さん!?」

「ええ!!?」

「大丈夫っスか!?」


安室の目は一部始終を完璧に捉えていた。突然何かが目にも留まらぬ速さでの側頭部に直撃し、其の何かと共にが吹っ飛んだのである。受け身も取れずアスファルトの上に叩き付けられると、其の向こうに音を立てて落下する白い自販機。飛んで来た何かは自販機だったらしい。慌てて安室はに駆け寄ると、其の後ろを驚愕の声を上げた帝人とを心配する紀田が続く。安室が膝をつき倒れたの身体を起こそうとするが、其の前にが身動ぎしたのを確認し、安堵の息を吐く。どうやら生きてはいるらしい。


「痛ぁ…」

「相変わらず頑丈っスね、普通痛い程度じゃ済まないっスよ」

「だよねぇ…」


自販機が直撃した側頭部からは血が流れ、患部を抑えながらやけに平気そうな様子で上体を起こすの肩を支える安室。救急車を、と安室が口を開くと同時に慣れた様子で苦笑する紀田と、其れに眉を下げて笑って答えるのやり取りが兎に角“異常”で安室は言葉が出なかった。


「待てゴラァーーー!!」

「ヒィィィイ!!!」


刹那、自販機が飛んで来た方角から聞こえて来る男の怒声と怯えきった男の悲鳴。視線を向ければバーテン服を着た金髪にサングラスを掛けた男と、泣きそうな顔で逃げる強面の男。逃げる強面の男が丁度、安室、帝人、紀田を通り過ぎた時、慌てて立ち上がったに安室は慌てて止めようと手を伸ばすのだ。


「ストップストップ!」

「あ゛ぁ゛!!?邪魔すんじゃねぇええ!!!」

「静雄!!」


頭を打ち出血しているのだ、動いちゃ駄目だ!と言いたかった筈なのに安室は結局口を開いたまま何も言えずにいたのは、バーテン服の男が鬼の形相に異常な迫力を放って駆けて来たからでは無く、そんな彼を止めようと両手を広げて立ち塞がったの行動に驚いたからでもなく、が口にした先程も聞いた名前が飛び出したからだ。彼が“静雄”なのか?なんて考えが過るが、バーテン服の男が容赦無く握った拳に血の気が引いて慌ててを庇う為に立ち上がる。あんな怒りに身を任せた成人男性の拳等、唯でさえ頭を負傷しているが受けたら唯では済まない。が、予想を完全に斜め上に行く展開。バーテン服の男の突き出した渾身の一撃を、片手では受け止めてしまったのだ。正に愕然。


「喧嘩は駄目だって!また後で後悔するよ!」

「…?」

「久し振りだね、元気してた?」

「おう」


どうやらバーテン服の男と知り合いらしいは、拳を受け止めたまま男を説得する。漸く男は目の前の女を認識すると、見知った顔に名前を呟いて突き出した拳を下ろしたのなら、は肩から力を抜いて安堵の息を吐くと男を見上げながら首を傾げた。


「どーしたの?」

「知らねぇよ、アイツがいきなりバットで殴ってきただけだ」

「怪我は?」

「多分ねぇ」

「なら良かった。って、それより見境なく自販機投げないでよ、ぶつかったじゃん。凄い痛かったんだけど!」

「あー…」

「あー、じゃないし!其れで何でバーテン服?バーテンダー辞めたんじゃなかったっけ?」


男が怒っていた事情をが問えば、返ってきたのは理不尽な暴力を受けたとの事。そりゃあ怒るよねと頷いただが、彼の怪我を心配した後、逃げた強面の男を目掛けて男が自販機を投げたのだと確信していたは患部を指差して男に詰め寄れば、絶えず患部から流れ続ける血を見て男は頭を掻きながら気まずそうに謝罪を口にするのだ。流れる血は終いにの服に落ちて真っ赤な色に染めていく。あれだけの出血をしながら何故平然と立って喋れているのか。其れをどうして普通に受け入れて男も話しているのか。何故、知り合いだとしても被害者と加害者が世間話を始めているのか。安室はもう思考回路がショートしかけていた。


「自販機を投げた…?」

「もしかしてお兄さん、静雄さんの事知らないんスか?」

「ええ、まあ…」


が男に言った“自販機を投げた”という発言。最低でも自販機は250kgはある筈なのに其れを生身の人間が投げた?全くもって人の為せる事では無い。完全にフリーズし、男とが話している姿をただ眺めていた安室を我に返らせたのは、同じく傍観しているだけだった紀田で、紀田曰くやはりあのバーテン服の男は“静雄”らしい。


「池袋じゃ有名っスよ。平和島静雄、“池袋最強の男”“絶対に喧嘩を売ってはいけない人間”“池袋の自動喧嘩人形”とか呼ばれてて、結構な伝説持ってて、“池袋で絶対に敵に回してはいけない人間”って色んな人物と勢力から恐れられている人っスよ」


