「あっちー…」

「良いお湯だった?」

「良い湯だったけど広すぎて落ち着かなかった」

「何それ」


首にタオルを掛けて浴室から出てきたウィルには笑みを零す。最初こそ、ウィルは不定期にしか風呂に入らなかったのだが、今となってはが毎日入浴することから、つられて毎日入浴するようになった。ウィルは髪を乾かすに目をやると、何を思ったのかそのままの背後に着き、その手からドライヤーを取り上げる。


「ちょっと、まだ使ってるんだけど」

「俺が乾かしてやるよ」


そう言って返事も聞かずにドライヤーが出す温風をの髪へと向ける。優しい手つきで髪を梳きながら乾かすウィル。何だか妙に恥ずかしくなっては何も言えなくなり視線を下へと落とした。


「髪の毛長いなぁ。乾かすの時間かかるだろ?」

「まぁ、うん。…いいよ?自分で乾かせれるから」

「俺が乾かしてやりたいんだって」


が黙っていれば上から降ってくるウィルの声。さり気なくドライヤーを取り返そうと声をかけるが、それは呆気なく却下され、ドライヤーはウィルの手の中だ。温かい風が首元をすり抜け、時折ウィルの手が触れる。恥ずかしさもだいぶ薄れ、今度は妙な安心感が沸いてくる。美容室で美容師に髪を触れられている時のような、そんな感覚だった。


「髪伸ばしてんの?」

「そういうわけでもないんだけど、何となく長い方が良いかなって」

「ふーん。そっか。じゃあさ、このままずっと長い髪にしててよ」

「どうして?」

「長い髪の人が好きなんだ」


へらり、笑みを零して言ったウィルに、は照れるよりも先に頭の中に“タラシ”という言葉が過ぎった。ナチュラルに女性が喜びそうな言葉を言うウィルには、その言葉は酷く似合う。相変わらずの長い髪を梳かしながら乾かすウィルに、はふと昔の記憶に残っていた女性の像を思い浮かべた。


「貞子も?」

「サダコ?」

「…何でもない」

「何だよそれ」


髪の長い女性で、ぱっと思い浮かぶのはホラー映画や心霊番組でも出てくるような不気味な女性だ。その中でも誰もが知っているであろう、映画の登場人物の名前を何気なく言ってみる。貞子を知らないウィルは不思議そうに聞きなれない人名に片言で返すと、は直ぐに顔を横に振った。どれだけヒットした有名な作品でも、世界が違えば誰も知るはずがないのだ。世界に対して湧いてくる孤独感を紛らわせるように己の髪に視線を向けば、すっかり髪は乾ききっていた。


「はい、終わり」

「ありがとう。ウィルのも乾かしてあげようか?」

「いや、もう乾いた」


ドライヤーの電源を切り、最後に一度の頭を一撫ですれば、は少し表情を柔らかくするとウィルの髪へと視線を向ける。しかしウィルが言うように水気が見られない茶色い髪は、この短期間ですっかり乾いてしまったようだ。


「短い髪って直ぐ乾くもんね。いいなぁ」

「乾かすのが面倒なら俺が乾かしてやるよ」


髪が長いとヘアアレンジは沢山出来るが、短ければ手入れも乾かすのも何かと楽なものである。ウィルはドライヤーを元の位置に直すと、首元に掛けていたタオルを籠に入れてと共に洗面室を出た。豪華な窓枠、その先に広がるのは真っ黒な闇の中でキラキラと輝く星や島の明かりだ。


「明日は朝から待ち合わせてるからな、そろそろ寝るか」

「寝坊したら拳骨くるものね」

「あれ、本当に痛いよな」


二人でガープの拳骨を思い出しながらリビングルームへと出ると、ウィルは部屋の照明を落す。一気に暗くなった室内だが、窓から漏れる明かりが室内を優しい色で照らし、これはこれでとてもロマンチックな光景だ。


「俺、こっちの部屋で寝るな」

「じゃああたしはこっち」


ドレスに着替える時に使った部屋である、左手の扉のドアノブを握ったは、反対側の右手の扉の前に立つウィルと笑みを交わす。どうやらウィルが着替えに使った部屋も同じ寝室だったらしい。但し、の部屋とは違うデザインの寝室で、ウィルの方は全体に黒を基調とした大人っぽい雰囲気の部屋になっていた。


「じゃあ、また明日ね」

「おう、また明日」


就寝前の挨拶を交わし、は部屋に入るとベッドへと飛び込んだ。もふ、そんな音を立てて静かに沈むベッド。その寝心地は最高という言葉に相応しく、布団からはとても良い匂いがした。ベッドに潜り込み、瞼を閉じて眠りに付く姿勢を取る。しかし一向に眠気は来なかった。


「(…寝れない…)」


何度も何度も寝返りを打つが、何がいけないのか何故だか眠れなかった。閉じていた瞳を開けて、ぼんやりと室内を見る。今日一日が疲れなかったわけではない、沢山歩き、沢山楽しんだ今日という一日は十分に疲労を感じさせるものだった。就寝前に珈琲を飲んだわけでもない。


