《全く…見てられんわい!》

「!?」


不浄王の作り出した建物を足場にして佇む燐の目の前に現れる大きな炎の姿。一見、梟にも見える其れは大きな翼の様なものを揺らめかせて燐を見下ろし、嘴と思わしきものが音を立てて開かれる。其処から見えたのは目と鼻と口で、顔である事が分かった。


《ワシは不浄潔金剛烏枢沙摩。不浄王は長年のワシの宿敵ぢゃ。そしてその剣は元来ワシらの長の得物。奴を倒すんならば、お前に炎の導き方というものを教えてやるんぢゃよ》


燐を見下ろす炎の悪魔は己の名を烏枢沙摩と名乗り、燐に問い掛けた。遠く離れたやシュラには燐がどう返答したのかは分からないが、頷いた様にも見えた瞬間、烏枢沙摩の身体は宙で分散され、吸い込まれる様にして降魔剣へと一体化するのである。


「烏枢沙摩を降魔剣に装備した…!?」


炎の色を青色に、降魔剣に宿る烏枢沙摩にシュラが驚愕を露わにする。溢れるように周囲に放たれる熱風を受けながらは静かに斬魄刀を鞘に納めた。


《ワシが唱える真言と修多羅を復唱するんぢゃよ!》

「ど…どうする気だ!?」

《“火生三昧”を呼び出すんぢゃ!》


烏枢沙摩が燐に指示を飛ばし、燐は戸惑うが、絶えず襲い掛かってくる不浄王に其の身を翻し攻撃を躱す。現在成せる術は一つしか無く、燐は覚悟を決めて応えるように頷けば、呟く様に唇を動かした。


「シュリマリ…ママリ、マリ、シュシュリ、オン、クロダノウ、ウンジャク!!」


まるで呼応する様に、降魔剣の剣先に現れた火の球は風すらも巻き込み吸い込んで巨大化していく。真言を言い終えた頃には、其の火の球は強烈な力を宿し、今か今かと放たれるのを待っていた。


「火生三昧!!!!」


修多羅と共に放たれた球は一直線に不浄王へと放たれ、激しく強い青い光が周囲を包み込む。正面から火生三昧を受けた不浄王は呻き声を上げた。しかし炎の力が些か弱い様に見え、燐から漏れる炎が不自然に揺れているのをは確かに目視するのだ。其れは隣に佇むシュラにも見えたらしい。


「大丈夫なのかよ…!」


眩い光に目を細めながらシュラが零した言葉が耳を掠めたと同時には大きく飛躍する。地上からシュラが名を叫ぶのを聞きながら、は構わず燐の身体から溢れる青い炎の中へと身を投じると、燐の背後に霊子を固めて着地し、そっと手を伸ばした。


「あ゛…あ゛あ゛あ゛!!!」


苦しげな悲鳴。其の肩に優しく触れて耳元で囁く。


「燐」


血走った眼には自我が戻り理性の色に染まり、燐の瞳がへと向く。真近に見えるの顔に驚く燐に、は優しく燐の肩を掴めば、強張った肩が小さく跳ねる。


「力を抜きなさい」


みるみるうちに強張った肩から力が抜けていき、燐は小さく息を漏らした。


「大丈夫、此処にいる」


其れは優しくも力強い囁き。


「全力でやってみな。万が一の時はあたしがなんとかする」


だから、とは燐の肩を軽く叩けば、決意した燐は深く息を吸い込み、吐き出したと同時に全力の炎を降魔剣へと注ぐのだ。刹那、爆発的に広がる眩い青い光と炎。は静かに瞳を閉じた。其の炎は瞬く間に周辺を飲み込み、不浄王の菌だけを焼き尽くす。次第に炎が消えていけば、燐の足場となっていた不浄王が完全に消滅し、燐の身体が地上へと降り、其の傍には飛び降りて寄り添った。其の一帯はごっそりと木々が無くなり只の平地となっており、遠くの方では沈んでいた太陽が頭を見せて辺りを明るく照らしていた。


