その戦いは兎に角目を逸らす事の出来ないもので、他人事の様に言うならば“良い戦い”だった。ガスパーデの食べたアメアメの実によって、右拳を捉えられたルフィは一方的にガスパーデに殴られるものの、両手をガスパーデの胸にわざと捉えさせれば渾身の頭突きをする事で漸くガスパーデの拘束から逃れる。それからは先ほどと打って変わってルフィの一方戦だ。両者、どちらも引かない攻防はまさに格の違いを感じさせた。


「いいのか?大事な宝をこんな所に転がしといて。あの赤髪のシャンクスから貰った大切な帽子なんだろ?」


ふとガスパーデは己の近くに転がっているルフィの麦藁帽子へと視線を落とした。攻防の際にでも落ちたのだろう。どんよりとした空の下で、ガスパーデは己の左腕を切っ先の尖った鋭利なものへと変化させる。アメアメの実を食べたガスパーデの能力は、体を水飴に変化させる事が出来るのだ。水飴上になった左腕は、透明な緑色で槍を思わす形状となる。


「貰ったんじゃねぇ、預かってんだ!其れに触るな!!」

「偉そうに抜かすなら自分で守んな」

「やめろ!!其れを傷付けたら絶対許さねぇーぞ!!」

「口先だけじゃ、何も守れねぇんだよ」


ガスパーデの言葉がずしりとの心に圧し掛かる。麦藁帽子を見て笑みを浮かべるガスパーデに目の色を変えるルフィが、どれだけあの麦藁帽子を大切にしているのかが伝わってくる。決して上質な様には見えず、何処にでもあるような麦藁帽子。強いていうなら、少し劣化が気になる様な、そんな印象を受ける帽子だ。


「やめろーーーー!!!」


しかしそんな悲鳴にも近いルフィの叫びは虚しく、無情にも麦藁帽子に突き刺さるガスパーデの左腕。大穴を開けて貫通した麦藁帽子がルフィの漆黒の瞳に嫌になる程映る。


「貴様ーーーーー!!!!」


これといった道具もない為、応急処置を施す事も出来ず、只々精々ガスパーデとルフィの戦いに巻き込まれぬよう見張るような形でシュライヤの隣に腰を下ろしているは、瞬き一つせずルフィの姿を見つめていた。怒りを露にし、その憤怒の咆哮に生唾を飲み込む。ガスパーデに飛び掛ったならば、ルフィの拳はガスパーデの右頬に一筋の傷を作るのだ。


「帽子を返せ!」

「良い面になってきたじゃねぇか…。良いだろう、受け取りな!」


しかし戦いを楽しむような、そんな表情を相変わらず浮かべたままのガスパーデは、怒気を含むルフィを見ても其の表情や態度は変わらない。より一層挑発するかの様に麦藁帽子の突き刺さった左腕を持ち上げれば、乱暴に斜め下へと振り下ろす。乱暴に振るわれ、引き千切られた麦藁帽子は、中央に大穴を開け、横一直線に亀裂を生んでひらりと風に乗って甲板の床へと落ちた。嗚呼、なんと無情な事か。は小さく口角を吊り上げ笑う。引き攣ったその笑みは、なんとも不恰好なものだった。


「…ははっ。よっぽどガスパーデの方が海賊らしい…」


欲しい物は何でも手に入れる。その為には奪う事すら厭わない。其処に善悪の区別は無く、自身の欲求を満たすならば何でもする。よっぽどにはルフィよりも、ガスパーデのその姿勢の方が海賊らしいと感じさせるのだ。は酷い雨に空を見上げる。遠くで雲が凄い速さで動いているのが見え、まさかと口が開いたまま塞がらない。瞬時にその雲の動きから、サイクロンが近付いてきている事が容易に予測出来たのだ。


「このままじゃ衝突する…!」


視線を正面へと戻せばガスパーデとルフィが激しい戦いを再開させており、その攻防はより一層派手に強くなっている。攻めるガスパーデと防ぐルフィ。其の戦いはむしろ見てる方が痛々しい程に過激なもので、その戦いの激しさを物語る様にガスパーデの船はあらゆる所が荒れ、破損し、原型が少しずつ、しかし確実に崩れ始めていた。ルフィの反撃で、折られたマストの柱がガスパーデの背中から勢い良く突き刺さる。常人であれば即死ものだが、悪魔の実の能力者であるガスパーデは此れでは死ぬ事は無い。すると船室に行っていたサンジが、何やら大きな袋を両肩に乗せて現れる。ルフィとガスパーデの戦いを視界に収めれば、ルフィに尋ねるのだ。


