横降りの雨が酷くなる一方で、例え人間よりも嗅覚に優れた動物だからといえど、この雨では臭いなんてものは掻き消されても当然なのじゃないかと思える程の酷い雨だった。しかし、そんなの予想もぶち壊し、麦藁海賊団の乗るゴーイングメリー号は海を突き進み続け、その前方に一隻の船を晒す。紛うことなき、ガスパーデの船である。


「ガーースパーーデーーーーー!!!」


船首の上に立ち、ルフィは腹の底から全力で叫んだ。其れがガスパーデの耳に届いたかどうかまでは流石に分からない。呆然ととウソップは前方にゆらりと低速で海の上を進むガスパーデの船を眺めていた。


「冗談みてぇ、本当に臭いだけで辿り着いた…」

「信じてなかったのかよ!!」


何とも形容し難い、上ずった声で言うウソップに、チョッパーが驚いたようにウソップに振り返って抗議の声を上げる。しかし誰が本当に臭いだけで、この広い海、それも土砂降りの雨の中たった一人の人間を追い掛ける事が出来ると思うのか。正常な思考回路の持ち主ならば、誰だってそんな事は不可能だと言うに違いない。ウソップとが初めて共感した瞬間でもあった。


「外輪が止まってる…向こうにも色々とあるみたいね。ルフィ!後は好きにやっていいわ!」

「おう!」


ナミの指示に力強くルフィは頷くと、準備運動の様に軽く腕を回したなら、大きく腕を引いた。ガスパーデの船まで未だだいぶ距離が開いているというのに、飛び移るつもりなのだろう。無謀すぎるルフィの行動に目を丸くし、食い入るようにルフィを見ただが、ルフィは勢い良く引いた腕をガスパーデの船に向かって拳を突き出せば、その拳は海を跨いでガスパーデの船の側面に減り込むのだ。


「ロケットーーー!!」


ルフィはそう叫びながら、伸びたゴムが縮む反動を使って一直線に、そしてとんでもないスピードでガスパーデの船へと一足先に乗り込んで行った。あっという間に船から離れ、ガスパーデの船へと近付いていき、見事に乗り移ったルフィは、遠く離れたゴーイングメリー号から見ても分かる程に、派手にガスパーデの船に乗っていた船員を何人も海に伸びた腕で振り落としていく。その衝撃からだろう、ガスパーデの船のマストの柱が折れて倒れるのが見えた。


「おー、やってんな」


時期に船はガスパーデの船に近付き、横付けをすると、ガスパーデの船に乗り移る為にサンジが先端にフックがついたロープをガスパーデの船の縁に引っかかる様に投げた。


「しっかり案内してくれよ」

「うん」

「そのお兄さん方向音痴だからさ」

「うるせぇ、お前は!」


フックが船の縁に引っかかり、ロープを引っ張って其の引っかかりが確かであることを確認すれば、少年にゾロが方向音痴であることを告げたサンジが先にロープを伝って船の側面を昇って行く。これからゾロ、サンジ、少年によって、少年の命を助けたというボイラーマンの老人、ビエラの救出が行われるのだ。先に登って行ったサンジを見上げ、続いてゾロと少年が船に船に乗り移ろうとする。そんな二人を見て、勿論ガスパーデの船に登るつもりも気配も無いウソップが仁王立ちで誇らしげに言い放った。


「よし、俺は援護してるからきちんと仕事しろよ!」

「何偉そうにしてんだよ」


ウソップの無意味とも言える主張をゾロは呆れながらも言葉を吐き出せば、少年を脇に抱えて片腕だけでロープを握り、ガスパーデの船の側面を蹴って登っていく。麦藁海賊団船員きっての戦闘要員と思われる二人がゴーイングメリー号から離れた事で、は静かに息を吸い、吐き出すと意識を集中させて“其れ”を薄く引き伸ばし一気に分散させた。


「(“ 盗み聴く耳 <<  リッスン・イヤー  >> ”)」


は己が悪魔の実の能力者になり、直ぐ作ったとも言える能力を発動する。見聞色の覇気と己の能力を併用する事によって可能となった能力は、見聞色の覇気が届く範囲、つまりかなりの広範囲で此の技は活躍する。雷を電波の様に飛ばす事により、見聞色の覇気の範囲内の全ての会話を聴く事が可能になるのだ。あらゆる会話がの耳に届く。誰かの悲鳴や、助けを呼ぶ声、怒声、そして其の中に紛れた二つの声に依る会話。はその二つに耳を集中させた。




