硝子が落ちて割れる音が聞こえて振り返れば、割れたコップの破片の近くで倒れる安室と伴場の姿を見つけ、アルバイトリーダーと話をしていたは思わず目を大きく見開くのだ。


「痛たたた…」

「大丈夫ですか!?」

「ちょっと…何してんの!?」


コップが落ちた音もあり、騒ぎに気づいた周囲は何事かと様子を窺っている中、アルバイトリーダーと共に慌てて2人に駆け寄れば、安室は困り顔で事情を口にするのだ。


「い、いきなりこのお客様が殴りかかって来られて…大丈夫ですか?」

「触んなクソ野郎!!」


手を差し伸べた安室の手を振り払う様に乱暴な手付きで拒絶した伴場は大層立腹らしい。人の手を借りずに自分で立ち上がった伴場は安室から距離を取るものの、視線だけはしっかりと安室に向けたまま睨んでいて、は誰にも見えない様に安室の脇腹を小突くのである。


「何してるんですか」

「何もしてませんよ?」

「嘘吐き!」


相変わらず何も言う気がないらしい安室に思わず舌を出して喰って掛かるが、やはり安室から返って来るのは微笑みだけ。其れが気に食わなくては腕を組んでそっぽ向いた。


「おう、初音か?今どこだ?…ん?サヨナラ?何言ってんだ初音?おい初音!?」


何やら初音に電話を掛けて話している伴場だが、何だか様子が可笑しくて安室との視線は自然と伴場へと向く。刹那、店の外から爆発音が聞こえ、目を向ければ駐車場に停められた車が煙を上げて炎上しているのだ。唖然とする周囲は炎上する車に釘付けで、も其れから目を逸らさずにいた。


「ま、まさかあの車…初音の…」

「え、そんな…」

「蘭!消防車と救急車と警察に連絡だ!!危ねえから誰も店から出すなよ!!」

「うん!」


事態をいち早く把握した小五郎が娘である蘭に指示を飛ばして外へと飛び出せば、其の後ろには少年が付いて行く。慌て出す面々の中、やけに慣れた様子で通報する蘭がには逞しく見えた。結婚パーティーや、仕事をする雰囲気では無くなり、一同は燃え続ける車を見守る事しか出来ずに居ると、暫くして救急車や消防車が到着し、消火活動が行われるが手が付けられない程に車の中は燃えており、なかなか鎮火しない。しかし警察が到着する頃には火は漸く収まって黒焦げになった車が残り、警察と毛利が現場を確認している様子を眺めていれば、暫くして小五郎と少年が店内に戻ってき、更に時間を置いてから目暮と名乗った警部が状況を説明に店内へ入ってくるのだ。


「え!?殺人!?自殺じゃなくて?」

「ああ…コナン君が見つけた付け爪の先に僅かに皮膚が付着していてな…聞けば彼女はあの付け爪をついさっきネイルサロンで付けてもらったそうじゃないか!となると、其の付け爪に付いていたのは彼女が車の側で誰かと争った時に付着した犯人の皮膚の可能性が高い!」

「だ、誰だ!?誰が初音を殺ったんだよ!?」


自殺かと思われていたが殺人の可能性があると告げた目暮に騒つく店内。少年の名前はコナンというらしい。伴場は初音を失った悲しみから目には涙を浮かべており、目暮の肩を掴んで詰め寄るが、目暮は極めて冷静に対応するのだ。流石刑事さん。とは遠巻きの一人として様子を眺めていた。人が亡くなったというのに不謹慎かもしれないが、実感が全然無く、まるで刑事ドラマでも見ている様な感覚だ。


