階段を上り、シュライヤの居るテラスへと歩を進めている内に、そのテラスを陣取っているのがレースの一番人気であるガスパーデの一味である事に気付く。何やら揉めているらしく、反対側のテラスでは野次馬の如く酒瓶片手に群がる中年の男達が集まっていた。


「俺の名はシュライヤ。賞金稼ぎやってる、しがねぇどっかの馬の骨さ」


反対側のテラスにいるとは言え、それなりに近い距離まで来たからか偉そうに椅子に腰掛けたガスパーデと思われる人物と言葉を交わすシュライヤの声が聞こえてくる。シュライヤ、のその名に彼らのやり取りを傍観していた中年の男達がざわついた。


「シュライヤだって?」

「本物か?」


ひそひそ、小声でシュライヤを見ながら話す男達。こっそりその背後に立ち、は耳を澄ませる。話の内容を盗み聴きしていると、どうやら此処にいる大半がシュライヤの存在を知っているかのような口振りだった。


「(…有名な人だったんだ。全然知らなかった)」


人の間から、こちらに背を向けるシュライヤを見る。堂々とした其の背には今現在、沢山の視線が突き刺さっているのだろう。ガスパーデと言えば9500万の懸賞金を掛けられた男である。今のに掛けられた金額の1000万以上超えた金額だ。そんな相手を目の前にして、動じず言葉を交わすシュライヤには少しばかり感心する。


「海賊処刑人の異名を取った近頃噂の…」

「シュライヤ・バスクードか!?」


興奮したかのように声を荒げた野次馬の男に、周囲はドッと沸き立った。其の後方にひっそりと立っているは今しがた聞いた言葉を口の中で転がす。


「海賊…処刑人…」


とんでもなく物騒な異名に、その海賊を狩る姿はどんなものなのだろうと想像する。ぼんやりとシュライヤの背を眺めていると、突如シュライヤが此方に振り向いたのでは少しだけ驚いた。シュライヤの視線は一度の手の中にある帽子へと落ち、次にの瞳へと移る。その視線からシュライヤの意を察知すると、は反対側のテラスからシュライヤに向けて帽子を投げた。フリスビーのようにくるくると回転しながら飛んだ帽子をシュライヤは片手で掴むと、自然とした動作で帽子を目深く被った。突如帽子が飛んでき、それを難無くキャッチしてみせたという異常な流れが、まるで一瞬忘れてしまうかのような自然さだった。しかしそれも一瞬で、直ぐに“帽子が突如飛んできた”というアクションは周囲を驚かせる。


「おい!シュライヤが被ってる帽子、こっちの方から飛んで来なかったか!?」

「シュライヤの仲間がこっちに居るのか!?」

「いや、シュライヤには仲間は居ねぇって聞いたぞ!」

「でも帽子が―――」


騒ぎ出す野次馬の男達。周囲を忙しく見渡しながら騒ぐ姿には少し俯きながら静かにその場から離れる。まさかこんなにも目立つ結果になるとは露程にも思わなかったからだ。少しの後悔を胸に抱きながら、は騒がしいテラスから早足で離れて行く。


「それを、踏むんじゃねぇ!!」


突如響いた怒声には顔を上げ、其方に視線を向けた。怒りを露にする麦藁と、麦藁と対峙していたと思われる不気味な男の足元に、麦藁が被っていた麦藁帽子がある。突然の麦藁の激昂に、周囲が言葉を失くしていた。麦藁の言葉が、全く理解出来なかったからだ。


「俺の宝だぞ!!」


そう言って麦藁が拾い上げたのは麦藁帽子だ。付着した埃を払う様に片手で落としている。麦藁帽子を踏まれそうになり、激昂した麦藁。その麦藁帽子を宝だと言い切った麦藁。には理解出来なかった。同時に、戸惑いも隠せなかった。


「その帽子が宝?」

「これはな、シャンクスから預かった大事な帽子なんだ」

「シャンクス!?あの大海賊か」

「ああ」


麦藁の口から飛び出した四皇と呼ばれる大海賊団の船長の名だ。思わずシュライヤも驚愕の声をあげ、四皇の船長で間違いないと麦藁が肯定するとシュライヤの瞳は細められた。


「お前…只の海賊じゃねぇのか」

「いいや、普通の海賊だよ。幻の大秘宝ワンピースを探してる。…ああ、でも海賊王の称号を手に入れたら普通じゃなくなるか」


あっさりと、その言葉の意味を理解していないかのように平然と言ってのけた麦藁に、シュライヤは唖然として言葉を失う。シュライヤ同様、麦藁の話を聞いていたガスパーデは、馬鹿馬鹿しいと言わんばかりに大きく口を開けて高笑いする。


「でけぇ口叩くじゃねぇか。この海でその台詞を吐くことの意味を分かってるのか」

「別に。俺がなるってそう決めたんだから」


次第にの足取りは遅くなり、視界に麦藁がはっきりと見える程度の位置まで来ると、その足は動きを止め、ガスパーデと言葉を交わす麦藁の姿に息を呑む。


「そのために戦って死ぬなら、そりゃあそれだ」


その声は今迄の印象を覆すような程に強い意志を感じさせる、強い声だった。不適に笑い、吐かれた言葉には奥歯を強く噛み締め、爪が食い込まんばかりに拳を握る。先程までの気の緩んだ能天気な麦藁はこの一瞬、確かに消え、強い信念を抱く一人の男が其処に立っていたのだ。


