場所は移り、勝呂の実家である虎屋旅館。大きな戦を終えた後とは言え、怪我人の治療であったり、任務報告や事後処理等に追われた祓魔師達は忙しなく旅館内を行き来しており騒がしい。其れでも比較的静かなのは怪我人達が集団で寝かされている大広間だ。一面に敷き詰められる様にして敷かれた布団の上には、身体の何処かしらに包帯を巻いた祓魔師達が虎屋と書かれた浴衣に身を包み眠っている。其の中に候補生達の姿が無いのは、彼等は別室の個室にて身体を休めているからだ。





応急処置程度ではあるが、酷い負傷者の治癒にあたっていたが大広間を出た先の廊下で、声を掛けてきたのは勝呂だった。何時もなら綺麗に掻き上げられた髪は汗や砂埃で乱れており、心なしか顔に疲れの色が見える。返事はせず視線だけを向けて応えたに、勝呂は少し遠慮がちながらも真っ直ぐにを見て言った。


「蝮を看たってくれへんか」


蝮と言われ、柔造が連れ帰ってきた時の姿が脳裏を過る。身体中に瘴気の影響を受け、潰れた右目、荒い息遣い。騙されていたとはいえ、裏切り行為を行った蝮だが、勝呂は其れでも身内だと言うのだろう。彼の優しさに頷こうとするが、は視界の端を過ぎった其れに気付き、頷かず小さく笑みを浮かべた。


「其れならもっと適任がいる」

「適任?」


の視線を先を追い、勝呂の瞳にも其れが映る。ゆらゆらと、宙を舞う其れ。脳裏に浮かぶのは蝮の顔では無い、何処か知っている様な詩とも言える言葉達。


「蝶…?………!あん時の…」


一見唯の揚羽蝶に見える其れを見て眉を寄せた勝呂だったが思い出したのだろう。ネイガウスの講義の際、が略図を使い召喚した蝶を。地獄蝶は美しい羽をはためかせ、の周囲を舞い、まるで何かを待っているかの様だった。


「“軋む軋む、浄罪の塔。光のごとくに、世界を貫く”」


以前にも口にした唄が、頭の中に流れてくる。其れを紡げば応えるように地獄蝶はから離れ空高く飛び立った。


「“揺れる揺れる、背骨の塔。堕ちてゆくのは、ぼくらか空か”」


地獄蝶が中庭の中央で飛ぶのを止めたかと思えば、眩い光を放ち勝呂は反射的に目を瞑った。次に目を開いた時、其処に見えたのは障子の様な形をした門。唖然と其の門、穿界門を見つめていれば静かに障子が左右に開かれ何かが飛び出すのだ。


「ぎゃあ!痛っ!」


悲鳴に近い声を上げて顔面から地面に無残にも転がった全身黒の着物に身を包んだ華奢な男は、砂まみれの顔を両手で覆いながら痛みに呻く。其の服装は昨夜のの着ていたものと酷似しており、勝呂は「し、死神…?」と思わず小さな声で呟くのだ。は足が汚れる事も気にせず廊下から中庭へと降りて彼の目の前に立ち止まれば、彼は己に掛かった影に気付き顔を上げ、大きく目を見開いた。


「花太郎」


彼の前に膝をつき、頬についた砂を払ってやる。相当強く打ち付けたらしく、鼻頭を赤くした花太郎は大きく両手を広げた。


さあああああ゛あ゛ん゛ん゛ん゛!!!」


強く縋る様ににしがみつく彼を、呆れ混じりの微笑みを浮かべては優しく頭を撫でる。鼻をすすり、嗚咽を漏らす彼。胸元がじわりと濡れていく感覚に更に微笑みは深くなった。


「なんの騒ぎだ?」


廊下からは人の足音が増え、騒ぎを聞きつけたシュラや京都出張所の面々が中庭で膝をつくと、にしがみついてみっともなく泣き喚く黒の着物に身を纏う男を見て、ぎょっと目を見開く。更に足音はぞろぞろと増え、が其方に視線を向ければ目を丸くする燐、何を勘違いしたのか頬を赤らめるしえみ、何事かと驚愕を露わにする出雲や子猫丸、何を考えているのか検討もつかない普段通りの宝、そして顔を真っ青にさせて小刻みに震え絶句する志摩の姿があった。


「誰だそいつ?」


燐の問いはもっともで。は苦笑を浮かべた。



















虎屋の使われていない大部屋には志摩の身内である八百造、柔造、金造と、蝮の身内である蟒、そして雪男やシュラ、候補生の燐、しえみ、出雲、勝呂、志摩、子猫丸、宝が集まっていた。


「えっと、山田花太郎です」

「花太郎は護廷十三隊四番隊の第七席、第十四上級救護班班長。四番隊は実働部隊とは違って救護と補給の専門の部隊だから治癒に関しては専門だし、あたしよりよっぽど腕があるよ」


