人は突然、自分の習慣を変える事は出来ない。


「でね、履歴書見るなり面接官何て言ったと思います?」

「何て言ったんですか?」

「今すぐお引き取り下さい!って叫ばれました」

「それはまた」


ソファーに座りながらキッチンに向かって前のめりになるは今日の出来事を話した。其れを聞きながらキッチンで食材を一定のリズムで切る安室は苦笑する。


「笑い事じゃないですよ!結局そのまま追い出されて!」

「でもどうして面接直前で追い出されたんでしょうね」

「後から其の会社の人事部の人から電話が来て聞いたんですけど、何でもその面接官って少し前まで池袋の店舗に勤務してたらしくて静雄とかあたしの事を知ってたらしいんです」

「其れで落とされたんですね」

「面接すらさせてもらえませんでした。初めてですよこんなの」

「そんな経験はそう簡単に出来るものじゃありませんから、きっともうありませんよ」

「である事を祈りますっ」


両手両足を投げ出してソファーに寝そべったは最早安室の部屋を自室であると勘違いしているのかもしれない。


「はーーーー。安室さん安室さん安室さーーーん。あたし就職出来る日が来るんでしょうか」

「世の中に企業は沢山ありますから、いつかは定職につけますよ」

「本当ですか?あたしにはもう就職とか定職とか、もう都市伝説です」

「そんな大袈裟な」

「何が大袈裟ですか!あたしが彼此何社面接して何社落ちてると思ってるんですか?もう両手両足使っても足りませんよ!」


安室が超絶危なっかしい組織の人間だと沖矢に知らされてからといえば、そんなまさかと思いつつも疑ってしまったりで距離を置くべきかと考えたものの、昨日は帰宅した時には安室は未だ外出中だった様でおらず、翌朝面接時間ギリギリに目が覚めたは朝食を取る時間すらなく慌てて飛び出した事で隣の部屋の物音や気配に気を配る暇は無かった。そして朝の面接が今しがた安室に話した通りで、苛々しながらも求人募集に目を通し新たに企業に面接予約をしてから帰宅をしたのが夕方。隣からは物音が聞こえ安室の在宅が確認出来ると、あの面接官の理不尽さの愚痴を無性に途轍もなく言いたくて堪らなくて、組織だとか危険だとか、そんな昨日知り得た情報は綺麗さっぱり全て忘却の彼方に追いやって、現在進行形では安室の部屋にて愚痴大会を開催していたのである。


「夕食はパエリアにしようかと思ってるんですがさんも如何です?」

「すっっっごく食べたいですけど今回は断念します…」


眉間にぐっと力を込めて口から涎を垂れるのを手の甲で拭いながらは初めて安室の食事の誘いを断腸の思いで断れば、短い付き合いではあるがの食い意地を良く知る安室は意外過ぎる反応に目を丸くした。


「何か予定ですか?」

「はい!今日からバイトなんです。バイトって言っても未だ体験入店ですけど」

「体験入店?」

「流石にお金がそろそろピンチで…日払い出来るらしいんでクラブで一先ず働く事にしたんです」


水商売って初めてなんで緊張します、と照れ笑いするに安室の表情が凍り付き、手元が狂い等間隔に切っていたパプリカが一切れだけ太く切れた。


「バイトなら他にも色々あるじゃないですか」

「応募したら即OKが貰えて。それにやっぱり時給が全然違うんで…」

「そりゃそうですが…危ないですよ」


さんがじゃなくて客が、なんて口が裂けても言えないが、喉まで来ていた言葉を飲み込んで安室は作り笑いを浮かべて、一つだけ太くなってしまった一切れのパプリカを半分に切って丁度良い幅に調整する。水商売なのだから身体に触れられる事はあるだろし、そんな事があればなら其の“暴力”をもってして男を成敗するのが眼に浮かんだ。途轍もなく容易に。


「大丈夫です!これでも接客には意外と自信があるんですから!」

「そ、そうですか…?」


笑顔で拳を握って宣言するは、すっかり以前レストランで伴場に肩を抱かれて持っていた盆を割ったという記憶は抹消されているらしい。全くもって説得力の無いに安室が言葉を失っていると、掛け時計の時刻を確認しては速やかに立ち上がるのだ。


