最初は只の違和感だった。微かに何かの音が聞こえて、どれだけそうしていたのか分からないが、ずっと伏せていた顔を上げれば隣に座っていた少年が心配げにを見上げている。自分の空耳なのだろうか、そう考えて暫く少年と過ごす静寂の中。また、何かの音が聞こえた。空耳かと思えば少年も周りをキョロキョロと見渡しており、自分だけが聞こえたんじゃないと確信する。そして暫くの時間が経過し、その何かの音は誰かの悲鳴や、砲撃音であり、爆破音でもあった。鳴り響く警報のサイレンが心拍数を上げる。


「何?何があったんだよ…何なんだよ、この音…!!」


怯えた様に周囲を酷く警戒しながら立ち上がり落ち着きの無い少年を尻目には夜空を見上げた。先程までは真っ暗な闇の中、輝く無数の星の光があったというのに今はその光が何だか薄い。変わりに空には幾つかの長く伸びた光が空を照らしてた。


「………、」


異常を察知し、は立ち上がると現状を把握しようと甲板の方へと駆け出す。遅れながらも少年はの後に続いて走れば、目の前に広がる光景に言葉を失った。しかしそれはや少年だけではなかったらしい。


「何よこれ…」


どうやら船室に居た船員達も異常を察知し既に甲板に集まっていた様で皆がその光景に言葉を失っていた。ぽつり、小さな声でナミは呟く。無理もなかった。左右に高い崖に囲まれ、中央に一直線に伸びる海の道。その一本道を進んだと思われる海賊船が何隻も大破し、海に沈んでいる。また一隻、麦藁海賊団の前方に居た海賊船が何処からか発射された砲弾を受けて赤い炎と黒い煙を上げて海に沈んだ。警報音は鳴り止まない、空を照らすライトの光も消えない。


「此処、海軍の要塞じゃないのよ!」

「ナミさん、どういうこと?」

「でも間違いじゃない。針は確かに此処を…」


渡されたエターナルポースの差す針に向かって進んだ航路。辿り着いた先は到底ゴールのパルティアには見えない。此処がどういう場所か分からない程、無知ではないはとてもじゃないが呆然としていられなかった。


「なんて事してくれたのよ!!」

「だって…針は…」

「そんな事どうでもいい!!早く転回して戻って!!!」


一向に船を方向転換させ、撤退しようとしない此の船の航海士であるナミには声を荒げる。前方に居た海賊船が沈んだのは間違いなく海軍の砲撃によるもの。次に狙われるのはこの船で間違いないだろう、何せ他の船はもう全て海に消えていったのだから。焦らない方が可笑しい、この広い海の中、小さな船に対し、敵対する海軍の要塞はとても大きく装備も豊富なのだ。流石は“ハリネズミ”と呼ばれる鉄壁の大要塞、海軍G−8支部である。集中砲撃でもされればひとたまりも無いだろう。


「(こんな所で、こんな奴等と一緒に海に沈むわけにはいかないんだから…!!)」


は奥歯を噛み締め、また声を荒げて転回するよう要求する。こんな所に一分でも一秒でも長く居て得する事などないのだ。しかし焦っているのはだけのようで、あくまで麦藁海賊団船員達は慌てる様子も急ぐ様子も見せない。は舌打を零す。一人だけならば、今頃さっさと此の場を離れて安全な場所まで逃げ切れていただろう。


「ねぇ。そのエターナルポース事態が違うってこと?」


ロビンがエターナルポースを何度も確認しているナミに問いかければ、途端閃いたように表情を一変させてナミとサンジはエターナルポースを覗き込む。工具を使い、エターナルポースに取り付けられた島の名の刻まれた金属のプレートを外せば、その下から見えたのは“NAVARONE”の文字。木に直接掘られた地名は、まさしくこの要塞の島の名を指していた。


「くっそ、何か変だと思ってたのはこれか」

「ガスパーデの仕業だろ」

「ルフィ…」


暗闇の中、サイレンの音が響く海。何隻も沈んだ船を眺めながら、普段からは想像もつかない様なふざけた話し方ではなく、緊迫した顔付きで、はっきりと断言してみせるルフィ。その声のトーンや、横顔が明らかに彼が怒っていることを物語っている。


「こんなくだらねぇやり方をするやつは、アイツに違いねぇ」

「何よ、そんなの分かんないじゃない」

「間違いない!」

「ちょっと」


ルフィとナミのやり取りを聞き流しながらは要塞を見上げた。空を照らす様に伸びる細長いライト。あれが、いつ、この船に向けられるか。考えるだけでも血の気が引く。一刻も早く、この場から離れなければならない。船を動かす気が無いならば自分で動かしてしまえば良いだけの話だ。