《浄化は終わった、ワシは去る》


降魔剣に憑依していた烏枢沙摩が、宙に浮かびながら燐を見下ろす。ぼんやりと烏枢沙摩を見上げる燐に、烏枢沙摩は何とも言えない表情で鼻を鳴らした。


《フン、貴様は一体…どちらなんぢゃよ。人か悪魔か、いずれはっきりとさせねばならぬ時がくるぢゃろう》


其れはいつか来るであろう燐の未来に起きる日を指していた。人か、悪魔か。そう問われた時、燐は何と返事をするのだろう。其れは未だ分からない。烏枢沙摩は燐から視線をへと向ければ、何処か少し穏やかにも見える表情と声色で囁いた。


《死神…いずれまた会いたいものぢゃ》


の返答を聞く間も無く、分散して消え去る烏枢沙摩。燐は唯の剣となった降魔剣を静かに鞘に納めれば、燐へと近付く砂を踏みしめる一つの足音が聞こえた。


「奥村…!」


意識が戻ったらしい勝呂が、背中を見せた状態で佇む燐に声を掛ける。其れに小刻みに身体を震わせた燐はゆっくりと俯かせていた顔を上げた。


「勝呂、シュラ、…俺…や、やった…炎操れた…!!」


勝呂へと振り返った燐の顔には至極嬉しそうな笑みが浮かんでおり、歓喜している事が分かる。対してシュラと勝呂は唖然としており、対照的な二人の反応には口元に笑みを浮かべた。


「細かいとこはまだまだだけど…燃やし分ける事には自信ついた!」

「まぁ、お前もともと燃やし分けは出来てたよ?」

「でも今回は意識的にだ!今までの無意識と違う!」


燃やし分けは出来ていたと両手を広げるシュラに、人差し指を突き出して声を荒げる燐は、己の成長を主張する。登った太陽は明るく周囲を照らし、遠くの方からは幾つもの足音が聞こえた。視線をやれば黒い服を身に纏った共に戦った祓魔師達の集団が、志摩と子猫丸を筆頭に此方に向かって来ているのが確認出来、は腰に差す斬魄刀を帯から引き抜けば、其の鞘の切っ先を胸へと当てがうのだ。まるで吸い込まれる様に鞘は見る見る内にの体内へと飲み込まれ、時期に柄までもの中へと消えていったのなら、の姿が一瞬弾ける様な光に包まれ一変するのである。身を包んでいた漆黒の着物は一瞬にして正十字学園の制服となり、絵元結は高い位置に結っている唯の一つ結びへと変化したのだ。死神としての姿から、元々の姿へと戻ったのである。


「奥村くん…さん…坊!!」

「子猫丸!!俺やっと炎操れるようになったぞ!不浄王以外は燃やさねーようにコントロール出来たんだ!!」


駆け足でやって来た子猫丸に、降魔剣を握る右手を高く突き上げ大きく手を振り笑顔を振り撒く燐。燐との距離が縮まるに連れて緩やかになる足取り。次第に其れは駆け足から早足に、そして最後には止まって、燐と志摩や子猫丸は向かい合った。


「…成程なぁ。いや、ほんま不思議な体験やったわ。炎の中におって痛くもカユくもない。逆に菌共は燃え尽きてくんやからなぁ」

「瘴気にあてられた連中は私も含めて皆浄化された、青い炎の中で…!もの凄い炎や…感謝してもしきれへん…!!」

「い…いやあ、そんなにホメられちゃうとテレちゃうってゆうか」


志摩が率直な思いを告げれば、志摩の後に続きやって来た八百造が信じられないとばかりに燐を驚きの色が滲む目に映しながら言い、燐は照れ臭そうに後頭部を手で掻いた。そんなはにかむ燐を真っ直ぐに見つめる子猫丸の瞳は、透明な雫で潤みだす。