「じゃ、。お金を稼いで参ります!」


左手で敬礼をし、タオルで遮られた穴を通って部屋へと戻って行った。暫くしてから扉の開閉音と鍵の閉まる音が聞こえた後、安室は眉を下げて笑った。


「本当に大丈夫なのか…?」


しかも敬礼は逆の手だ。なんて零しながら調理作業を続け、フライパンに材料を投入して炒め始める。炒めながら時計の時刻を確認し、安室は今夜のスケジュールを頭の中で組み替えた。



















煌びやかな店内に、美しく着飾った女性達。開店前に入店し、店長に説明を受けてから店に元々あったダークブルーの清楚なミニスカートワンピースを借りて着替え、髪型は店の子にコテを借りて軽いゆる巻きにした。程なくして開店し、続々と男性客が入店してくる中、ヘルプで席に着くよう店長から指示を受け、仕事終わりに来たのかスーツを着用する中年男性1人が座る席に先輩ホステスの後を付いて行って向かう。


「君初めて見る顔だね、新人さん?」

「はい!エレナです。よろしくお願いします」

「エレナちゃんかー、宜しくね」


中年男性は眼鏡を押し上げながら、にやりとに笑い掛ける。其れに答えるようにもほんの少し首を傾けて笑みを深めれば満足したのか男は自身の隣を叩き、激しくを手招きするのである。


「いやー。エレナちゃん可愛いね、ほら!隣においで」

「失礼します」


客の本命である先輩ホステスは客の左側に、右側にが座る。エレナという源氏名は、源氏名を考えていなかったに店長が適当に付けてくれたものだ。


「なんか初々しいなぁ…この業界は初めてなのかな」

「分かりますか?」

「分かるよ」


男はの方へ近寄る様に座り直し、笑みを絶やさない。あくまではヘルプであって、本命ホステスは別に居るのに、男は席に着いてからも先輩ホステスを放置してに集中するのだから、客の気を悪くさせない様に先輩ホステスの方へと意識を向けさせようと言葉を選んでいた時である。


「あの、」

「何?これくらい普通だよ、みんなこんな事くらいじゃ何も言わない」


遠回しにそんなんじゃ此の業界ではやっていけないよ、とでも言われている様な気分だった。お金を稼ぐ為には多少の我慢は必要だろう、だからこれも我慢しなければならない内なのか。そう考えて太腿を撫でる手を意識しない様に努めていれば、直に感じる人の体温に完全に顔が引き攣るのだ。


「ちょ、」

「いいね、その顔。もっと見たいな」


スカートの上から撫でられていた手が、直に肌に触れる位置に移動しており、太腿と膝を行ったり来たりしている。男は完全に鼻の下が伸びており、視線は太腿へと向いていて、助けを求める様に先輩ホステスに視線を向ければ先輩ホステスは知らぬ振りを決め込んでいた。此の客は常習犯らしい。


「ほら、特別にあげるから。ね、ね?」


そう言って三つ折りにされた一万円札をチラつかせた男はの胸元へ札を忍ばせ、太腿を撫でる手は上へ上へと向かい、そして遂に内太腿に触れた。スカートの下ギリギリの手は少しずつ上へと伸び、そしてスカートの中へと侵入しようとした時、の我慢が限界を迎える。


「え?」


胸倉を掴まれた男は目を点にして間抜けな声を漏らした。そして刹那、目にも留まらぬ速さでテーブルに叩き付けられテーブルは真っ二つとなり、其処ら中から悲鳴が上がる。


「触んな気持ち悪い!!!」


が青筋を浮かべ男に向かって怒鳴れば、完全に青褪めて恐怖に怯える男をは容赦無く大きく振り被り投げるのだ。男は次々と衣服が脱げていき、最終的にネクタイとパンツだけとなって壁に激突し床に沈む。ピクリとも動かなくなった所から意識は無い様だ。


