八百造の部屋を出て旅館内を当てもなく彷徨いていれば、騒がしい人の声と物音が聞こえた。気にせず歩けば其の音はどんどん大きくなっていき、近付いている事に気付く。音の聞こえて来る一室へと目をやれば厨房があり、料理人達が忙しなく手を動かして調理を行っていた。


「あ!手ぇ空いてへん?ちょっと手伝って欲しいんやけど」


偶々前を通り掛かったのを中から見ていた一人の男が助かったと言わんばかりにを手招きする。断る理由も無くは厨房に足を踏み入れると中にはしえみの姿も有り、盛り付けの手伝いをしている様だった。


「女の子やし、包丁は使えるやんな?キャベツの千切り頼めるやろか」

「はい」


調理台への立たされ、目の前には包丁とまな板、そして三玉のキャベツが鎮座する。男はに託すなり他の調理台へと移って加熱済みの色取り取りの野菜の味付けに回ると、は手を洗ってからキャベツの表面の葉を千切り捨て、包丁を手に千切りを始めた。トントン、とリズム良く包丁がまな板を叩いて音が鳴る。切り終わった幅1ミリ程のキャベツは大きなボールの中へと落とせば、隣から感心する吐息が聞こえた。


「嬢ちゃん、慣れた手付きやなぁ」

「ほんまや。ええ嫁なるわ!」


キャベツの千切りは一見誰にでも出来そうものであるが、切り幅が大きければ見た目も悪く、使い物にならない。心配での隣で作業する男達は己が担当する調理をしながらも横目に心配気にの手元を見ていたのだが、心配は無用の手付きに穏やかに笑って各自作業へと移るのだ。


「嬢ちゃん!すまんけど此のほうれん草、5センチ幅に切って茹でといてくれへんか」

「はい」

「お前頼み過ぎやろ、自分でせぇー!」

「こっちも手一杯なんや」


手早く切られ、あっという間に刻まれていくキャベツに終わりが見え始めた頃、次いで洗った後の水に濡れたほうれん草を抱えて男がの元へと訪れる。二つ返事で了承するだが、隣で作業する男がにやりと笑って何もかもをさせるなと指摘すれば、ほうれん草をに手渡した男は勘弁してくれと眉を下げてそさくさと持ち場へと戻って行った。


「アイツ、腕はええんやけど何せ要領悪くてなぁ」

「はぁ…」


小声での耳元で囁く男に、持ち場へと戻った男を盗み見すれば、確かに要領が悪いらしく無駄な動きが多く慌てふためいていた。任されたのだからするしか無く、は先にキャベツを片付けてからほうれん草を切ると、沸騰させた鍋の中へとほうれん草を投入し、茹で終わった頃に取り出して冷水で引き締めるのだ。


「此れは何に使うんですか?」

「其れはお浸しにするんや」

「しましょうか?」

「出来るん?」

「まあ、お浸しくらいなら」


一人でパニックに陥っている男には確認せず、隣で作業する男に確認を取り、は調理台の上に並べられた調味料を確認する。塩、砂糖、みりん、酒、醤油、胡麻油、出し汁。並んだ調味料を幾つか手に取り水を切ったほうれん草に目分量で加え混ぜ合わせた。


「ほんま手際がええなぁ、家でも手伝いよおやってたん?」

「偶にですけど」

「どれ。味見さしてもらおか」


混ぜ合わさって完成したお浸しに、隣の男は手を休めてほうれん草を一摘みし口の中へ。舌の上で転がし味わってから、奥歯で噛んで茹で具合の食感を確認する。口の中のものを飲み込んで食道に流したのなら、男は笑みを浮かべて親指を突き立てた。


「この味付け…絶妙なダシ加減や。完璧やで!」

「俺にも味見さして!…こら美味い!“和”をよう分かっとる!コイツよりもよっぽど役に立つわ」

「えぇ、それは殺生ですって!」


更に隣の男もが調理したお浸しに手を伸ばし味見する。と、広がる非の打ち所がない味に頷けば、に調理を頼んだ男に聞こえる様な声量でにやりと笑い、聞こえていた男は振り返り苦笑を浮かべた。


「楽しそうな声、廊下まで聞こえてるで。何話してはるん?」

「女将!いやぁ、この嬢ちゃんの味付けが絶品やなって話ですわ」

「いえ、出汁が良いだけです」

「そんな謙遜せんでもええって!」


厨房に顔を覗かせた女将は可笑しそうにクスクスと笑い、話の中心にいると、其の隣の男を見やる。男は女将を目にするとを尻目に絶賛するのだが、のした味付けなんて大した事は無く、寧ろ用意されていた出汁を作った者の方が素晴らしい仕事をしているのだ。素直に出汁のお蔭だと口にするのだが、男は聞いちゃいない様で豪快に笑いながらの背を叩いた。


