「シュラさん。…も一緒だったんだね」

「アタシの判断だ。最悪、手を借りる事になるかもしれないからな、情報の共有はしておいて損はないだろ」


雪男に駆け寄るシュラの後に続けば、神妙な面持ちの雪男の目がシュラからへと移る。其れを頷きながら連れて来た理由を簡潔に述べれば、雪男は複雑な表情ではあるものの、一応は納得した様だった。からすれば、ただ着いて来ただけであり、手を貸す借りる云々は初耳だったのだが、特に断る理由もないので、そういう事にしておいた。


「どういう事だ?」

「妨害電波で連絡が遅れました。それよりこっちは大変ってどういう…」

「左目奪還部隊隊長ターセム・マハルです」

「増援部隊隊長の霧隠っス」


雪男とシュラが早速本題へと切り出した所で、すっと割り込む様に雪男の部隊である隊長のターセムがシュラへと名乗り手を出した。シュラも己の名を名乗り、出された手を握り返せば、覚束ないふらりとした、そんな足音が静かに近付いて来る。


「京都出張所所長、志摩八百造です。歓迎いたします」


安定感無く体を揺らしながら名乗り、歩み寄って来たのは八百造だった。顔色は頗る悪く、体調は悪化する一方の様だが、だからと言って今は大人しく床に伏せている場合では無いのである。


「責任者が揃ってるこの場で早急に会議したいんやけども、宜しいか?」

「構いません」


玄関ホールの備え付けられたテーブル席を指しながら、八百造が問えばすかさずターセムが頷き肯定する。事態は一刻も早く対処しなければならない状況、何せ時間が惜しいのだ。ふと、八百造がシュラの隣に佇むへと目を向ける。候補生であるが此処に居る事に眉を顰めたのを見やって、シュラは自然にを招く様に手を翳せば、八百造へと強気に言うのだ。


「志摩所長、彼女も同席させて下さい」

「ああ…、ええでしょう」


シュラの強い眼差しに何かを感じ取ったのか、会議の内容としても特に聞かれて困るものでは無い為、八百造は割とすんなりと頷いた。テーブル席は椅子が三つあり、八百造、ターセム、シュラが腰掛け、其の周囲を囲む様にターセム部隊や京都出張所の祓魔師、そしてが立って控える。


「お恥ずかしい話しながら此の京都出張所も内通者によって右目を奪われました。先の未遂事件もその者による可能性が高い。名前は宝生蝮、中一級祓魔師。深部一番隊隊長でした。現在蝮は藤堂の協力を得て逃亡中です」

「なるほど。…ではもう既に敵は右目と左目を手にしているという事ですね」

「な!?」

「実は我々が追わされていた軽自動車は囮でした。車内で祓魔師二名が死体で見つかり、しかも妨害電波までかける徹底ぶり。この入念な時間稼ぎは恐らく…藤堂はすでに左目を所有していると考えるのが自然かと」

「何てこと…や…!!」


八百造が内通者であった蝮の情報を纏めた冊子を顔写真付きで提出すれば、其れに目を通しながらターセムが左目が既に藤堂の手中にある事を明かす。驚愕を露にし、絶望に顔を真っ青にさせた八百造に、ターセムの後ろに控えていた雪男が口を開いた。


「志摩所長。すみません、お話の腰を折りますが不浄王の右目と左目とは一体何なんですか?」


雪男だけじゃない、ターセムやシュラの視線を一身に受けながら、暫しの沈黙後、ゆっくりと八百造は語り出した。


「150年余り明陀宗が何重もの“秘密”で守ってきたものです。我ら上の者ですら在り処を明かされず下の者にはその存在すら伏せられとる。全ての“秘密”を知り、守ってはるのは座主である勝呂達磨大僧正、ただお一人だけや。代々明陀宗の僧正位だけに伝えられる“不浄王之理”によると…右目と左目が揃う時、より強毒な新しい瘴気を生み出すといわれとるんや」