「!」

「おっと。勝手な行動は止めとけ」

「…邪魔しないでよ」

「此処を離れたいなら念願の“陸”に上がる事だな」


舵を切りに船室へと足先を向ければ、腰に差した刀に手を添えて立ち塞がるゾロ。鋭く細められた瞳でゾロを睨みつけるが、ゾロは怯む様子を見せない。今にも抜刀せんとするゾロに効果は無いと分かっていながらも退く様に促すが、ゾロは要塞を見上げて不敵に口角を吊り上げるだけだった。遠まわしにゾロは、此処から離れたければ船から下りてナバロンに一人で勝手に上陸しろ、と言っているのだ。この発言に怒りを感じないはずがない。


「………っ」


昂る感情、血が昇って行く感覚。今直ぐにでも船を動かしたい所だが、この男は退くつもりはないだろう。争いになれば一戦を交える事は確実とも言え、となるとはゾロを倒さなければならない。そしてゾロを倒したとしても、仲間が倒されたとなれば此の船に乗っている船員全員が今度は敵になるのだ。そんな争いを今此処でするには時間が無い。は下唇を血が出んばかりに噛んだ。こんな状況だというのに、には何も出来る事がなかった。


「そうだと思うよ」


ルフィとナミのやり取りを聞いていたのだろう、今まで隠れるようにして船室の壁の後ろに控えていた少年が甲板に姿を現した。ルフィやナミだけでなく、やゾロ、他の船員達も全ての人間が少年の方へと振り返る。


「ついこの間、大量のエターナルポースを船内で見た。多分、それ」

「海賊が海賊を売ったってわけだ。大した将軍だな」

「クソ汚ねぇ野郎め」


少年の告発にゾロが感心するように呟き、サンジが吐き捨てる様にして言葉を漏らす。海賊が海賊を売るという行為は海賊の中でも暗黙のルールで禁じられていたりするのだろうか。それとも、海賊には海賊の美学というものがあって、其れに反するのか。には分からない。何でもやる、何でも奪う、自己中心的で暴力を振るい、弱者を恐怖に陥れる存在が海賊であるとは認識している。自由で、我儘で、傲慢。其れが海賊なのではないのか。ならば、ガスパーデが行った行為も“海賊だから”の一言で済ませることで出来る。海賊は犯罪者集団である事には代わりは無いのだ、何を言っても正当化も美化も出来やしないのだ。


「どうする、今から追うのか?」

「本物のエターナルポースが無きゃ無理よ!」

「そうだよもう遅いよ!全てが遅いんだ!!」

ナミに詰め寄り、今後の方針を尋ねるウソップにナミが即座に無理だと否定する。エターナルポースが無ければゴールの島に行き着く事は先ず不可能であり、それもガスパーデがゴールの島に向かってすら居なければ、そもそもガスパーデに追い付く事すら叶わないのだ。ナミとウソップのやり取りに、突如声を荒げる少年。皆が少年の悲鳴の様な悲痛の声に目を丸くする。少年は俯いて身体を小刻みに震わせていた。


「じっちゃんだって、もう…」

「貴方の、おじいちゃん?」

「…本当のじゃないけど…命を助けてくれたじっちゃんだ。病気で…仲間じゃないってアイツら、薬もくれない。だから、俺…」


みんなが黙って少年の話を聞いていた。そして悟ったのだ。少年が何故銃一丁を持って海賊船に乗り込んだ理由を。そして恐らく、少年や少年の命を助けたという老人はガスパーデの船に乗っているのだろう。だからこそ少年は、ガスパーデの船に大量のエターナルポースがあった事を知っていたのだ。


「薬を買う為にこの船に…」

「うん…」


静まり返り、暫しの静寂。しかしそれはあっさりと破られた。


「馬鹿か、お前」


ルフィの声はやけに良く響いて聞こえた。其れはとても周囲が静かだったからなのかもしれない。ルフィの挑発的な言葉に、少年は俯かせていた歪んだ顔を勢い良く上げる。少年に背中を向けたままの言い放ったルフィは、振り返りはしなかった。


