食事を終えた後、何だかんだ志摩兄弟が食べ終えるまで雑談に付き合っており席を離れられなかったは、皆が食事を終えた後、志摩と共に旅館内の廊下を歩いていた。柔造と金造は勤めに戻った様で食堂前で別れたのは、ほんの数分前の事である。他愛の無い話だった。天気ええなぁ、そうだね、今日は何手伝わされるんやろなぁ、さぁ。そんな、少し話しては終わる会話。時折沈黙が続き、また志摩が話を振っては一言、二言、が返し、また話が終わる。何度か其れが続いた後の沈黙で、慌ただしい足音がと志摩の耳に届いたなら、が其の足音の持ち主が誰か気付いたと同時に、咄嗟に志摩が直ぐ近くの部屋の引き戸を開けてを押し込み、素早く引き戸を閉めるのである。駆けて来たのは、子猫丸だった。


「志摩さん!」

「ん?」


扉一枚挟んだ向こうから、焦った様な子猫丸の声が聞こえた。どうやらが居る事に気付いていない子猫丸は、とぼけて足を止めた志摩へと駆け寄り、詰め寄るのである。


「…奥村くんと何打ち解けてるんや!それにさんなんかと一緒に行動しはって!」

「えー?」

「柔造さんや金造さんは何も知らへんのに仲良さ気にして!奥村くんがサッ…サタンの息子て、さんが死神て後で判ったらどないする気なん!?」

「どうする気て言われてもー。まぁ、なるようになるやろ」


子猫丸の言い分は最もだ。其れを軽くあしらう様に流す志摩に、子猫丸の興奮は収まることを知らず、寧ろ更に声を荒げさせる結果となる。


「志摩さんはどうしてそういつも、ええ加減なんや!!!!」


確かに、と、引き戸一枚、其の向こうでは沈黙を守りながら子猫丸に同感するのだ。普通なら、子猫丸だけじゃない。勝呂やしえみ、出雲の様に燐とから距離を取るのが当然で、恐れ、軽蔑し、近付かぬのが本来人間が取るべき反応の筈なのだ。そう考えれば、志摩の行動はあまりにも不可解で、理解の範疇を超えている。実際、子猫丸には理解し難く、こうして追いかけて来てまで問い詰めているのだろう。


「子猫さん達は考え過ぎちゃうん」

「な…」

「いや、俺もね。“メンドい避けとこー”て思っとったんやけど…。はは、奥村くんて避ける方が難儀やんかー。ちゃんに関しては綺麗やし、俺のドストライクやし。美女が目の前居って声掛けへんのは男としてナシやろ?」


志摩の声は、笑っていた。サタンの息子を、死神を、ただ面倒臭いという対象で見て、其れで終わってしまう人間が、一体此の世界に何人いるだろうか。きっと、極々少数に違いなく、其の限りなく少ない考えを持つ人間が、今、此処に一人居た。


「何でやろって俺も少しは悩んだんやで?でも、もー考えんのメンドーになってしもーてん」


荒げていた声を収め、黙り込んだ子猫丸に志摩が語る。其れを扉の向こうで聞きながらは、ほんの少し表情を柔らかくさせた。


「…だって奥村くんもちゃんもええ人やんか。子猫さんかて判ってはるんやろ」


ゆるりと微かに浮かぶ、口元の弧。子猫丸は何も話さない。其れは、志摩の言葉を全面否定する事が、出来ないとでも言う様だった。


「せやし俺はいちぬーけた」


いい加減な癖に、と思わずにはいられない。けれど彼はしっかりと自分を持ち、はっきりと其の意見を人に言う事が出来る強さがあった。意外と侮れない、なんては静かに息を吐くと、次いで志摩が子猫丸に言った言葉で、向こう側の空気が少し張り詰めるのを感じるのである。


「あ、そや。今日これから明陀の総会なんやって?いや、大変やなー…三輪家の若当主も。俺五男坊でほんま良かったわー」


嫌味にすら聞こえる其の台詞は、まるで燐とを悪く言った仕返しにも聞こえた。無言で子猫丸が走り去る足音を聞き、は静かに引き戸を開ける。廊下には立ち止まった志摩がおり、頭の後ろで手を組む志摩は、を見ては、へらりとゆるい笑みを浮かべるのだ。