「おい、終わったか?もう時期この船は沈む。直ぐ引き上げるぞ」

「先言ってろ、もうちょっとかかる」


じわじわと、周囲が緑色の水飴と変化し、再生を始めるガスパーデ。時期に其の水飴はルフィの突き刺したマストの柱を引っこ抜き、完璧に無傷で再生してみせた。そんなガスパーデの姿を見て、サンジは納得したのか、両肩に乗せた袋を持ち直しながらルフィへと一歩歩み寄る。


「しょうがね、一先ず此処から離れて後で迎えに来る。問題あるか?」

「ない!」

「じゃ、これやる」

「なんだこれ?」

「上手く使え。時間がねぇんだ」


両肩に乗せていた袋をルフィに押し付けたなら、サンジは一度意識の無いシュライヤと、その隣に座っているへと視線を向ける。しかし、暫し沈黙の見詰め合えば、サンジはへなりと困ったように笑って、そのまま麦藁海賊団の船に向かって走り去って行く。その背中を見届け、再びルフィとガスパーデの戦いに視線を戻そうとすれば、視界の端でピクリと反応を見せた指先には勢い良くシュライヤに振り返った。硬く目を瞑っているシュライヤだが、確かに今、投げ出された指先が動いたのだ。


「シュライヤ…、シュライヤ!」


傷に障っては元も子もないので、揺さぶる事も出来ず、ただ寄り添い声を掛ける。しかしシュライヤの意識はなかなか浮上する事が無く、が諦めた瞬間、激しい物音と崩れる床に心臓が一気に跳ね上がった。突如船が爆破したのだ。


「え。ちょ、何が起きてるの…!?」


破損した船の破片が海へと沈み、船自体もかなりの傾斜となって海へと沈み始める。座っていた床も崩れ落ち、落下しながら咄嗟にはシュライヤの後頭部と背に両腕を回せば、ぎゅっと抱きしめながら共に落下していく。下の階の船の床の上に受身もままならぬまま落ちたのなら、今度は頭上から降ってくる瓦礫から守るようにシュライヤの上へと覆い被さり、は強く目を瞑った。大きな瓦礫が頭上に落ち、落ち着いた所で瓦礫を跳ね除けるように腕を振るい退かせれば、丁度目の前に風で飛んできた麦藁帽子を見え、咄嗟に手を伸ばしその無残な姿となった麦藁帽子を掴んだ。冷たい雨に長時間晒された所為か、冷たく濡れた麦藁帽子はとても脆く感じた。


「…っぷはー!なんだなんだ!?いきなり爆発したぞ!何でだ?…あんにゃろーは何処だ?沈んだか…?」

「此処だよ」


周囲を見渡し、ガスパーデの姿を探すルフィは上から聞こえて来た声に振り返る。丁度階段を上った先の段差にある柵にガスパーデは無傷で立っていた。流石にあれだけの戦いをやってのける両者、突然の船の爆破の巻き沿いに合い、船と共に海に沈む様な事はなかったらしい。ガスパーデは両手を槍の様に水飴を形成し、ルフィへと突き刺す様に放てば、左腕の槍はルフィが肩に担いでいた袋を貫き、右腕の槍はルフィには当たらず背後にあった船の柱に突き刺さる。


「(白い粉…?)」


ルフィがサンジから託された袋は、ガスパーデが貫いた穴から大量の白い粉が溢れ出し、袋を担いでいるルフィの身体を真っ白に汚す。その粉が何なのか、全く分からないは只ぼんやりと其の粉を眺めた。


「よくもまぁやってくれたもんだ。結構この船は気に入ってたのによ。てめぇの手下の仕業だな?」

「手下じゃねぇ。仲間だ。俺の船に手下なんかいねぇ」

「何を言い出すかと思えば、何だそりゃ。海賊の癖に仲良しごっこか?ふざけんな」


傾斜も酷く、どんどん船が海へと飲み込まれて行き、サイクロンはもう直ぐ其処まで来ている。とてもじゃないが時間の無い危機的此の状況下、悠長にもガスパーデは語り出した。


