言葉を失ったかの様に口を噤んで黙り込み、恐れを抱いた瞳でルフィを見ていたは漸くダガーナイフを強く握る手を緩め、腕の力を抜いた。倣う様にルフィもの腕を握る力を抜いてやれば、ダガーナイフを握る腕はゆっくりと下ろされる。甲板に向けられた刃の切っ先がの戦意喪失を表しており、警戒の色を隠せずルフィとのやり取りを見守っていた船員達も胸を撫で下ろし安堵した。揺れる漆黒の瞳には笑顔のルフィが映るが、いよいよ目の前の存在を直視出来なくなったはその瞳を落とし俯く。今にも身体は震え出してしまいそうなのを何とか抑制するのに精一杯だった。ルフィは満足気に声を出して笑うと、あっさりとその腕を放せば、今度はが安堵する番だった。


「今のうちに飯作っとくか」

「賛成ーーー!!」

「船の被害も調べといて、ゾロ」

「俺一人でかよ!!」


まるで先程の一連の出来事が無かったかのように振舞う船員達。その切り替えの早さに少々驚くも、それ以上に脈打つ心臓の音が早く五月蝿い。己の鼓動にじんわりと汗が滲み、は強く唇を噛んだ。


「(なにもできない)」


握ったダガーナイフが今にも手から離れ落としてしまいそうになる。力の感覚が危うく、ちゃんと立てているのかも分からなくなってしまいそうだった。恐る恐ると控え目に視線を上げて其れを見る。チョッパーが未だ両手に抱えたままの小船だ。


「(目の前にあるのに)」


しかし今直ぐその小船を奪い逃げ出す事が出来ないのは、あの男の存在だ。雷の効かない男。ただ怖い。ただただ恐ろしい。まさに、蛇に睨まれた蛙の様な状態だった。自分に問いかける。強引に小船を奪い逃走を計り、果たしてそれは成功するか。答えは即答で否、だ。


「(あのゴム人間と獣を相手…絶対むり)」


視界にルフィとゾロの姿を入れる。あの二人と直接戦闘をした訳ではないが、逃げ出そうとすれば必ずルフィは止めに来るであろうし、戦闘となるとゾロが刀を抜くのは必然だろう。小さく掠れたような震える溜息を吐く。機会を待つしかなかった。


「―――――!!!」


そんな時である。微かに聞こえた子供の叫び声。それはだけでなく、未だ甲板に残る船員達の耳にも届いたらしい。聞こえてきた先は文句を言いつつもナミに指示された通りにゾロが入って行った船室からだ。


「何?子供の声?」

「おいおい何か普通じゃねぇような叫び声だったぞ!?」


ナミとウソップが目を合わせ、同時にまさかと表情を一変させれば慌てて二人が船室へと駆け出して行き、その後ろをチョッパーが追いかけて行く。慌ただしい船員達をぼんやりと眺めていれば、船室の方が何やら騒がしくなった。


「―――、―――――?」

「―――――!」

「―――――?―――!」


内容までは聞き取れないがナミやウソップ、チョッパーの声が船室から聞こえる。足音が複数此方に戻ってきたかと思えば、ウソップの腕の中には帽子を被った幼い少年が居た。閉じられた双眼から、どうやら意識はないらしい。


「本当に居たのね、子供」

「ああ、吃驚したぜ。風呂場に行ったらゾロがこいつの顎を引っ掴んでて意識ねぇんだもんな」

「あら」


クスクスと妖艶に笑うロビンに対し、ウソップは呆れ顔で少年を抱える。一先ず食事前の事もあり、リビングルームに移動する一同。開かれた船室の扉の前でルフィは振り返った。


「お前も入れよ!サンジの飯はうめえぞー」


にしし、そう笑うルフィに決しては笑顔を返す事が出来ない。返事を返すこともせず、其処に立ち尽くしていれルフィは唇を尖らしジト目でを見つめたまま動こうとしなかった。結局、はその視線に負け、重たい足取りで船室へと一歩踏み出すのだ。強行手段を取られるくらいなら、先に自分で進んだ方がよっぽどマシだと思ったからだ。リビングルームは人がごった返しており、ウソップが小さな簡易ベッドの上に少年を横たわらせ、チョッパーが戸棚から様々な薬草を取り少年の傍につく。