皆の視線を一身に受ける花太郎は緊張の面持ちで名を名乗り、補足を加える様にが紹介する。護廷十三隊とは言っても伝わる訳が無いのだが、一先ずは医療を専門としている事が伝われば良いのでは理解していないだろう面々を気にせずに言うのだ。


「あの、さん。この人達は…。あ、すみません」

「いえ…」


花太郎の鼻から垂れた其れを見て、素早く柔造がティッシュの箱を花太郎へと差し出す。深々と頭を下げて受け取った花太郎は、ティッシュを2枚ほど取って勢いよく鼻をかんだ。


「こっちの世界で祓魔師って呼ばれてる人達」

「ズビッ…え、エクソシスト…ですか?…ズズズズッ」


次いでが目の前の面々の紹介をするが、祓魔師と言われても理解が出来ないのは当然で、花太郎は首を傾げながらも更にティッシュを2枚取り、今度はかまずに鼻水を拭き取る。泣き腫らした目はすっかり赤くなっており、鼻も赤くなっていた。華奢な体に、気の弱そうな顔。そんな花太郎をシュラは何処か呆れた様な、疑う様な目で見据えていた。


「こいつも死神なのか?」

「そう」

「ふーん…」


訝しむ様に胡座をかきながら前のめりになってシュラは花太郎をじっと観察する様に見た。


「なんつーか…死神にも色んな奴がいるんだな」

「ヒィッ」

「シュラ、花太郎を虐めないで」


オブラートに包んではいるが、死神らしく見えないとシュラが思っているのは明白で、其の視線に小さく悲鳴を上げる花太郎を横目に見ながらはシュラを咎めれば、シュラは腕を組んで姿勢を正すのだ。


「蝮の怪我、特に右目は酷い。あたしより花太郎に看てもらった方がいい」

「お、おう…」


正座をする勝呂にが声を掛けてやれば、勝呂は戸惑いながらも頷き、花太郎の様子を窺う。適任がいると言ってはいたが、此奴がか?と勝呂が不安に思うのも仕方が無いだろう。勝呂から見て花太郎は、本当に頼りなさそうで鈍臭そうに見えたからだ。其れはきっと勝呂だけで無く、皆もそう見えているだろう。


「花太郎、お願いしていい?」

「あ、はい!力になれるか分かりませんけど…」


もぞもぞと姿勢を正し、視線を彷徨わせる所がまた頼りない。大丈夫か?なんて皆の声すら聞こえてきそうだ。不安を滲ませながら蝮の居る部屋へと案内をしようとした柔造が腰を上げ様とした時、徐に燐は、あのさ、と切り出す。


「お前、の仲間なんだよな?」


燐の問い掛けに花太郎は、えっ、と戸惑いを見せるのだ。仲間、と言うには所属する隊は違い、共に任務に就いた事も殆ど無い。同じ死神とはいえど、仲間と言うには少し違和感を覚えたからだ。けれど、其れでも仲間と言えば仲間の様な気もして、花太郎は少しばかり悩む様子を見せてから小さく返事をした。


の話してくれよ」


自分の知らないを、の過去を純粋に知りたいのだろう。其れは此の場にいる皆も同じ様で集まる視線に居心地の悪さを感じながら、花太郎は申し訳無さそうに眉を八の字に下げるのだ。


「僕…さんに謝らないといけないんです」


俯き、膝の上の拳を握って絞り出された花太郎の声はか細い。其れに驚いたのはだけでなく皆も同じで、顔を上げた花太郎の瞳には罪悪の色が見えた。


「本当は知ってました」


そう切り出した花太郎には口を噤んで静かに続きを待つ。静寂に包まれる一室で、花太郎の泣きそうな声だけが響いた。


「誰よりも貴女は戦いを嫌っていた事を、僕は知っていたんです」


途端、はほんの少し、肩を下ろした。と同時に何とも言えない気持ちが胸を占める。


「僕が四番隊に配属されて間も無い頃に初めて任務で流魂街に出た時の事は今でもはっきり覚えています」


そう言って目を伏せた花太郎の脳裏に浮かぶのは過去の記憶。100年近く前の事だが、昨日の事の様に鮮明に蘇る。花太郎にとっては初めて立った戦場での事だった。


「初めて目にする虚は…本当に恐ろしかったです。次々と倒れる皆さんに僕は足が竦んでしまって…鉄の臭いが充満して、土は真っ赤に染まって、虚の笑い声が響いてて…逃げてしまいたいって、本気で思いました」


酷い惨状、その一言に尽きる。緊急要請が入り、急遽出動する事になって駆け付けた現場は、幾多の虚が彷徨いて、地には呼吸を止めた死神達が転がっていた。数少ない生き残っていた死神達は懸命に斬魄刀を振るってはいたが、深い傷を負った者、片腕を失った者、恐怖に足が竦んだ者達など、最早虚にとっては相手にすらなっていなかったのだ。目の前で血が飛び、断末魔が聞こえ、また誰かが地に倒れる。