「えーっと貴方は彼女と婚約していた伴場頼太さんですよね?」

「ああ、そうだよ!!」

「此の手の怪我…どうかされたんですか?」

「こ、これはさっき転んだ時に…コップの破片で…」

「では、このヘアブラシに見覚えは?」

「あ、ああ…俺のだよ…。旅行用のトランクに入れたはずだけど…」

「これから採取した毛髪のDNAを照合した結果点彼女の付け爪に付着していた皮膚のDNAと…ほぼ一致したんですよ!」

「な、何言ってんだ!?お、俺が初音を殺したって言うのかよ!?」


包帯の巻かれた伴場の手を取り、袋に入ったヘアブラシを見せながら、目暮は一つ一つ質問を投げかけ、伴場が答える。そしてDNA鑑定の結果を告げた瞬間、伴場の表情に絶望が浮かぶのだ。つまり、殺人の犯人は伴場が最も濃厚だという事である。


「マジか…」


取り乱し目暮に詰め寄る伴場を眺めながらは独り言を零すのだ。DNAの鑑定の結果は伴場が犯人だと示しているのだから、初音を殺したのは伴場なのだろう。DNA鑑定はピッタリ一致した訳ではない様で可能なら伴場の承諾を得て正確に鑑定をしたいという高木刑事にますます伴場は取り乱すのだが、ピッタリ一致しなくとも犯人に間違い無いんじゃ、なんて思いつつ、あれ程悲しみに暮れて取り乱すのだから本当に初音を殺したのかと疑問に思ったりもして、矛盾した結果と言動に最早の頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。だからこそ、誰かの意見を聞きたくては隣に立つ安室に目をやるのである。


「本当に伴場さん、やっちゃったんですかね?そんな風に見えませんけど…」

「でも彼女に抵抗されて引っ掻かれた傷を誤魔化す為に、わざとぼくに殴りかかって怪我をしたって場合も考えられますよね?」

「な、何だとてめぇ!?」


こっそりとが安室に耳打ちしたのにも関わらず、安室はわざとなのか周囲にも聞こえる様にして言うのだから、当前今まさに犯人として疑われている伴場の耳にも届くのだ。自分の立場を悪くする事を言われたからか強く安室を睨む様子は当前の反応で、はまた安室に殴り掛かってくるんじゃないかと内心冷や冷やしてしまう。


「フン…よく言うぜ…愛しい女が誰かの物になっちまう前に殺したんじゃねぇのか?ウェイターさんよぉ!」

「え?」

「…ん?」


安室と伴場のやり取りに、薄毛で店内にも関わらずサングラスを掛けた男、春岡が口を挟む。其の内容が突拍子のないもので思わず間抜けな声を漏らしたのは安室だけでなくもで。何言ってんだ?と首を傾げたのは言うまでも無い。


「ど、どういう事かね?」

「自分で言わねぇんなら俺が言ってやるよ!こいつは初音と密会してた…愛人なんだよ!!」


春岡の発言に目暮が問えば、伴場は涙目で安室を睨みながら、安室を指差し愛人だと叫ぶのだ。何でそうなる!?と目をまん丸に見開いたとは違い、安室には動揺する様子は見られず冷静そのもので、徐に掛けていた眼鏡に手を伸ばした。


「そりゃー会ってましたよ…なにしろ僕は彼女に雇われていた…プライベートアイ…探偵ですから…」


眼鏡を外して口元を僅かに笑みを浮かべる安室を、なんか格好いいな、なんて場違いな事を考えた。のはだけだったらしく、辺りは騒つくのである。


「た、探偵だと!?可笑しいじゃねぇか!?初音に雇われた探偵が何で初音と俺の結婚パーティーの店で偶然ウェイターやってんだよ!?」

「偶然ではありませんよ。ぼくがアルバイトとして採用された此の店をパーティー会場に選んでもらったんです。初音さんだったでしょ?此の店に決めたのは」

「そ、そうだけど…一体何の為に!?」

「勿論貴方の動向を監視する為ですよ。初音さんに頼まれたんです、浮気性の貴方に女がいないか調べて見張ってくれと。だからわざと貴方のズボンにケーキの染みをつけたんです、女性に言い寄られない様に。まぁ、貴方はそんな染みも気にせず女性と仲良くされていましたが…」