「いやぁー、堪忍な。子猫さん、あんなんやし。ちゃん気悪する思て隠れてもらったんやけど、結局気悪さしてもたなぁ」

「そんな事ない」


ははっ、と笑いながら言う志摩に、ゆるりと首を横に振っては否定をする。素直に志摩の気遣いは有難いものだったからだ。勿論、子猫丸の胸の内は察しているつもりなので、今更言葉として其れを聞いても特に思う事は無いのだが、其れも承知の上で志摩は咄嗟にを守ろうとし、こうして謝罪を口にしているのだろう。一見、唯の馬鹿な男だが、根は良い奴なのだろうと再確認するのだ。


さん!」


不意に今度はが引き留められる番だった。志摩と共に廊下の先を振り返れば、其処には京都出張所で勤務する祓魔師の一人が小走りで駆けて来る。何処か見た覚えのある其の顔は、何度か彼がシュラとやり取りをしているのを目撃していたからだった。


「昼過ぎ、手空いてたら所長の所に行ってもらえんやろか?」


名も知らぬ祓魔師は一度志摩を見ては軽く会釈をし、へと向き直れば早速と言わんばかりに用件を告げる。其の内容に少々表情を引き締めたのは言うまでも無い。分かっていた事ではあるが、どうやら所長、つまり志摩の父親に当たる八百造の容態は回復には向かっていないらしい。


「構いませんが…昨日、所長にはお伝えしていますが、あたしは医工騎士ではありませんし、其の道の専門でもありませんよ」

「それは所長も分かってはる。せやけど、やっぱ具合は悪なる一方でな。医工騎士も付いてるんやけど、なかなか良うならんし、所長が自らさんに見てもろたいと仰ってはるねん」


念の為にと、昨日も告げた点を祓魔師に伝えるが、祓魔師は承知の上だと言わんばかりに頷き、其れでもと頼みたいと訴える。ならば、候補生として応援に来ているは断る理由は無い。


「そういうお話でしたら、昼食後にでもお伺いします」

「堪忍な。そうしてもらえると助かるわ」


が承諾をすれば、ほっと胸を撫で下ろして男は苦笑を浮かべながら足早に去って行く。彼にはまだまだやるべき事が残っているのだろう。遠ざかって行く足音を聞きながら、志摩は人差し指で頬を掻きながら何とも言えない表情で呟いた。


「女将さんと言い、お父と言い、知らん間にちゃん人気者なっていくなぁ」


いや、それは違うだろうとは半眼で志摩を見やる。人気者?そんな訳がない。ただ何故だか女将には気に入られただけであり、八百造に関しては藁にも縋る思いで白羽の矢がに向いただけに違いない。其の点に関しては、其の読みは外れだと、声には出さずに態度で否定をしておいた。



















其の日の昼下がり。何かと雑務を頼まれ、こなした後に向かったのは八百造の部屋だ。容態は昨日に比べると明らかに悪く、顔だけでは無い身体の至る所に体内の瘴気による吹出物が出来ている。余りにも早い毒の進行、の出来る治療にも限界があり、結局は瘴気の毒の進行を遅らせる程度の浄化しか望めなかった。其れでも八百造は、脂汗を滲ませ、息を切らしながら礼を述べるものだから、として妙に複雑な気持ちにさせられる。八百造の部屋を出てからは何かと行く先々で雑務を頼まれ、片っ端から其れ等をこなしていた。負傷者の身の世話、床の拭き掃除、大量の洗濯物を干し、時には薬の配合の手伝いを。最後に最も長時間手伝いに回ったのは夕食の仕込みだった。昨日と変わらぬ顔が揃う中、手馴れた手付きで指示に従い手を動かす。あっという間に任務二日目も終了し、充てがわれた一人部屋で寛いでいる所だった。月が輝く静かな夜。そんな闇の中に響く地響き。明らかに只事では無い音に揺れる床、素早く窓から飛び出し宙を踏み飛んで屋根へと登れば、ひっそりと修行に励んでいた燐とシュラと合流するのだ。