「奥村くん…ありがとう…ほんま…僕を…ゆるして…!」

「え!?な、な、なんで泣く!??なんかあったっけ!?」


滲んだ其れは収拾がつかなくなり、次々と溢れ出して頬を伝う。子猫丸の脳裏に浮かぶのは今まで燐へと向けた酷い言葉と数々の態度。どれだけ燐を傷付けた事だろう。なのに一度だって燐はそんな子猫丸を責めず、変わらずこうして笑顔で手を振る。何て愚かな自分であるか、そんな後悔と罪悪感が子猫丸の胸を強く締め付けるのだ。燐と彼等の蟠りも此れでもう無くなったと言えるだろう。其れに安堵するは、近付く二つの霊圧に振り返った。


「兄さん!!」


有り得ないと目を見開いて呆然と燐を見て立ち尽くす雪男と、其の後ろを距離を取りつつも付いて歩くグリムジョー。グリムジョーはちゃんとの指示に従い雪男の後を追い、付いていたらしい。とグリムジョーの視線が合わされば、グリムジョーは舌打ちを零してそっぽ向くのだから、は小さく息を吐いて笑うのだ。


「おっ、雪男じゃん!お前も無事だったか!」

「…シュラさん、どうしてここに兄がいるんだ。誰が独居房から出した…?」

「だからそれはほら、謝ったぢゃん」


明るい表情の燐に対し、雪男の表情は険しく、怒りに震えた声は低く、視線はシュラへ向く。雪男の怒りを感じながら唇を尖らし、反省の色も見せずに謝っただろと言ったシュラに雪男は強く奥歯を噛むのだ。


「どーだ雪男!俺ここにいる人達助けたんだ!!アゴはずすくらいビックリしたろ!テメーを追い抜く日もそう遠くないな!!」


降魔剣を肩に担ぎ、誇らしげに嬉々と言ってのける燐は、正に雪男の怒りに火に油を注ぐ様なもので。雪男は大きな一歩を踏み出したのなら、力強く握った拳で一切の加減の無しに容赦無く燐の頬を殴り飛ばすのだ。


「ふざけるな!!自分の状況が判ってるのか!?」


雪男の怒声は朝日の差し込む森の中に響き渡り、只事ならぬ様子に辺りは静まり返る。殴られた拍子に切れた口腔内に広がる血を吐き出しながら顔を上げた燐は、やけに清々しい顔をしていた。


「判ってるよ、やっと判った」


燐と雪男の瞳が交差する。落ち着いた声が雪男の鼓膜を震わせ、雪男は静かに息を飲んだ。


「俺はやっぱり魔神の仔で、この炎から逃げる事はできない」


其れは燐が炎を受け入れ、前へと進む事を決めた覚悟の証。


「ずっと向き合うのが…認めんのが怖かった。でも、それじゃダメだっ、た…んだよな…」

「兄さん!?」

「奥村…」


雪男に語りかけながら落ちていく瞼に比例して、か細くなっていく燐の言葉。其れは遂に途切れて身体は重力に従って傾き、雪男や勝呂の呼び掛けも虚しく燐の意識は完全に落ちる。地面に衝突する寸前、素早くは燐の身体を支えれば、其れまで沈黙を貫いていた人々は一斉に動き出すのだ。


「おい!」

「大丈夫か!?」

「奥村くん…!」

「意識がないだけ。大丈夫」


燐の容体を気にする面々に、心配は無用だとが口にすれば、忽ち其の安堵は周囲に回って行くのだ。そんな中、人集りの後ろに腕を組んで佇むグリムジョーは何処か不機嫌にも見えて、は小さく息を吐き出すとシュラに目を向けた。


「とりあえず戻ろ」

「そうだな」


貸せよ、とシュラが燐の脇へと腕を回せばは燐の身体をシュラへと明け渡せば、勝呂も燐を運ぶのを手伝うと率先して動き出す。無傷な人間は怪我人に手を貸せと、人々は出張所に戻るべく動き出し、場は一瞬にして騒がしくなっていく。


「おい、忘れてんじゃねぇだろうな」


そんな喧騒の中、冷水の如く冷ややかな声がの耳を貫く。苛立ちを隠しもせずに顔にぶら下げたグリムジョーを見やって、は一度頷いた。


「戻ったら何でも答えるし話すよ」










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