食って掛かる伴場に冷静に受け答えする安室。不意に安室が視線を隣に並ぶに向けたのは、の肩を抱いて絡んでいるところを見ていたからだ。


「もっとも、僕が彼女にそう頼まれていた事を証明しようにも…初音さん本人は此の店の駐車場に停めた車の中で焼死してしまったみたいですけど…。しかし僕が彼女に依頼を受けていた事は、そのサングラスの彼が証明してくれそうですよ?僕が彼女に伴場さんの身辺調査の途中経過を報告していた現場に居合わせた様ですし」

「何なんだねアンタは!?」

「あ、いや…」

「恐らく彼もまた探偵なんでしょう」


依頼主は新郎である伴場で、初音が最近誰かと会っているのを探って欲しいと依頼されたのだろうと安室は語る。密会現場を突き止める事は出来たが相手の男は帽子とフードを被っていて顔が分からない。しかし其の時に聞いた男の声がウェイターをしている安室と似ていた為、注文をする様に見せかけて安室を呼びつけ、声が同じ事を確認し同一人物だと判明すれば、サインで伴場に伝えたのだろうと安室は探偵らしく推理してみせたのだ。


「ちなみに、彼女もまた僕が彼女に依頼を受けていた事を証明してくれますよ。サングラスの彼が身辺調査の途中経過報告をする現場に居合わせた様に。彼女とは現場に向かう道で会ってますから」

「本当かね?」

「あ、はい」


春岡に続き、安室がも証人になると告げれば目暮の視線はへと向く。まさか自分に話の矛先が向くとは思わず驚きつつも、はしっかりと頷くのだ。


「安室さんと初音さんが一緒に歩いてる所は見ましたよ」

「ちなみに貴女は?」

です。安室さんとは隣人で」

「成る程」


の証言に目暮はしっかりと頷き、それから話は伴場が初音から受けた電話の事となり、通話を受けて車が炎上してから通報した時間との時間差についてや、車内には車をデコレーションする為に大量のスプレー缶や紙や段ボールがあった事、メールで戻る時間を初音が伴場に伝えていた事が明らかとなり、先ほどのDNA鑑定からも疑いは完全に伴場に向くのだ。経緯もそうだが何より決定的なのは鑑定に依るDNAのほぼ一致だろう。


「で、でもピッタリ一致した訳じゃねーんだろ!?」

「ほぼという事は、其の皮膚が先程まで降っていた雨や泥等で汚染され完全なデータが取れなかった為だと思いますが…血縁者じゃない限り遺伝子情報の一致はまずあり得ない事を踏まえると其のDNAは同じ人物のDNAと考えた方が自然ですけどね」

「な、何だとてめぇ!?」


ピッタリ一致した訳では無いことに希望を見出す伴場だが、其れをはっきりと否定する安室は火に油を注いだ言っても過言では無い。感情的になり、安室へ殴り掛かった伴場だが、軽い身のこなしで避ける安室に勢いで床に倒れこむ伴場。


「や、やめて下さい暴力は…毛利さん彼の足を押さえて!!また殴り掛かって来られたら…」

「んな必要ねーよ」


怯えた様に助けを小五郎に求める安室が、の知る安室では無くて思わず半目になってしまったのは仕方の無い事だろう。いつまでそのキャラを通すつもりなのか、そんな事を問うた所で安室は答えないのは目に見えているのでは口を噤むのである。抑える必要は無いと、伴場を説得しDNA鑑定を促す小五郎に、漸くDNA鑑定を承諾した伴場は高木刑事に連れられて行き、其の場は一度落ち着くのだ。


「折角バイト初日だったのに大変な事になっちゃったわよね」

「あはは…」


隣にはアルバイトリーダーの姿があり、彼女は吐いた溜息を隠しもしない。バイト初日にして貸切の団体客、其の上、殺人事件まで起きるのだからついてない。最早笑う事しか出来ずに居たら、DNA鑑定の結果が出たようでヘアブラシに付いていた毛髪は伴場のものと断定されたらしい。連行される伴場にやっと事件は解決か、とは肩の力を抜いた。のだが。


