「島が見えたぞーーーー!!!」


最初にそんな明るい声を上げたのは誰だったか。甲板には船に乗る皆が全員出ており、目の前に広がる大きな島を期待と歓喜の色を滲ませた瞳で見つめている。主に麦藁海賊団一同が騒がしく声を上げており、今にも踊りだしそうな勢いなのを、少し離れた場所でとシュライヤは眺めていた。


「「「「優勝だーーー!!!」」」」


黄色い声を上げて誰よりも喜んでいるのがナミに見えるのは、彼女の瞳が既にベリーに変わっているからだろうか。目の前の島の名はパルティア、麦藁海賊団も参加しているデッドエンドレースのゴールの島である。


「浮かねぇ顔だな」

「…だって」

「?」


騒がしい船員達を尻目に、難しい顔をするにシュライヤは横目に尋ねるのだが、矢張りからの返事は薄い。そんな態度にシュライヤは首を捻るだけで、は眉間の皺を更に深くさせた。


「(胴元のエターナルポースを偽物にすり替えたってガスパーデが言ってなかったっけ…?)」


サイクロンが迫る中、行われた激闘でガスパーデが言っていた台詞を思い起こす。その発言がされた際、同じく聞いていたルフィとサンジに視線を送るが、二人も他の船員達同様騒いでおり、着々と近付く島へと胸を躍らせていた。他の船員達を落胆させまいと口を噤んでいるだけなのか、それとも単純にガスパーデの言っていた言葉を忘れてしまったのか。どちらが真か分からないが、とてもじゃないがこの空気で事実を口にする勇気はには無かった。もしも胴元が賭け金だけでなく、賞金も所持していたとしたら、ゴールをした所で賞金は得られないからだ。


「黙ってたら分かんねぇだろ。教えろよ」

「…ガスパーデが胴元のエターナルポースも偽物だって言ってた」

「…まじかよ。アイツら…」


言葉を失ったまま、シュライヤは視線を前方で浮き足立つ麦藁海賊団を見る。満面の笑顔で喜びを存分に全面に出した彼等を見て、シュライヤも他人事のような感情は持てずにいた。ごくり、音を鳴らして生唾を飲み込めば、シュライヤは静かに言葉を紡ぐのだ。


「言えねぇな」

「でしょ」


シュライヤとが溜息を吐くのは同時の事だ。一方は歓喜し、一方は苦笑。その明らかな温度差にビエラは気付いていた様だが、特に口を出す様子は見せない。そんな中、突如響いてきた悲鳴に船に乗る一同は一瞬にして表情を引き締め、視線を島から外し、其の一点を見つめる。見覚えの在るデザインの船が、真っ直ぐ此方に向かって進んで来ていたのだ。


「海軍だ!」

「何で此処にいるのよ!!」


ウソップとナミの悲鳴に近い驚愕の声は瞬く間に船員達に緊張感を帯びさせ、近付いてくる6隻の軍艦を見据え、各自配置に付く為に甲板を駆け出すのだ。時期に島に到着出来たというのに慌ててUターンをする船。目と鼻の先だった島は少しずつ、しかし確実に遠のいて行った。


「急いで!このままじゃ巻き沿いになるわ!」

「気をつけて降りろよ!」


ナミとウソップの指示に従い、戸惑うアデルを言い聞かせながらビエラはガスパーデの船から脱出する際に使った緊急ボートへと乗り込む。続いてシュライヤが軽い身のこなしでボートへと乗り込めば、シュライヤは船へと振り返った。甲板に立ったまま、微動だにしないを真っ直ぐ見据えも只、真っ直ぐシュライヤを見つめる。二人の間に言葉は無い。ロープ一本での繋がった船とボート、アデルは船に向かって声を荒げた。


「何でだよ!俺達を助けてくれたこと話せばいいじゃんか!」

「そんな事、聞いちゃくんないさ!」

「私達は海賊なのよ、こういう時は逃げるしかないでしょう」

「でも…でも、!!」


ロープを切り、船とボートが切り離されれば、麦藁海賊団の一員としてアデルやビエラ、シュライヤが海軍に捕まる事は無くなる。其の為にも出来るだけ早く切り離す事が重要とされるのだが、アデルがなかなか納得せず、渋っていた故に自体はそう簡単に進まない。


「アンタはこれから、日の当たる所で生きるの。お尋ね者と関っちゃダメ!」

「でも…!!」


アデルは引き下がらない。渋るアデルにナミは歯を見せて笑った。其れがさよならの合図であり、ナミは甲板の縁に掛けていた手を放して片手を挙げる。


「もう生きる意味無いなんて言わないでよ?じゃあね」

「元気でな!」

「素敵なレディになるんだぜ」

「其の為にはまず言葉遣いね」

「達者でな」

「体に気を付けろよ!」


ナミを筆頭に、船員達が次々とアデルに向かって別れの言葉を告げて去って行く。短い期間ではあったが、確かにアデルは此の海賊船に乗り、此の海賊団と接して来たのだ。簡単な一言ずつの、贈られた言葉だが、其れが胸に響かないはずもなく、アデルは下唇を強く噛み締めて見えなくなっていく船員達の背中を只ずっと見つめていたのだが、アデルは己の感情を纏めると、船員達から貰った言葉に応える様に、これでもかと大きく手を振るのだ。そんなアデルの姿を見て、は静かに甲板から離れようと爪先を動かす。ボートに向けて背を向ければ、静かに其の背に声が掛けられた。


