「待て」


其れは、立ち去る達磨の肩を強引に引っ掴み歩みを強制的に止め、真っ直ぐと勝呂を見据えていた。其の瞳には、怒りと悲しみが滲むのを、は気付いていた。


「…ん!?げっ、アイツまたいつの間に」


知らぬ間に手を離れて出て行ってしまった燐に困惑するシュラを尻目に、は燐を見つめ、見守る。突然現れた燐に勝呂は驚きを隠せずにいて、燐はそんな勝呂から達磨へと振り返ると、きゅっと強く更に力を込めて、燐は達磨の衣服を握り締めるのだ。


「何で行くんだよ!アンタ勝呂の父ちゃんだろ!!」

「燐くん…」

「それに、勝呂てめェは!!」

「!!??」


咎める燐に歯切れの悪い返事をする達磨は、如何やら燐とは顔見知りらしい。戸惑う達磨を尻目に燐は勝呂へと振り返ると同時に、燐の右拳が僅かに青い炎を纏って勝呂の頬を殴りつけた。


「ぼ、坊!!」

「今、何か光らんかったか…?」


殴られた衝撃で吹っ飛ぶ勝呂の身体、動揺が走る集まっていた祓魔師達の中には、燐の炎を目撃した者もいる。其れが、サタンを連想させる青い炎だったと認識した者は幸いにも居ない様だったが。


「………なん」

「詳しい事情は知んねーけど、後でお前が絶対後悔するから言っといてやる。いいか!父ちゃんに謝れ!!今のうちに!」


殴られた衝撃で切れたのか、口の中に溜まる血を吐き出して、勝呂は拳で口元を拭う。燐は勝呂に吠えた。燐だからこそ、育ての親を失った燐だからこそ、勝呂の言動が燐にはどうしても許せなかったのだ。


「関係ないやろうが!!!!黙っとけや!!」

「親父を簡単に切り捨てんじゃねえ!!!!」


激しい口論、其れはお互いに一歩も退かぬから起きるものだ。無関係なのだから口出しをするなという勝呂の言い分も分かれば、失ってからでは後悔するのを知っているからこその燐の言い分も、何方も痛い程に分かる。勝呂は奥歯を強く?み締めると、苦々しく絞り出した様な声で燐を睨み付けながら言うのだ。


「お前に言われたないわ。サタン倒す言うてる奴に…!!」

「!」

「まあまあ燐くんも竜士も。ここらで仲直りや。なぁ」


喧嘩を始める二人の仲裁に入ろうと達磨がやんわりと声を掛ければ、其れが引き金となる。沸き起こる言葉を止める手段は、既に勝呂には無い。出てくる言葉を其の儘、感情のままに唯々吐き出すのだ。


「…アンタは何処へでも好きに行ったらええやろ。二度と戻ってくるな!!」


とても、悲しい言葉だった。言われる側も勿論、言った側も、其れが現実となって帰らぬ人となった時、どれ程苦しい思いをするか。未だ若く経験の無い勝呂には、理解出来ない事なのだろう。


「…カッコいい奴だと思ってたのに…見損なったぞ…!!勝呂ォ!!!!」


ふつふつと、込み上げてくる怒り。其れに比例する様に燐の身体から青い炎が溢れ出す。怒りで抑えが利かなくなった炎は燐の全身を包み込み、其れを目の当たりにした祓魔師達には動揺が走る。


「な、何だあれは…!」

「どうなってる!?」

「ちょと、どいてどいて!やめろ燐!!!止めろ!!」


困惑、動揺、恐怖、其々抱き露わにする感情は人其々。祓魔師達を押し退け、燐へと駆け寄ろうとするシュラが声を上げて燐に制止を呼び掛け、に指示を飛ばすのだが、はそんなシュラを一瞥するだけで何一つ行動を起こす事は無かった。


「俺だってなあ…!!」

「…くっ、オンバサラギニネンハタナソワカ!!」


炎を纏い、拳を握り、真っ直ぐ勝呂へと向かって突っ込む燐を見据え、的確に印を結び唱える勝呂は意外にも冷静だ。浮かび上がる魔法陣は燐の拳から勝呂を守り、二人は激しく睨み合う。


