「………。」

「………。」

「………………。」

「………………何よ」

「え、やっぱり本当に?吃驚した!」

「………………………………。」


ダイニングテーブルを勢いよく叩いて立ち上がったウィル。その表情は驚愕のもの。はこの複雑な心境をどうしたものかと悩んだ。



















事の始まりは今から1時間と少し前に遡る。あの後、が落ち着いてから行動を起こした二人は港に止まっているウィルの船へと来ていた。ウィルの船は立派で大きな船だった。案内された港に碇泊した一隻の船に向って「あれだよ」と指差された時は思わずはウィルと船を交互に何度も見たものである。明らかに一般人が買えなさそうな船だったのだ。シンプルな装飾の船は豪華さは確かになかったが、普通の小型船が碇泊しているものだと踏んでいたからすれば、その船体はあまりにも大きすぎるものだった。ウィルが先に船へと乗り込み、続いても恐る恐る乗り込む。広々とした甲板には白い丸いテーブルとイスが設置されており、は他に乗組員がいるのかと周囲を見渡すとの様子に気付いたウィルは小さく笑って「乗ってるのは俺だけ」と明かした。


「この船は俺の家みたいなものだからさ。普通の家くらいの設備なら整ってるよ」

「…此処に住んでるの?」

「みたいなものかな。俺さー、海好きなんだ。ずっとこの景色眺めてたくて。だから家に帰るよりも此処で生活する事の方が多い」


照れ隠しをするように人差し指で鼻の下を擦れば、ウィルは「此処で待ってて。船を出すよ」とをその場に残し船を出す為行動を起こす。残されたはどうしたら良いのか分からず戸惑っていると去って行ったはずのウィルが駆け足で戻ってきた。


「言い忘れてた!」

「?」

「風呂、入っておいでよ!其処のドアから中に入って廊下の突き当りを左、其処が浴室になってるから。脱衣所の棚にタオルが入ってるから使って!服はちょっと大きいと思うけど俺のを貸すよ。後で置いとくな」


は未だに小汚い格好をしていた。あの島には入浴出来る様な場所はなく、海も汚れていて身体を洗い流すどころか余計に汚れてしまうような水しかなかったのだ。その中でも比較的に綺麗でマシなものを彼らは飲み水として飲む。綺麗な水はなかなか手に入るものではなく、何よりそんな貴重な水を入浴に使おうとするような贅沢者は居なかったのだ。


「………、いいの?」

「勿論!ささ、入ってきなって遠慮しないでさ。あ、荷物だけど中に適当に置いときなよ?別に取ったりするつもりないし」


にこりと爽やかな笑みを浮かべるウィルは美少年だ。爽やか系スポーツ青少年である。は暫し悩んだ末にウィルに風呂を借りることを決意すると控えめに会釈した。ウィルは満足そうに笑うと「じゃ、出航の準備してくる」と今度こそ去って行く。は緊張しながらも中へと続く扉のドアノブに手をかけた。室内を見渡しては頭痛を覚えた。外装だけでなく内装までもが立派な船だった。


「………。」


中はとても広かった。扉の向こうには家で言う所のリビングがあったのだ。キッチンにダイニングテーブル、其処にはテレビなるものはないものの、完全にリビングだった。ダイニングテーブルは茶色い木の色のもので4人用程度のもの。同じ素材の椅子と食器棚がある。食器棚には多くも少なくもなく、様々な大きさ形の食器達が綺麗に整理されていた。キッチンも全く使っていないというわけではないらしく、今日も使った後なのだろう、水切り籠の中にはまだ少し濡れた食器やフライパンがあった。ウィルの顔を思い出してみる。決して料理や家事が出来ないようには見えないが、出来るようにも見えない。何ともいえない敗北感には見事に沈んだ。薄汚れた自身の鞄を流石に机や椅子の上に置く勇気はなかった為、は鞄を邪魔にならないよう隅っこの床に置いた。リビングを通り過ぎ、言われた通り廊下の突き当りを目指して歩を進める。


「此処を左…よね?」


左手にある扉のドアノブに手を掛けてゆっくりと扉を開ける。中は薄暗くてよく見えなかったが近くに電気のスイッチを見つけてボタンを押した。明るく照らされた照明、見えたのは広々とした脱衣所だ。勝手に棚を開けるのには気がひけつつもは棚を開けてバスタオルを一枚取り出す。タオルを掛けておき、ドアを閉めれば身に纏っていた制服を脱いだ。露出していなかった部位までも砂や埃が付着していて汚らしい。ウィルが着替えを貸してくれるとは言っていたが流石に下着まであるはずないと踏み、は下着を持って浴室の扉を開けた。中には木で作られた浴室が広がっていた。言うまでも無く、無駄に広い。


「…家のお風呂より広いなんて…」


贅沢、その言葉は声には出さず飲み込んだ。きっとこの船には贅沢じゃない所なんて一つもありはしないのだろう。備え付けられたシャワーに手をかけ蛇口をひねる。お湯と一緒に出したが最初に出た水は冷たく思わず身震いした。シャワーの先端から出た水は透明だった。は生唾を飲む。冷たかった水も時期に温かくなり湯気が立ち込める。触れれば丁度いい温度で身体に浴びればとても気持ちが良かった。