八百造から明かされる衝撃の話に其の場の空気が変わる。現状は想像以上に深刻で、此れから起こるであろう出来事は、とてつもなく大きな被害を生むことだろう。


「それが奴らの目的だとしたら…!」

「兎に角、藤堂と宝生蝮を見つける事が先決だ」


動揺を隠しきれないターセムの隣で、行儀悪く片脚を立ててシュラが右目を奪って行った藤堂と蝮の捜索を最優先にと言えば、同意見なのか八百造は深く頷いて現状報告をするのである。


「現在心当たりを当たらせとるが、なんせ霧のよに掻き消えてしもたから足取りは全く掴めとらへん」

「最悪の事態に備えて医士部やその他各部署も応援要請すべきでは」


八百造によると捜索はされている様だが足取りは掴めていない様で難航しているらしい。ターセムがすかさず八百造に応援を要請するべきではないかと会議が進む中、シュラは顔だけを後ろに振り返らせてと目が合うと、近付けと言わんばかりに人差し指を立てて呼び付ける。素直に応じて隣に立てば、シュラが顔を寄せてきたので、も身を屈めるのだ。


。お前の術で藤堂と宝生蝮の居場所は探索出来ないのか?」

「…難しいね。此の辺りには居ないみたいだし」


耳打ちされた言葉には、残念だが手段は無い事を簡潔に伝える。近くに二人の霊圧は感じれないあたり、随分遠くまで逃げている事は判明しているが、盗んで早々見つかりやすい近場に居る筈が無いのでの報告は意味の無いものに等しかった。



















会議が終わり、シュラと雪男、は燐が閉じ込められている出張所の監房に出向いていた。檻の中で横たわる燐は既に意識を取り戻しているらしく、檻の前で立ち止まったシュラや雪男、をゆったりと見上げる。


「少しは頭冷えたか?」

「シュラ…」


両手をついて身を起こす燐に屈んで様子を伺う様にシュラが燐を見つめる。其の後ろで何とも言えない表情の雪男がおり、隣では相変わらず無表情のが突っ立っていた。


「体は平気か」

「まだ力入んねぇけどなんとか…動けるよ…」

「じゃあこれは読めるな」

「?なんだ、手紙…?」

「さっき勝呂のお父さんからお前に渡して欲しいって頼まれたんだよ」


本調子ではなさそうな燐にシュラが檻の向こうから差し出したのは一通の封筒だ。其れはつい先程、達磨から預かったもので達筆な字で宛名が書かれている。本来は郵便に出すつもりだったのだろう、切手の貼られた其れはポストに投函される事なく、こうしてシュラの手から届けられた。


「何で俺に…?」

「まあいいから読んでみろ」


其の場に腰を下ろしたシュラに、燐は恐る恐ると封筒を開けた。中から出てきたのは四つ折りの数枚の紙で、燐は書かれた文字を追う。が、一向に朗読はされず燐の表情は険しくなるだけだった。


「…?読めん」

「はぁ!?…ったく字ィ読めん奴だとは思ってたけど…のっけからかよ!ったく最近のゆとり世代?ってヤツは…」


読めないと言う燐に呆れながら、渡したばかりの手紙を奪い返しシュラは縦書きに記された文字を追った。筆で書いた文字はぎっしりと紙に詰め込まれる様に記されており、シュラは目を引ん?いて声を荒げるのだ。


「ウッソあたいも読めん!!」

「お前もじゃねーか!」


燐に続き読めないと言うシュラに、後ろから覗き込む様には手紙の内容へと目を落とす。成る程、二人が読めなかった理由が分かり納得した。


「草書だね」

「読めんの?」

「主に書く文字はこれだったし」

「まじか」


現代では滅多に見られなくなった文字は、をとても懐かしい気持ちにさせる。此方に来てからは筆を持つ事は無くなったし、書く文字も変わった。読めるのならと、シュラがへと手紙を差し出せば、其れを其のまま雪男へと流しては言うのである。


