あれから更に二日が経つ。エリッサは実に過保護老婆であった。が異世界から来たと発覚してから、一歩でも外に出ようとすると慌ててエリッサが止めてくるのだ。一日に一食でも食にありつければ、かなり運が良い方だと言うのにエリッサは食事は全てへと与えていた。其れを申し訳なく感じていたは何か少しでも役に立てればと街へと探しに行こうとしただけなのだが、今となっては立とうと腰を浮かしただけで「何考えてるんだい!!」「此処から出るんじゃないって言っただろう!!」と怒鳴られてしまうのだ。結果、この二日間本当に何もせず只々じっとベッドの上に座っているだけの生活である。食事はエリッサが何処からか拾ってき、それを全てへと与える。寝床はいつの間にかをベッドで眠らせ、エリッサが堅い床で眠るようにもなった。


「エリッサさん、」

「…なんだい」

「どうして、此処まであたしに良くして下さるんですか」

「………。」


何気なく問うた返事をエリッサは返さない。不思議に思ったが、問い詰めるようなことではないと判断しはそれ以上何も言わなかった。そんな時だ。外から強烈な甲高い女の叫び声は聞こえてきたのは。は思わず飛び起きエリッサを見るが、エリッサは動じた様子が全く見られない。まるで慣れているとでもいうように。女の叫び声は今も尚続いており、には其れが助けを求める悲鳴に聞こえたのだ。耳をすませば微かに複数の男達の声も聞こえ、は自身から血の気が引いていく思いだった。一週間と二日前、自身が此の世界に来て直ぐに体験した忌まわしい体験が蘇る。恐る恐る、地面を張って声のする方へと向かい目の前の布を少し捲って鉄のガラクタの隙間から外を窺った。その現場は直ぐ其処の、此処から丸見えの所だった。


「イヤよ!放して!!」

「そう言って放す奴がいるかよ!」

「それにしても付いてるなぁ!此の前の女にしろ、こいつにしろ、珍しく若い女が捨てられてくるじゃねぇか!」

「イヤよ!やめて!はなして!いやっ、」


此処に居る人間に比較すると女性は身なりが綺麗で先程此処に捨てられて来た事が簡単に推測出来る。そしてそんな女性に絡む男性達をは嫌と言う程に見覚えがあった。あの時の男達だったのだ。途端身体中の毛が逆立ち目の前がぐるぐると廻るような気持ち悪い感覚に襲われる。込み上がって来る感情は黒いドロッとしたものだった。外を窺ったまま身動き一つ取らないにエリッサは口元をへの字に曲げると、の肩を引き隙間から遠ざけて、まるで代わりにと言わんばかりにエリッサは先程の同様に隙間から外を窺った。


「またアイツ等かい…」

「…エリッサさん、あの人達知ってるんですか?」

「知ってるも何も最近この島に碇泊してる海賊さ」

「海賊…?」

「言っただろう、此処はグランドライン。海賊なんざぁ、ごろごろ居るもんなんだよ。アイツ等は少し前から此の島に居てねぇ…。ああやって何処からか捨てられてきたばかりの身なりの綺麗な若い女を食っては捨て食っては捨てを繰り返してるのさ」

「これが海賊…」


海賊と言えば金銀財宝を求めて海を越え冒険するような、そんなものだと思って居た。それは実物を豪く美化しているものだと知る。でもそんな先入観があっても致し方なかったのだ。実際の暮らしていた世界は平和で、海賊をテーマにした映画や漫画が沢山あった。そういったものを見ながら育ったにとって結局海賊なんてものは遠い存在で、まさにテレビの中や紙面の中でだけのものだったのである。それが今、身近に感じている。目の前に本物の海賊が居るのだ。それからはあまり此の後の事を覚えては居ない。耳を塞いでも聞こえる女性の悲鳴、男達の愉快そうな笑い声。目を硬く瞑っても蘇るのはあの時の事だ。身体が震え涙が出る。恐ろしい体験だった。このまま死んでしまいたいくらいの苦痛だった。目の前で今現在その犠牲に遭っている女性もきっとと同じ恐怖や苦痛を味わっているのは明白だった。女性の悲鳴は叫びで、絶叫だった。間々に嗚咽が交じっている。しかし助けなければ、なんていう様な、感情はには無かった。自分が無力であることをはよく理解していたし、何よりあの恐怖を二度と味わいたくなかったのだ。あの場に飛び出して、また同じ目に合いたくなかったのだ。結局が選んだことは目の前の女性を見捨て自分がこれ以上汚されないようにと男達が早々に何処かへ行ってくれるのを只々じっと耐えて待つだけだった。



















