は空を見ながら歩いていた。真っ暗な空に、ぽつりと光る月を眺めながら。前を向いていないのに奇跡的に誰ともぶつからないで済んでいるのはの様子に訝しみながら通行人が避けてくれているからである。大石街道を通って自宅に向かうは久々に酔っていた。アルバイトをクビになり、ぽっかり穴が空いた様な気分。真っ直ぐ家に帰る気になれず、向かった先は職場のストレスを吐き出すのに通い詰めていたバー。久々のの来店に目が飛び出さんばかりに見開いて駆け寄ってきたマスターの顔は今でもはっきり思い出せるくらいに傑作だった。何でも、本当に来なくなったに自殺でもしたんじゃないかと思っていたらしい。確かに死にたくなる様な気分ではあるが、実際に死ぬ気はさらさら無い。今までどうしていたのかを聞かれ、は建設会社をクビになり、定職に就けずに面接を受け続ける日々にやっと採用されたアルバイト。それも今日クビになった事を告げたなら、酷く同情してくれたマスターは奢るから好きなだけ飲みなさいと言ってくれた。泣けた。実際泣いた。それこそ店を潰す勢いで飲んで飲んで飲みまくったは、少々不安定な足取りで歩く。過去一番酔っていると言っても過言では無いが、気持ち悪さは一切無く、ふわふわとした心地良さだけだ。 「どーしよっかなあー」 空に浮かぶ月に問う。勿論返事が返って来るわけもなく、擦れ違う人々に不気味がられるだけだった。酒を飲んでも飲んでも落ち込んだ気持ちが上がる事は無く沈んだまま。明日からまた仕事を求めて面接を受け続ける日々に逆戻りかと思うと涙が出そうだ。少し休みたい、少しで良いから。そんな事を思ってしまう。しかし現実は其れを許さないと言わんばかりにポストには口座から引き落とされなかったスマートフォンや家賃、光熱費の支払書が投函されるし、壁に空いた穴の修理費だって確保出来ていない。休んでいる暇なんか無いのだ。いっそのこと、事故を装って道路に飛び出し、車に轢かれて怪我でもしてみようか。そんな事を考えて道路を見やる。いや、飛び出したところで損害は生身の自分よりも車の方が酷そうだ、なんて自分の体質に笑ってしまいそうになる。むしろ笑った。あはは、と乾いた声を上げて。すると目の前で車と車が衝突したのだから乾いた笑い声はピタリと止まるのだ。 「おお…事故…」 走行中の青い小型車の横に付いていた白い車が行く手を阻む様に飛び出して横を向き、白い車の左側と、青い小型車の正面がぶつかった事故。青い小型車はぶつかった衝撃でエアーバックが飛び出し、ボンネットからは白い煙が上がっている。白い車の運転手、何やってんだ。危ねーな。そんな声が何処からか聞こえてきた。 「何なのよ、あんたら!!」 事故に気付いたを含む他の通行人達が立ち止まって様子を見ていると、徐に青い小型車の助手席から眼鏡を掛けた女が怒鳴りながら降りてきた。其の手には銃が握られており、小学校低学年位の少年に銃を突きつけて抱えているのだから吃驚である。警察!なんて騒いでいる通行人の声を聞きながらは違う意味でも驚いていた。其の人質になっている少年に見覚えがあったのと、今思えば青い小型車を停めた白い車も凄く見覚えがあったからだ。刹那、青い小型車の上に飛び乗る単車。ヘルメットで顔が見えず男か女の判別は不可能だが、兎に角線の細い其の人物は、銃を持つ眼鏡の女に相当立腹の様子だった。 「吹っ飛べえええ!!」 アクセルを回し、単車の後輪で眼鏡の女の側頭部を吹っ飛ばし、単車に乗る人物が怒鳴った通り吹っ飛ぶ眼鏡の女。其の際、人質だったコナンは解放され、彼女が持っていた銃は音を立ててアスファルトの上に落ちる。単車ごと青い小型車の上から降りた人物は、ヘルメットを脱ぎ捨ててコナンに抱き着くのだから、二人は親しい間柄なのだろう。事故を起こした白い車と青い小型車を横切って通り過ぎた地点で停車する赤い車に誰も見向きしなかったのは、其の単車に乗った人物の過剰な暴力や、銃を持った危険そうな眼鏡の女に意識が完全に持っていかれていたからである。そして白い車から降りて来たのは、またしても見覚えのある顔で、特に今朝も見た顔が運転席から降りて来たのなら、はガードレールを跨ぎ、歩道から道路に出ると手を振りながら歩み寄るのである。 「安室さーん、あーむろさーーーん」 「さん?どうして此処に…バイトはどうしたんです?」 「クビになりまーしたー!」 