場所は移り、日が暮れた夕方過ぎには沖矢の走らせた車は米花町に到着し、レンタカーを返却してからタクシーに乗り換えて二人は工藤邸に足を踏み入れた。からすれば二度目となる豪邸、促されるままリビングへと向かい、以前座った席と同じ席に座れば沖矢はキッチンへと立つ。また珈琲を用意してくれているのだろう。 「すみません、急でしたからこれくらいしかありませんが」 「いえいえ!十分です!ありがとうございます!」 珈琲と共に用意されたのは一つ一つお洒落に梱包された洋菓子で、其の辺のスーパー等で買われたものじゃないのは明白だった。早速マドレーヌを一つ取って噛り付いてみれば見た目通り美味しく、珈琲の苦味には丁度良い甘さで思わず表情がうっとりと緩む。そして沖矢は切り出すのだ。 「早速本題ですが、さんが今日接触した火傷の男は組織の人間です」 「組織…?」 厳密には“彼女”ですが。と付け加える沖矢にますますは首を傾げた。組織と言われても何もピンと来るわけがなく、珈琲を啜りながら考える。そして閃いた其れに「あっ」と漏らすのだ。 「カラーギャングって事ですか?」 「カラーギャングなら良かったんですけどね」 すかさず入った否定に眉を潜めてまた珈琲を啜る。組織って何だ。其れだけが脳内を駆け巡り、其れを知ってか知らずか沖矢は話を進めるのである。 「そして君の隣人である彼も組織の人間です」 「…んー?」 いよいよ完全にお手上げで、はカップを膝の上に下ろすと沖矢に問うのである。考えても分からないなら聞くのが早いからだ。 「…組織って何ですか?」 「国際的な犯罪組織です。主な活動内容は殺人や」 「いい!やっぱりいいです!聞こえませんあーあーあーーー!!」 想像の斜め上どこらか、真っ直ぐ真上を吹っ飛んだ回答に慌てて言葉を遮りは叫んだ。咄嗟の行動故に乱暴になってはしまったがカップを机に置いて何も聞こえない様にと両手で両耳を塞ぐ。カップの中の珈琲は机に置いた衝撃で激しく揺れていて溢れなかった事が奇跡だった。 「聞きたくない聞きたくない聞きたくない!あたし!は!何も聞きませんでした!」 「そんな頑なに拒絶しなくても…」 「拒絶しますよ!そんな乱暴な世界の事を知って良い事なんかある訳ないんですから!」 両手を僅かに両耳から浮かして音を拾い、は沖矢を睨み付けながら声を荒げた。睨まれているにも関わらず全く怖くないのは、の其の様子はまるで威嚇する子犬の様にしか見えなかったからか。そして其の子犬は両手を両耳から離し膝の上に下ろすと、右手の人差し指を突き立てて、やけに神妙な面持ちで言うのである。 「万が一…万が一ですよ?そんな物語の中に登場する様な組織が現実に存在するとしてですね…安室さんが其の一員な訳ないです」 「しかし現に彼は」 「あーーーー!聞きません!聞き入れません!」 沖矢の返答に嫌な予感がしては再び耳を塞ぎ、己の声で沖矢の言葉を掻き消す。兎に角、この件に関して深く関わるつもりは無く、干渉したがらないに、無理強いをするつもりはさらさら無い沖矢は「分かりました」と一度縦に頷くのだ。 「それなら此れ以上は話しません」 「そうして下さいお願いします」 「ただ、あと二つだけ聞いて下さい。其の後は一切、此の話はしない出さないと約束します」 「…なら聞きましょう」 沖矢の提案に落ち着きを取り戻したは姿勢を正し、机に置いたカップを取って珈琲を一口、口に含む。生温い苦味が口腔内に広がり、そして肩の力がすっと抜けた。 「一つ、此の組織の話は内密に。誰にも話さない事を約束して下さい。隣人の彼にも」 「分かりました」 「二つ、其の組織の一員がさんを狙っています。くれぐれも気を付けて下さい」 「はあ…」 の反応は薄い。自分が狙われる訳が無いと顔に書いてある、という比喩が本当に実現しそうな位には顔でそう言っていた。眉を顰め、目を細め、口が歪み、兎も角全てでそう言っているのである。そんなに嫌な顔一つせず、沖矢は徐に立ち上がりチェストからメモ用紙とボールペンを取り出すと何かを書き綴り、メモ用紙を千切り其れをに差し出すのだ。 「何かあれば此処に電話をして下さい」 「わかりました」 差し出されたメモには電話番号が書かれており、は其れを受け取り鞄に仕舞う。其の際、腕時計が視界に入り、針が示す時刻に目を見開くと明らかに焦った様子で珈琲を一気に飲み干すと勢い良く立ち上がるのである。 「珈琲ご馳走様でした!そろそろ帰りますね、明日朝から面接なんで」 「そうだったんですか、頑張って下さいね。