「そんなええ味やの?私にも一口頂戴な」

「どうぞ、女将!」


の手の中のボールを取り、女将に差し出す男は始終笑顔で、女将は近くに置かれていた未使用の菜箸を手に取ると一掴み、ほうれん草を取って口に含む。


「まぁまぁ!ホンマに美味しいわぁ」

「其処のキャベツの千切りも嬢ちゃんがやってくれはったんですよ」

「あら!こんなにもしてくれはったん?」


咀嚼を繰り返し飲み込んで、ぱっと華やかに微笑む女将に、男はが千切りをしたキャベツの山を指してが厨房の仕事にどれだけ貢献したかを伝える。女将は機嫌良く微笑むと、菜箸を片手にうっとりとを見つめて目を細めた。


「お料理も上手やし、立ち姿も背筋がピンと伸びてて立ち振る舞いも綺麗やし…うちの竜士の嫁はんに来て貰えんやろか?」


そしたらうちの旅館も安泰やわ、なんて冗談を、全く冗談には聞こえない素振りと口調で語る女将にはほんの僅かに顔を強張らせた。未だ未熟な所もあるものの確かに勝呂は良い男だが、はそういった対象で勝呂を見た事も、想った事も一度も無い。ついでに言うと口煩い勝呂との夫婦生活なんて疲れてしまいそうで遠慮したい所である。


「そらええわ!流石女将、名案や!どうや、坊の嫁はんにホンマにならへんか?」

「嬢ちゃん落ち着いてて大人っぽい所あるし、若女将にでもなった日にゃぁ嬢ちゃん目当てのお客さんも増えそうやな!」

「男前の坊と、和風美人の嬢ちゃん。なかなかお似合いやで!」


勝手に盛り上がる料理人達は鼻息荒く捲し立て、女将と共に勝呂の嫁に来いと全身全霊を持って勧誘する。有難い話ではあるが、200年以上も生きてきたは今更結婚願望なんて持ち合わせはおらず、其れよりも燐や雪男の傍から離れる事なんて考えられない。万が一にも結婚する様な事があるならば、獅郎の様な器の大きな人を望む。


「あたしと彼じゃ釣り合いません。彼にはもっと素敵な人がお似合いですよ」


今でも未だ、の心には獅郎が居た。一方通行の想い。決して届く事の無い情は最早死した彼の元へは届く事は無い。其れでも彼を未だ想い慕うのは、此の世界に来て最初に出逢い、沢山の温もりをくれ、居場所をくれ、生きる強さや意味、理由を与えてくれたからだ。


「他に何か手伝える事はありますか?」


獅郎の願いを叶える。燐と雪男を護る。三度目の生は全て其の願いの為に捧げると獅郎の墓前に誓った。此の命に其れ以上の目的も割く時間は必要無い。己の為に使う時間等、不要だ。



















「そろそろ日も暮れて来たし運びにかかろか。手空いてる子探してくるわ」


女将も加わって役割を分担し、手分けして見た目も美しい品々を重箱へと詰め込む。窓から見える外はすっかり日が傾いて薄暗く、女将は一度厨房を出て外に出ると手伝いをしてくれる者を探しにと出掛けた。


「うおおうっまそおおーー!!」

「此処にある仕出し…みんなで出張所の詰め所まで運んでくれへん?ぎょうさんあっててんてこまいなんや」


暫くして女将が連れて来たのは料理を見て涎を垂らし燐と、其の頭上で寛ぐクロ、少し距離を取って厨房の暖簾を潜る勝呂、志摩、子猫丸だ。


「力仕事は任して下さい!!」

「ほんま…みんなよう働いてくれて大助かりやわ!ありがとう」


重箱に詰められた料理を覗き込み、腹を鳴らす燐には手早く重箱を多めに積み重ねて蓋をし、風呂敷に包む。サタンの血を持つ燐は、並の人間よりも力が強い。故に早く運び出す為にも、他の三人が楽に持てる様にとの考慮しての量だ。


「よろしく」

「おう!」


燐へと風呂敷に包んだ重箱は二つ差し出せば、笑顔で頷き受け取る燐。ズッシリと重みのある其れを軽々と片手に一つずつ抱えれば、女将は感嘆の声を漏らした。


「あらっ、えらい力持ちやなぁ!ホレ竜士!アンタも働かんかい!!」

「「………」」


我が子には手厳しい女将に促され、は手際良く重箱を積んで風呂敷に包むと、燐の様に直接手渡しはせず、作業台に並べて置いていき各自自分で手に取るように促す。手渡ししないのは其れを彼等は嫌がると思っての配慮であり、嫌がらせでは無い。