「この海はな、支配する者とされる者しか居ねぇんだ。権力が全てなんだ!だから俺は海軍を出て海賊になった。海なんざ大嫌いだが、権力を握るには手っ取り早かったからな!」

「だからお前はクズなんだと言ったんだ。お前は本物を知らねぇ、だからそんな台詞が言えるんだ。心にも仲間を信じる気持ちも無ぇ奴が洒落で海賊旗を掲げるんじゃねぇ。そういう奴は俺がぶっ潰してやる。暇つぶしに」


其れは互いが互いに抱く海賊論とでも言えよう。全てを支配する力を得る為に海賊となったガスパーデと、海賊と言うものをとても綺麗なものとして美化するルフィ。現実はルフィの描く海賊よりも、圧倒的にガスパーデの言う様な強さを求める海賊の方が多いだろう。海賊とは、海の賊なのだ。略奪し、殺し、己の欲求の為に力を振るう。そんな海賊がこの世界にはごまんといるのだ。しかし、だ。もしも、もしも。ルフィが言うような海賊の方が圧倒的に此の世界の多かったとしたら。


「(其れはとても美しい世界だと思う…)」


信頼し合う大切な仲間達と共に、思うがまま気のままに世界中の海を旅して回り、色々な島を、色々な景色を、色々な食事を、色々な人と出逢いながら、時に宝の地図を頼りに過去の人々が隠した財宝を探して、また次の島へ海へ。何とロマンチックな事か。


「(でも絶対に、そんなのありえない)」


は自虐的に小さく笑った。所詮は夢は夢で、理想は理想なのだ。現実になるはずがない。海賊が人間である限り、そんな美しい事にはなるはずがないのだ。何故なら此れほど欲求の強い生き物は人間以外に存在せず、嫉妬心や貪欲は何よりも人を醜くさせ、人の行動エネルギーへと変えるのだから。は其れを知っている。だからこそ、ルフィの語る海賊は、結局彼の中の理想でしか有り得ない。実現する事はないのだ。彼の海賊はそうなのかもしれない、今は。しかしいずれ、ガスパーデの様に力を求める集団へと変化する事だろう。彼も、彼らも所詮、海を渡り歩く賊なのだから。


「面白ぇ」


ルフィが不敵に笑みを浮かべながら、ガスパーデの言い回しを真似て告げた台詞にガスパーデの表情は強張り青筋が浮かぶ。怒りに身体を震わせながら、ガスパーデは視界の端で激しく渦巻く雲を捕らえながら言葉を繋いだ。


「この俺様にそこまで言い切った奴は初めてだ。その心意気に敬意を称して最後まで付き合ってやるぜ。いいか、この下には緊急用のボートがある。そしてアレだ」


ガスパーデが視線で指す方を、つられるように見るルフィは、その激しく渦巻く様に動く雲を見て驚愕の声を上げる。もう直ぐ其処までサイクロンが迫っているのだ。


「うわー!!なんだこりゃ!!」

「嵐の中、沈みゆく船にサイクロン。能力者故、カナヅチの俺達には素敵な状況過ぎるだろ。簡単だ、勝った奴が生き残れ。まぁ…抜け駆けもアリはアリだが…」


ガスパーデがシュライヤを抱えながら座り込むを横目に見る。その鋭く冷たい視線には気を引き締めながらも臆せず強く睨み返せば、ガスパーデは可笑しそうに喉を鳴らして笑った。


「そこから一歩でも動けばお前等二人、串刺しだ」


左腕でシュライヤを抱え、右手で拾った麦藁帽子を握り締めながらは何も言わず口を噤んだままガスパーデから視線を離さない。ガスパーデは再びルフィへと視線を戻せば、時期に二人の戦いは再び始まる。ガスパーデの槍になった左腕がルフィの腹部を貫き、其の瞬間咄嗟には目を逸らす。見ているこっちまでが痛くなってくるからだ。刹那、反撃とでも言う様にルフィはガスパーデに殴りかかる。拳は飴になったガスパーデの胸を貫くが、先程と違って絡め取られる事なく拳はするり抜けた。


「もしかして…」


がぽつりと言葉を零せば、ルフィも同様に思う所があったのかサンジに渡された袋を勢い良くガスパーデに投げつける。当たった瞬間、衝撃で弾けた袋の中から大量の白い粉が溢れ出し、ガスパーデを白く染め上げる。