「俺だって…好きでサタンの息子じゃねーんだ!!」


勝呂の術を、単純な力技で突き破り、燐の拳からは炎が消えて勝呂の胸倉を掴み上げる。締まる首、余裕の無い燐の顔を直ぐ間近で見て、勝呂は息を呑んだ。


「でもお前は違うだろーが!!違うだろ!!」


子は親を選べない。燐はサタンの子ではある事実は変えられないが、其れでも燐は己の父は獅郎であると思っている。本当に獅郎の息子で、唯の人間として産まれていれば、燐は本当に幸せだったのかもしれない。大切な人を、父を、顔も知らぬ記憶すら無い本当の悪魔の父によって目の前で失った燐の悲しみは、きっと勝呂には伝わらないだろう。けれど、何かを感じる事は出来る筈だ。何だかんだ、燐と勝呂は同じ野望を抱く、似通った所があるのだから。


「坊!!」

「わっ!?」


勝呂の危険を察知し、錫杖を振り下ろしながら飛び出した柔造と共に、同じく素早く其の間、燐の前へと躍り出たは、片手で押し退ける様に燐を後退させて冷静な目で柔造の次の出方を窺う。直様錫杖を構え直す柔造に、も対処すべく身を構えると、柔造との瞳が交差した。


「柔造…!」

「立ち入ってすんません。ここは一先ず逃げて下さい!」


勝呂の安全を第一に優先させる柔造と同じく、燐の安全を第一に優先するは、後ろで守る二人が動かぬ内は互いに仕掛ける事は無い。緊迫した空気が流れる中、漸く騒ぎの中心へと辿り着いたシュラは素早く印を結び唱えた。


「オン!!マニ、バド、ウン!!」


連動する様に光を放ち、締め付ける力が加わる燐の尻尾に付けられた金の装飾品。途端、身体に走る衝撃に燐は表情を一変させると其の場で絶叫を上げるのだ。


「ぃぎゃああああッ」

「奥村!!」

「うううぐぐぐ」

「オン。ギャチギャチギャギチヤンジュヤンジュタチバナソワカ!」

「…うぅ、ぎゃあ゛あ゛!!!」


突然苦しみだし、膝をついた燐に咄嗟に声を掛ける勝呂は心配している様にも見える。其の間にもシュラは印を解く事も詠唱を止める事はなく、燐は唯ひたすらに苦しみ続けた。脂汗を滲ませ、息を切らす燐を見下ろし、漸く呪を解いたシュラがそっと燐の隣に膝を着き近寄れば、其の耳元にそっと顔を寄せるのだ。


「燐、燐。懲戒尋問で決まった条件を忘れたか?次炎を出して暴れたらお前は祓魔対象として処刑されるんだぞ。落ち着くんだ…!」

「…ま、大事な…話ししてんだ。邪魔す…なブス!」


シュラの牽制は聞き入れられず、燐から返されたのは最もシュラには禁句とも思われるワードだ。明らかに表情を一変させて青筋を浮かべたシュラは素早く立ち上がり印を結ぶと、嫌がらせの如く、容赦無く再び詠唱を始めるのである。


「オン。ギャチギャチギャビチヤンジュヤンジュ」

「い゛ッ…あ゛あああッ」


再び絶叫を上げ、耐え切れず飛んだ意識に燐が受け身もままならず冷たい床に倒れ込むと、気絶した燐の名を何度も呼びながらクロが燐へと駆け寄った。其れを悲しげな瞳で見下ろすシュラを尻目には柔造に向けていた構えを解くと、柔造も一先ず燐が動かなくなった事や、警戒を解いたを見やって、錫杖を下ろし肩の力を抜くのである。


。お前なんで直ぐ燐を止めなかった。力ずくにしても術を使うにしてもお前なら直ぐに出来ただろ」


突如、肩を掴まれ視線を向ければ、肩を掴んだ張本人であるシュラが眉間に皺を寄せながらに問い掛ける。確かに、シュラの言う通り直ぐに燐を抑えていれば、炎は使われる事も無く、こうも大事になる事も、今後、燐の身の危険に晒される事も無かった。何故だ、そう言わんばかりのシュラの視線に、は小さく息を吐いて答えるのである。


「大事な話に水を差すのは野暮よ」

「…燐が処刑されてもいいのか?」

「処刑される前に全員殺すだけ」


あまりにも簡単に言ってのけるを、今更恐ろしく思う事は無い。けれど冗談でも無い本気の言葉だとシュラは知っているから、ただ笑い飛ばす事も出来なかった。はぁ、なんて大袈裟に大きく溜息を吐いて何とか己を落ち着かせる。気を取り直してシュラはの肩から手を離すと、傍観に徹している祓魔師面々に振り返り、にこりと笑みを浮かべるのだ。


