急に降ってきた雨に慌ててはバルコニーに出ていた。広いバルコニーは横風が吹かない限り雨が入ることは無いが、折角干した洗濯物が湿気てしまうのも、濡れてしまうのも嫌なものだ。洗濯物を取り込んで、乾燥室も兼ねている風呂場へと洗濯物を運ぶ。元から取り付けられていたバーにハンガーを均等間隔に掛けていけば、は肩の力を抜いて息を吐いた。


さん、準備出来ましたか?」

「はい!」

「雨ですし店まで車で一緒に行きましょうか」

「良いんですか?」

「シフトの時間も一緒ですし構いませんよ」


タオルの向こうから聞こえてくる隣人である安室の申し出は有り難い。傘を差して歩いても良いが、車で行けるなら其の方が良いに決まってる。は引っ掴む様に薄手のコートと鞄を取って玄関に向かった。


















Ristorante Sundayrino。其れが今日から安室とがウェイターとして働く店の名前だ。天気は時間と共に悪くなり、窓の外では強い雨が降っている。面接で一度訪れただけで店内の様子をしっかりと見るのは今日が初めてだ。雇われた同じアルバイトの人達も気さくで良い人達ばかりで、店主も優しく、は良いバイト先を紹介して貰ったと此れからの労働に気合を入れた。


「なんで眼鏡かけてるんですか?」

「何と無くです。変ですか?」

「まさか!似合ってますよ!」

さんもその髪型似合ってますよ」

「へへ、照れるじゃないですか」


アルバイト初日にも関わらず、今日は結婚パーティーをする団体客が店を貸し切っているらしい。団体客が来る前に支給された制服に着替えた安室と。着替えた際に邪魔にならない様にと頭のトップで纏めたお団子ヘアー。安室は行きでは掛けてなかった眼鏡を掛けていてお互いに普段とは違う装いを褒め合い笑う。アルバイトリーダーに二人揃って仕事内容の説明を受けて練習を何度かした後に団体客がやって来た。


さん、3番テーブルにドリンクの配膳をお願い!」

「はい!」

「安室さんは各テーブルに前菜配って来てくれる?」

「分かりました」


慌ただしく動き出す厨房で、先輩アルバイトの指示を受けて動き回る。3つのドリンクが載せられたお盆を片手に持ち、先程教わった3番テーブルに向かえば親子だろうか、中年の男と若い女性、幼い少年が座っていた。にこりと営業スマイルを浮かべてドリンクに手を伸ばす。


「お待たせしました、アイスティー2つとオレンジジュースになります」

「ありがとうございます」

「ありがとー!」


オレンジジュースは少年のだと推測し、アイスティー2つを中年の男、女性の前に置き、最後に少年の前にオレンジジュースを置く。すると笑顔とお礼を返してくれた女性と少年は、とても礼儀正しくて好感が持てた。厨房に引き返そうとお盆を横にすれば突然手を取られて唖然とする。奥に座る中年の男がの手を取り、笑みを浮かべていた。


「お初にお目にかかります、私、毛利小五郎と申します。お嬢さんのお名前は?」

「え、あぁ、です。と言います」

「ちょっとお父さん!!」


やけに距離が近い男にが困り顔で対応すれば、隣に座る女性が男を叱る様に咎める。やはり親子だったらしく、少年の方はまたか、といった風に呆れ顔だったので、男は頻繁にナンパまがいのことをしているのだろう。失礼が無い様に何と断って手を離してもらおうか、そんな事を考えていたら男の名前が最近よくニュース等で聞く様になった名前と同じである事に気付くのである。


「あの、失礼ですがもしかして“眠りの小五郎”さんですか?」

「ええ、如何にも!この私が“眠りの小五郎”です」

「わあ、初めて有名人に会いました!嬉しいです!」


有名人も同じ唯の人間である事は分かっているが、やはり別世界の人間の様に感じるし、こうして対面すると得した気分になる。


「可愛らしい娘さんと息子さんですね」

「いえ、コイツは訳あってうちで預かってる唯の居候で」

「そうなんですか」


父親である小五郎とはあまり似ていない2人だが、どうやら少年は血縁関係は無いらしく似ていないのも納得で。娘の方はきっと母親に似たのだろう。小五郎の妻の顔は知らないので、あくまで推測ではあるが。