バーテン服の男、改め平和島静雄は、正に付けられた渾名に等しい人間だと安室は内心納得するのだ。まるで暴力が服を着て歩いているような、そんな風にさえ感じさせられる。池袋にはこんな男が居たのか、と安室が密かに息を飲めば、まるで付け加えるかの様に紀田が有名なのはさんもだけど、と零すのだから安室は思わず反応して紀田を見下ろすのだ。


さんも?」

さんの事も知らないんスか?」


一緒に居た位だから知ってると思ってました、と目を丸くして言う紀田に安室は気付くのである。先程までは居た筈なのに、いつの間にか周囲に人がいなくなっていたのだ。正確には距離を取る様に皆離れた所から此方を窺っているのである。其の様子には怯えが見え隠れしていた。


「あーれ、?今は米花町に居るんじゃなかったっけ?」


そんな誰も寄り付かない様な中心部に現れ、弾んだ声で声掛けてきた人物が一人。黒いコートを着こなす眉目秀麗という言葉を具現化したような痩身の美青年が口元に笑みを浮かべて立っていた。


「…臨也…」


美青年の名前らしき人名を口したの表情から、静雄に向けていた笑みが消える。そして悲しげに眉を下げたに安室は直感的に気付く。池袋に来る事を渋っていた理由は“彼”なのだと。そしてが俯き皆が彼女の表情が見えなくなった後、顔を上げたは正に、先程静雄が浮かべていた様な鬼の形相だった。


「いーーーざーーーやーーー!!!!」


獣の咆哮の様な怒声。近くにあった道路標識をあろう事か片手で引っこ抜いたは大きく振りかぶり臨也に向かって投げ飛ばすのだ。其れを軽々と避けてみせた臨也にと静雄は同時に駆け出すのである。


「僕は夢でも見てるのかな」

「夢なら良かったんスけどね」


安室はの全てを知らない。其れでも少なからず壁に大穴を開けられた日から、大体ではあるが彼女の事を知っていたつもりだった。喜怒哀楽が激しく、嫌なことがあれば酒に逃げやすい。大人しい性格なのかと思えば、案外そうでもなくて、人懐っこく、警戒心が薄くて簡単に人を信用する。そう認識していた安室の目の前で今、新たに街灯を片手で引っこ抜き易々と振り回しているのは誰なのだろうか。


「“池袋最強の女”“絶対に怒らせてはいけない人間”、何より“平和島静雄の女版”なんて言われるくらい静雄さん同様色んな伝説を持ってますよ、さんも。ちなみに“池袋で絶対に敵に回してはいけない人間”としてさんも色んな人物と勢力から恐れられてます」


が怒っている姿を見た事が無い訳ではない。壁に大穴を空けられた日、前職場での愚痴を零していたは怒っていた。けれど其れとは比にならないくらいに今は本当に怒っている。次々と舞い込んで来る情報の処理が追い付かず、安室は遂に頭痛を覚えて顔を覆った。


「あと、静雄さんとさんは従兄妹みたいっスよ」

「へぇ…」


知りうる限りの情報を提供してくれた紀田に返せた言葉はそんな気の抜けたもので。其の間にも目の前では戦争の様なやり取りが繰り広げられているのだ。


「久し振りの再会なのに相変わらずだね!」

「避けんなああああ!!!」

「テメェ池袋には二度と来るなって言っただろーがあああ!!」

「化け物二人も相手に出来ないし、今日はこのまま帰る事にするよ」

「「逃すかああああ!!!」」


が投げ飛ばした街灯も、静雄が投げたガードレールも全て避け、余裕の笑みを浮かべて走り出し逃走を図る臨也を、流石血の繋がりがあるというべきか息の合った動きで二人は追いかけて行く。あっという間に見えなく三人の背中。


「今逃げてった二人に狙われてる人は折原臨也。新宿を拠点に情報屋をしてるんで池袋にはあんまり来ないんスけど、三人は高校の同級生だったらしくて、其の頃から犬猿の仲みたいです。まあ、さんは卒業してからですけど。さん。当時臨也さんと付き合ってらしいし」

「そうなの?」

「中学の時から付き合ってて高校の卒業式にフラれたんだと。詳しくは知らねぇけどフラれた理由が結構酷かったみたいでさんも臨也さん見掛けたら毎回あんな感じ」


臨也との関係に驚いたのは安室だけでなく帝人もで。帝人が紀田に再度問えば紀田は頷いて情報を補足をするのだ。酷いフラれ方をしたから元恋人をあんな殺しても可笑しくない勢いで襲い掛かっているのか、成る程と安室は納得するのである。実際恋愛の縺れで殺人事件が起きる事もあるからだ。


「じゃ、俺らこの後用があるんで行きますね」

「ええ」

「多分その内慌てて帰って来ると思いますよ、さんなら」


紀田と帝人が軽く頭を下げて去って行くのを笑顔で見送り、再び騒がしく人々が行き交う街の風景が戻った頃、安室はの認識を改める。喜怒哀楽の特に怒と哀が激しく、嫌なことがあれば酒に逃げやすい。大人しい性格なのかと思えば、案外そうでもなくて、人懐っこく、警戒心が薄くて簡単に人を信用する。組織との関わりは無く、何か企んで近付いてきた訳でも無い。かといって一般人というには有り得ない身体能力の持ち主。恐らく嘘は吐けない若しくは苦手。そして“絶対に怒らせてはいけない人間”だと。




