「よく此処に辿り着いたな、三千万は伊達じゃねぇか。…で、何の用だ。てめぇもこいつみてーになりてぇのか」

「あれ?お前なんで此処にいるんだ?」

「俺の首を取りに来た結果だ。まぁ、少しは見せてくれたがな」




「(シュライヤ…?)」


は見聞色の覇気でガスパーデの船にある気配を探る。ガスパーデと対峙するルフィ。そしてガスパーデの足元で転がる、知った気配を感じ取れば、は咄嗟に飛び出した。慌ててウソップが何やら呼び止める声を上げたが、其れでは立ち止まりはしない。踏み出した一歩で地面を強く蹴り、一気に飛躍すればガスパーデの船の側面に飛び掛ると同時に腰に差していたナイフを引き抜いて突き刺す。ナイフを突き刺した腕に全体重を乗せ、反対の手でロープを掴み、また足で強くガスパーデの船の側面を蹴り上げれば、その反動で一気に船の上へと飛び乗った。


「お前…」

ちゃん!?」


突然現れたの姿に僅かに目を見開くゾロと、戸惑うサンジを尻目にはルフィと向き合うガスパーデの足元で倒れている意識の無いシュライヤを見た。命に別状は無いが、酷い怪我であることは分かる。表情を一切変えず、無言を貫くルフィにガスパーデは静かに問うた。


「…言いてぇことがありそうだな」

「何であんな事をする」

「あんな事?ああ…要塞のことか、何でもありのレースなんだぜ。文句を言われる筋合いはねぇぞ」

「お前強いんだろ、あんな騙し討ちみてぇなことしなくたって別にいいじゃんか」

「良いんだよ、ちょっとしたゲームなんだからな」

「ゲーム?」


ルフィとガスパーデが決して穏やかな雰囲気では無い空気で会話をする中、ゾロとサンジはへと歩み寄った。厳密には、サンジが駆け寄り、其れを追いかけるように少年が歩き出したので渋々ゾロが付いて来た形である。


ちゃん、此処は危ねぇ。早く船に戻ってくれ」

「………。」


どうやら避難するようにサンジはに訴えかけているのだが、は聞く耳持たずで一度サンジを一瞥すると、再び真っ直ぐルフィとガスパーデに視線を戻し、二人を見据えた。其の様子を眺めていたゾロは噤んでいた口を開くと、サンジに向かって言葉を投げる。


「おい、クソコック。行くぞ」

「はぁ!?こんな所にちゃんを一人置いて行けるか!」


サンジは瞬時にゾロへ牙を向き、強く睨みつければゾロの額には青筋が浮かぶ。犬猿の仲らしい彼等は仲良く並んでいる所をそう言えば見た事がなかったと今になって思い返した。はガスパーデの足元に倒れるシュライヤに視線を落とす。


「そうだ、ゲームだ。そういう遊びでもやんなきゃ、こんなクソつまんねぇ海でなんかやってけっか。海賊なんざ夢ばかり生み出すゴミばかりだ。隠された財宝?見たことのない大冒険?それが何だってんだ。本当に必要なのは力だ。力さえあれば何だって手に入る。そんな事も分からねぇ阿呆度共はな、この俺様が片付けてやろうと思ったのさ。賞金を例年の三倍にしてやったら面白ぇくらい集まったぜ。生き残るような奴がいたら褒美に部下にしてやろうってな。そういうゲームさ。暇潰しには丁度いいだろう」

「なるほどね」


ガスパーデが己の言い分を言い終えた所、サンジは煙草に火をつけながら口を開く。強い風に金色の髪を靡かせながら、サンジは紫煙を吐き出した。


「それであの胴元とグルってわけだ。今頃島を出てんだろうな、賭け金まるまる持ってよ」

「無事か知らねぇがな。奴のエターナルポースも偽物だからよ」


ガスパーデ高らかに笑った。この天候だ、優れた航海士が乗っていようと簡単に乗り越えていくのは困難だろう。視界の端に映る荒れ狂う波に、胴元のあの男はきっと波に飲まれ沈むに違いない。何となくだが、そんな気がした。


「ルフィ!こっちの用は済んだからな!」

「ああ」

「何だ、もうお帰りか。折角追いついたんじゃねぇか、少しは遊んでけ」

「良いから、かかって来い」


ゾロは船へと戻る際、少年を再び脇に抱えてルフィに声掛ければ、ルフィは視線だけ其方に向けて返事を返す。再び抱えられた事に少年は不満そうに抗議するが其れは受け入れられる事は無い。ガスパーデが不気味に口角を釣り上げて笑うが、ルフィの口から放たれた挑発的な言葉に表情を固まらせると、ルフィは止めを刺す様に言葉を続ける。


「さっきから何くっちゃべってんだ?馬鹿じゃねぇのか。ゲームなんかには付き合いたくねぇし、大体お前の能書きなんかちっとも興味ねぇぞ。俺はな、お前をぶっ飛ばしてぇだけだ」