「…っ、」


今迄普通だと思い浴びていたシャワーすら、今となってはこんなに貴重なものに思える。あの島は最低だったが、今までがどれだけ恵まれていて最高だったかを教えてくれた場所だった。透明な水を見るのは久々だった。身体に降り注ぐ水が酷く愛おしい。は声を殺して泣いた。









の風呂は実に長かった。一週間以上も自分が風呂に入っていなかったと考えると身震いがする。久々の風呂ということもあり、ゆっくりと鼻歌を歌いながら満喫し楽しんでいた。すっかりウィルの存在すら忘れていたは、思い出すなり慌てて脱衣所の扉を開ける。いつの間にかウィルが代わりの洋服を置きに来ていたのだろう。男ものの洋服が置かれており、は無性に恥ずかしくなった。風呂場で一番最初に洗った下着はまだ湿って濡れていたが、何も着用するわけにもいかずは少しの気持ち悪さを感じながら下着を見に付け、上からウィルから借りた白いTシャツと黒のズボンを着用する。Tシャツは長袖なのだが袖口から一向に手が出る様子はなく、ズボンの裾も長く足が出るどころか裾を踏んで引き摺り歩くような状態だった。は袖と裾を何度か折り返し丈を調整すれば、まだ濡れた髪のまま火照った身体で脱衣所を出てリビングへと向う。廊下から見える窓の向こうからはすっかり日が沈み、海しか見えなくなっていた。リビングに戻るとウィルは椅子に座り、自身で淹れたのだろうホットコーヒーを飲みながら本を読んでいた。声を掛けるべきか悩んでいると、ウィルはに気が付いたのか本から視線を外しへと視線を向けた。そして冒頭に戻る。



















「いやー、お風呂に入るだけでこんなに変わるもんなんだね」

「………。」

「いや、馬鹿にしたわけじゃないんだけどね…?ね?」


焦ったようにウィルは慌てて否定するがの不機嫌丸出しの顔は一向に変化が見られない。ウィルは仕切りなおすように立ち上がると「珈琲淹れるよ。ミルクと砂糖はいる?」と冷や汗を流し硬い笑顔でに問うた。それがあまりにも間抜け面では少しだけ表情を柔らかくする。ウィルは改めてを見た。身体中砂や埃で汚れ、絡まりぐしゃぐしゃだった髪で全然気付かなかったが、今こうして見るとよく分かる。色白の肌はきめ細かく傷一つ見当たらない。今迄陽の当たる場所に出たことが無いのかという程に色白だった。それとは逆に髪や瞳は黒い。茶色等、一切の混じり気のない漆黒は艶やかで、綺麗で美しいとウィルは素直に思った。胸下まで伸びた髪は柔らかいウェーブを描いてる。きっと触れれば想像通り、柔らかく指をすり抜けていくのだろう。ウィルはを単純に綺麗な子だと思った。


「ミルクも砂糖もいらないわ」

「ブラック派?大人だねー」

「…馬鹿にしてるわよね、絶対」

「いや、馬鹿にしたわけじゃ…。ていうかっていくつ?」

「16。今年で17になるけど」

「嘘だろ」

「嘘じゃないわ」

「………。」

「失礼ね」


暫し流れる沈黙。珈琲を淹れたウィルは、マグカップをそっとの前に置くと蚊の鳴くような声で小さく謝罪を述べた。特にそれに返事を返すことなくは珈琲に口を付ける。苦味と一緒に優しい味が口腔内に広がる。久しく飲んでいなかった珈琲は、とても美味だった。


「俺今年で18」

「年上だったんだ。ごめんなさい、タメ口…」

「いや、いいよ。そのままで」


出会い方があの状態下だった為、咄嗟に敬語が出ず今までタメ口だったのだが、いざこうして年齢を聞くとは不味かったなと少し顔を伏せる。それを片手を左右に振って問題ないと答えるウィルは、実は敬語が苦手なんだと話した。


「敬語なんかいらないって。気軽にいこうな」

「…うん」

「じゃ、そろそろ本題」


ウィルはそう告げると空になったマグカップを置き立ち上がる。備え付けの棚を漁ればにも見覚えのある白い箱に十字のマークが入った箱を手に取った。振り返ったウィルは笑顔だ。



「傷の手当、しよう」

「………。」


殴られた痛みも引き、すっかり自身が殴られていた事を忘れていたは思わず言葉を失う。そういえばそんな約束をして此処に来たのだと言う事を。ウィルは救急箱の中から塗り薬やガーゼ等を取り出し着々と準備を始める。さあ始めよう、そうとでも言うように消毒液とガーゼを持ち笑顔を見せたウィル。しかしは片手を突き出すことによってそれを拒んだ。


「自分でやるわ」

「そう?じゃあ鏡でも持って来ようか」

「そうしてくれると有りがたい」


ウィルはリビングを出て行き廊下の先にある浴室とは別の扉を開けて中へと入っていった。はそっと息を吐く。今の所ウィルは害のなさそうな人間に見えるが、それでも無害だと確信して断言出来るわけではないので油断はならない。何より今のは未だ“男”に近付かれるのは怖かった。










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