ちびちび、そんな風に梅酒を飲む。今迄アルコールを飲んだことがあまりなかった為、あまり強くなく直ぐに顔も赤くなり、酔ってしまう。ウィルは慣れれば強くなるなんて言うが、生涯このまま変わらず酒に弱いままになりそうな気がした。左隣では空になったジョッキを幾つも並び揃え、うつ伏せになり寝入っているウィルが居る。彼が酒を飲んでそのまま寝入る姿が初めて見た。右隣ではロッググラスを片手にほんのりと頬を染めるヒナが居る。視線に気付いたのかヒナは視線をこちらへ向けた。


「彼、寝てるのね」

「みたいですね」

「酒に飲まれて寝るなんて初めて見るわ」

「ヒナさんも?」


思わず尋ねた。付き合いがそれ程長くない自分だから、というわけではなく、ヒナですらウィルのこの姿を見たことが無かったと言うのだ。振り返りウィルを再度見る。呼吸に合せて少し身体が上下に動くだけで、それ以外一切動く気配がない。ヒナの持つロックグラスの中の氷がからん、と音を鳴らした。


「初めてよ。強い子だから、いつも素面だった。潰れて寝てる所なんて見たこと無かったわ」

「あたしも今日初めて見ました」

「よっぽど嬉しかったのよ」

「え?」

「貴女がウィルを助ける為に撃った。その事実が嬉しかったのよ。照れ隠しかしらね、いつもより早いペースで飲んだのは」

「そんなわけ…ないですよ」

「そんなわけあるわ。…人を殺めるのは覚悟のいることよ。誰も望んで人を殺めたりなどしない。決してその行為は褒められるべきことではないでしょう」


ヒナは残りの酒を一気に飲み干し、氷だけを残してロックグラスをテーブルに置く。空いた手で頬杖を付くと顔ごとへと向けた。やけにその表情が真剣味を帯びていて、は顔を引き締める。


「それが分からない程、貴女は馬鹿じゃない。それはわたくしもウィルも分かってる。だからこそ、貴女が覚悟を決めて引き金を引いた事なんて直ぐに分かるわ。…正直な話、あの距離だとわたくしはウィルの元へは間に合わなかった。ウィル自身も対応出来たとしても無傷では居られなかったはずよ」


拳を握り、下唇を噛み締める。そこまでヒナやウィルが考えているなんて思わなかったからだ。この感情や思考、全てが自分だけが抱えている、感じていると思っていた。


「心から、感謝するわ。が引き金を引いてくれたことに。大切な部下を…ウィルを守ってくれてありがとう」

感謝の言葉。人を殺したというのに、なんと優しい言葉なのだろうか。が笑みを零すとヒナも同じ様に笑みを零す。酔っているからだろう、上手く思考が働かず思った言葉をそのまま吐き出した。素面なら絶対に口にすることはなかっただろう。


「ヒナさん、あたし初めて人を殺しました。確かに最初は…と言うか一瞬だけですけど後悔とか罪悪感がありました。でも、ウィルの顔を見て全部よくなっちゃったんです。ウィルを助けたいとか守りたいとか、そんな恐れ多いこと思って撃ったんじゃないんです。ウィルはあたし何かに守られたりする程、弱くなんかありませんから。あたしはただ、撃つべきだと思って撃っただけなんです」


普段なら口にしない言葉がすらすらと出てくる。酔った時は良く舌が回るとはこの事か。本音を口にしたのは久方な気がした。真っ直ぐあたしの瞳を見て話を聞いてくれるヒナにほっとする。非難するわけでも品定めするような瞳でもない、真っ直ぐ自分を見てくれる瞳。その瞳に安心してしまうのだ。その安心感が、次々と言葉を吐き出すのだ。


「ウィルに笑ってて欲しいんです。ウィルはあたしを救ってくれた人です。身を守る術と武器を与え、あたしにあらゆる大切なものをくれた人。あたしを強くし、生かしてくれると言ってくれました。大切な人です。ウィルはどう思っているかなんて分かりません、でもあたしの居場所はもう此処しかないんです」