ガスパーデの眉間に皺がみるみる内に寄り、鬼すら逃げ出しそうな酷い剣幕になる。ルフィは拳を強く握り、腰を落として構えを取った。戦闘が、始まる。


「来ねぇんなら、こっちから行くぞ」

「言ったはずだ、なめた口利いてっと命を落とすってな」


両者が睨み合い、その空間に殺気が充満し始める。ゾロは一足先に少年と共に船を下りれば、其の場に右往左往するサンジが一人残っていた。どうやらの事を気にしているらしい。


「待てよ…」


そんな中、響いた声は酷く弱々しいものだった。今にも戦闘を始めんばかりの二人間に倒れていたシュライヤがゆっくり立ち上がったのだ。思わず目付きを鋭くさせていたルフィは、目を丸くしてシュライヤを見る。


「お前!?」

「俺の方が先だ、すっこんでろ。さあ、続きだ」


シュライヤは覚束ない様子で立ち上がり、ふらつきながらもガスパーデへと向き合う。その際、横目での姿を確認したならば鼻で笑う様にして声を漏らすと再び気を引き締めてガスパーデに向き直る。しかしガスパーデからすればシュライヤは既に眼中にない。


「壊れた玩具に用はねぇ」

「ふざけんな!!」


ガスパーデの放った言葉はシュライヤの逆鱗に触れる。怒りを隠す事無く声を荒げ、感情のままにシュライヤは胸の内に秘め続けていた本心を其の場で曝け出すのだ。


「この八年間、てめぇに復讐する事だけを考えて生きて来たんだ。妹も親も友達も皆殺された!!自分がしてる事も愚かだって百も承知で返り血浴びる生き方してきたんだ。きちんと最後まで付き合って貰うぜ、将軍様よ」


其の場の空気が、ほんの少しだけ静かになった。シュライヤの抱く感情は憎しみそのもので、その憎き相手が今目の前に居る。長い八年だっただろう、八年間という月日をシュライヤ今、この瞬間の為に全て捧げてきたのだ。シュライヤにとって、この時がどれ程大切で重要なものか、容易に想像出来る。


ちゃん、」


は後方から掛けられた声にゆったりと振り返った。口に煙草を銜えたサンジが心配そうに此方を見ている。サンジの言いたい事は、手に取るように分かった。だからこそ、は静かに何度も言ったであろう言葉を返すのだ。


「平気だから。ほっといて」


サンジは下唇を噛み締め、目をすっと細めた。結局の所、サンジの思いはには届かない。そこまでを頑固にさせたのは何なのだろうか、否、分かりきっている。はこの先もサンジの願いを聞き入れる事は無いだろう。彼が海賊である限り。が海賊を憎み続ける限り。


「…また来る」


サンジはそれだけ言い残し、一人ガスパーデの船室へと消えていった。は再びシュライヤとガスパーデのやり取りに視線を戻す。このやり取りを、最後に行き着く結末を、は見て居たかった。海賊を憎み、海軍を怨んで今日まで一人世界から逃げて生きてきたと、親や妹、友人を殺されガスパーデという海賊に復讐を誓い血を浴びる生き方を選んだシュライヤ。生き方や生きてきた状況や環境は違うものの、二人が共通する事は、その闇の世界に心を支配されたという事。は己と似て非なるシュライヤの生き様を、此の目で最後まで見届けたかったのだ。


「そういうのを馬鹿って言うんだ」

「何だっていいさ……っと、悪ぃ」


覚束ない足取りのシュライヤは、案の定と言うべきか。そのままふらりと後退しルフィの身体に凭れ掛かる。へらりと力の無い笑みを浮かべたシュライヤが謝罪と同時にルフィに振り返ろうと首を動かせた瞬間、シュライヤの頬に減り込む拳。


「邪魔!!!」


ルフィに殴り飛ばされたシュライヤは、壁を突き破り船室の壁に背中を打ち付けると、頭を項垂らせて動かなくなった。は咄嗟に甲板を蹴り、其の壁に大穴を開けた船室へと駆け込めばシュライヤの首筋に手を添える。微弱ながらも脈はあり、意識を失っただけらしい。


「確かに邪魔だ!!懲りねぇ野郎だな、口は生意気だが気に入ったぞ!」

「だから同じこと言わせんなよ。能書きは良いから来い」

「減らず口を叩くな!!」


シュライヤに対してのルフィの姿勢が気に入ったようで上機嫌に笑みを見せたガスパーデだったが、ルフィがガスパーデに向ける姿勢も相変わらずのもので直ぐにガスパーデの顔から笑みは消え去り、代わりに青筋が浮かぶ。今度こそ二人の戦いが始まった。










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