玄関までですが送ります」 玄関に向かって歩くの直ぐ後ろを沖矢が歩き、言葉通り玄関まで見送るとは会釈をしてから早足に去って行った。角を曲がって姿が見えなくなるまで見送ってから沖矢は扉を閉めてリビングに戻ると、どうやら先に来ていたらしい本来此の家の住人である小学生が先程までが腰掛けていた席に座っていた。 「良かったの、組織のこと話して」 「彼女には必要だろう」 コナンの問い掛けに沖矢は食器をシンクに片付けてから徐にズボンのポケットに手を入れて其れを取り出す。小型の其れを見える様に掲げたなら、コナンの表情は一変して驚愕の色に染まる。 「盗聴器!?」 「食堂車で俺に変装した奴と話したと言っていたから恐らく其の時に襟に仕込まれたんだろう」 「変装って…まさか…」 「ああ。ベルモットだ」 驚愕に染まった表情はベルモットの名前が出た事によって強張り、空気が緊迫とする。因みに盗聴器はミステリートレインを降りた後に行われた事情聴取後、の肩を掴んだ時に取り外しておいたのである。勿論、取り外し後は速やかに破壊しておくのも忘れずに。 「彼女に再び接触するつもりだ」 「何で…何が目的なんだ…」 「分からん。しかし狙われていると分かった以上、放っておく訳にはいかんからな」 ベルモットが変装をしていたとはいえ自ら接触し、また会おうと宣言まで本人にしたのだ。何が目的なのかは分からないが、は危険に晒されていると言っても過言では無いだろう。こうなった今ではの隣に組織の一員である安室が住んでいる事も偶然とも思えなくなってくる。 「あの“暴力”は敵に回すと厄介だ」 「の姉ちゃんが組織側の人間になるって事?」 「其の可能性も有るだろう。何せ彼女の隣には常に彼が居るのだから」 レストランで軽々と大の男を投げ飛ばし、拳銃で脅されていたにも関わらず犯人の女を撃退及び拳銃を踏み付け両断、軽く蹴り飛ばしただけで列車の連結部を破壊等、実際に目にしていても信じ難い光景は、今でも鮮明に目に焼き付いている。味方である内は心強いものだが敵となれば脅威にしかならない。 「彼女は彼の事を信用しきっている…彼が言葉巧みに言えば、あっさり敵に回るかもしれん」 「の姉ちゃん単純そうだもんね…」 「敵にならなくとも最悪の場合…」 沖矢とコナンの視線が交わり、そしてコナンは目を細めて、けれどはっきりと言い切るのである。 「邪魔な存在だって判断されたら殺されるかもしれない」 「ああ」 組織としてもの“暴力”は敵に回してはおきたくは無いだろう。そして少しでも不都合が生じたならば、否、生じる気配があれば即刻に手を掛けるに違いない。特に、ジンならば。かと言って今すぐを今住んでいる所から安全な場所に動かす訳にもいかず(そもそも本人があの調子なのだから聞き入れる筈が無い)状況からして今すぐ対策をしなければならない程に緊迫してもいない為、出来れば事を荒立てる事無く穏便に進める為にも今は現状維持が望ましいのだ。しかしベルモットが再び接触する気でいる以上、何かしらの策は練る必要があるだろう、そう踏まえて思考を巡らしていた時。コナンは沖矢を見上げた。 「そう言えば不審に思われ無かったの?列車で帰って来た僕が此処に間に合う様に結構遠回りをして帰ってきたんだよね?」 灰原の身を守り、八号車の切り離しもの力を借りて無事に成功した後、コナンのスマホに送られてきた沖矢からのメッセージは“この後、工藤邸にて”という短い文面。不思議に思いながらも事情聴取後、直ぐに手配されてやって来た列車に乗って米花町に戻り、コナンが工藤邸に到着したのは沖矢とが到着する一時間程前の事だった。車だったならもっと早く到着しただろうに列車の方が早かったということは、沖矢はコナンが先に工藤邸に着く様にかなり遠回りをした事になる。リビングの隣にある部屋から沖矢との会話を全て聞いていたコナンは、そんな時間稼ぎに文句一つ零さなかったが気になり沖矢に問うたのだが。 「全く不審がられなかったよ」 「そ、そうなんだ…」 「警戒心の欠片も無いらしい」 「あはは…」 どうやら其の点は問題無かったらしい。性格の問題もあるのだろうが、もしかすれば其の超人的身体能力故に普通の人より遥かに危機感というものが薄いのかもしれない。其れは結局偽ではあったが火事で煙が充満しているにも関わらず逃げずに部屋で待機していた点からも窺える。最早の人間性には苦笑しか浮かばず、コナンは乾いた笑い声を上げた。 |