「雪男も読めるでしょ」

「一応読めるけど」

「任せた」

「んじゃ通訳頼むわ雪男先生ー」


読むのが面倒なと、読んでくれるなら誰でも良いシュラが便乗して、雪男は一見暗号にすら見える手紙を読み始める。其の内容は達磨の昔話から始まった。遡る事、燐や雪男が生まれる少し前の事。雪が降り積もる冬の時期、未だ若かった己が身重で病みついてしまった妻が日に日に弱っていくのを何も出来ずに見ており、とても追い詰められていた時、空から鳥の化け物と共に落ちてきたのは、眼鏡を掛けた短髪の男で、明陀の本尊である降魔剣を貰うと宣言してきたのだという。此れが藤本獅郎と勝呂達磨の最悪な出逢いだったと、手紙には記されていた。


「まさか降魔剣が明陀宗の本尊で。其処に神父さんと接点があったなんて…」

「早く続きを読め!」

「は…はい」

「しっかし嫌な予感がしてきたぜ」


シュラに急かされて慌てて雪男は再び手紙の朗読を始める。降魔剣。明王陀羅尼宗の本尊として伝わる魔剣、またの名を倶利伽羅。今から150年ほど昔、不浄王という疫病をもたらす悪魔が現われ日本中に蹂躙した頃、明陀の祖、不角は此の剣に伽樓羅と呼ばれる火の悪魔を降ろし、其の火の力によって不浄王を倒したとされる。以後明陀宗は代々に渡り此の剣を本尊とし、残った右目を封印して俗世から遠ざけるのを固い掟としたらしい。出逢った頃の獅郎は重傷を負っており、そのまま倒れ、達磨は寺に獅郎を運び手当てを施したそうだ。其の際、獅郎は寺で妻と同じ病に苦しむ人々を全員救ったのだという。的確な指示、迅速な処置。休む間もなく獅郎の言う通りに働き、寺の中を駈けずり回った。仏との対話を続けど続けど祈り続けても一向に変化の無かった状況が、藤本獅郎という上一級祓魔師が現われた事で一変したのだ。結局、病人が皆癒えた頃に獅郎は達磨の父に当たる男の命により命を狙われる形となり、寺を飛び出し、其の後を達磨は降魔剣を片手に追いかけ逃走の手引きをし、獅郎に降魔剣を手渡して別れたのだという。その数ヵ月後、“青い夜”が起こり達磨の父は座主と明陀の本当の“秘密”を達磨に託して死亡。其の“秘密”とは、150年前に打たれたと伝えられていた不浄王が御堂の地下に眠っている事。そして最後にこう綴られる。降魔剣を使って不浄王を倒して欲しい、と。


「フックックック…思った通りのとんでもない内容だった」

「…しかし、勝呂くんのお父さんには悪いが兄さんの炎が不浄王に有効かどうかは推測でしかない。こんな不確かな根拠で剣を使わせる訳にはいかない」


手紙を読み終えた頃、シュラの口から零れたのは笑い声だった。歯を食いしばり、引き攣った表情で決して笑顔なんてものでは無かったが。達磨の希望には添えない事を申し訳なく思いながら雪男は手紙を四つ折りに戻すと、其れを横から掻っ攫う様に立ち上がったシュラが手紙を取り上げれば、シュラは未だ床に座ったままの燐を見下ろした。


「燐、これはお前に宛てられた手紙だ。お前はどうしたい?」

「俺は…俺は助けたい」

「兄さん!!今の自分の立場が判ってるのか!?」


シュラの問いに燐の頭が徐々に下がりだす。項垂れるように俯いた後、燐の口から零れたのは燐の本心からの言葉だ。しかし素直に其れが受け入れられる訳もなく雪男が声を荒げれば、燐は分かっていると言わんばかりに言った。


