船室には笑い声が響いていた。色鮮やかな豪華な食事の上を行き交う言葉と、絶えない声はとても賑やかで温かな空間を作り出している。日もすっかり沈んだ夜、麦藁海賊団は夕食をとっている所だった。他愛の無い話をしながら夕食を取る姿は、最近ではあまり見られなくなった家族団欒の其れだ。しかしその輪の中に入らず、浮いた存在が二つある。船室の片隅に膝を立て、顔を埋めて座る少年と、反対側の壁に凭れ掛かりピクリとも動かないだ。


「それにしても、ちゃんと見つかって良かったな!」

「海王類に食われちゃったんじゃないかって心配したんだぞ!」


話の話題は本日の海王類の事で、救出の事に関してゾロは未だ文句を零していた。其れを宥めるように笑い飛ばすナミに、我先にと口の中に料理を次々と含んでいくルフィ。弾けんばかりに膨らんだ頬の中に詰め込まれた食べ物を一呑みすれば、ルフィは後方を振り返り少年を見た。少年は相変わらず動こうとはしなかった。


「おい、飯食わねぇのか?お前の分もちゃんとあんだろ」


ルフィは静かに席を立つと、少年が座り込んでいる前に屈み、夕食の並べられた食卓を親指で差しながら少年に問うた。かけられた声に少年は伏せていた顔を上げると、戸惑いながらもルフィに向かってゆっくりと口を開く。その瞳は揺れていた。


「いつもああなのか?」


唐突な少年の問いにルフィは目を丸くする。そんな何ともいえないルフィの反応に、少年は先程よりも荒げた声で言い放った。


「生きるの死ぬの簡単に言うなって言った癖に、お前ら危険な事も平気でやってんじゃんかよ!死んだって可笑しくなかったぞあれは!」

「ははは、あれは危なかったなぁ。実際」

「笑いごとじゃねないよ!死ぬの怖くねぇのかよ」

「怖いよ」

「じゃあなんで!!」


少年の疑問は当然のことだろう。死ぬということ、理屈では分かっていても実際にそれを目にした時、直面した時に簡単に受け入れる事は出来ない。死を覚悟するということは、そう簡単なものではないのだ。ルフィは一瞬口を噤むと徐に麦藁帽子を脱いだ。手の中にある帽子を見るルフィの表情は、何か昔のことでも思い出しているかのような優しいもので、ルフィは少年に語る。何時の間にか船室はとても静かになっていた。


「俺は子供の頃に海賊に助けられた事があるんだ。その男は片腕を失ったけど。だから命を粗末になんか絶対しねぇよ。でも俺は野望があるんだ。やりたい事が、どうしても!結構難しいみたいだけどさ、自分がやるって決めたんだからな」


ルフィが麦藁帽子から視線を少年に向ける。そして口角を釣り上げて笑った。


「その為に戦って死ぬなら、別にいい」


戸惑い、動揺、驚愕。様々な感情が少年の中で湧き上がり、ルフィを真っ直ぐ見たまま少年は言葉を詰まらせる。かける言葉が見当たらなかった。ルフィの決意と、覚悟を垣間見た瞬間だったと言えよう。


ちゃんの分もあるからさ、こっちで一緒に食べよう」


ルフィと少年の話に区切りがついた所でサンジが振り返り空いた席を視線で促す。サンジの隣に空いた空席の前には先に取っておいてくれたのだろう、器に綺麗に盛られた肉や魚、サラダやスープが並べられている。サンジに続き、ナミやウソップ、チョッパーが視線をに向けたのなら、は居心地悪そうに目を逸らした。


「そうだ!さっきは本当にありがとな!」


少年の前に屈んでいたルフィが、今思い出したかのように突如立ち上がり、麦藁帽子を再び被っての方へと歩み寄る。壁にしっかり凭れ掛かっていたは思わず背中から壁を離すと表情を引き締めた。


「すっげーな!どうやってゾロとサンジの居場所が分かったんだ?」

「………」

「それより船長さん、彼女は未だみんなの名前知らないんじゃない?」

「それもそうね」


歯を見せて笑うルフィに、ロビンが優雅に食後の珈琲を飲みながら尋ねると、ナミは納得するように顎に手を置いて頷いた。ナミは体ごとへ向き直るとテーブルの端に視線を向けて言う。


「まあ、何となく分かってるとは思うけど左からウソップ、チョッパーよ。ウソップは狙撃手でチョッパーが船医。彼はサンジくん、うちのコックね。私はナミ、航海士をやってるわ。それから…」

「知ってる」

「え?」


テーブルについている順番に名と、船員としての役割をつけて紹介していくナミだが、突如放たれたの言葉によって疑問の声を上げて首を傾げた。は一度息を深く吐くと、視線を上げて自己紹介が未だの三人を見る。


「後の三人は手配書で見たよ。…麦わらのルフィ、海賊狩りのゾロ。……悪魔の子ニコ・ロビン」

「よく知ってんなー!」

「光栄ね。“異世界の雷姫”に知られているなんて」


ルフィは感心そうにを見て、ロビンは妖艶に微笑んでまた珈琲のマグカップに口をつける。が眉を顰めるのと同時にナミがロビンに振り返り「ねぇ、」と声をかければロビンはカップから口を離して目を細めてまた微笑んだ。