「何だこの粉…小麦粉か!?」


自身に降りかかった白い粉を見て戸惑うガスパーデに、間髪入れずにルフィが蹴りかかれば、其の蹴りはガスパーデの身体に吸い込まれる事なく蹴り飛ばし、ガスパーデの身体が勢い良く吹っ飛ぶ。


「小麦粉って水飴をくっ付ける作用がある…って感じ?」


知らなかった事実に、流石コックだとサンジを少しばかり賞賛しながら、先ほどよりも穏やかな気持ちでルフィとガスパーデの攻防を見守る。小麦粉のお蔭で引っ付かなくなった事に気をよくしたルフィが高らかに言った。


「くっつかなきゃ、こっちのもんだ!行くぜ!!」


それからの展開は一変し、ルフィの怒涛の攻撃だった。その勢いに押される一方のガスパーデだが、其れでやられるガスパーデでは無い。まるで最後の手段と言わんばかりに全身から水飴を棘の様に尖らしたものを出せば、そのまま串刺しにする様にルフィへと飛び掛る。迫り来る棘の鎧を纏ったガスパーデを見据え、避ける事もせずルフィは其の場で待ち構えた。


「麦藁!!」


咄嗟に、反射的にルフィを呼んだのは特に意味があった訳ではない。ただ気付けばそう呼んでいて、後から自分でも何故声を上げたのか分からず戸惑った。ルフィは結局最後まで襲い掛かってくるガスパーデを避ける事無く、その剥き出しの棘を突き刺さることも問わず棘ごと両手で押し返したのだ。突き刺さった両手からはルフィの血が溢れ、其の衝撃にへし折れた棘が床へと落ちる。ルフィに吹っ飛ばされたガスパーデは暫く宙を飛んだのだが、時期にサイクロンの風へと巻き込まれ一瞬にして渦巻くサイクロンの中へと姿を消す。あれに飲み込まれたのだ、さすがにガスパーデといえど無事では済まないだろう。そして能力者であるガスパーデは、海に落ちてしまえばもう助かる見込みは無い。ルフィの勝利だった。


「固まってりゃ…ぶっ飛ばせる。俺の勝ちだ、ざまあ…みろ」


ふらり、揺れるルフィの身体。何とか紡がれた言葉を残し、倒れるルフィにはシュライヤを其の場に横たわらせ、風で飛んで仕舞わぬようにシュライヤの胸に麦藁帽子を置き、抑えるようにシュライヤの手を其の上に重ねるようにして置く。足場の悪い荒れた船の上を何とか移動しルフィの傍らに付けば、どうやら意識が無いだけらしい。意識が回復する様子も無く、横たわったまま動かないルフィには暫し戸惑うも、意を決して其の傷だらけの青年に手を伸ばすのだ。


「こっちじゃ!」


ルフィの腕を肩に回し、何とか立ち上がると後方から飛んで来た聞き覚えの無い声に振り返れば、煤で黒く薄汚れた衣服を身に纏う老人が、覚束ない足取りでシュライヤを背負って此方に手を振っている。その装いに此の老人が少年の言っていた“じっちゃん”なのだろうと咄嗟に悟ると、は老人に従う様にルフィを引き摺りながら歩み寄った。風が強く、長く伸ばした黒髪が慌しく動き回るのを視界の中で捉えれば、老人はを誘導するようにシュライヤを抱えたまま歩き出す。


「こっちに緊急ボートを用意しておる。直ぐに此処から脱出じゃ」

「おじいさん…、今まで何処に居てたの」

「なぁに。ボイラーの最期を看取っておっただけじゃ」


荒れる海の上を暴れる緊急ボートの上に急いでシュライヤとルフィを乗せたなら、続いて老人とも乗り込み、緊急ボートは半分程海に沈んだガスパーデの船から離れる。船を漕ぎ、何とかサイクロンの進むコースからは外れた所でついにサイクロンはガスパーデの船を飲み込み、船は粉砕され破片が風に乗って吹き飛ばれて消えていく。呆気なく消えていく其の姿を見届ければ、途端強い風が吹いて目を細める。隣で赤と白の配色の浮き輪をこれでもかという程に体中に纏う老人には思わず笑えば、老人は太陽の様に優しく笑った。


「そうやって笑っている方がお前さんには似合うぞ」










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