「そろそろ戻らないと。ごゆっくりどうぞ」


小五郎と、其の娘と居候の少年に笑顔を向けて今度こそ厨房に引き返す。厨房は相変わらず慌ただしく、配膳されるのを待った料理達が並んでいた。


「頼太君!」

「初音さん!」

「「「結婚おめでとー!!」」」


店内では皆が立ち上がって幸せそうな笑みを浮かべた男女を囲いクラッカーを鳴らした。湧き上がる祝福の言葉。寄り添う男女は今回の結婚パーティーの主役である伴場頼太と加門初音である。


「素敵よね」

「そうですね、結婚って女の夢ですもんね」

ちゃんもそろそろ結婚考えてたりするの?」

「まさか!相手すらいませんよ」


隣にいたアルバイトリーダーとそんな他愛の無い話をして、また仕事に取り掛かるのだ。各々が席に戻り、彼方此方から注文をする為にウェイターを呼ぶ声が聞こえてくる。其れに応じてが各テーブルを回っていれば、小五郎達が座る隣のテーブルに安室がチョコレートケーキを配膳している所だった。


「す、すみません!!」

「お、おい!?」


カシャン、と食器の音と共に聞こえる謝罪と困惑の声。が再び隣のテーブルに目を向けると、どうやら安室がチョコレートケーキを落としたらしい。チョコレートケーキは主役である新郎の伴場の膝の上に落ちていてズボンは汚れていたのだから一大事だ。注文を聞き終えていたは慌てて厨房に引き返すと、料理を作っている最中のシェフに声を掛ける。


「すみません!おしぼりとタオルって何処にありますか?」

「それなら其処の棚にあるよ」

「ありがとうございます!」


シェフが指を指した棚を見上げれば、未使用のおしぼりとタオルが重ねて置かれており、幾つかを手に取ると先程のテーブルに引き返す。安室は其処に居たままで、酷く慌てた様子だった。


「本当にすみません…自分、ここのバイト今日が初日で…」

「大丈夫!それよりズボンを拭くおしぼりとか持って来てくれる?」

「は、はい只今!!」


ウインクをして拭くものを頼む初音は、世の男を皆虜に出来るんじゃないかと思う程に可愛らしい。拭くものを取りに戻ろうと踵を返した安室の隣には立つと、取ってきたおしぼりとタオルを差し出すのだ。


「お客様、おしぼりとタオルです」

「ありがとう」

「本当に申し訳御座いませんでした」


おしぼりとタオルを受け取り微笑む初音には深く頭を下げて謝罪を口にしてからテーブルを離れれば、安室も同じく頭を下げてテーブルを離れる。ウェイターとして此処に居るのだから、向かう場所は2人共厨房で、自然と横に並んだ安室には小さく息を吐くのだ。


「安室さん」

「何ですか?」

「絶対わざとケーキひっくり返したでしょ」

「そう見えます?」

「安室さんがそんなドジに見えません。しかもあの初音さんって人、前一緒に歩いてた依頼人さんですよね?」


料理をする姿から安室が手先が器用なのは知っている。故に皿をひっくり返す様な鈍臭さには違和感しか感じられないのだ。何より、一度見かけただけとはいえ、印象的だったが為に初音の顔を覚えていたは何か思惑があって安室がワザとケーキを落としたのだと結論付けたのだが、何も答えるつもりは無いのか安室は口元に笑みを浮かべるだけでさっさと厨房に先に戻るのだから、も諦めて仕事に集中する事にした。


「それ、あたしが行きますよ」

「でも重いわよ?」

「大丈夫です!力には自信あるんで!」


厨房では相変わらず大量のドリンクと食事で溢れかえっており、シェフやウェイター達は忙しそうだ。少しでも役に立てればとドリンクを運ぼうとするウェイターに声を掛けて仕事を引き受ければ、ウェイターは有難そうに笑ってに盆を渡す。