「………、」


結局なかなか眠れず、布団の中に居ても落ち着かなくなってしまい、は気晴らしに水でも飲もうかとベッドを静かに降りた。ウィルはもう眠ってしまっただろう、起こしてしまわないように静かにゆっくりと扉を開く。しかしどれだけ注意を払っても最小限の音は鳴ってしまうわけで、その音が部屋に響く度には冷や汗を掻く様な思いだった。少し開いた隙間から、身体を横にしてすり抜ける様に部屋から出る。同じ様に静かに扉を閉めれば冷蔵庫の設置されている台所の方へと視線を向ける。そしてゆっくりと足を踏み出した瞬間、突如響く扉が開く音。驚いて勢い良く振り返れば、右手の扉が少し開かれ、其処から何時もとは違う雰囲気を纏うウィルが見えた。


「ごめん、起こしちゃったよね」

「どうした?」

「ちょっと寝れなくて。水でも飲もうかなって」


そう言って苦笑いするに、ウィルは何かを考えるようにして黙り込む。二人の間に続く沈黙には居心地の悪さを感じていると、突如ウィルはの目の前まで来ると腕を強引に掴んで引き、部屋に連れ込むのだ。突然の事に引かれるがままウィルの寝室へと入る。月明かりに照らされた室内は、とても神秘的な雰囲気を漂わせていた。


「ウィル…?」


相変わらずの腕を掴んだままのウィルは、そのまま一直線にベッドへと向って行く。掛け布団が乱れている事から、先程まで横になっていたのだろう。ウィルはベッドへと腰掛けると、そのまま困惑するを見て見ぬふりをして強く腕を引っ張った。予想していなかった事もあり、あっさりとは強く引かれた反動でウィルへと倒れ込めば、ウィルはそのままを抱いて速やかに横になり、掛け布団を上から掛けなおし眠る体勢を取ったのだ。


「…あの、」

「………。」


ウィルの返事は無く、変わりに抱き締める力が強くなる。突如抱き締められたかと思えば、ベッドに引き込まれて放そうとしないウィルの行動に、暫し頭が付いていかなかったが、耳元で聞こえる早いウィルの鼓動にゆっくりと状況を把握していく。


「…一緒に寝てくれるのね」

「…嫌か」


導き出された答えを少し口篭った声で言えば、何時もより少し低い落ち着いた声が頭の上から降ってくる。


「ううん。…嬉しい」


素直に気持ちを伝えると顔を押し付けるようにウィルの胸板に擦り寄った。するとウィルはの身体を抱き締める力を強くし、は小さく笑った。途端やって来る眠気。自然と重たくなる瞼に抗うことなく降ろせば意識が徐々にぼんやりとしてくる。


「おやすみ、


頭の上から優しいそんな声が聞こえた気がした。聞こえる一定のリズムを刻む鼓動と、包まれる温かさを感じながら、はゆっくりと意識を手放した。



















翌朝、ベッドの中にはウィルの姿は無く、寝室を出ればソファーに腰掛け優雅に珈琲を飲むウィルの姿があった。まるで昨日の事が無かった事の様に思えるほど、ウィルの素振りは普段通りで、も昨夜の事は触れず普段通りに振舞った。ホテルで朝食を済ませ、昨日とは違う服に着替えれば、銃をコートの下に忍ばせてホテルを出る。


「ガープさん、もう来てるのかな」

「今朝連絡取ってたんだけどな、もうこっちについてるらしいぜ」


ガープとの待ち合わせ場所は、昨日存分に堪能したシャボンディパークの入口だった。他愛ない話をしながら昨日と同じ道を歩く。観覧車やジェットコースター等の大型アトラクションが見え始めれば、同時に行き交う人々も増え始める。つい先程開園時刻になったばかりの為、今から遊園地に向う人々も多かった。


「あれじゃない?」

「あー、絶対あれだ」


入口まで見える距離まで近付くと、見覚えのある大柄な男の姿が此処からでも良く見えた。日数で言えば数日ぶりなのだが、感覚ではもう久しく会っていないような懐かしさが湧いてくる。近付けば近付く程、そのシルエットはガープの姿を一層クリアに見えた。白いスーツを纏い、白いコートを羽織るガープ。そしてその後方に背筋を真っ直ぐ伸ばして控えている白い制服を纏った見知らぬ二人。


「―――――ぁ、」


小さく漏れる声、足が自然と其処で止まった。白い服と、首元に青いスカーフ。白い帽子こそ被ってはいなかったが、その白と青を基調としたデザインの服ははっきりと今でも記憶として覚えている。


「?、どうした?」


突如足を止めたを不思議そうに見やり、首を傾げるウィル。しかしの視線はガープの後方で控える青年から外れることは無かった。同じだった、纏う人間こそ違うものの、青年が纏うその白い服や、首元の青いスカーフは記憶にある、あの男達と同じものだったのだ。そしてまるでバラバラだったパズルに最後のピースが嵌ったかのような、雷が落ちてきたような、強い衝撃を感じた。駆け巡る記憶、今までの違和感が全て解き明かされていき、爪が食い込むことも気にせず、手を強く強く握り締めた。嫌な汗が止まらなかった。










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