けたたましい破壊音と共に煙を上げて牢を内側から打ち破って出てきた燐。鉄屑となった牢だった破片が音を立てて崩れ落ちるのを、牢が破壊された事に突如現われた燐や、動ける様になった身体に驚きながらも、五体満足の燐の姿に其々がそっと胸を撫で下ろした。


「!!みんな助けに来てくれたのか!?」

「ぼ、僕は奥村くんに死んでもらったら困るんや」

「!」


いざ牢から出てみれば、目の前で皆同じ衣服を纏う塾の仲間達が勢揃いしており、今度は燐が驚く番だった。牢を打ち破るのに炎を使ったのだろう、身体からチリチリと音を立てて出る青い炎は役目を終えて消火されていく中、徐に口を開いたのは、この面子の中では最も燐を避けていた子猫丸だ。


「危険やないって判ったら、仲直りするんやから」

「子猫丸…!!」


まるで感動のワンシーンの様に、和解した二人はじっと見つめ合っていた。眉を下げて熱い眼差しの燐は、其れがどれだけ嬉しく思っているのか表情を見れば一目瞭然である。心なしか、其の瞳が潤み出していたのは恐らく気の所為では無い。


「言っておくけど私は霧隠先生の指示に従っただけだから!」

「あ、俺?俺はかなりイヤイヤ来た。褒めたってや」


空気をぶち壊さんばかりに子猫丸と同じ理由で来たわけでは無いと主張する出雲は素直じゃ無い。続いてへらへらと笑いながら言ってのけた志摩は相変わらずの態度だったが、其れでも燐が胸に抱くのは理由は其々違っていても来てくれた事に変わりは無く、助けてくれたという感謝の気持ちだった。


「み…みんな、とにかくありがとう!!ギャッ!?」


滲む涙が頬を伝おうとした矢先、鋭く燐の脇腹に突き刺さった何か。其の衝撃に燐の身体はくの字に曲がり、燐の瞳からは涙が引っ込む。振り返り、衝撃を与えた何かを確認すれば並々ならぬ雰囲気を纏う勝呂が燐を見下ろしていた。


「す…勝呂…サン…!」

「…親父の件に関しては俺が冷静やなかった…。お前の言う通りや、親父の件に関してはな!戦うんやったら必要やろ、持ってけ!」

「お、俺こそ殴ってスマン…」


はっきりと言葉にされたわけでは無いが、其れは勝呂なりの謝罪だ。差し出された降魔剣を受け取りながら、燐も殴った事に対しての謝罪を口にすれば、勝呂は其れを聞き入れた後、素早く踵を返す。


「金剛深山までは案内する。後はお前の勝手や好きにしい。俺は俺で戦うさかい」


背中を向けた勝呂を見て、燐が下唇を噛む。そして意を決して再び開いた口は勝呂へと訴え掛けるのだ。


「勝呂、俺を信用してくれ」


其の言葉に歩を進める勝呂の足が止まる。そんな勝呂に聞いてくれと言わんばかりに、すかさず口を開いた燐は、更に言葉を続けるのだ。


「サタンの子なのは変えらんねーけど、必ず炎を使いこなしてみせる。だから俺を信じてくれ!!」

「そんなんどうでもええんや!!」

「!?」

「…俺がお前許せんのは、そおゆう事、全部一人で背負い込んで…。先に他人扱いしとったんがお前の方やからや…!そんな奴どう信じろっちゅうんや」


声を荒げた燐に負けじ劣らずの両断する声。燐に背を向けたまま話し出した勝呂の言葉を燐はしっかりと耳を傾けて聞いた。其れは何一つ、燐が知らなかった勝呂の抱いていた本心だった。


「味方や思っとったんは俺だけか!!!」


振り返り見えた勝呂の横顔は怒りに満ちていて、其の表情が印象的で燐は目を見開くのだ。そして直ぐさま背を向けて歩き出した勝呂に向かって燐は慌てて弁解するのである。


「ちっ、違う!!そんなつもりじゃ…!」

「つーかそんな理由!?それで怒っとったんか…!はぁー、斬新やなほんま」

「志摩さん…」


勝呂からの返答は無く、ずっと勝呂の機嫌が悪かった理由を此処に来て初めて知った志摩が勝呂を追って歩き出す。気の抜けた言葉を零した志摩に困った様に名を呟いた子猫丸も続き、其の後ろを出雲、燐、しえみと続いた。薄暗く細長い廊下を突き進みながら、燐は幼い頃から共に育った少女の姿が見えない事に気がつくと、歩む足を早めて勝呂の隣へと並び、直球で問うのである。


