばして片手を胸に、もう片方の手を背に回せば手の平に淡い光を放つ霊力を集めた。


「何や、この光…!」

「…うちに代々伝わる治癒術です」


優しく包み込む様に、八百造の傷口に触れる光は、人肌程の温もりを与え、傷を癒す。の手から発光する其れに目を見開く八百造に、強ち間違いでは無い解説を添えては治療を続ける。


「命に別状は無いんやな?その光は…」

「当たり前よ。傷を癒す相手を負傷させてどうするの」


心配と驚愕が混じった瞳で勝呂が治療を行うに問うた。死神という名前に死を強く連想する傍ら、死を誘う様には見えない優しい光。死神を一体何だと思っているのか。呆れ顔でが治療を続ければ、八百造の腕にあった掠り傷が薄っすらと消え、痕も無く消えたのなら女将は歓喜の声を漏らすのだ。


「それも…お前の力なんやな…?」


即ち、其れは死神の力なのかという問い。


「そう」


勝呂の問い掛けをは即答で肯定する。彼等の想う伝承されてきた死神と、実際の死神とはやや認識がずれている所があるが、今此処で否定してやる必要は無い。しかし敢えて彼らが一般的に想う死神が、死神の役割だったのなら、死神は死神は死を誘う事もあれば、未だ死ぬべきでは無い者を生かす事もする筈なのだと、は考える。死神は生と死に深く関わりを持ち、魂を管理する者だからだ。


「…こりゃ驚いた。みるみる身体が軽ぅなっていく…」

「一時的で直ぐに倦怠感は戻ります。傷は治せても体内の瘴気を全て浄化する事は難しい。…あくまで大まかに浄化する事しか出来ないけど、それでもしないよりかはマシかと」

「すまん、恩に切るわ」


恩に感じて貰う程の事では無いと八百造の礼には首を振り、霊力に依る治療を続ける。身体が少し楽になったのか、八百造は苦痛に歪んでいた表情をほんの少し和らげると勝呂、志摩、子猫丸へと目をやって申し訳無さそうに、悔やむ様に顔を覆った。


「所長の分際でこの有様や…!少しでも早く現場復帰せんと気ィ休まらん」

「…皆ひどいんか?」

「大丈夫や。…ちゃんと療養すればみんな治らはるいうし、死人もおらんし。イマが大変やけどな…!」

「そうか、よかったわ」


他の皆の容態が気になる深刻な声色で八百造に勝呂が問い掛ければ、変わりに女将が安心させる様に微笑んで問題は無いと告げる。其の言葉に心底ほっとした様で胸を撫で下ろす勝呂は、安心に瞼を閉ざして小さく息を吐いた。


「それより坊こそ、ご無事で何よりです」

「ああ。みんなのお陰様でや」


八百造に勝呂は志摩と子猫丸を横目に頷く。志摩も子猫丸もアマイモン襲撃の際に負傷したのだが、勝呂は首を締め上げられただけで他に目立った外傷は無い。というのも子猫丸が身を持って勝呂を守ったからである。


「子猫丸。よう坊を守ってくれたな、大したもんや」

「い、いいえ!守ったなんてそんなめっそな。僕は右往左往しとっただけです!」


八百造が子猫丸に賞賛すれば、子猫丸は僅かに頬を赤らめて勢い良く頭を下げる。照れているらしい子猫丸の反応を尻目に勝呂は会話には入らず治療に集中するを盗み見た。


「(…コイツが、あん時おったから…)」


容赦無い力で首を絞められ、塞がれた気道に呼吸も儘ならず、込み上げて来る血を飲み込む事も出来ずに吐いて、霞む視界にもう駄目かもしれないと諦めかけた時。澄んだ声を微かに耳は拾った。急に開放された首に勢い良く流れ込んでくる酸素。息苦しさに首を手で抑えながら振り返った先には、背筋を伸ばして佇むの姿があった。あの時、が介入しなければ今頃自分もしえみも、もしかしたら。無傷でこうして居られるのは何も子猫丸や志摩のお蔭だけじゃない、其処にはちゃんとも含まれる事を勝呂は良く理解していた。


「お父お父、俺もアバラいってもーてん。息吸う時ちょっと痛いんや」

「お前はど頭ピンクにしただけやろが!」

「ぞええ!?」


子猫丸に続き、自分も心配して欲しいと小粒の涙を流して肋を摩る志摩だが、父である八百造の口から放たれるのは心配のものでは無く、寧ろ正反対のもので床に伏せる者とは思えないような素早さと威力を持って志摩の頭を目にも留まらぬ速さで引っ叩くのだ。