「いいのか?伴場!本当に」

「え?」

「“此の店から出ちまってもいいのか?”って聞いてんだ!!」

「しゃーねぇだろ?こーなったら警察で無実なのを分かってもらうしか…」

「そうか…だったらお前は犯人じゃねぇよ!!」


しかし事件は未だ終わらないらしい。しかもどうやら噂の“眠りの小五郎”の推理ショーが始まった様では密かに興奮しながら小五郎の推理に耳を傾けた。小五郎の推理に依り、床に落ちたチョコレートケーキを踏んでいた伴場の靴の裏の溝にはチョコレートケーキのクリームが残っており、店から出ていない証拠になるにも関わらず、クリームが靴裏にある事を言い出す様子も無ければ、任意同行に従って土砂降りの雨の中に出て証拠を台無しにしようとした事から無実が証明され、DNAは実は伴場と初音が異性一卵性双生児である為、DNAが同じたった事が明らかとなる。初音に依頼されていた安室が色々と調べていた際に伴場と初音が同じホテル火災で助け出され身元不明で同じ教会で育てられていた事を初音に告げれば、初音は自分で調べると言ってたらしい。恐らく初音は自分達が双子かどうかDNA鑑定を依頼しており、ネイルサロンから此処へ戻り車を降りたところで鑑定業者から電話で結果を知らされ自殺したのだろうと小五郎は語った。


「自殺だったんですね…」

「そのようですね」


頭を抱え、泣き崩れる伴場に何とも言えない空気が流れる。ぽつりと呟いたの言葉に頷く安室。無事に解決した事件に警察は撤退し、来店客達も次々と帰って行く。残ったのは店の従業員だけで、バイト初日だった事もあり店長の計らいでと安室は早々に退勤する事となるのだ。私服に着替え、車に乗り込む安室と。雨はまだ降り注いでいる。


「伴場さん、可哀想でしたね」

「ええ…」


ワイパーでフロントガラスに打ち付ける雨を除けるが、次々と降る雨は直ぐに視界を妨げる。エンジンをかけて走り出した車、車内に響くのは雨音だけで、は窓の外をぼんやりと眺める。頭の中では泣き崩れた伴場の姿がずっと映像として流れ続けており、の頬に涙が伝った。


「泣いてるんですか?」

「だって、目の前で好きな人が死んじゃうんですよ?可哀想すぎますよ」

「それはそうですけど」


どうしてさんが泣くんですか?なんて安室が困った様子でに問う。鼻を啜りながら指で涙を拭うは涙を止めようと試みるも、余計に涙が出るだけだった。


「感情移入です、どうしましょ。めちゃくちゃ悲しいんですけど」

「泣かないで下さい、目が腫れちゃいますよ」

「泣くなと言われると余計に涙が出ます!うう…」

さんは優しい人ですね」


ポロポロと、止まる気配の無い涙が次々と溢れてきて終いには声を上げて泣き出した。木霊する泣き声に安室は呆れる所か優しく微笑むのだから、は涙を手の甲で拭いながら上擦った声をあげる。


「なんでそうなるんですかあ…」

「伴場さんの気持ちを思って泣いているんでしょ?人の気持ちが分かる優しい人だからですよ」


目を丸くして安室を見るに、運転をしながら横目に安室はを見て微笑む。まさかそんな事を言われるなんて思いもしなかったは、吃驚した拍子に涙も引っ込んでしまった。はぁ、なんて大きく溜息を吐いたのなら、は雨に濡れる夜道を眺める。


「安室さん安室さん」

「何ですか?」

「コンビニ寄って下さい、アイス食べたいです」

「わかりました」


安室の声が笑っていた様な気がするのは恐らく気の所為では無い。何笑ってるんですか!なんてが安室の肩を軽く殴れば意外と力が強かったらしい、安室は痛!と悲鳴を上げた。









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