「何やらかしたんですか。それにまた飲んだんですか?」 「えへへー、せーかいでっす!でもですねー、これが飲まずにいられますかー!!」 聞いてください聞いてくださいよ!と覚束無い足取りで安室に詰め寄る姿は、顔を真っ赤に染め上げた酔っ払いが絡みに行っている様に見えた事だろう。実際現場に居る人々からは呆れた目を向けられているのだから。 「それで、この騒ぎはなんですか?」 「少し事件がありまして」 「へー…またですか」 前の自殺事件といい、立て続けですね、何か取り憑いてるんじゃないですか?と笑うとに安室は困った風に笑う。そして自然との視線は倒れる眼鏡の女と、其の女が所持していた落ちている銃に向き、安室から離れると少し離れた所に転がる銃の前でしゃがみ込むと人差し指で銃を突くのである。 「この拳銃って本物なんですか?」 「ええ。危ないから近付かないで下さいね」 「了解でーす」 安室の言葉に敬礼のポーズをとって立ち上がり、くるりと振り返って安室に向き直る。其の背後で動く人影をいち早く捉えたのは人質にされていたコナンで。 「危ない!!」 「へ?」 コナンの切羽詰まった声にが間抜けな声を漏らした瞬間、背後から首元に腕を回されて強い力で引き寄せられる。背中に柔らかい感触と、側頭部に硬い感触。耳元では荒い呼吸が聞こえた。 「動くと撃つわよ!!」 耳元で叫ばれた所為で耳が痛い。思わず顔を顰めたが目にしたのは緊張感や焦りの色を見せるコナン、単車に乗っていた男か女か分からない人物、そして安室と、安室の車に乗っていた蘭と小五郎に、青い小型車に乗っていた見覚えのない綺麗な女。ワンテンポ、ツーテンポ遅れてから自分が置かれている状況を把握したは自身を人質に取り、銃を突きつけている眼鏡の女性に声を掛けるのである。 「あのー」 「はあ!?」 「あたし、今、銃突きつけられてます?」 「そうよ!!だから何!?」 「だから…何…?」 の口元が歪み、眉間に皺が寄る。眼鏡の女の言葉を鸚鵡返ししたの声は頗る低かった。額には青筋が浮かび、握られた拳が小刻みに震える。 「頭に銃を突きつけてるって事は、撃ったらあたし死にますよねぇ?」 「何が言いたいのよ!?」 「分かっててやってるって事は殺す気だって事ですよねぇ?なら…何をされても文句はないよねぇえ!!」 刹那、は怒りに満ちた目で間近にある眼鏡の女を捉えると左手で銃を掴み銃口を頭から外させると身体ごと振り返りながら右手で眼鏡の女の顔面を鷲掴み其のまま地面に叩き付ける。まるで何百kgもある重さのものが突如降って来て落ちた様な音共に眼鏡が砕け散る。呻き声を上げる間も無く意識を飛ばした眼鏡の女は肢体を投げ出したまま全く動かなくなった。酔っている所為か、ゆらりと安定感もなく屈んだ姿勢を正したは、左手に握る奪い取った銃を地面に落とすと其れを容赦なくヒールを履いた靴で踏み潰すのである。バキャッと聞いた事も無い様な物音を立てて銃は真っ二つに砕け散った。 「大体ねぇ…じゅーとーほーいはんって知らないわけぇ?何で見ず知らずのアンタに、あたしが銃を突きつけられなきゃなんないのさー!!」 「さん、落ち着いて下さい。彼女死にますよ」 「あたしを殺そうとするからですよ!!」 「そうですね、でも駄目ですよ。あ、家に美味しいクッキーがあるんですが帰ったら食べます?」 「食べます!!」 異様な空気で静まり返る現場にの怒声が木霊する。誰もが目を疑う光景に絶句する中、動じずに動けたのは以前にもの暴力を目の当たりにした事がある安室だけで。今にも止めを刺さんばかりに怒り狂ったを止める的確な言葉を掛ければ、はくるりと振り返ってまるで何も無かったかの様に笑顔で挙手するのだ。なら事情聴取が終わったら一緒に帰りましょうか、と微笑む安室も異常に見えて、ますます現場は凍り付くのである。 「映画の続きも見ます!」 「そうですね」 「安室さん明日もバイトですか?」 「ええ、朝からシフトに入ってますよ」 「じゃあ朝まで飲みましょう!」 「普通休みなら、じゃないんですか?」 細かい事は気にしちゃ駄目です!と腰に手を当てて笑うは、すっかり上機嫌となっていて、流石にもう起き上がる事の無さそうな眼鏡の女には見向きもしない。遠くの方でパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。 |