あれから二日程経った。綺麗だった制服は砂や埃等で茶色く汚れが染み付き、プリーツスカートも今になってはぐちゃぐちゃ以外の何者でもない。毎日念入りに手入れをしていた髪も絡まり解れ、外見はもうすっかりこの場に相応しい汚いものとなっていた。鞄と参考書の入った紙袋をまるで宝物の様に大事に抱き抱え、ふらふらと路地を歩く。汚い街に、汚い人間。すっかり街に同調してしまった自分の外見は、誰の目にも留まることなく此の街に馴染んでいた。完全に馴染むには少々まだ服が綺麗で皆に比べると生地もしっかりしたものの様にも思えるが。所謂現役女子高生のは只の平凡な学生だった。勤勉で、まだ二年でありながら来年に控えている進学の受験に備え、自宅で今迄の復習や三年で習う授業も先取りして学び、非行に走る事もせず、派手な行動を取る様な事もしない。所謂優等生の模範のような生徒だった。友人も少なくもなく、誰とでも隔てなく接する其の姿勢はとても周りから好感を得ており、実際自分でも恵まれた環境にいることを自覚していたので不満は何一つ無かった。器用で要領も良く、何でも並程度ならそつなくこなし、それ以上は努力で補うタイプの人間である。不満は何も無かったはずだった。特に変わったことも無かった。それが何故、このような怪奇現象を引き起こしてしまったのか。未だに其の答えは見つかりそうに無い。


「(………汚い)」


この街に皮肉にも滞在して二日が経つ。最初は空腹を訴え鳴いていた腹も静かになり、水分を欲している口腔内はカラカラに乾いていた。それでも空腹であることも、喉の渇きがどうにかなったわけでもない為、食料と水を求めて歩き出したものの当たり前のように歩けばあるような見慣れたコンビニエンスストアがあるはずもなく、窃盗未遂を行ったあの子供を見る限り街を歩いていても到底食べ物は見つかりそうになかった為、探しものは水一つに絞って歩いた。しかし何処を歩けどあるのはゴミ、ゴミ、ゴミ。時々倒れた人間を見かける程度である。公園等にある水道の蛇口でもあればと探してみるも、そもそもアミューズメント施設すら見つかることは無かった。そして漸く辿り着いたのは街の端まで歩いて見つけた遥か水平線まで続く海だ。とはいえ海水は飲み水とは言えないので蒸留するしかないのだが、蒸留する為の道具を生憎は持ち合わせていない。追い討ちをかけるかのようにに蒸留して飲むという手段を断念させたのは、その海の汚さだ。茶色く濁った水面に、ふよふよと浮かぶゴミ。蒸留して真水にしたとしても、流石にこの水を口にするのに抵抗があったのは今迄の生活が身体に染み付いているからだろう。


「(…かえりたい)」


唯々切実にそう願い、その場にしゃがみ込んで顔を伏せた。二日前と違う点は“夢から覚めたい”から“前の場所に帰りたい”である。夢でない事は二日前に身をもって知った。故に此処が自分の夢の中だと言い張るつもりは最早毛頭なかった。唯、願う。祈りを捧げる神は居ないが、願うことしか今は何も出来なかったのだ。


「………。」

「…此処で何してる」


砂浜を歩く音が聞こえ、其れが立ち止った為には顔を上げた。とても虚ろな目で、まるで死人のような顔をしているとは自覚はあったが笑顔を取り繕うほどの気力も体力も今のにはなかった。低い掠れた声でを見下ろしていたのは老婆だった。薄汚れた布切れを何重にも何重にも巻きつけた厚着をした醜い老婆だった。老婆は見下すように頭の先から足の爪先まで、ねっとりと舐めるようにを見る。それが酷く不快だったは顔を歪ませギロリと強く老婆を睨み付けた。


「…フン。小娘が生意気な目をして…。付いて来な」


鼻で笑い、吐き捨てるように言えば老婆は踵を返し大きな歩幅でずんずんと来た道を戻って行く。老婆に掛けられた言葉がイマイチ理解出来ずに居たは呆然と老婆の背中を見ていた。老婆は其れは面倒くさそうに振り返り言う。



「耳まで腐っちまったのかい。グズは嫌いなんだよ!早くしな!!」

「っ」


老婆の言葉に耳を疑う。こんなにも貧困な街だ、己の生活すらままならぬ状態なのは確実であろうというのに、まさかこの老婆は自分を救ってくれるつもりなのだろうか。そう思わずにはいられない、もしかしてと期待してしまう自分が確かに居たのだ。すっかり遠くまで行ってしまった老婆を見失わないように慌てて追いかけて行く。すっかり衰弱した身体は突然立ち上がったことに眩暈を起こしたが、それでも構わず老婆に向かって駆けて行く。見えた一筋の希望の光は薄汚れた醜い老婆。それでもにとっては光だったことには変わりはなかった。









老婆に付いて行き辿り着いた場所は家とは形容し難い様な家だった。建物と建物間を突き進み、少し広さのあるスペースに布やガラクタ等で壁と屋根を作ったような、まさにホームレスのような創作性溢れる家だった。カーテンのような吊り下げられた布を捲って老婆に続き中に入るとベッドような寝る場所と思われる布が山積にされたスペースと、何処からは拾ってきたと思われる錆びついたテーブル代わりにしていると思われる鉄骨があった。老婆にベッドと思われる箇所を指差され、戸惑いながらも其処に座る。座った瞬間埃が舞う。隙間から空や外が見えるとはいえ、布やガラクタで作られた家は通気性が良くないのか空気がとても淀んでおり、ストレートな表現を使うならば、なかなか臭う。しかし此処に二日間滞在している間に嗅覚も可笑しくなってしまったのか、は然程その異臭は苦痛ではなくなっていた。其れから老婆はに水とパンを与えてくれた。決して綺麗とは言い難い黄色く淀んだ水と、カピカピに硬くなってしまったパン。以前なら口にしようとすら思えなかった状態のものだがは勢いよく其れに食らいつき、一気に飲み干した。今までこの街で見てきたものの中で一番まともな食事だった。パンが硬く咀嚼は困難。味も決して美味しくはなく、むしろ不味い。水も口の中で変な味がするし何か混入しているのか喉通りも悪い。それでも、それでも、は枯れたはずの涙を流しながら夢中で食事を味わった。美味しくはない、確実に不味い。それでも“とても美味しかった”涙が止まらなかった。何処にまだそんな水分が残っていたのか不思議なくらい、はボタボタと涙を流し、嗚咽しながら口の中にパンを押し込み、水を飲み干す。食後、決して満腹にはならなかったがは深く深く項垂れた。老婆に深く頭を下げ、上手く呼吸が出来ず言葉にならなかったが何度も何度も老婆に礼を言った。老婆は何も言わず、をじっと見つめるだけだった。










BACK | NEXT

inserted by FC2 system