「意外に重い…なんやアレようあんな持てるな…!!」


風呂敷の重みに燐の様に持ち上げて抱える事が出来ず下げて志摩か覚束無い足取りで燐の後へと続く。更に勝呂、子猫丸と続くのだが、燐は廊下に出ずに立ち止まり、使用した調理器具の片付けを手伝うしえみの背中を眺めていた。


「重い!早く進んで!!」

「おっ、スマン」

「気ィつけや」


志摩に催促されて廊下に出る燐に、料理人の男が燐に注意を促す。一度に沢山運んで貰えるのは有難いが、其れでひっくり返されでもしたら全てが無駄になり作り直しとなるからだ。しかし、はそんな事よりも、何時もは服の中に隠している燐の尻尾が外に出ている事の方が気掛かりで、顔には出さずに心の中で溜め息を一つ。候補生達や派遣されてきた祓魔師達は燐の正体を知っているが、京都出張所に勤める祓魔師達は未だ知らされていないのだ。気付かれない事を祈るばかりである。


「一つ余ってしもたなぁ。ほなこれ私届けてくるわ」


子猫丸が片腕を負傷している為、一つ残った風呂敷。其れを運んで来ると女将は名乗り出て抱える為に手を伸ばす。しかし指先が風呂敷に触れる前にが風呂敷を抱えると女将は目を丸くしてを見るのだ。


「あたしが持っていきますから、女将さんは此処で他の仕事を」

「ええの?重たいで?」

「大丈夫です」


運ぶとなれば厨房を離れる口実が出来、同時に燐に尻尾が出ている事を指摘出来る。幸い、此処にいる皆には気付かれなかった様だが何時誰かの目に止まるか分からない。只でさえ不浄王の件で騒がしい此の時に、燐がサタンの息子であると態々暴露して更なる混乱を招く必要は無いのだ。風呂敷を持ち直し暖簾を潜って廊下に出れば、出張所の詰め所迄の道程を頭の中で思い返しながら歩く。厨房に残った女将はうっとりと頬に手を添えて独り言を零した。


「ほんま綺麗な子やなぁ…」



















早足で進めば先頭を歩く燐と、少しの距離を空けて黙々と歩く勝呂、志摩、子猫丸の背中を見つけ、は其の儘燐へと近付くと無言で燐の尻尾を掴み、服の中へと忍ばせる。尻尾が出ていた事に気付いていなかったのか、燐は尻尾を掴まれると肩を跳ねらせて勢い良く振り返るものの、の据わった目を見たのなら冷や汗を浮かべて正面に向き直る。無言のまま旅館を出て夜道を歩き、詰め所まで来たのなら、大広間で椅子に膝を立てて座るシュラを見つけ、一同は預かって来た風呂敷を長テーブルの上に置いた。


「旅館からの仕出しです」

「おお、ありがたい!」


腹を空かせていたのだろう、仕出しと聞き付けて祓魔師達が揃って近寄って来る。風呂敷を解き、露わになった重箱を一段ずつ取って一人ずつ配り始め、シュラは燐達を見上げて笑みを向けた。


「お疲れさん!今日はコキ使われて疲れたろ」

「まぁまぁ」

「お前らはもう先に上がって休んでいーよ。明日も早いからにゃ」


仕出しに手を伸ばし、割り箸を割って箸を付けるシュラの業務終了の指示に、誰よりも早く志摩が表情を和らげ拳を強く握り、燐とクロは不満顔をするのだ。


「やたっ、終ったぁーー!!」

「休むのはいーけどメシくれよ!」


腹が減ったと言葉にはせず顔で訴える燐とクロ。クロには最早鳴き声を上げることも億劫な様で燐の頭の上で伸びている。朝に出発し、午後に到着した京都。それから今迄休み無く彼方此方を回って働けば、そりゃ腹も空く筈だ。


「…先生」

「んー?」

「俺…今から少し外出してもええですか?」

「?どこに」


飯をくれと目力でシュラに訴える燐の隣に勝呂は出て、シュラに対して外出の許可を申し出る。時間も遅い中、地元とはいえ未成年であり受け持つ塾生。そう簡単に許可を出せる訳も無くシュラが行き先を尋ねれば、勝呂は暫し黙って答えた。


「…洛北金剛深山」

「山ぁ!?…何しに?」

「親父に会いに」

「…ダメだ。日が落ちてからの山登りなんて保護者として許可出来にゃーい」


詰められた数々の中から、一番最初に魚を掴み、シュラは勝呂に視線を向けたまま魚を口の中へと放り込む。勝呂は無言でシュラを見つめれば、シュラは何度か咀嚼を繰り返し魚を飲み込むと、中々引き下がら無い勝呂に言い聞かすのだ。