「ふぅー…うええ、気持ち悪い…!」


思い出せば身震いし、男に触られた太腿を摩った。ホステスという仕事の過酷さを身をもって体験したが、正気を取り戻し周囲の目が自分に向いている事、そして其の目が恐怖に染まっている事に気付くのに、そう時間は掛からなかった。そしてこれまた、此の後の展開がどうなるのか悟るのも、そう時間は掛からなかった。



















予想通り、というよりも今までの経験通り、あの後直ぐに店長にスタッフルームに呼び出されテーブルの修理費は良いから今すぐ帰ってくれと追い出され、は化け物でも見る様な目達に見送られながら店を出た。此の時間の繁華街は賑わっていて、どこもかしこも何だか楽しそうで疎外感を感じる。


「お疲れ様です」


不意に聞き覚えのある声が聞こえ、自然と視線は其方に向く。ガードレールに腰掛ける安室が穏やかな表情で其処に立っていたのだ。


「やっぱり駄目でしたか?」

「やっぱりって何ですか!」

「おや、失礼。失言してしまいました」


はは、と爽やかな笑みを浮かべて笑う安室は明らかにをからかっていて、其れが何だか癪で、ついつい膨れっ面になってそっぽ向きながらは大股で歩き出すと、其の後をクスクスと笑いながら安室は追うのだ。


「誰だって内太腿触られたら怒ります!」

「セクハラですね」

「そうですよ!あともうちょっとでスカートの中でしたよ!手!!」


繁華街のど真ん中を大きな声でぷりぷりと怒りながら大股で歩くや、可笑しいと言わんばかりに笑いながら追う安室を、時々すれ違う人々が振り返り見る。そんな人の目が気になったのか口を閉ざしたは、少しの間をおいてから後ろを歩く安室に顔を向けた。


「安室さん、何であそこに居たんですか?」

「たまたまですよ」

「たまたまですか?」

「偶には外で飲むのも良いと思いまして。店を物色していたらあの店から人の悲鳴と物が壊れる音が聞こえてきたんで、外から様子を窺ってたんですよ」

「そしたらあたしが出てきたって事ですか?」

「そういう事です」

「…今日の晩御飯パエリアでしたよね?」

「そうですね」


が歩みを止めて振り返り問えば返ってくるのはやはり笑みで。は安室に大股で詰め寄ると声を荒げるのだ。


「本当の理由は!」

「質の悪い客に当たればさんならカッとなって投げるくらいすると思いまして。そんな事を起こせば店側はさんを直ぐに追い出すでしょう。繁華街の夜道を女性一人で歩かせるのは危ないじゃ無いですか」

「…安室さんの言ってた危ないって、あたしじゃなくて男の人達の事だったりします?」

「そんな訳ありませんよ」


今日この時程、安室の笑みを胡散臭く感じた事は無い。安室をジト目で暫く見やった後、は早々に気持ちを切り替えて腰に手を当てた。


「どうやってあの店だって分かったんですか?」

「この辺りで今体験入店を募集しているクラブはあの店を含めて三店舗…其の中で一番時給が高かったのがあの店でしたから」

「…この!探偵め!」

「其れは貶されてるんでしょうか?其れとも褒めてくれてます?」

「プライバシーの侵害です!」

「あはは」


隠していた訳では無いが、こうも簡単に知られてしまうと隠し事なんて出来そうに無い。現在隠したい事なんて一つも無く、何を知られても困る事は無いが。部屋の状況から今更プライバシーの侵害も何も無いのは重々理解しながら(しかも其れは自分の所為故に少なくとも自分が言える事じゃない)探偵の事を何でも良いから悪く言いたくて口にするが、安室には全く効果は無いらしい。


「お腹空きませんか?」

「空きましたが何か!」

「出来上がってから少し時間は経ってますがパエリアありますよ」

「頂きます畜生!」

「折角ですから少し良い白ワインでも買って帰りましょうか」

「最高ですね馬鹿野郎!」


怒っているのか怒っていないのかよく分からないを笑顔で遇らう安室を、擦れ違う人々は可笑しな目で見ていた。









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