「悪魔の実よ」

「悪魔の実…?」


ナミの言葉を鸚鵡返し、銃を取り零す少年。その表情といえば驚愕と絶望が入り混じった表情だった。グランドラインはそれなりの頻度で見かけられる悪魔の実の能力者、には然程珍しいものには思えなかったが、その少年のリアクションは本当に悪魔の実の存在を知らないようでは些細な疑問と違和感を抱く。


「そうよ。知らない?」

「俺は船から出たことないから…」

「摩訶不思議な木の実でね。カナヅチになるのと引き換えに人間離れした能力が手に入るのよ。うちではロビンと…そのチョッパーも能力者」

「この鹿が?」

「トナカイだ!!」


突如川を船で上ってた時の様に大男のような姿になるチョッパーに小さな悲鳴を上げて、びくりと身体を震わせた少年。先程から驚いたり、恐怖したりと忙しい少年にの視線は釘付けだった。


「(確かに悪魔の実の能力者だと驚くけど…こんなに驚いて怖がるもの…?)」


そしてより一層に疑問を抱かせるのが少年の漏らした言葉だった。


「(“船から出たことない”って…今日初めて船を出たってこと?)」


船に乗って移動するのは、この世界での主流のようなので違和感はないが、それが船から出たことが一度だってない、となると話は別である。船で世界中を移動する船乗りでも、海賊であっても、一度くらい島には上陸するものである。島から一度も出たことが無い、というのならば未だ分かる話だが、船からとなると別物だ。


「(銃を持って?)」


そして船から一度も出たことがないと言った少年は、現に今、船から一人出てきて銃を持ち歩いている。


「(可笑しい…)」


これを可笑しいと言わずなんと言えようか。違和感が拭えない不信感しか少年意抱くことが出来ない。そして極めつけは少年の装いだ。


「(無理矢理労働でもさせられる為に船に…?)」


サイズの合っていない大きな帽子と衣服。その衣服は黒っぽく煤の様な黒いものが付着し薄汚れ、所々綻びがあるものの生地は分厚く頑丈そうだ。暖かい気候にも関わらず分厚い革の手袋を着用している所等、そういった装いが余計に少年に不信感を募らせる。


「(まさかね)」


は其処で思考を止めた。船に監禁されていようが、無理に労働をさせられているにしても、結局の所には何ら影響は来ないわけで、どうだって良い事だったからだ。その真実を知ったとしても、が少年に何か一つでも手助けするようなことは有り得ない話であり、少年に同情こそするかもしれないが、結局その程度のものだ。何かあっても自己責任、自分で乗り越えなければいけない。何せ此処は、グランドラインなのだから。


「殺せよ…。さっさと殺せよ!!ちっきしょー、とっととやれ!!」


諦めた顔をしてその場に胡坐を掻いて座り込み、投げやりに声を荒げて言う少年にナミの表情を一変して厳しいものになる。しかしナミの表情の変化に少年は気付かない。


「いい覚悟ね、と言いたいとこだけど随分命を軽く見てんじゃない」

「海賊に説教されたかねぇ!構うもんか。希望もねぇのに生きてたって意味ないし、俺なんかどうせ無駄な存在なんだからよ!!」


その随分な少年の言葉に、ナミが怒りを覚えているのを感じながら、は周囲を見渡した後に静かに息を吐く。少年の言葉は自暴自棄そのもので、やけくそになっているのは誰の目から見ても一目瞭然なのだが、それでも此処に居る人間が誰一人として同情することはなかった事に少なからず驚く。根っから甘い人間が集まっていると思っていたのだが、それは違ったようだ。


「ゾロ、刀借りる」

「人を跨ぐな」


椅子に座っていたナミが突如立ち上がり、椅子の上に立ったなら隣に座るゾロを跨いで壁に立て掛けていた白い刀を手に取り、床に下りる。ゾロはナミの行動を目を瞑って見送ったならば、刀を手にしたナミは柄を握り、足取りで少年に近付いて行く。その剣幕といえば鬼をも思わせる恐ろしいもので、只ならぬ様子にチョッパーは思わず不安げに後ろをついて歩いた。