「なぁ、そういやは?」


何時もなら、真っ先に飛んで来てくれそうな少女が居ない。其れがやけに引っかかりを覚えて嫌な予感を感じながら勝呂に問う。けれど返って来たのは勝呂からでは無く斜め後ろを歩く子猫丸からだった。


さんなら先に不浄王の所です」

「えっ!?」


其れはあまりにも予想外で、衝撃的で、燐は戸惑いの声を上げた。何故、と更に問いを重ねる事は無かったのは、其の前に勝呂が口を挟んだからである。


「お前の為や」


燐の目が勝呂へと向く。何故、俺の為?そう言っている瞳が勝呂を映し、ひしひしと其れが伝わって来る。廊下の突き当たりまで来れば勝呂は監視が居ない事を確認してから独房内から出て出張所内へと足を踏み入れた。其の後を皆が追う。


「お前の為にさんは他の祓魔師と一緒に前衛に行ったんや」

「俺の為って…何でそうなるんだよ!?」

「お前を処刑にさせへん為やろ」


愚問だと、あの無口で表情の乏しい彼女を、死神を突き動かす理由なんて、其れ以外に無いだろう、其の事は一番お前が分かっているんじゃ無いのか?横目に燐を見る勝呂の目は、そう言っていた。出張所を出て外へと出れば、緑生い茂る森の中を突き進み、立ち止まる。前方に見えるのは禍々しい姿をした復活した不浄王の姿だ。


「行くで!目指すは洛北金剛深山!倒すは不浄王や!!!!」



















不浄王との距離を保ったまま、招集された祓魔師達が慌ただしく不浄王討伐に向けての準備を続ける。其の一角、両膝をついて神妙な面持ちで銃に弾丸を込め、意識を集中させる雪男を見つけた時、は真っ直ぐ雪男の元へと向かって行き、彼の目の前で立ち止まった。顔を上げた雪男が訝しむのを見下ろしながら、は其の頭に向かって手を伸ばし、触れる。


「…何?」

「別に」


雪男の頭を何度も何度も撫でてやる。まるで母親が我が子を慈しむ様に。今宵はどうも風が強い様で、不浄王から発せられる瘴気が風に乗せられて飛んで行く。瘴気の影響は此の山だけでは留まらず、街の方にまで広がっているだろう。


「燐は大丈夫」


困惑しつつも撫でられるがままの雪男には優しい声色で言った。僅かに目を大きく見開く雪男は呆然とを見上げる。ふっと溢れる優しい表情。


「雪男もね」


大丈夫だと、微笑むは何度も何度も雪男の頭を撫でた。程なくして周囲の視線を集めている事に気付いた雪男が照れ臭そうに視線を下げて、もう良いから、と呟けば、素直に降ろされるの手。瘴気と共に舞う木の葉が目の前を掠めて舞い上がった。


。ちょっとこっち来な!」


高く結った髪を靡かせたシュラが離れた場所からに向かって手を振り呼ぶ。雪男から離れてシュラへと歩み寄れば、シュラは短いデニムパンツから髪紐を取り出すと其れをへと差し出す。強い風はの纏う学園指定の制服のスカートだけでなく、下された髪までも舞い上げて揺らしていた。此れからの戦いに備えて、邪魔にならぬ様に髪を結んでおけという事だろう。有難く髪紐を受け取り、シュラ同様高く一つに結い上げれば、シュラは目で眼前に見える巨大化した其れを指した。


「どうだ?」

「どうもなにもデカい」

「アタシも生まれて初めて見るよ」


どんどん巨大化していく不浄王は、見た目も禍々しく、森を飲み込んでいき、空高く伸びていく。こんなものを見た事は一度も無い。


「いけそうか?」

「何とも」

「まいったな」


いけるかどうか、なんて見ているだけでは判断出来る筈も無く、シュラとは呆然と立ち尽くして不浄王を見上げていた。シュラはの曖昧な返事に溜息を吐き出すが、とても困った様に見えないのは想定していた反応だったからだろう。