「シュラ」

「ああ、出張所で何かあったな…」


同じく異変を感じ取っていたシュラはに一度頷き、未だ地響きを鳴らす出張所のある方面を見据える。暗闇で目視するには些か困難ではあるが、確かに上がる煙を確認すれば、何かが起きているのは明白だった。


「しょーがない。燐、ついて来い!」

「えっ、ま…待てよ!」


屋根を飛び降り、騒ぎの元へと駈け出すシュラの後に続きが屋根の瓦を蹴る。其の後を慌てて追いかけて来る燐を視界の端で捉えながら、足を急がせシュラを筆頭にと燐は出張所へと向かう。出張所には既に沢山の祓魔師が集まっており、人を掻き分け騒ぎの中心へと向かえば、其処には初めて見る見覚えの無い中年の男と、其の肩を引っ掴む勝呂の姿があった。


「どこ行くんや」

「あー…。ゆっくり話したいとこやけど私は蝮を追わんと…放してくれへんか?」

「蝮を追う…?元はといえば蝮が裏切ったんも、この有り様も…!なんもかんも全部アンタの所為やろうが!!!!」


不穏な空気は周囲をざわつかせ、事の中心に居る勝呂は怒りを隠しもせずに露わにしている。勝呂の姿を目にし、咄嗟に足を踏み出した燐を、牽制する様にシュラは燐の肩を掴んで食い止めた。


「勝呂!?」

「燐!勝手に動くなよ」


話が見えない現状で、騒ぎを大きくする必要は無い。其れも如何やら周囲の様子を見る限り、現状は穏やかでは無いらしい。崩落した天井、周囲の祓魔師達が小声で話す内容を聞けば、どうやら裏切り者がおり、不浄王の右目が持ち出された様だった。


「和尚、蝮の言う通り…俺らを裏切っとるんか…!?」

「そ、そないなワケないやろ」

「せやったら、この皆がおる前で今本当の事、言うてくれや!!!」


声を荒げる勝呂は、中年の男を見て父と呼ぶ。如何やら中年の男は勝呂の父らしい。確かに何処と無く顔立ちが似ている様に感じたのは親子だったからか。勝呂の主張に静まる空気は、まるで其の場に居る皆が勝呂と同じ思いを抱いているかの様で、誰も勝呂を止めることは無い。張り詰める空気、其の中心で、勝呂の父、達磨は困った様に笑った。


「本当の事…。それは“秘密”や。“秘密”は息子のお前にも話せへん」


此の疑いの目を向けられている今ですら、軽く笑い、多くを語らず、拒否の姿勢を崩さぬ達磨に、一瞬勝呂の表情から怒りが消えて悲しさが見えた。其れは後に困惑の色へと染まり、自然と勝呂の手は達磨の肩から離れて重力に従い落ちる。


「…出来れば一生話さずに済めばホンマは大助かりなんやけどなぁ」

「この状況で、アンタ何言うてんねん…」

「とにかく!今はそれどこやない。蝮を追わんと。竜士、お前はお母や先生の言う事よう聞いて大人しぅしとるんやで。ええな?」


其の達磨の一言が、勝呂の怒りを再発させた。


「親父面すな!!!!」


怒声は荒れた地下に響き渡り、周囲の祓魔師達が騒つく。


「竜士…」

「このまま喋らんで行く言うんなら、アンタは金輪際親父でも何でもないわ!」


其れは勝呂の最後の懇願にも聞こえた。今此処で、皆の前で、全てを話し、疑いを晴らして欲しいと。唯一無二の父へと向けた、勝呂の必死の頼みにも聞こえた。だが、達磨には其の願いは届かない。


「…ほな私は行くな。………堪忍してや」

「!!!」


ゆるりと困った様に笑って、勝呂に背を向けて何処かへと向かおうとする達磨を、もう勝呂には呼び止め、引き留める手段は無かった。そんな誰もが事の運びを見守っている中、するりと人の間をすり抜けて前へと出た人影を、は止めはせずに見送った。










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