「全く、何考えてんだか」

「さあな」


テーブルに備付けられた椅子に腰掛けながら、ナミは深い溜息を吐いて其れに視線を落とす。ごとり、そんな重い音を立ててテーブルの上に置かれたのは派手な装飾が施された銃である。


「銃?」

「其の子が持ってたのよ」


御玉を片手にサンジが首を傾げれば、工程するかのように頷いてみせるナミ。少年が持っていたという銃をテーブルの上から下ろし、椅子の上に下ろせば、ナミは足を組んで隣に座ったゾロを一瞥し言うのだ。


「それにしても酷い男ね。こんな子供にまで容赦ないんだから」

「仕方ねぇだろ!銃持ってんだぞ!」

「「ゾロひっどーーい!」」

「てめぇら…!!」


正当防衛だとゾロが訴えるが、その言い分が通るはずもなくナミからは冷ややかな目で見られ、ルフィとウソップは声を揃えて楽しそうに言うのだ。怒りに身体を震わせ、拳を握るゾロの気迫に並々ならぬものを感じ、リビングルームの角の隅にひっそりと佇むは素早く視線を逸らした。


「飯もうすぐだからよ、手洗ってこいよ」


ぐつぐつと鍋が煮立ち、フライパンの上では霜降りの肉が香ばしい匂いを漂わせている。匂いを嗅いだだけでお腹が鳴り出しそうだ。ルフィが言っていた通り、サンジは料理上手なのだろう。元気よく返事をしたルフィとウソップは我先にと外へと飛び出していく。手を洗いに行ったらしい。船室内を見渡し、はロビンの姿が此処にないことに今更ながら気付いた。


「あ、目を覚ました!」


チョッパーの安心したような声に皆の視線が横たわる少年に一斉に向けられた。薄らと目を開いた少年は暫しぼんやりとチョッパーを眺め、少しの間を置き、突如飛び起きる。その驚愕に染まる少年の瞳は真っ直ぐチョッパーを凝視していた。


「鹿が喋ったーー!!」


飛び起きた衝動そのままに、部屋の隅へと一気に後退り1mmの隙間もなく、ぴったり背中を壁につけて声を荒げる少年は、相当驚いているのが分かる。


「鹿じゃねぇ!トナカイだ!!」

「もっと変だ!!」

「うるせえぞコノヤロウ!!」


チョッパーと少年の間に起きる暫しの言葉の往復。まさに子供の様な言い合いであった。少年の発言に我慢が出来なくなったのか、突如大きな身体へと変化したチョッパーに少年は肩を震わせ絶句する。身体が変化する瞬間こそ初めてみるが、何度か小柄な可愛らしい小動物のような姿の時と、大男のような大きな身体の姿の時も両方目にはしていた故、にはそれほど大きな衝撃はなかったのだが、まだ幼い少年には十分すぎる衝撃であったらしい。


「ば、ばっ、ば…」


焦点の定まらない瞳で言葉を詰まらせる少年。その言おうとしている言葉を瞬時に理解したはそっと瞳を伏せた。子供は残酷だ。決して言ってはいけない言葉も本人に直接言ってしまうからだ。


「駄目よ、化け物なんか言っちゃ。優秀な医者なんだからね。ちょっと感情表現が下手だけど」

「バカヤロー、褒めたって何も出ないよ!コノヤロー!」

「こんな感じ」


少年の言いかかった言葉を先に言い、注意を促したナミはちらりとチョッパーを見る。先程ナミが言った“優秀な医者”その言葉だけが今、チョッパーの頭の中にあるのだろう。くねくねと嬉しそうに身体を揺らし、だらしない笑みを浮かべるチョッパーは何だか妙な愛しさが湧いてくる。反して其の後方では、少年は何かを探すように衣服のポケットを弄っており、ポケットの中に手を居れ、または上から叩いて厚みを確認。しかし目当ての物はないのだろう、少年の焦りの表情が浮かぶ。少年は持っていないのだ、何せ少年が探している物は先程ナミが拝借していたのだから。


「探してるのはこれ?」


拝借していた銃を少年に見えるようにテーブルの上に置けば、目を大きく見開き表情を一変させる少年。しかしナミは表情は一切変えず、真っ直ぐ少年を見て言うのだ。


「こんなもの持って海賊船に乗り込んできたら殺されたって文句言えないのよ。目的は何?誰に指示されたの?」

「…っ、」


言葉を詰まらせ俯く少年。そりゃこの状況下だと顔も背けたくなるものだ。しかしは少年に同情することはない。自業自得だからだ。子供だから、そんな言い分この海では通用しないことをは其の身を持って良く知っていた。


