露西亜寿司で夕食を済ませた後、サイモンに店前にタクシーを呼んでもらって米花町の自宅までタクシーで帰って来た二人。安室はリビングで珈琲を飲んでいた。の姿は此処にはない。壁には変わらず大穴が空いており、タオルで仕切っているだけの為、物音は筒抜けなのだが、微かにシャワーの音と洗濯機を回す音が聞こえるので、恐らくは血で汚れた服を洗濯し、皮膚にこびり付いた血を風呂場で洗い流しているのだろう。あれ程、出血したのに本当に傷口は塞がっているのだろうか。染みはしないのだろうか。超人的な彼女の特異体質には本当に驚かされるばかりだ。


「はい」

『明日の任務の事で電話したんだけれど今良いかしら?』

「大丈夫ですよ」


着信音が鳴り、安室はマグカップを片手に通話に応じるとリビングから離れて仕事をする部屋として本やパソコンが置かれている部屋へと移動する。念の為に鍵をかけておくのは、無いだろうがが穴を通って入ってくる可能性も捨てきれないからだ。


『ターゲットは明後日まで帝都スカイホテルに宿泊しているみたいだから、出て来たところを抑えるわよ』

「わかりました。確か今は杯戸シティホテルに泊まってるんでしたよね?迎えに行きましょうか?」

『そうね、お願いするわ』


パソコンを立ち上げ、スマートフォンを肩で挟みながらマウスを操作し、以前送られてしたデータを確認する。内容を再度確認する為、目を通しながら安室は全く別の事を考えていた。タクシーから降りた後、少しの間は安室の部屋に上がり、今日のバイト代を渡した後、約束通り其の体質について安室とは話をしたのだ。所謂、肉体のリミッターが外れる特異体質で通常なら有り得ない様な凄まじい怪力を持ち、身体も異常に頑丈で回復も早いらしい。の幼馴染に言わせれば“一世代での進化”なのだと言う。特に怒りや悲しみは感情のコントロールが利かず、リミッターが外れやすいのだとか。つまり安室から言わせれば怒らせたり、傷付けると暴れやすいという事だ。ある意味、面倒臭い人間だな、なんて失礼な事を思いながら安室は珈琲を一口飲む。


『バーボン』

「なんです?」

『今日一緒に居た女は何?』

「見てたんですか?」

『偶々よ。驚いたわ、貴方がまさか女を連れて歩いているんだから』


内容を確認し終えるとパソコンの電源を落とし、安室はスマートフォンを持ち直す。まさか丁度頭の中に浮かんでいた人物が、話題に上がるとは思わず表には出さずに驚くのだ。


「彼女は唯の隣人、普通の一般市民ですよ」

『そう…。まあ、組織や任務に支障を来さないならプライベートは好きにすれば良いわ』

「だから彼女とは何でもないですよ、ベルモット」


通話の相手であるベルモットが危惧しているのは大方組織の情報が漏れる事なのだろう。彼女の事だから漏れた場合は消す気でいる事は先ず間違い無い。元々、いくら特異体質の点が魅力的とは言え、あんな嘘の吐けなさそうな感情の起伏が激しい彼女を巻き込むつもりはない安室は心配は無用だと笑った。通話を切り、スマートフォンはズボンのポケットに仕舞ってリビングへと向かう。既にシャワーの音や洗濯機を回す音は聞こえない。微かに物音がするあたり、リビングに居るであろう彼女の名前を安室は呼んだ。


さん」

「はい?」

「此方に来てもらえますか?」


案外返事は早く、タオルを捲って顔を覗かせたに微笑んでて手招きをした。穴を通って入ってきたをソファーに座る様に告げてから、安室はマグカップをダイニングテーブルに置き、代わりに救急箱を手にとっての前に膝を着くのだ。


「念の為、傷口を見せてもらえますか?」

「あ、はい。でも全然痛くないですよ?」

「それでも一応です」


の了承を得てから、未だ水気の残った髪を掻き上げて患部を確認する。傷自体は浅い様だが、ぱっくりと10cmは裂けている傷。あんなスピードに乗った自販機が直撃したと言うの軽傷すぎる事は一先ず置いておき、こんな傷を負いながら何故痛くないのか、安室は思わず呆れてしまい、そんな安室を目の前で見ていたはどうしたのかと不思議そうに見ていた。


「…本当に痛くないんですか?10センチは裂けてますけど…」

「んー、でも本当に痛くないですよ?流石にシャワーはちょっと染みましたけど」

「普通は染みる程度じゃ済みませんよ」


むしろ普通なら今頃意識が失くても可笑しくない。死んでいたって可笑しくないのだ。頑丈過ぎる身体に、危機感すら鈍ってしまっているのだろうか。唯の隣人の筈なのに、どうも気になって仕方がない。其れはまるで危なっかしい子供を持った親の様な気持ちだ。


「とりあえず応急処置だけしておきます。本当は今直ぐ行くべきですが明日病院で診てもらって下さい」

「でも明日は面接が…」

「面接より病院です」


良いですね?と念押しすれば、痛くないのに、と眉を寄せるに安室は無言の圧力を掛ける。するとも降参したのか渋々と分かりましたと頷けば、安室は手早く患部を消毒しガーゼを当てる。始終顔を顰める事も無く平然としているのだから本当に痛くない様で、自分と彼女は同じ人間なのかと疑ってしまうのは仕方がないだろう。



















翌日、面接を別日に変えてもらい、再びは池袋に訪れていた。安室に言われた通り、昨日の傷を診てもらう為である。ならば何故最寄りの米花総合病院に行かず、わざわざ池袋に来たのかというと、友人であり幼馴染であるもぐりの闇医者に診てもらう為だ。特異体質の事を言及されるのが嫌で、怪我をする度にや従兄妹の静雄も病院では無く、幼馴染、改めて岸谷新羅に診てもらっているのである。彼が最愛の人と住まう部屋に着いた頃には傷は塞がっており、結局何も処置は施される事は無く帰る羽目になったのだが。早々に米花町に戻ってきたは、久々に散歩でもしようと遠回りをして歩いてた所、前から歩いてくる男女二人組を見て不審に思うのである。


「(あんな目深く帽子被ってフードも被るって…怪しすぎるんですけど)」


女性はとても美人なのだが、何処か表情は強張っている様に見えるし、何より隣を歩く男性はキャップを目深く被って顔が見えず、更に着用するパーカーのフードまで被る徹底振りなのだから、これがもし此の怪しい男が女性の後ろを一定の距離を保って歩いていたのなら本当に不審者、ストーカーだ。


「(…うっそぉ)」


無意識に不躾な視線を送っていれば、気付いたのか目を逸らす女性。あ、駄目だ。とも慌てて視線を逸らすが、やはりどうしても気になってしまい擦れ違う瞬間横目に盗み見る。と、一瞬見えた男の顔は最近良く見るようになった人物そのもので、信じられないと目を見開くに男は肯定する様にウインクをした。


「(安室さん…何してんの…)」


通り過ぎて行く男女の背中を、立ち止まって唖然と見送った。









BACK | NEXT
inserted by FC2 system