「その時、初めて僕はさんを見たんです」


其れはが未だ十番隊九席だった頃の事。花太郎の記憶にしっかりと刻まれていた姿は、小さな背中で、けれど圧倒的な存在感だった。花太郎達、救護班の四番隊の前に立ち、後ろに未だ生きている部下達を下がらせて、一人で立ち向かう其の姿に目を奪われる。


「貴女は強くて、其の手で皆を護ってくれました」


巧みに斬魄刀を振るい、斬り掛かっては距離を取り、また追撃。鮮やかに躱して面を両断すれば直ぐさま次の虚に斬り掛かる。虚の集団の中で、血飛沫が飛ぶ中で、たった1人で戦う姿を見惚れずにはいられなかった。


「でも、気付いていたんです。斬魄刀を握る其の手が震えていた事も、救援で日番谷隊長が到着した時に見えた安堵の表情も」


戦闘中であっても合間合間に見えたのは震えた手。注意して見ていなければ気付かない程の小さな震えは、しっかりと斬魄刀にも伝わっていて、救援要請で現場に駆けつけて来たの所属する隊の隊長が現れた時、色の白い強張った表情がほんの少し和らぎ、肩の力が抜けて下がったのを、花太郎は其の双眼で見ていたのだ。


「貴女を戦場に立たせてしまったのは僕達。貴女を縋って、貴女を追い込んでしまったのは、僕達です」


再度俯く花太郎は指先が白くなる程に、膝の上に置いた拳を強く握った。まるで懺悔する様に項垂れる頭を、は唯見ていた。


「貴女を…殺してしまったのも…」


本当にすみません、と蚊の鳴くような声で口にした花太郎には掛ける言葉に悩み、閉ざした唇は開く事は無く、無論音を発する事も無い。静寂が場を包み、部屋の外から聞こえる足音や誰かの話し声がやけに良く聞こえた。


「おい」


そんな静寂を打ち破ったのは鋭い苛立ちの篭った声で、皆は勢い良く顔を上げて振り返る。閉ざしていた筈の障子は開かれ、いつの間にか其処に佇む人相の悪い男、グリムジョー。グリムジョーはを睨み付ける様に目を細めており、花太郎が目に見えて顔を青褪めると体を小刻みに揺らすのだ。


「な…っ、なんで此処に破面が…!!?」

「大丈夫、害は無い」

「でも…!!」


並々ならぬ花太郎の怯え様に、其れが伝染する様に皆にも戸惑いが生まれ、グリムジョーを見やる。其れを素早く察知したは花太郎を落ち着かせようと声を掛けるが、花太郎にとっては安心要素にすらならなかったらしい。食い下がる花太郎を一瞥し、は小さく肩を落とすと、終いには怒鳴り出しそうなグリムジョーに目をやった。


「何?」

「話せ」


簡潔過ぎる言葉には、グリムジョーの怒りが見える。直球な言葉はが口を開く前に、更に続けられた。


「なんで死んだ」


の脳裏に過る、二度目の最期の光景。平伏した地面には己の血が染み込んで生暖かく、けれど頬に触れる土はやけにひんやりとしていた。


「誰に殺された」


不敵に不気味に口元に弧を描いて笑う奴の顔が浮かんだ。最期に見た人の顔も、奴だった。


「アイツの為か?」


グリムジョーの言葉は的確で思わず仏頂面だったの顔に笑みが浮かんだ。其れに酷く顔を歪めて舌打ちでも零してしまいそうなグリムジョーには瞼を閉じて、漸く言葉を発する。


「彼の人の為、なんてとてもじゃないけど言えないわ」


瞳を閉じれば視界は黒に塗り潰される。其の中に沢山の顔が浮かんだ。其の中でも、何よりも強く大きく浮かぶ、彼の顔。


「結局何も出来ず死んだから」


結局何も出来ず死んだ己にとって、彼があの後どのような行動をとり、どのような選択をしたのか、には知る由もない。生きたのか、死んだのか。一先ず言えるのは二度と会える事は無い事。彼の幸せを願う事は今でも変わらない事実であり、彼が己の選択と生きた人生を、恥じる事なく胸を張り、後悔無く貫き通せる事を祈るばかりだ。


「殺されたとか死んだとか、よく分かんねぇんだけど」


不意に言葉を発したのは、今迄沈黙を貫いていた燐で、燐は難しそうに眉を寄せながらを曇り一つない真っ直ぐな瞳で見ていた。


は生きてんじゃん」


二度死に、三度目の生を授かって彼此どれだけの月日が流れたか。年数で言えば10年そこらではあるが、出会いもあり、別れもあり、此処までやってきた。今のこの肉体は、生きている。心の臓は止めどなく動き、血液を隅々まで送り続けているのだ。


「そうだね」


生きている。そう、生きているのだ。変わらぬ其の事実が思わず顔を綻ばせる。


「いずれいつかは死ぬけど、今は生きてるよ」










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