「霧隠隊長!所長がお呼びです」

「ほえほえ、案内してちょー」


出張所勤めの祓魔師が声を上げてシュラを呼べば、応じるシュラはを無言で手招きし、は其の後を追う。案内の役を負わされた出張所勤めの祓魔師はシュラを連れて八百造の元へと歩き出せば、嫌でも視界に入る不浄王に眉を下げて力無く笑った。


「みんな内心怯えとりますわ。こないな大きな悪魔と戦うのは初めてやゆうて…」

「まあ大きさとか慣れだよにゃー」

「さ、さすがはヴァチカン本部所属の上一級祓魔師さん!心強いですわ!!」

「いや、しっかしこんな化け物生まれて初めて見たけどな!」

「え?」


頭の後ろで手を組み歩くシュラの言葉に、ぱっと顔色を明るくさせて笑った祓魔師だったが、続いてシュラが零した初めて見るという言葉に驚愕の声を上げる。やはり此の悪魔、簡単にはいかないかもしれないと再び恐怖に真っ青になる祓魔師を、はほんの少しだけ気の毒に思うのだ。程なくして八百造の元まで辿り着くと案内役の祓魔師はシュラに一度頭を下げてから己の配置に戻って行った。


「で、何をするつもりです」

「不浄契金剛、烏枢沙摩を召喚します。烏枢沙摩を召喚するには上級以上の手騎士十人以上の詠唱が必要。霧隠隊長にも是非御協力願いたい」

「ウチシュマー、火天か…。確かに味方だったら心強いが、さて…」


八百造の前には丸太を組み上げた作られた大きな焚き火があり、祓魔師達が火の燃料となる枝を炎の中へと投げ入れていた。何やら始めようとしている八百造にシュラが問い掛ければ、八百造は一度頷いてから上級悪魔である烏枢沙摩を召喚するつもりである事を明かし、詠唱の協力をシュラに求める。召喚出来れば心強い味方になるであろう烏枢沙摩に協力を快く承諾したシュラは早速詠唱を始めようと配置につこうとするのが、ふと立ち止まってに振り返るのである。


「そういや手騎士の素質があるらしいな」


素質というのは、過去に一度ネイガウスの授業で地獄蝶を出した事から言っているのだろう。其の後、花太郎を召喚した事は教員の誰も知らぬ事なので、公で召喚した地獄蝶を指しているのは間違いないのだが、其れが一体何だと言わんばかりには片眉をつり上げれば、シュラはあっけらかんと言ってのけるのだ。


「とりあえず何か召還してみろ」

「魔法円の略図なんか持ち歩いてない」


遠回しに召喚を拒否し、は強風の所為で目の前を動き回る前髪が鬱陶しくて目を細めた。未だ、地獄蝶の召喚だけなら良いのだ。


「それに大したものは出せない」


が召喚を拒むのは、花太郎をこんな場所に呼びたくは無かったからだ。とても優しくて臆病な彼を、こんな危険な、其れも死神の任務とは全く関係の無い別世界の戦いに巻き込みたくは無いのだ。


「今は一人でも多く人手が、それも力のある奴が必要だ。分かるだろ?」


唯、略図が無いだけが理由じゃ無い事を感じ取ったシュラは、何時にも増して真剣な表情でに言うのだ。勿論、状況が分からない程、も馬鹿では無い。


「略図ならアタシが今書くから、何でも良いから召還してみろ」


近くの祓魔師を呼び付けて紙とペンと借りたシュラが、すらすらと白紙の紙に魔法陣を描く。に拒否権は用意されては居ないらしい。


「ほれ」


たった数秒で描き終わった魔法陣を嫌々受け取って顰めっ面を浮かべる。良く考えれば地獄蝶が出た後の詠唱さえしなければ花太郎は召喚されないのだから、地獄蝶だけの召喚ならば良いかと納得し、親指の平を歯で噛み千切り、魔法陣へと血を落とす。しかし、何故だが地獄蝶が現れなかった。


「(………?)」


以前ならば血を滲ませれば地獄蝶が現れ、其れから頭の中に浮かぶ言葉を唱えれば花太郎が召喚される筈なのだが、何故だが地獄蝶は現れず、なのに頭の中に浮かぶ言葉。其れも、うろ覚えではあるが以前とは違う言葉の様に思える。