「(こんな馬鹿げた事を言う海賊が居るから苦しむ人が居るんだ…)」


力の篭った指先は白くなり、小刻みに震え始める。強く目を瞑り、ゆっくりと瞼を上げて目を開けば、力の篭った拳を解く。


「(何処までいっても海賊は海賊。海賊は悪)」


その思いだけは揺るがない答え。海賊や海軍はどうしたって許せる存在にはなりえそうに無かった。そんなが昂る感情を抑え付けている間、その周辺の空気は実に静かなものだった。皆が麦藁の発言に言葉を失っていたからである。宴に騒ぐ海賊達の楽しげな声すら、とても遠くの様に聞こえた。


「やり合う気分じゃなくなっちまった。この続きはまた今度、それでいいだろ?」

「おう」

「…今度は首狙いで行くからな」


長い静かな沈黙を破ったのは、目深く帽子を被り直したシュライヤだった。麦藁に挑発の様な言葉を残し、の方へと歩いてくる。立ち止まったとの距離が縮まれば、シュライヤはが持っていた己の荷物に手を伸ばし受け取る。


「悪ぃな。拾ってきてもらっちまって」

「…たまたま目の前に転がってたから只のついでだよ」

「そうかよ」


目深く被った帽子の下でシュライヤは小さく笑みを浮かべた。荷物を肩に担ぎ直すと、シュライヤは帽子を手で軽く押さえながら「じゃあな」と擦れ違い様に別れの言葉を告げ、ゆったりとした足取りでその場を後にする。その背中をぼんやりと眺め、も上の階に居るという胴元の下へと向かうと方向転換した。


「おい!お前!」


突如、背後から飛んできた声。その声はまるで、自分に向けられている様な気がしたが、は気にせずそのまま歩を進めた。


「ちょっと待てって!!」


しかし後方から聞こえてくる誰かを呼び止める麦藁の声は止むことなく、むしろその声量は徐々に大きくなってきているような気もした。しかしは断固として振り返ることはせず、自分ではない、自分は関係ないと暗示をかけて歩いた。


「だーかーらー!お前だって!!」

「!!」


自分に勢い良く迫る“ナニカ”の気配を察知し、は大きく仰け反って振り返り、距離を取る様に後退した。どうやら掴もうとしたらしく、先程までが立っていた所には麦藁の伸びた手がある。麦藁が呼び止めていたのは矢張りで、驚いているとは対照的に、麦藁はとてつもなく良い笑顔をしていた。


「やっとこっち向いた!」

「………っ、」


歯を見せて、にししっと笑うその無邪気な笑顔には息を呑み、一種の恐怖を覚えた。あの新聞の一面にあった手配書の写真と同じ笑顔。こんな皆に好かれるような裏表の無い無垢な笑顔を浮かべれる人間だというのに、彼は海賊なのだ。麦藁に、は初めて恐怖を覚えた。


「なぁ!お前、アイツの仲間か?」

「………違う」


搾り出した声は普段よりも低く小さな声だった。麦藁がを呼び止めたのは、麦藁の興味の対象であるシュライヤと一緒に居たからのようだ。仲間だと思っていたらしい。


「でも帽子投げたのはお前だろ?」


の返答が予想外だったのか、こてんと首を傾げて不思議そうに麦藁は問うた。気付けば傍観していた野次馬達も、麦藁とのやり取りを見ており「シュライヤの仲間か?」「あんなガキがか?」なんて話し声が聞こえる。妙に目立っていることに気付き、は早急に此の場を離れようと何事も無かったかのように踵を返した。しかし麦藁は其れを許さない。


「あ、待てって!!」


背を向けたに慌てた声で麦藁は言った。しかしは聞き入れるつもりはなく、顔だけを麦藁の方へと向ける。其の時の麦藁の表情といえば、そこ等に居るような活発な少年と変わらぬ顔だった。見れば見るほど、海賊、それも船長には見えぬ少年だった。


「…ほっといて」


小さな声だったが、麦藁の耳には届いたらしく麦藁を其れ以降、言葉を発する事無くが立ち去るのを黙って見送った。妙な居心地の悪さを抱きながらは階段を上り、歩き進めレースの胴元の元へと向かう。妙な気分だった。


「さて、嬢ちゃんは誰に賭ける?」


胴元は御世辞でもぽっちゃりとは言えないようなメタボリックな体系の男だった。卑しい顔付きで、寄り添う美しい女性を抱いており、女性は美しい微笑を浮かべている。周囲に散らばった札束を見る様子から繁盛していることが窺えた。胴元に問われ、は暫しレース参加者の名簿に目を通すが一番下の欄まで目を通した所で、其処に記載された海賊の名に釘付けになる。


「(あの子も出場するんだ)」


一番下に記載されていた“麦わら海賊団”という文字。それは麦藁を筆頭に、その一味がレースに参加することを意味する。麦藁と遭遇してから落ちた気分は、すっかりから賭けをする意欲を失わさせていた。


「…いい、やめとく」

「良いのか?ガスパーデの一味に賭けときゃ、賞金は少ねぇが確実に増えると思うぜ」

「いい」


妙に賭けさせようとする男を最後に一瞥し、は胴元の元を後にした。賭けをするつもりで来た場所だが、何だか賭ける気分になれなかった。金銭に関しては、先程食事前に巻き上げた分があるので特に直ぐ困るわけでもない。明日、陽が出たら島を発つことを決め、今日は早々に休む為に宿を探しに歩いた。











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