「…俺も親父に命を助けてもらった…。だから、俺が何かの役に立つっつーなら戦いてーんだ!!でも勿論あくまで俺の希望だよ!」

「じゃあその希望は却下だ」

「よし、判った」


却下と告げた雪男の隣で、あっさりと承諾したのは言わずもがなシュラである。雪男が信じられないとばかりに勢い良くシュラへと振り返れば、燐から没収していた降魔剣をシュラは胸元の刺青から丁度取り出そうとしていた。


「シュラさん何を…!!」

「戦うってんなら状態も判らず許可できにゃいにゃろー?今ここで抜いてみてもらう」

「シュラさん…!!」


降魔剣を燐へと手渡そうとすれば、素早く鞘を掴んで止める雪男の顔に余裕の色は無い。全ては兄である燐を案じての行動だ。


「つい今しがた炎を出して暴れたばかりの兄に…降魔剣を握らせるなんて正気じゃない!次何かあれば今度こそ必ず処刑される!!」

「あのな、禁固呪を唱えた時点でもうヴァチカンには伝わってる。既に何時でも難癖つけて処刑出来る状況なんだよ。今更ビビッても手遅れだ、それにいいか?不浄王が復活して今まさに存在してるとしたら現時点で燐なんかより危険な存在なんだ。それにお前もさんざ見てきたろーが、こいつの炎は今まで悪魔に有効だった。試す価値はある…!」


なかなか離そうとしない雪男から強引に降魔剣を取り上げ、シュラは雪男を言いくるめて降魔剣を檻の向こう側へと差し出す。突き出された降魔剣、其れを見上げて燐は続いてシュラを見た。


「燐、抜いてみろ!」


目の前には変わらず手の届く距離に降魔剣がある。其れを力強く握って受け取れば、左手に柄を、右手に鞘を持って燐は剣を抜く構えを取る。が、降魔剣の刀身が鞘から現れる事はなく、不穏な空気を感じ取ってシュラと雪男が堪らず声を掛けた。


「…どうした?」

「何やってるの兄さん…!?」

「いや…う゛う゛お゛お゛おおおお?ぐぎぎぎ!!」


明らかに力を込めて抜こうとしているが、一向に刀身が現れる様子の無い降魔剣。次第に燐は息切れをしだし、どれだけ力を込めて抜刀しようとしているのかが伝わってくるのだ。


「???わかんね…抜けない」

「えぇ!?」

「?…どーゆーことだ?」

「わ…わかんねーよ、何でか全然抜けねーんだ!」


抜けないと主張する燐に、雪男は戸惑い、シュラは思案顔だ。は我関せずといった風に傍観の姿勢を崩さない。絶えず抜刀を試みる燐を見下ろし、シュラは何か思い当たる事に気付いたのか閉ざしていた口をゆるりと開いた。


「じゃあアタシが変わりに抜いてやる。貸してみろ」

「………じっ、自分で抜ける!多分どっかが引っ掛かってんだ、そーだ絶対!」

「兄さん?」

「…成程な…」


シュラが渡せと言えば、燐も渡せば降魔剣は再び渡される事は無いと察してか、握った降魔剣を手放そうとはしない。そんな燐に疑問を抱く雪男の隣でシュラは推測が確信へと変わると、隠しもせず其れを燐へとぶつけるのだ。


「燐、お前怖いんだろ」

「えっ」

「ま…当然だよなー?ついさっきやぁーっとまともに炎操れたって大喜びしてたのに、それから一時間も経たない内にまた感情任せに炎を出して大暴れだもんな。あっという間に振り出しに逆戻りの気分なんだろ」


やれやれと両手を振りながら、シュラは的確に燐の心情を見抜いて語る。言い返す言葉も無いのか燐は薄く口を開いたまま硬直してしまって何も発する事は無い。其れを見やりながらシュラは更に言葉を重ねるのだ。


「“今度この剣を抜いたら俺はどうなってしまうんだ?”“また我を忘れてしまうかもしれない”“今度こそ誰かを傷付けるかも判らない”」

「そんなことは…」

「図星だろ。お前、完全に自信を失くしたな」










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