「どうした?」

「…前とは詠唱が違う気がする」

「まあ、それでやってみろ」


血を垂らしてから何もしないに痺れを切らしたシュラが声を掛ければ、眉を寄せてが難しい顔をして答える。どちらにしろ、言葉が浮かぶのならば其れでやれとシュラが指示するのだが、どうも嫌な予感がするのだ。


「…止めといた方が良いと思うけど」

「いいから!ほら!早く!」


結果次第じゃも烏枢沙摩の召喚手伝え!なんて言いながら、シュラは催促の意を兼ねての肩を軽く叩く。上級手騎士では無いのに手伝わせる気か、と言いたいところだが、今はそんな空気では無く、は渋々と唇を薄く開き唱えた。


「“王は駆ける。影を振り切り、鎧を鳴らし、骨を蹴散らし、血肉を啜り、軋みを上げる心を潰し”」


何故地獄蝶が出ない。何故詠唱が以前と違う。不可解な点は胸騒ぎを起こした。其れでも口は自然と流れる様に言葉を発し、最後の一文をは唱える。


「“独り踏み入る、遙か彼方へ”」


刹那、魔法陣が黒い光を放つ。其れは空高く伸びて一つの不気味な光の塊を作ると、が行う召喚を見ていた周囲の祓魔師達が動揺の声を上げた。


「何だこれは!!?」

「っ、おい!あれは…!!」


光の塊が何かの形へと姿を変える。其れ分散される様に散り散りに放たれ消えたかと思えば、時空に横一直線の亀裂が走った。不穏な空気にシュラが空の亀裂を見上げながらに声を荒げるが、は答えず其れを目を見開いて凝視するのである。


黒腔ガルガンタ…!」


其れは何度か実際にも目にした事がある亀裂。其の亀裂が開かれた時、決して良いとは言えない穴が生まれるのだ。


「開いた!?」

「何が出てくるんだ!!」


鈍い音を立てて開く亀裂に其の向こうの淀んだ闇が見えた。向こうから何かが出て来るのであれば、其れは確実に此の世界にとっても良いものではない。不味い事になったと無意識に身構えた刹那、開いた穴から何かが目に止まらぬ速さでに向かい一直線に飛んで来たのだ。


「………!」


反射的に飛び退いて其れを回避する。抉れた地面に飛ぶ土や石。どよめく周囲に何処からか悲鳴が上がる。其れは大きな手を振り翳し再びに襲い掛かり、は間一髪其れを避けて躱した。


「てめぇ!!!」


其れが怒りに満ちた怒声を上げる。至近距離での咆哮は耳を痛ませ、頭に響いた。次いで反対の手で握った拳を突き出されば其れを左手で受け流し、また一歩後方へと飛んでは距離を取ろうとするが、相手が突っ込んで其の距離を零にする。


「避けんじゃねぇ!!」

「無茶言わないでよ」


噛み付かんばかりに怒り狂う“彼”に、絶えず避け、退き、躱し、逃げる様に飛び退く。一瞬でも気を抜けば見失ってしまいそうな攻防。唖然とし、怯え距離を取る祓魔師達の中、最初に我に帰ったのはが他の候補生とは違い特殊な人物である事を知っているシュラで、シュラは目の前で行われる争いを止めようと一歩前へと踏み出した。


「あ、おい!!」


止めるシュラも虚しく、遂に彼の手がを捕らえる。掴まれた胸倉、力で強引にを引き寄せたのなら、の顔に己の顔を近付け、彼は今日一番の声量で吼えた。


「お前を殺すのは俺だ!!!」


物騒な言葉に静まり返る場。シュラでさえも踏み出した一歩で立ち止まり、まるで知り合いなのかと思わせる言葉を吐いた彼に困惑するのだ。


「勝手に他の奴に殺されてんじゃねぇ!!!」


殺す?殺された?何を言っているんだと、周囲に動揺が広がる中、冷静だったのは胸倉を掴まれ真っ向から怒鳴られているだけで、は小さく息を吐く。


「放して」

「あ゛ぁ!?」

「放してって言ってるのよ、グリムジョー」


怒りを滲ませ殺気を放つ彼の瞳が、痛い程に突き刺さっては無性に胸が締め付けられた。










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