結局その日、は一睡もする事が出来ず夜が明けた。の目の下にはくっきりと黒い隈があり、其の背に背負うはどんよりとした薄暗い空気だ。結局あの後の被害にあった女性と男達がどうなったのかは知らない。一睡もしていないのは確かではあるが、その辺りの記憶があまりには残っていなかったのだ。別に覚えていたかったわけでもないのではあまり気にしていない。そんな時だ。食料を求め外へと出ていたエリッサが駆け込むように慌てて帰って来たのだ。随分と走ったのだろう、息を切らせ肩で呼吸をしながらエリッサは額に浮かぶ汗を拭った。


「エリッサさん…?」

「…何でも、ないよ」


明らかに目を逸らし、返事をしたエリッサは直ぐにに背を向けて外をちらちらと見る。明らかに不審な動き。明らかに挙動不審だった。は恐る恐る声をかける。


「エリッサさ」

「良いから黙ってな!!」

「………、」


かけた声はエリッサの怒声に掻き消される。エリッサの様子が変なのは今に始まった事では無かった。先日から何かを待っているかのようにそわそわとし、そんな時に声を掛ければ五月蝿いと黙れと怒鳴られるのだ。元々エリッサは短気な性格もあってか怒りやすかった為、はあまり気にしないでいた。エリッサは両手を何度も擦る。何度も外とを交互に見やる。此の行動に流石に何かあると感じたは再びゆっくりと口を開いた。


「ねぇ、エリッサさん…。何を隠してるんですか?」

「な、何も隠しちゃなんかいないよ!!五月蝿い小娘だね!!」


途端図星を突かれたかのように慌て声を荒げたエリッサ。今まで怒声を浴びせられたことはあれど、暴力だけは振るわれたことはなかったというのに、エリッサはあろうことか近くに置かれていた錆びたランプを勢いのまま引っ掴む。まさかとは顔色を真っ青にさせ、咄嗟に頭を抱えて身を守るように縮こまった。刹那、少し離れた所で聞こえる硝子の割れたような高い音。ゆっくりと伏せていた顔を上げて横を見れば、少し離れた場所で粉々に硝子の割れたランプがある。エリッサはまだ息荒くを睨みつけていて、は初めてエリッサに恐怖と不信感を抱いた。もし力んでいなければ、狙った所に飛んでいたら、今頃自分は―――そう考えての熱はどんどん引いていく。するとエリッサは何かに気付いたのか、ぱっと表情を優しいものに変えてに駆け寄る。


「悪かったねぇ…。ついついカッとなっちまって…。怪我はないかい?」

「…え、ええ…。」

「そうかい。それなら良かった。…それより、アンタに会わせたい人がいるんだよ」

「会わせたい人…?」

「そうだよ」


そしても気付く。複数の足音がこちらに近付いて来ている事を。この島のあちこちで、捨てられた人間は独自で家を作り生活を送っている。しかし周辺でこうして生活しているのはエリッサとだけだった。人通りも少ないこの路地は殆ど人が通ることがない。よって、この足音の行き先は間違いなく此処であるのは明白だった。しかし、それもに疑問を抱かせる。


「(エリッサを尋ねてきた人なんて今迄一人も居なかったのに…)」


思えばエリッサは他人とコミュニケーションを取るのには不向きな性格だと思う。短気でキレやすく、理不尽な人だった。そもそもエリッサだけでなく、この島に集められた人達は他の人達と交友関係を持とうという意識が根本的にないように窺えた。全員が確実に生活が保障されているわけではないのだ。だから道端では人が倒れ、それを助ける人も居ない。子供が生きる為に窃盗を行おうとするのだ。まるで信じられるのは己だけで、それ以外の人は皆敵であるかのような印象だった。だからこそ、こうして此処に尋ねてくる人物が一体どんな人なのか不思議で仕方が無かったのである。










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