「其れも一緒に運びます」

「え?大丈夫…?」

「全然大丈夫ですよ」


盆を受け取り片手に持てば、新しくドリンクを作る他のウェイターが目に入っては問題無いと笑みを浮かべると、ドリンクを端に寄せて新たに作られたドリンクを次々と盆の上に載せていく。もう他に載せる場所が無い位にドリンクを盆いっぱいに載せれば、相当重い筈なのに軽々と片手でホールへと出て行ったの背中を眺めながら、一部始終を見ていたウェイター達は唖然とするのだ。


「凄い…」

「あの量、流石に俺持てる気しねぇわ…」


そんな事を言われているのも知らず、は次々とテーブルを回ってドリンクを置いていく。時折客から大丈夫か?なんて心配されるのを笑顔で大丈夫ですと答えながら全てのドリンクを提供し終えれば、再び仕事を求めて厨房に向かうのだ。


「なあなあ、姉ちゃーん」

「はい?」


不意に後ろから声を掛けられては振り返る。すると其処には酔っているのか顔を赤らめた伴場の姿が有った。


「姉ちゃん可愛いな、名前は何てんだ?」

です」

「苗字じゃなくて!下の名前!」

「…です」

ちゃんかー!良い名前だな!」


笑みを浮かべながら距離を詰めた伴場に名前を聞かれ、差し支えが無い様に笑みを浮かべて答えるが、どうやら聞かれているのは下の名前の様で、は改めて名前を告げる。満足そうに笑う伴場が、何処か下心がある様に感じて不審に思っていると急に肩を抱かれたのだから下心確定だった。


「お客様、困ります。仕事中なので」

「いいじゃねぇかー!独身最後の夜なんだからさー…もっと優しくしてくれよー」


酔っているとはいえ相手は此のパーティーの主役である新郎。もう1人の主役の新婦である初音の姿は見えないが、見ていなければ独身最後ならば他の女に現を抜かして良い理由にはならない。激しい嫌悪感を抱き、の眉間に皺が寄った事に伴場は気付く事は無く、無意識には手を拳に握ると、其の手とは反対の手に持っていた盆がミシリと音を立てて亀裂が走った。


「あの…お客様…」

「あん?またお前かよ」

「先程からお電話が…」

「おっ!初音からメール…“電話に出ないから写メでお披露目…30分後に生でご覧あれ…”」


が伴場に口を開こうとした瞬間、誰かが伴場の肩に手を置き声を掛ける。伴場が振り返り、も其方に目をやれば、どうやら安室だったらしい。安室を見て片眉を吊り上げた伴場だったが、先程からポケットで携帯が音を鳴らしているのを安室が指摘すると、伴場は携帯を取り出し内容を確認する。どうやら初音から写真付きのメールが届いていたらしい。文面を読み上げた伴場には肩を抱く腕から抜け出すと笑みを取り繕うのだ。


「ラブラブですね」

「ま、まあな!」

「結婚前とは言え、お付き合いされてるんでしたら奥様を大事になさって下さい。奥様、ヤキモチ妬かれますよ」

「あー、だよな。そうだな」


満更でも無さそうに笑う伴場に、手は早いがちゃんと初音を愛しているのだと悟る。さり気無く伴場から離れたの後を追う安室。視線は合わさず互いに前を向きながらはげっそりとした表情で疲れたと言わんばかりに言うのだ。


「助かりました」

「いえ。お盆、コレを使って下さい」

「すみません…気を付けます」


伴場から離れた所で小声でが礼を述べれば、何事も無かったかのように笑う安室は自身の持つ盆をに手渡す。其れに力が入って盆を割ってしまっていた事に気付いたは眉を下げてとても反省した様に項垂れた。しかし、直ぐに顔を上げたのなら、やはり小声で安室に言うのだ。


「安室さん安室さん」

「はい?」

「なんか今日気持ち悪いです」

「え?」

「なんでそんな、なよなよした感じを演じてるんですか?」


先程のケーキといい、依頼人の初音が居る事といい、やけに変な芝居をする安室がやはり気になって仕方が無い。探偵の仕事に関係してるんですか?と尋ねれば返ってきたのは爽やかな微笑みで。


「秘密です」


人差し指を口元に立ててそう言い、を置いて歩いて行った安室には頬を膨らませて拗ねるのだ。守秘義務等があるのだろうが少しくらい教えてくれても良いのに!そう思わずには居られなかった。









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