「異世界の雷姫って?」

「彼女の通称よ、あまり知られてないみたいだけど過去一度だけ手配書が新聞に載っていたわ」

「本当?気付かなかったわ」

「片隅に載っていただけだから気付かなくても可笑しくないわ。本当に小さな記事だったから」


何時の間にかナミだけでなく、皆の視線がロビンに向けられ、語られる話に耳を傾けていた。その為、船室は先程までの騒ぎが嘘の様に静まり返っており、ロビンの声だけが此の空間の空気を震わせている。ロビンはカップをテーブルに戻し、残り半分となった珈琲の水面を眺めた。


「記述が何もなくて、どうして手配書に載ることになったのか分からないけれど、2つだけ分かっている事があるわ」

「分かってる事って?」


ナミが前のめりになって続きを促せば、ロビンは特に勿体振る様子もなく、あっさりと続きを言った。


「ALIVEのみの手配書である事と、8000万ベリーの高額な賞金額である事よ」

「は、8000万ベリーですって!?」

「おいおい!ルフィのほぼ3倍かよ!?」

「おめーやっぱ強ぇーんだな!」


高額な懸賞金に驚愕の声を上げるナミと、思わず前傾姿勢を取ってとルフィを交互に見るウソップ。ルフィは何故だか嬉しそうに笑っていた。一人この状況に顰めっ面なのは言うまでも無くである。自分の情報を勝手に話されて良い気分なはずがなかった。


「生きたまま捕らえる事、高額な懸賞金。その2つを元に考えられるのは、彼女は政府に重要視されているという事。そして付いた通称を掛け合わせると…ほら、ちょっと気にならない?」


は途端に大きく目を見開き、ロビンを凝視した。ロビンは微笑を絶やすことなく浮かべており、残り少ない珈琲に再び手をつける。は確信した。


「(この女…知ってる…)」


恐怖にも似た焦りが、心臓の鼓動を早め、じわりと汗を生み出す。こちらを見て微笑むロビンの視線から目が離せない。今の語り口から、ロビンはが異世界から来た事を悟っているのが分かる。否、証拠が無いのだから今は未だ確信ではなく推測なのだろうが、確信に限りなく近いものを持っているのが嫌でも伝わってきた。でないと、あんな風な言い方はまずしないだろう。


「(ころさなきゃ)」


口腔内に溜まった唾液を飲み込んで、拳を握る。まるで何も無い世界にとロビンの二人しかいないような気分で、目の前の光景が歪んで見える。そしてブラックアウトする世界、其処で見えたのは汚く異臭の放つゴミ山だ。


「(あたしのこと、しってるひと、ぜんいん)」


ゴミで囲まれた狭い空間、その中の住民だった皺だらけの小汚い老婆が覚束ない足取りで此方に向かってくる。その老婆に、手を突き出す。怯える老婆、近付くあたし。そして、その手で老婆の顔を掴んだのなら老婆が絶叫を上げようと大きく口を開いた。


「おい!」

「っ、」

「大丈夫か?顔色悪ィぞ」


知らぬ内に目の前に来ていたルフィの大声に依る掛け声で我に返る。目の前の男は唇を尖らし「サンジの飯、食わねぇからだな」なんてぼやいており、はそんなルフィを尻目に周囲を見渡す。皆が驚いたように此方を見ており、少しの間、自分が思い耽ていたことに気付いた。


「おい、聞いてんのか?」

「…聞いてる」


無視をすればまた大声を上げそうなルフィに渋々返事を返せば満足気に頷いた彼は、手の平を拳で軽く叩き「そうだ!」なんて目を輝かせた。一体今度は何なのだとはルフィを訝しむ。


「知ってんだろうけど、ちゃんと言っとかないとな!俺はモンキー・D・ルフィ!海賊王になる男だ!」


ルフィは豪快に大きく口を開けて笑いながら自身の名を名乗る。その様子は、無邪気な幼い子供を連想させたが決してが微笑ましく思えなかったのは、ルフィが名と一緒に告げた一文にあった。


「…海賊王…?」

「ああ。俺はひとつなぎの大秘法、ワンピースを手に入れて海賊王になるんだ」

「…冗談でしょ」

「冗談なもんか!俺は本気だぞ!」


自分の顔が引き攣るのを感じながら、は思う。本気で目の前の男は海賊王になる事を望んでいるのだろうか。もし本気で本当に本心からなのだとすれば、それはとんでもないことじゃないだろうか。犯罪者の王になる事を望んでいる等、とてもじゃないが普通じゃない。平和なあの世界で生きてきたには、理解出来る事ではなかった。


「海賊王って…海賊王や海賊がどれだけの人を苦しめてきたか分かってるの」

「さあ、知らねぇ。けど、俺がなるって決めたから。海賊王に俺はなる」


戸惑いながらも尋ねれば、ルフィから返ってきた言葉は肯定のものでは汚い感情が湧き上がってくるのを感じた。あの日出会った海賊の男達は今でもはっきりと思い出せる。


「それがアンタの野望ってわけ」

「ああ、そうだ」


結局海賊は海賊、それに違いは無い。は一度強く拳を握り、それを壁に叩きつけた。大きな音が船室に響き、誰かが小さな悲鳴を上げた。覇気で硬化していない拳はこれといった破壊力もなく、ただ大きな音を響かせただけで壁には傷や凹みすら一つない。


「理解出来ない」


吐き捨てるようにルフィに言えば、出て行くようにしては船室を出る。すっかり日の沈んだ空には幾つもの輝く星があり、頬を撫でる風が心地良い。が出て行った後の船室では異様な空気だけが残り、意味を理解出来なかったのかルフィは不思議そうに首を傾げていた。










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