風も殆ど無く静かな海。頭上を見上げれば綺麗な青空が広がり、雲は所々にしかなく、まさに晴天。燦々と降り注ぐ陽の光は暖かく目を閉じれば直ぐにでも夢の扉を開けるだろう。強い波も無く、穏やかな海は周囲にぽつぽつと小さな島がある。とは言え、島だと称するには小規模で、人気所か動物すら生息しているか危うい無人島だ。そして周囲に他の船は一切無い。


「他の船が見えなくなった…」

「其々が思い思いのコースを辿ってるからなぁ」


周囲の人気の無さ、一隻も船の姿が見つからずチョッパーはぽつりと呟く。スタート地点や出航時間が同じとは言え、皆が同じコースを走り目的地に向かうわけではない。それは重々承知なのだが、それでもこれ程まで人気が無ければ流石に不安も抱いてしまうも仕方が無い事だっただろう。


「それよりルフィ」

「ん?」


顎に手をやり、チョッパー同様ぼんやりと海を眺めていたウソップは半眼で一粒の汗を浮かばせながら、甲板で笑みを浮かべて仁王立ちするルフィに視線をやる。そして次に視線を甲板の隅で突っ立っている突如船に乗る事になった少女、へと向けた。


「どーすんだよコイツ!」

「そうよルフィ、そもそもこの子誰なのよ」

「全く知らない訳では無いみたい。顔見知りみたいね」


ウソップがを横目にルフィに問えば、続くように甲板で進路を確認していたナミが振り返る。二階へと上がる階段の前で佇んでいたロビンは頬に手を当ててを見ていた。居心地の悪さを感じながら、ふと視線をロビンへと向ける。微笑まれた。


「知り合いなの?」

「全然!」

「…誰なの?この子」

「わかんねぇ!」

「はぁ!?」


ナミが腰に手を当てルフィに問えば、相変わらず笑顔を絶やさないルフィは曖昧な答えしか返さずナミは声を荒げる。ルフィは豪快に笑った。全く状況を理解出来ないナミに、ウソップは昨夜起きた出来事を話す。


「俺とルフィ、ゾロとチョッパーで飯食いに行った時に会ったんだ。こいつと一緒に飯食ってた奴とルフィが喧嘩になってな。まぁ、そっから他の海賊達と乱闘になって喧嘩してた本人らは何処に行っちまったんだけどよ」

「じゃあこの子って…たまたま其処に居ただけで知り合いでも何でも無いんの?」

「だと思うぜ?なあ、ルフィ」

「おう!」


ウソップの隣に立つルフィは力強く頷き、とても良い返事だ。ナミは呆れた表情を浮かべる。完全にルフィの気まぐれな性格に少女が巻き込まれた不憫な図が、頭の中に描かれたからだ。ナミは哀れむ瞳をへと向けた。


「こいつスゲーんだぜ!俺達見てたもんな!なぁチョッパー!!」

「おお!そうなんだ!まるで剣を矢みたいに投げてさ、それがちゃんと当たるんだ!!」

「まあ、この勇敢なる海の戦士にかかりゃあ、俺だってあんなの朝飯前だぜ!!」

「そーなのか!?」


昨日出会った酒場で目にした光景を思い出したのか、突如火がついたかのように話し出すウソップとチョッパーに、ナミは「はいはい」なんて軽く聞き流しに再度視線を向けた。頭の先から爪先までじっくりと観察する。全体的に少し小柄な少女は体系こそ、その纏ったコートで分からないがきっと細身だろう。こんな暖かい気温でコートを着用する辺り、何かコートの下に隠しているのではないかと感じながらナミは何か言おうと口を開きかけるが、其の前にが先に開いた。


「小船」

「え?」

「小船でいいから渡して。船から降りる」


強い口調と、鋭い眼光にナミは唾を飲み込む。年下であろう少女に威圧されたのだ。しかし同時に、その少女の発言に少し親しみを感じたのだが、其れが何故なのかは今は未だ分からない。