「…ここの複雑な状況は聞いたよ。色々あるんでしょーが…京都にはあくまで任務で来てるって事を忘れるな。ホレ、そこの弁当夕飯に持ってけ。ジュースもつけとくから」

「やったァ、メジ!!」


話は終わりだと弁当を指差し、大量の缶ジュースが入った白いビニール袋をシュラが突きつければ、勝呂を押し退けて涎を垂らした燐が積まれた弁当へと手を伸ばす。ぶつかった肩に燐は見向きもしないで弁当に釘付けで、勝呂はぐっと下唇を噛むとさっさと踵を返してシュラに背を向けた。


「…すみませんでした。お先に失礼します」

「あっ、おい勝呂!弁当!」


足早に詰め所を出て行く勝呂に、人数分、五人分の弁当を持って燐が慌てて追い掛ける。其の後を追って志摩と子猫丸が出て行けば、残ったは弁当に箸を付けるシュラを見下ろした。


「雪男は?」

「雪男は左目の奪還部隊に配置されてアタシの使い魔と共に左目を乗せた軽自動車を追ってる。…そういえば連絡は来てないな。ま、大丈夫だろ」


何がどうなって大丈夫なのだとは適当な事を言うシュラに眉を寄せた。雪男も心配だが燐の方が心配で不安で目が離せず此方側に付いては来たものの、やはり目の届かない危険な場所に居ると思うと気になってしまうものである。責める様にが無言でシュラを見下ろしてれば、シュラは話を逸らす様ににやりと笑う。


「聞いたぞ、治癒術が素晴らしいって。誉められちゃってアタシも鼻が高いにゃー」


箸を持ったまま両手を握ってへにゃりと笑みを浮かべ、にゃんにゃんと猫の様に鳴くシュラをは実に冷ややかな目を向ける。の背後にシュラは吹雪が見えた。


「取り敢えずあんま気にすんな。雪男はアレでも腕の立つ祓魔師だぞ?」


くるりと箸を回して、箸先をに向けてシュラは言う。分かっている。雪男は幼い頃から獅郎に教えを受け、若くして祓魔師となった努力型の天才だ。其の腕を認めていない訳では無い。信用していない訳でも無い。頭も悪く無い、むしろ賢い雪男は少し慎重過ぎる所もあるがどんな場面に出くわしても適切に判断し対処する事が出来る事を。しかし、だからと言って心配しないで居られる筈も無く、は無言で踵を返した。今、シュラに問い詰めても意味が無い事を理解していたからだ。


「…ったく暗ェな。何も喰ってねーからだぞ?喰っとけ!ほれゴリラ!」

「やかまし!!」


が詰め所を出れば、青筋を浮かべて怒りを露わにする勝呂が燐の手に有る弁当を奪い取って大股に足音を立てて立ち去って行く姿が見えた。相当不機嫌なのか勝呂は早足に薄暗み夜の闇へと消えて行き、は立ち尽く燐の隣に並ぶ。


「う…お…怒らせちった」


ゴリラと言われれば誰だって怒るだろう。と抱いた思いは口にしないでおいた。


「こ…子猫丸一緒に食わない?」

「!僕は、家族に挨拶してきたいから…」

「そっか…それは大事だな」


明らかに燐を避ける子猫丸は、燐に目を合わせる事もせずに下を向いて去って行く。其の手には弁当は無く、子猫丸の分の弁当は燐の手の中だ。渡す事さえ出来なかった一人前の弁当を見下ろし、燐は唇を尖らして大きな岩の上に腰を下ろす。


「ちぇっ」


弁当と一緒に受け取った缶ジュースを開け、一飲み。寂しい影を背負う燐には傍に置かれた四つの弁当の内、一つをとって燐の座る岩へと凭れ掛かると、蓋を開けて中を見下ろした。もお腹は空いていたのだ。


「………えーと…じゃ、俺も…」


自然に立ち去るには明らかに出遅れた志摩が、引き攣った笑みを浮かべて後退する。そんな志摩に燐は身体や口から炎を漏らしながら据わった目で志摩へと向くと、志摩は身を硬直させた。


「…なんだよ。お前も俺の弁当が喰えねーってのか?」

「!?」


顔面蒼白となり、冷や汗をだらだらと垂れ流して志摩は絶句する。立ち去りたいのに良い言い訳は浮かばず、早く食えと言わんばかりに燐が志摩に弁当を掴んで差し出せば、最早志摩に逃げ道は無く、志摩は絶望で重い手で燐から弁当を受け取った。










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