「…まぁ、この子体調良くないんだよ。後にしよう。それに…」

「殺す為だ…」


何も話そうとしない少年にチョッパーが気を利かせ、尋問は後にしようと促すも、少年は小さく物騒な言葉を呟く。そして顔を上げて大声を上げて言うのだ。


「お前達を殺して金を作る為だ!!」

「金ね。ストレートで良いけど他にも海賊はいっぱい居たでしょう?何でこの船を」


少年とナミのやり取りを静かに見守ると麦藁海賊団の船員達。其の間も涎が出るような良い匂いは漂っていて、なんとも異様な空気だ。テーブルを人差し指で突きながら、ナミが呆れ顔で少年に此の船を狙った理由を問う。丁度其の時、手を洗いに船室を出て行たルフィとウソップが戻って来た。ドア枠に足をつけて格好つけた態度のウソップを見る限り、どうやら会話は外で聞いていたらしい。


「そりゃ決まってるぜ!俺達がかの有名な麦藁海賊団だもんな」

「知らないよ!この船が一番弱そうに見えたんだ!!」

「はーい、笑うとこ」

「あはははははは!!」


自慢げに言い放った言葉も少年に全力で否定されてしまえば苦笑いしか浮かばない。しかしルフィにとっては凹むような事ではなく、単に面白い事という認識なのだろう、盛大に声を上げて笑った。少年は眉間に更に皺を寄せる。まるで自分が笑われているような気分になったからだ。


「笑うな!!俺は本気なんだぞ!!」

「やめろよ、お前身体が…」

「近付くな!!」


少年の興奮状態は最高潮のようで、心なしか顔も赤い。控え目に少年に大人しくするようチョッパーが少年の腕を掴み、制止をかけるも、感情が昂った少年にとっては鬱陶しい事この上なく、その小さなチョッパーの手を乱暴に振り払った。その反動でチョッパーは後方によろめき、尻餅を付く。


「海賊が命狙われるのは当ったり前だ」

「………っ、」

「半端な覚悟じゃ、俺の相手は務まらねぇぞ」


不敵な笑みを浮かべ、少年を見据えて言い切ったルフィには拳を握った。只の馬鹿にさえ見えるこの男は、時に正論を述べ、全てを受け入れた上では最もな言葉を平然と言い放つ。まるで心を抉られるかの様な、そんな気分にさせられるのだ。すると突如、テーブルの上に腕が生え、その手が銃を引っ掴み、少年に投げて渡した。突然の腕の出現に思わず目を見張るが、直ぐにそれが悪魔の実の能力だと気付きは頭痛を覚える。


「(この少数海賊に何人悪魔の実の能力者が乗ってんの…)」


慌しく、危なっかしい手付きで銃を受け取った少年は両手でしっかり其れを持ってルフィを見る。その後方にはウソップと、今迄行方不明だったロビンの姿があった。


「本気を見せて頂戴。それとも…只のはったり?」


穏やかな微笑みを浮かべて少年に挑発するロビンに、ウソップが呆れ顔で手を上下に小さく振った。皆して、この船では人を煽るのが好きな人間が多いようだ。


「馬鹿にすんな!!コノヤローーー!!!」


そしてそんな安い挑発に乗ってしまうのは、其れはまだ相手が幼い少年だからだ。銃を真っ直ぐルフィに構え、迷わず引き金を引いて発砲。銃弾は真っ直ぐルフィへと飛び、その胸に吸い込まれていったが―――ゴム体質のルフィの身体では、銃弾は皮膚を貫く事なく伸びて行き、伸びた皮膚は反動で元の形状に戻るよう収縮すれば、弾丸は少年の方へと猛スピードで跳ね返り、顔の横擦れ擦れを通過して小さな音を立てて壁に穴を開けたのだった。


「何だよそれーーーーー!!!」


真っ青な晴天、白い雲が流れる空。海底まで見えそうな程に澄んだ海の上で少年の絶叫が船に響き、周囲の空気を震わせる。悪魔の実を知らなかった時の自分を、ふと思い出すような少年のリアクションだった。










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