「おーい。誰か!コイツを隔離するの手伝ってちょ。もう気絶してる、大丈夫だよ」

「霧隠隊長…!ゴホ」

「所長!お騒がせして大変申し訳ありません!」


祓魔師達の中から一歩前へと踏み出した八百造は、が昼過ぎに見た時よりも状態は悪化している様に見える。にこやかに、でもどこか胡散臭い、貼り付けた笑みで八百造に上辺だけの謝罪を口にするシュラを、八百造は一度口腔内に溜まった生唾を飲み込んでから、重たい口を動かし、最早拒否権の無い、返事は一つしか用意されていない問いをシュラへと投げ掛けるのだ。


「…この件、後で当然ご説明があるんでしょうな」

「ハイ。もちろんです!」

「…ならいいですわ。来い、柔造。ゴホッゴホッ」


シュラの良い返事に一先ず納得し、柔造を呼び付け、僧正血統である宝生家であり、京都出張所深部部長も務める蟒の肩を借りながら、八百造は咳き込みながら踵を返す。そんな八百造に従い駆寄りながら、柔造は納得いかないとばかりに声を上げるのだ。


「な…ちょお待ってください。あの炎は…!!」

「柔造、今一番優先すべきは右目の行方や」


駆け寄る柔造を更に近くにとでも言う様に手招きする八百造は、周囲には聞こえぬ様にと小声でなにやら柔造に話す。そんな志摩親子のやり取りを尻目に、は倒れた燐の隣に膝を付く。胸は小さく上下に動き、気を失っている燐の頭を、は優しい手付きで撫でた。


「霧隠さんは燐くんの保護者なんやろか?」

「んにゃ!?」


顔を上げればシュラの背後に歩み寄る達磨がおり、達磨はシュラ越しに一度燐に触れるを見ると、何故か少し優しげな表情を浮かべ、懐から封筒を取り出すと其れをシュラへと差し出すのだ。


「この手紙を…燐くんに渡しといてもらえんやろか」

「はぁ…?」

「燐くんによろしぅな」

「オイ!!」


差し出された手紙を受け取り、曖昧な返事をするシュラに、達磨はにこりと笑い、次いで、達磨の手がシュラの尻を撫ぜる。直様、後ろ回し蹴りを繰り出したシュラだったが、其の蹴りは簡単に避けられ、達磨はふわりと闇の中へと消えて行くのだ。只者では無い身のこなし、伊達に大僧正の名を持つ訳ではないという事だ。


「我々が運びます」

「離れてください」


シュラの指示で燐を運ぶ為に近付いて来た祓魔師達が、を下がらせる。素直に従い立ち上がって一歩下がるは、丁重に運ばれて行く意識の無い燐を唯黙って見送った。悲しげに鳴き、足に擦り寄るクロが、軽く地を蹴り飛び上がっての肩へと留まる。頬に擦り寄るクロの顔を撫でながら、は後方に振り返れば、呆然と運ばれて行く燐を見送る勝呂と目が合った。


「少し考えてみると良い」


が言葉を投げ掛けてくる事を想定していなかったのか、はたまた、其の言葉の意味を理解出来なかったのか、勝呂は動揺した様にたじろぐ。


「どうして秘密を守り抜こうとするのか」


言うまでもない、其れは勝呂の父である達磨の事だ。の言いたい事は勝呂に正確に伝わった様で、勝呂は難しい顔となる。彼なら分かるだろう。何と無くにしても。何せ、親子なのだから。


「頬は痛む?」

「…まあ、」

「治さないよ」


燐に殴られ真っ赤に腫れた頬は聞くまでもなく痛むだろう。無意味とも言える質問をすれば、歯切れの悪い勝呂の返答に、間髪入れずは言った。其れに、勝呂が目を丸くするのである。


「其の痛み、未だ感じていた方が良い」


燐が己の身の危険を顧みずに与えた痛みは、勝呂の心に大きな変化を与えるに違いない。必要な痛みを、わざわざ消してやる必要は無いのだ。其の痛みを未だ其の身をもって感じているが良い。そして、痛感すれば良いのだ。


「シュラ!何だよ雪男かよ…お前、そっちはどーした?こっちは大変な事に…え?」


いつの間にか携帯で電話をしているシュラが間抜けな声を上げていた。通話の相手は別行動を取っている雪男からの様で、どうやら向こうでも問題があったらしい。事態は深刻の様だった。










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