今日の予定は特に他には無く、安室は其の場から動かずに居れば紀田の言う通りが駆け足で戻って来る姿が見えた。安室の姿を目にした瞬間、蒼褪めながら文字通り飛んで来たが可笑しくて安室は小さく笑うのである。


「あ、安室さん…!すみません、つい感情的になっちゃって放ったらかしてしまって…!」

「いや、良いですよ。面白いものも見れた事ですし」

「面白いもの?」


今にでもあの日の様に土下座でもしそうな勢いのを安心させる様に安室は微笑む。が静雄と共に臨也を追い掛けて行った後、一人其の場に残っていた安室には十分な時間があった。信じられない事ばかり起き、目にした濃厚な1日。けれど全て現実のもの。頭の中の整理は既に完了していたのだ。


「前に言ってたデスクを投げたのも、壁の穴は殴って出来たのも全部本当だったんですね」

「え?あたしそう言いませんでしたっけ」

「言ってたけど信じられないし虚言癖なのかなって思ってたんですよ」

「ええ!?酷いです!!」


安室の告げた本心があまりにも衝撃的で、上擦った声を上げてショックを受けた様子のにごめんごめん、と安室は笑う。合流してから安室とは米花町に戻る為、駅に向かって歩いていた。が臨也を追い掛けていった、あの時間帯に比べて仕事帰りと思われるスーツ姿のサラリーマン達が良く目に付くのは、すっかり日が暮れており、会社勤めの大半が既に本日の労働を終えて帰路に立っているからだ。


「今更ですけど頭の傷は大丈夫ですか?」

「あ、忘れてました。でも痛くないですし、多分もう傷口塞がってると思います」

「ますます不思議な身体ですね。帰ったら詳しく聞かせてもらえますか?」

「いいですよ」

「其の格好で帰るのは目立ちますし…電車じゃ無くてタクシーで帰りましょうか」

「えっ、安室さんリッチですね」

「そうでもないですよ」


此の特異体質は疎ましがられる事は多々あれど、好まれた一部を除いてはほぼ無いに等しい。こうして普通に接してくれる人間は非常に稀で、貴重な存在だ。安室さん、やっぱり良い人だなー、なんて改めて思う。良い隣人に恵まれたなと。


「あ」

「知り合いですか?」

「はい!」


人目はあるが、駅周辺の方がタクシーも拾いやすいかと歩いていると見知った人物を見つけて思わずは声をあげる。其の視線の先を追って安室は小さく笑った。青と白の板前服を着た黒人の巨漢。客引きをしているのかチラシを配ってはいるが其の風貌から声を掛ける客に尽く怯えられて逃げられている。静雄と言い、臨也と言い、池袋に居る彼女の知人は皆揃って“個性的”らしい。


「サイモン!久し振り!」

「オー、マキー、ヒサシーブリー。寿司食う?安くするヨ、ソコのオニイサンも一緒にドウ?寿司イイヨー」

「相変わらず片言だね」


サイモン、其れが彼の名前らしい。屈強な肉体を持つ彼の背後から声を掛けるは大層笑顔で、振り返ったサイモンはを見下ろすと両手を広げて口元に笑みを浮かべた。見た目通りと言うべきか、あまり日本語は上手くはない様だった。


「サイモンは此処の露西亜寿司の店員さんなんですよ。ロシア系の黒人で、本当はサーミャって名前なんですけど英語読みで皆からサイモンって呼ばれてるんです」

「へぇ」

「オニーサン、ヒサシーブリー」


サイモンの立つ背後には確かに露西亜寿司と看板を掲げた寿司屋があって、板前着を着ている理由が判明し成る程と安室は頷く。の紹介にサイモンも安室を見たのなら、初対面にも関わらずまるで知人であるかの様に笑みを見せて挨拶をするサイモンに「こんにちは」なんて安室は一般的な挨拶を返すのだ。先程の客引きの様子を見る限り、久し振りと声を掛けるのは彼の常套句らしい。


「折角ですから夕食は此処で食べていきましょうか」

「でもあたしお金ないですよ」

「僕が出しますから心配しなくて良いですよ」

「流石ネ、オニイサン!歓迎スルヨ、マグロ食べるとイイヨー、2人デ5人前ー!」

「そんなには大丈夫です」


と安室の背中を押して露西亜寿司の中に誘導するサイモン。やけに食べさそうとする台詞に思わず笑ってしまうのは日本語を間違って認識しているからなのか、其れともあまり客が入らないから此処ぞとばかりに集っているのか。一先ず二人で頂くとしてもマグロだけで五人前を食するつもりは無い安室はゆるりと笑みを浮かべるのだ。









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