「おい」


低いそのテノールの声に、ぴくりと足が止まる。己が掛けられた声ではないかもしれないが、其の声は紛れも無く自分に向けられた言葉だと感じ、は今一度ボートに振り返れば、其処には此方を真っ直ぐ見つめるシュライヤの姿があった。


「そいつ等と一緒に行くのか」

「一緒になんか行かない」

「だったら来いよ」


さらりと放たれた言葉に思わず目が見開くのを感じた。ヒュッと喉が詰まり、言われた言葉が頭の中で処理が出来ない。シュライヤはそんなに構わず言葉を紡ぐ。


「お前だって分かってんだろ。この海を一人で進むのは簡単な事じゃねぇ。そいつ等と一緒に行くんじゃねぇなら、こっちに来いよ」


不敵に口角を吊り上げて、シュライヤはを見上げて言う。無造作に下ろしていた手が反応する様にぴくりと動いた。シュライヤの前ではアデルが期待の眼差しでを見ており、其の後方ではビエラが何とも感情が読み取れない表情で見守っている。まるでの回答を待っているかのようにすら見えた。


「短い間だったが、結構お前の事気に入ってんだ。それに感謝もしてる」


シュライヤの脳裏に過ぎるのはガスパーデに戦いを挑んだ時の事。赤子の相手をする様に簡単に倒され、何度立ち上がろうと何度でも地に倒れた身体。意識が浮上しかけた際に聞こえたのは自身の名を懸命に呼ぶの声で、守るように身体を抱きしめていた腕はとても温かかったのを憶えている。シュライヤは感謝をしていた。血を浴びる生き方をしてきたシュライヤにとって、ああも身体を張って守られた事など、生涯に一度だって有りはしなかったからだ。出来る事なら、もう暫く、共に居たいとさえ感じ、こうして去ろうとした彼女を呼び止めた次第なのだが、彼女は頷いてはくれなかった。


「行けない」

「何でだよ」


眉を寄せ、膨れっ面で切り返してくるシュライヤにの表情は悲しげに歪むのを、シュライヤは見逃さなかった。開いたままだった手を握り、感情を落ち着かせる様には小さく息を吐く。


「(迷惑を、かけてしまう)」


一度目を瞑り、世界から意識を遮断すれば、その真っ暗な視界に幾度か心が落ち着いた。


「(天竜人が存在する限り、世界中があたしを追い回すから)」


一度深呼吸をした後、瞼を上げて再び見えた世界は先程と変わりは無い。しかし、何処か冷めた感情で冷たく見えたのは、深呼吸をしたからか。シュライヤは良い人物だった。海賊でも無く、海軍でも無く。怪しい自分を無下に扱う事も無く食事に誘ってくれた。嫌いじゃない、人だった。だからこそ、はシュライヤと共に居るという選択肢は無いのだ。


「わかった」


諦めたように息を吐きながら、片手でくしゃりと髪を掻いて言うシュライヤに少しの罪悪感を覚える。しかし、次に顔を上げて見えたシュライヤの表情はとても晴れやかな空の様で、その笑みには生唾を飲み込むのだ。


「またな」


海軍の船が波に逆らう海の音や、後方で騒がしく船を動かす麦藁海賊団の声や、上空を飛ぶカモメの鳴き声、周囲には音が溢れていたにも関わらず、其のシュライヤの声はまるで静寂の中で囁かれた様にの耳に届き、鼓膜を揺らした。自然との表情に笑みが零れる。


「―――また、」


優しい声色の二文字の言葉に、感謝の気持ちを込めて丁寧に紡ぐ。其れはシュライヤにもしっかり届いた様で、零れた笑みに、も更に笑みを深めた。静かに踵を返すように足先を再度動かせば、今度こそ呼び止める声は無い。船室を横切った所で、其の壁に背を預けていた屈強な男が刀に腕を掛けながら尋ねる。


「いいのかよ。降りなくて」

「仕方ないでしょ。次は必ず降りる」

「そうかよ」


鼻で笑うゾロを一瞥し、は後方へと振り返る。其処にはルフィの姿しかなく、最後の言葉をルフィとシュライヤが交わしている所だった。


「あれで助けたつもりだったのか?…まぁ、いい。もうてめぇに会う事もないからな。行け、海賊」

「ああ」


ルフィは手に持っていたナイフでロープを切り、絶たれたロープは真っ青な海の中へと消えていく。時期に船とボートの間には距離が生まれ、遠のいて行くボートにルフィは飛び跳ねながら大きく手を振るのだ。


「じゃあなーーー!!!元気でいろよーーーーー!!!」


動力を失ったボートは只海に浮かぶだけで、後方から近付いて来た海軍の船がボートを横切って麦藁海賊団の船を追っていく。見えなくなるまでルフィは手を振り続け、又、アデルも振り返し、シュライヤとビエラも目を逸らさず真っ直ぐ眺め続けた。










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