「えーーー!!」

「えー、じゃねぇだろ!そりゃ普通降りるって話になるもんだ」


大きく目を見開き、嫌だ嫌だとごねるルフィをウソップが呆れながら宥める。ナミ自身も得体の知れない存在を船に置いておく事に比べれば、小船を提供して船を下りて貰う方が良いと考え、チョッパーに小船を持って来るように指示するのだが、チョッパーは躊躇った。


「でも…こんな所に一人でだなんて危ないよ。何があるか分からないし…。近くの島で下ろしてあげるのじゃ駄目なのかな」

「チョッパーの言う通りです、ナミさん。此処はグラインドライン、何が起きるか分かったもんじゃねぇ」


煙草を吹かしながら、チョッパーの後方に立っていたサンジは静かにそう告げると煙草のポケット灰皿に入れての前へと立つ。目の前に立ちはだかったサンジに、は警戒心を隠そうともせず睨みつければサンジは困ったように少しだけ小さく笑った。


「ああ可憐なレディ…。野蛮な輩もおり何かと不快かもしれませんが、良ければ安全な島まで送り届けさせて下さい」

「アホかてめぇは」

「てめぇは黙ってろ!!」


サンジの物言いが気に入らなかったのか、食って掛かるゾロは呆れ顔だ。ついでに言うと片耳を小指で掻いている。サンジは青筋を浮かべ、ゾロに振り返り一度吠えると表情を柔らかい其れに作り直せば再びへと向き直り、手を差し伸ばしながら、浮かべた表情と合うよう出来るだけ優しい声で言った。


「レディ、お名前をお聞きしても?」

「…小船を渡して」


しかしは折れない。サンジに更に強く睨みつけ、先程同じ台詞を吐く。差し伸ばされたサンジの手は触れられることなく宙を浮いたままだ。はその手に見向きもしない。


「しかしだな、レディ…。やっぱりこの海を一人で航海するには…」

「いいから小船を出して!!」


その怒声にサンジは口を噤む。何を言っても、どう説得しようとも、が船から下りる意思を変えないと悟ったからだ。残念そうに、そして困ったように眉を下げるとサンジは静かに手を引っ込め立ち上がり後方に振り返る。其処には麦藁海賊団のクルー達が、皆神妙な面持ちで此方を静かに窺っていた。


「分かったわ。小船を用意する。それでいいわね?」

「…ええ」


お手上げと言わんばかりに肩を落とし、ナミがそう言えばは小さく頷く。ナミがチョッパーに視線を向ければ、チョッパーは困惑しつつも船室の方へと小走りで駆けて行った。皆がそれを見守る中、納得しない男が約一名。


「えーーーーー!!!何でだよ!!」

「何でだよじゃないの!そもそもアンタが無理やり連れて来るのがいけないのよ!!其処んとこ、ちゃんと分かってんでしょうね!?」

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だいーーやーーだーーー!!」


腕を振り回し、駄々を捏ねる子供のように渋るルフィにナミが拳を震わせる。今にも其れは彼の頭部に振るわれそうだ。そんな今直ぐにでも行動を起こしそうなナミを青褪めながら宥めるウソップは、背にナミをやり、ルフィを見る。


「なぁ、ルフィ。何でそんなにコイツに拘んだよ」

「だって何か面白そうだろ」

「「そんな理由かよ!」」


ナミとウソップの声がハモり、牙を剥くのだがルフィは恐れることなく豪快に笑った。丁度其の時、大男のような姿のチョッパーが小さな小船を一隻抱えて甲板に戻って来る。すっかりその小船に意識を持っていかれていたにとって、ロビンから発せられた言葉は不意打ちそのものだった。