「そんな事させる為に命を助けたんじゃねぇぞ、じいさんは」

「そんな事…!」

「分かってんなら生き抜いてみせろよ。大体そんくらいの覚悟が本当にあるんだったら、船から助けるぐらいのことしてみろ。やりもしねぇのに口だけで命かけるとか言うな」


一度だって振り返らず、真っ直ぐ前だけを見て言うルフィの言葉は全く持って其の通りで、その的を得た言葉に少年は瞳を潤ませ、大粒の涙を流すのだ。分かっているのだ、少年も。分かっているからこそ、他人であるルフィに言葉として突きつけられた事が、より胸を締め付けるのだ。


「お前なんかに…!言われなくたって………っ!!」

「なら丁度いい。俺は今からアイツをぶっ飛ばしに行く。来るか?」

「行く!!連れてけーーー!!!」


鼻頭を赤くして少年は言った。顔だけ振り返ったルフィが漸く此の場、此の状況で初めて笑みを見せる。話はガスパーデを追い掛ける事で纏まった。


「しょうがないか。三億ベリーも諦めるわけにいかないし。本物のエターナルポースを貰わなきゃ」

「あのー…この展開だとガスパーデと一戦やるように聞こえますが…って撃ってきたぞ!!」


ふわりと優しげに笑みを浮かべて頷くナミに、響く砲撃音。要塞から発射された砲弾がみるみる内に船へと接近し、飛んでくる。慌てるウソップを尻目に、ルフィは身体を風船の様に膨らませて砲弾を弾き返したならば、その砲弾は要塞に辺り、爆発した。


「よし!行くぞ!」

「ちょっと待てオイ!どうやって行先を!?」

「チョッパーの鼻!」

「わかった!」

「ああ、なるほど」

「ウソだろ…」

「大丈夫!後は航海士に任せて」

「いつもこんな調子?」

「まあ大体な」


話が纏まり、此処に来て漸く船が方向転換し、要塞に背を向けて海を突き進みだす。真っ暗な空と海に挟まれ、ゴーイングメリー号はチョッパーの鼻を頼りに波に逆らい要塞から徐々に遠ざかって行く。皆の意見が纏まり、今からガスパーデに喧嘩を売りに行くということで決まったのだが、しかし一人だけ、それに不同意の人物が居た。は意識を集中させ、神経を尖らせる。刹那、頭上で雷が鳴った。そして続く音は金属音。ゾロの手には刀があり、その刃をがナイフで受け止めている。二人が其々の獲物を引き抜いたのは同時の事だった。


「何の真似だ」

「こっちの台詞よ、そんなの」


力と力の押し合い。時折鈍い音と立てるナイフと刀だが、それは一向にどちらも下げる気配は無い。しかし、力なら圧倒的に勝るゾロが今直ぐにでも力でを捻じ伏せる事も、斬り捨てる事もしないのは、手加減をしている証拠でも有り、様子を窺っているという事でもある。刃を前にとゾロは睨み合う。ゾロの後ろにはルフィが此方を見ていた。


「何やってんだ?お前等」

「…ガスパーデの所になんか行かせない」

「?船の行き先を決めるのは俺だぞ!」

「そんな事どうだっていい!!」


高い音が鳴り、刀とナイフが弾けてゾロとは後方に下がり、二人は距離を取る。相変わらずゾロは刀を構えたままで、も握ったナイフを下ろさない。後ろでサンジが「てめぇレディに向かって何してんのか分かってるのか!!」と怒声を上げているが、ウソップとチョッパーの二人がかりにより取り押さえられていたサンジは身動きが取れないでいた。


「ガスパーデに喧嘩売ってどうなるっていうの。意味無いじゃない!自分から危ない所に首を突っ込みうに行くなんてどうかしてる!!」

「それこそ、んな事知らねぇよ。俺がぶっ飛ばしてぇから行くんだ。それで十分だ」

「………馬鹿じゃないの…っ!!」


歯軋りがギシリと音を立てた。本当に海賊は馬鹿だ、つくづく付き合いきれない。わざわざ喧嘩を売りに行って得るものなんて何も無い、只の自己満足に過ぎないのだ。堪らなかった。


「俺は行くぞ。邪魔すんな」

「っ、」


強い口調ではっきりと言われれば、は言葉を詰まらせて口を噤んだ。何を言っても、この頑固な男は聞く耳を持たないのだろう。皮肉にも知り合って未だ間もないが、それ程度のことは容易に想像出来た。


「チョッパー!」

「大丈夫!こっちで合ってる!」


結局の意見は取り入れられず、船はガスパーデの元へと向かって全速力で進んでいく。曇った空からは次第に雨が降り始め、強さを増す雨に服は雨水を吸って重たくなり肌にへばり付く。は耐えるようにナイフを持つ反対の側の手を強く握った。横降りの雨が酷く冷たかった。










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