「…ウィルの事が好きなのね」

「…それは分かりません。恋愛として好きなのか、人として好きなのか。でもきっとこの感情は後者です」


この世界に居場所なんてないようなものだった。そもそも生まれた世界が違うのだ。この世界から見れば自分は異端者であるのは明白で、戸籍もなく、血の繋がる家族も、友人や先輩や後輩や、自分を知る者は此の世界には存在しない。それがどれだけ孤独だったか。どれだけウィルという存在が支えになって居たか、誰もこの感情を理解してくれる人間も、今後現れることはないだろう。同じ境遇の人が居るはずがないのだから。やっと得た居場所、自ら帰る場所、在るべき場所だと認識出来た場所。安心出来る場所。そう簡単に手放せるはずがない。そしてウィルへと抱くこの感情が恋なんてものではない事も分かっていた。好きだ、確かに好意的に思っている。しかしこの感情は恋なんて生暖かいもので収まるようなものではないことだけは、はっきりと分かるのだ。だからこれはきっと恋なんかじゃない。


「ウィルと一緒に居たいんです。ずっと傍に居たい。だからウィルを失うわけにはいかないんです。あたしにとってウィルと海賊なんて比較の対象にすらなりえません。ウィルの命に比べれば、海賊の命なんてゴミ同然です」


ウィルに依存していることは充分に理解していた。異常なまでに執着していることも。こんな風に想っている事を分かっている時点で、この想いが恋のはずがないのだ。しかしこの汚い感情は抑えられない。必死なのだ。元の世界で誰かが言っていた気がするが、人は一人じゃ生きていけない。一人で生きていける程、強くない。誰かが居なければ、折角立派に付いた二本の足も、立つことすらままならない只の飾りだ。


「海賊なんてこの世に必要でしょうか?いいえ、不要に違いないんです。あんな存在があってはならないんです。あんなもの存在していいはずがないんです。海賊と名乗る事が罪ですし、そういった行動をとることは大罪に値するんです。殺して良かったんです。何も問題ありません。あたしは間違っていません。あのまま生かしていればまた不幸な人が増えるだけだったんです。人殺しは褒められることではありませんが、善人を守る為の殺害なら、それは正当化されて当然なんです。あたしは海賊を絶対に許しません」

、もういいわ。貴女の気持ちはもう充分わかったから」


止まる気配もなく次々と飛び出す言葉。それを止めたのは話を聞いていたヒナだった。ヒナはの後頭部に手を伸ばすと、そのまま己の方へと引き、強く抱き締める。突然のことにのは話すのを止め、暫く言葉が出なかった。一瞬不快な思いをさせたのかと思ったが、直ぐにそれは違うと悟る。その優しく抱き締める力や、後頭部を慰めるように撫でる仕草。全てがを責めているのではないと語っていた。はゆっくりと瞳を閉じて、最後に呟くようにして言う。


「あたし、もっと強くなります。この世界は強者が生きる世界だから。強くなって強くなって、海賊なんて一人残さず潰します。…海賊なんか大嫌いです」

「ええ…。そうね」


以降、は一言も言葉を発することなく、変わりに寝息が微かに聞こえ始めた。胸の中で安らかに眠るを見つめ、ヒナはそっと目を伏せる。ことり、音が聞こえ視線を向けるとグラスの縁にフルーツが飾られた洒落たカクテルが置かれていた。


「洒落てるじゃない。貴方には似合わない代物だけれど」

「俺には似合わねぇが、お前には良く似合う」


相変わらずの仏頂面で恥ずかし気も無く言ってのけた台詞にヒナは喉を鳴らして笑った。此処で初めてグスタが悪意のない本当の笑みを零した。笑みとは言っても、殆ど表情に変化は見られない。長年の月日があるからこそ、見分けが付くものだった。


「えらいもんを拾ったな。俺は此処まで海賊を憎んだ奴を見るのは初めてだ」

「…色々とあったのよ。この子にも」


今迄沢山の、海賊に傷付けられた人々をこの目で見てきた。その中でも特には強い気持ちがあるように見える。胸の中ですやすやと眠る彼女と、相変わらずテーブルに突っ伏して眠る彼。ヒナはカクテルを手に取るとそれを一口飲む。甘い甘い味がした。


「(その憎しみや怒りを変な方向に向わなければいいのだけれど…。でも、ウィルがいる限り大丈夫そうね。ヒナ安心)」










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