「船長さんの意見には一理あるわね」

「え?」


ロビンが微笑みながらそう告げれば、不思議そうに首を傾げるナミ。も視線をロビンへと向けたのだが、その真っ直ぐ此方に向けられた双眼に少しの恐怖を怯える。


「“異世界の雷姫”」

「!!」

「やっぱり」


そう微笑んだロビンに只々は唇を噛んだ。途端身体が小刻みに震えだす。その異名は自分に付けられたもの。この人は、己を知っている。


「それとも…“銃騎士の姫”と呼ばれる方がお好み?」

「っ、」


刹那、は飛び出す。ロビンをは素直に嫌な女だと思った。触れられたくない話を、抉るかのように過去の異名まで引っ張り出してきたのだから。ロビンからすれば只の探りの話題の一つだったのかもしれないが、にとっては其れで納得出来るものではなかった。強く甲板の床を蹴り、サンジの横を素通りして一直線にロビンへと駆ける。サンジが咄嗟に反応しきれないような速さを生み出した脚力は今迄必死に己を狙う敵から逃げ回っている間に得たものだ。駆けながら腰に差したダガーナイフを引き抜き、一切の躊躇無く其れを片手に構え、迫るロビンに向かって突き出す。少し目を見開いたロビンの傍らで銀色に光る刃物が見えた。そして響く金属音。


「いい太刀筋だ。だが…力が足りねぇ」

「………、」


交わった一本のダガーナイフと三本の刀。交わる刃物の向こうで獣の瞳が強く不気味に光る。咄嗟に後方へと飛び、距離を取ればを警戒するように各々が動揺しながらも戦闘態勢を取った。しかし、其の中でも陽気な男が約一名。


「何だよ、怒ったのか?」

「………」

「怒ったんなら悪い!でもロビンも悪気はねぇんだ」


ルフィはそう謝るが、その浮かべた笑みがどうしても心から悪いと思っているように到底見えない。皆が警戒をする中、ルフィはへと向かって歩み寄る。


「ルフィ、やめとけ。結局海賊嫌いは海賊嫌いだ」

「ん?こいつ海賊嫌いなのか?」


ゾロの助言にルフィは不思議そうに首を傾げた。そしてその足はの目の前で止まる。それ以上踏み出せば刺すつもりで、は右手に握るダガーナイフを強く握り返した。


「お前、海賊嫌いなのか?」

「…海賊なんか皆大嫌いよ」


目の前で不思議そうに此方を見るルフィの思惑が全く分からない。その問に一体何の意味があるのか、には理解が出来なかった。返事の声は思っていた以上に低いもので、しかしルフィは特に何とも思っていないのか気にした素振りもなく唸った。


「んー、困ったなぁ。海賊辞めるわけにはいかねーし」

「………。」


目の前の麦藁の男が、何を言っているのか分からなかった。


「俺、海賊だけどさ。お前が知ってる海賊とはまた違うと思うんだ」

「………」

「だから海賊が皆嫌いなんて可笑しいぞ」


カッと目を開き、ダガーナイフの切っ先をルフィの左目目掛けて突き出す。しかしルフィは表情一つ変えず、顔を右側に傾けナイフを軽々と避けてみせると、其のまま突き出されたの右手を掴んだ。刹那、は放電する。乾いた音が響いた。しかし―――


「怒んなって!お前、ホント直ぐに怒るなぁ」


「………っ、」


握られた腕が熱い。目の前の男は唇を尖らし眉を八の字にして呆れたようにに言う。しかし、そんなことすら今のにとっては、どうだって良いことだった。


「(何で雷が効かない…?ゴムだから?ゴムの絶縁性が電撃を無効化してるっていうの…!?)」


腕を掴んだまま、あんま怒るなよ、なんて笑顔を見せる目の前の男に血の気が引いた。


「(こわい)」


それは久々に感じた恐怖心だった。指先の感覚はもう無く、身体も震え出しそうで頭の回転も何だか鈍い。途轍もなく目の前の笑顔を見せる男が怖かった。ゴムの体質故に銃弾や雷が効かない。刃物は効けど、避けられれば意味がなく、覇気で太刀打ちすれば問題ないのだろうがは武装色の覇気が苦手だ。しかしそんな事よりも、にとっては雷が効かない事の方がもっと重大なことで衝撃的なことだった。が隠し続けてきたゴロゴロの実は、にとって最大の武器であり、切り札だ。もし銃やナイフで太刀打ちできなくとも、ゴロゴロの実で対抗すれば問題ない。切り札の高い戦闘力に安心を今迄抱いていたというのに、その切り札がこの麦藁の男には通用しない。只、この麦藁の男が怖かった。










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