「お前に錫杖預けたんは髪ピンクにさすためやないぞ」

「お…っ、俺かてやる事はやってましたぁ!」

「志摩さんも志摩さんで右往左往してはりましたよ」

「子猫さん、フォローなってへん!!」


叩かれた頭を痛いと抱え、怒る八百造に弁解する志摩。そんな志摩を不憫に思い子猫丸が擁護するが、全くもって意味を成さない其れに志摩は半眼で子猫丸に突っ込みを入れた。


「和尚は倒れたて聞いたで、どうなったんや」

「!せやった!まさか和尚も瘴気に中ったん?」


場の空気も和んだ所で、勝呂はずっと気掛かりだった事を口にすれば、すっかり忘れていた志摩は思い出したと言わんばかりに声を上げて八百造を見る。八百造は答えようと口を開き掛けるも、先に口を開いたのは和尚の妻である女将だった。


「達磨さんは…」

「…和尚はちょうど出張所に遊びに来てはったところを今回の件に巻き込まれはって」


言葉を詰まらせる女将に八百造は視線を布団へと落として一度瞼を閉ざし、言葉を区切る。深刻な容態なのかと皆が不安に胸をざわつかせれば、八百造はぽつりと己の知る和尚の負傷を零した。


「びっくりして腰ぬかさはったんや」


時が止まった。


「……………。………ん?それだけ?」

「………。」

「今はもうピンピンしてはる。安心せぇ」


俯いて黙りの勝呂に対し、思考停止した面子の中で誰よりも早く思考を再起動させた志摩が八百造に確認の意も込めて問えば、八百造はあっさりと肯定して頷くのだ。


「えぇー…。な、なんやー。ま、なによりやけど」

「……………。」


拍子抜けの真実に、志摩が恐る恐ると勝呂に視線をやれば、勝呂は酷い顔付きで俯いたままだ。勝呂の父は、勝呂とは違ってお茶目なのだと情報を脳に加えるは、八百造の身体に深く残る傷を見やって粗方傷が癒えた事を目視で確認する。


「(父親が愉快な人だから、子の勝呂はこんな神経質になったのか)」


ぼんやりと、勝呂の短気で喧嘩っ早い点が確実に父親の影響から来ているのだと認識し、は誰にも気付かれない様、小さく息を吐いた。


「和尚は今どこおるん」

「…さぁ、今どこやろ。“寺”には毎日戻らはるやろけどなぁ。あの人携帯電話持たへんし」


明らかに苛立っている勝呂に女将は困った様に頬に手を添えて答える。携帯を持ち歩かないとなれば、連絡手段は無いに等しく、旅館に戻って来るのであれば、戻って来るのを待つしか出逢う機会は無い様なものだ。


「…あのハゲ達磨にどうしても話があるんや…!!」


実の父親に対し酷い言い方だと思いつつも、実の父親だからこそ、そんな言葉が生まれるのだと分かっていた。血の繋がりがある限り、親子を結ぶ縁は切れる事は無い。だからこそ時には衝突する事もあるが、誰よりも深く繋がれるのだ。話に区切りが付いた所での施す治癒も終わり、手の平に集めた霊力を解けば淡い光も消失して、は手を膝の上へと戻し置くと、終わった治療に自然と皆の視線がへと向き、は八百造の目を見た。


「現状、出来る範囲の事はしました。体内の瘴気の件は医工騎士に伝えておきます。後は投薬による治療で十分かと」

「おう。すまんな」

「あまり動かれずに安静をお勧めします。立場上、床に伏せるのは落ち着けないとは思いますが」


仏頂面の中に僅かな笑みを乗せて八百造に安静を促すが、理解していても素直に寝ている事など出来無い八百造は苦笑を浮かべる。


「こんなん言うのも可笑しな話なんやろけど、えらい貴重な体験をさせてもらった」

「その貴重な体験が二度と無い事を祈りますよ」


徐に八百造は己の頬や首に貼り付けられたガーゼに手を伸ばせば、躊躇い無く引き剥がすと、其処には数分前迄は確かに生々しい傷痕があった筈なのに、既に瘡蓋一つ痕も無い肌が露わになった。指先で確認する様に触れれば、歳の所為で張りは無いものの滑る肌が其処にあり、傷があった事なんて嘘の様だ。


「ではお先に失礼します」


役目を終え、用が済んでも尚、此の部屋に滞在する理由は無い。八百造と女将に向けて頭を下げて退室を告げれば、両足の踵を立て、次いで片膝を少し立ててから右足から立ち上がる。一足先にが和室を後にし廊下へと出て去って行けば、遠去かる静かな足音に女将はぽつりと呟くのだ。


「綺麗やなぁ」

「…そおか?見てくれだけや」

「其れだけちゃうわ」


勝呂が女将に眉を寄せて否定をすれば、すかさず飛んでくる女将の言葉に勝呂は片眉を吊り上げる。の去った無人の廊下を眺めながら、足音も消え、存在感さえも消えたの先程の振る舞いを思い返して女将は優しい吐息を漏らした。


「アンタは着物着ぃへんし、分からんかもしらへんけど、さっきの立ち上がり方は着物着てる時の立ち方やし…着物着る環境で育ちはったんやろか」










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