「分かった風な口効くんじゃないよ。そこまで言うんなら望み通りにしてやるわ!!」

「駄目だよナミ!」


ナミが鬼の形相で声を荒げれば、その剣幕に少年の顔色はより青褪める。今にも暴れだしかねないナミを見て、慌ててチョッパーが制止に入るも、ナミは視界に入れることすらせず刀を抜刀し、刃を少年に向けた。少年が密かに息を止め、チョッパーはナミと少年の間に立ち、身をもってナミの行動を止めようとする。


「邪魔しないで!!こういうのが一番腹立つんだ!!生きてる意味がない?生きていける状況があるなら四の五の言ってんじゃないよ!!」

「やめなよ!十分わかったと思うからさ」


大きく目を見開き、身体を震わせ続ける少年は先程の勢いは何処へ消えたのか。しかし其れも仕方ないと言えば仕方なかっただろう、何せそれ程にナミは怒っていて、その威圧感といえば尋常ではなかったのだ。はナミの過去にきっと何かがあったのだろうと、ぼんやりと頭の片隅で思う。そして何やら吸うような音が聞こえ、は視線を船室の入り口の方へと向ける。チョッパーも異変を感じた様で同様、入り口の方へ振り帰れば、其処には暢気に正座で茶を啜るルフィと煎餅を齧るウソップの姿があった。そしてその後方には美しく微笑むロビンがいる。


「お前等も止めろよ!!!」

「飯出来たぞー」

「サンジ!!」


両手に手袋を装着し、大きな鍋をテーブルに置いて食事の準備を始めるサンジにチョッパーは声を荒げて突っ込む。は船室内を見渡した。テーブルの上に食器を並べ始め、着々と食事の準備を始めるサンジに顔面蒼白で震える少年と、大男の姿となったチョッパーに羽交い締めされてながらも刀を振り回し両腕両足をばたつかせて怒鳴るナミ。そんなナミと少年の様子を面白いものを見ているかの様に前のめりになって口元を吊り上げながら眺めているゾロ。


「その甘えた考え方、叩き切ってやるーーー!!!」


すっかりテーブルの上に豪華で色とりどりな料理が並べられ、各自椅子に着いて食事を始める面々の前で未だ怒りが治まらないナミ。船内にはナミの怒声と食事を取る食器の当たる音や咀嚼の音が響き、なかなか統一感のない自由な空気が流れている。そう、一言で言うならばカオスだ。


「おい!お前も食えよ!うっめーぞ!!」


口の中に食事をありったけ詰め込んだルフィが、未だ部屋の隅に控えているにフォークに突き刺した肉を掲げて言った。口を開いた瞬間、その口から料理がいくつか零れ出たが誰も行儀が悪いと指摘はしない。確かに美味しそうな匂いで食欲はそそられるのだが、はルフィに何も返さず静かに船室を出る。追いかけてくるか引き止めてくるかと思いきや、どうやら今の優先順位はよりも食事らしい。ルフィはそのままを見逃した。


「(なんて騒がしい海賊…)」


船室を出て扉を閉めれば未だ少し声が聞こえるも、とても静かになった。甲板の船首前まで来ればぐるりと周囲を見渡す。海、海、海。とてもじゃないが陸らしきものが見つからない。


「(雪…?)」


少しの肌寒さを感じ、身体が一度ふるりと震え、頭上を見上げれば小さな白いものが降ってきた。少なかった其れは、徐々に量を増して周囲を白一色に染め上げる。茶色の木の色がどんどん雪の白に冒され、空にはどんよりとした雲が敷き詰められている。先程までの良い陽気がまるで嘘だったかのように船にはすっかり雪が降り積もっていった。流石グランドラインとでも言うべきだろうか、周囲も粉雪で一面真っ白な雪景色となり進行方向ですらもう見えない。何気なく手を突き出せば、手の平に積もった雪が直ぐに透明な水へと姿を変える。


「(希望はない。生きていても意味がないかもしれない。無駄な存在なのかもしれない。けど、あたしは帰りたい)」


手の平に溜まった水滴や雪を握り締めるように包み込めば瞼を閉じて静かに息を吐く。白い吐息が揺れて空気の中に溶けていった。


「(絶対に、帰る)」


強い意志を宿し、決意を固め、握った拳を下ろし踵を返す。今はひたすら待つだけだ。それが最善の策。この船から逃れる為の絶好の機会を、ただ大人しくは待つ。










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