最初に訪れたのは名の無い島だった。通称、ゴミ捨て島とも呼ばれる島にはあらゆる人間があらゆるゴミを捨てて行く。島には異臭が充満しており、ゴミに集る虫は後を経たない。鼻が曲がりそうな臭いにも慣れ出したのは何時の事だったか。頻繁に出入りしている故に、何度も足を運ぶ度に地理も把握しだしていた。あそこには比較的腐ってはいるが食べ物が多く捨てられている為、地面を這いずり食べ物を探す人間が良く集まる。向こうには住宅街とは到底言えないが、寝床を作る者が多い。そこの大通りは、大通り故に捨てられたばかりの人間が通りやすく、身包みを引っ剥がされる事が多いので通るのなら注意が必要だ。実際自分自身もあの通りで何度か被害に遭いそうになった事もあるが、毎回撃退しているので、今もこうして其の大通りを歩いているが学習能力はあるらしい此の島で生きる人々は此方を一度見るも襲い掛かってくる様子は無い。すっかり顔を覚えられたらしい。久しぶりに訪れた島は相変わらず沢山のゴミが転がっていた。入り組んだ道を、時にはゴミを跨ぎ、時には踏んで、ゴミとゴミの隙間を突き進んだ。目的の場所は、過去に一度だけ訪れた事がある家とは形容しがたいゴミを積んで出来た家。しかし今は其れも崩壊して外壁の役目をしていたゴミ山が崩れてしまっている。警備をしていた海兵は、此方を見るとすぐさま敬礼をし、道を開けるように横に身体をずらす。空いた空間を進み、埃を被った汚れたカーテンの様な布を払いのけ、天井に大穴を開けた家の中に足を踏み入れば、鼻を劈く様な臭いに思わず顔を顰める。原型が分からなくなる程に焼かれた焼死体が其処に倒れていた。嗚呼、やってしまったのだと、直感的に分かった。



















10日間の船の旅は他愛の無いものだった。風任せ、波任せのゆらゆらと漂う様な航海は、特に何かをするわけでもなく、朝起きれば配達される新聞を読みながら食事を取り、昼は昼寝や書類仕事を済ませ、夜にはぼんやりと満天の星空を見上げながら甲板に寝転んだり。そんなダラダラと過ごす日々が殆どだった。予定していた通りの日数で無事に次の目的地である島へと到着した。島の名前はゴルシル島、名の無い島から比較的近くにあるギャンブルと武器の宝庫と言われる島である。船を碇泊させ、久しぶりに訪れる島の活気は相変わらずのもので何も変わらない。ジョッキを片手に顔を赤くさせた男女が通り過ぎていく大通りを一人歩いた。硝子越しに見せたマネキン人形が着飾る華やかなドレスに思わず目を奪われ足を止める。そう言えば此処で買い物もしたっけ。島一番の大きな服屋を見上げ、そんな事を考えた。女性服専門店で買い物をするわけもなく、しかし其れでも店の中へと入ったのはあの少女の面影が何処かにでもあればと思ってしまったからか。何処を見れど、何処を見渡せど、少女の姿は無く、あるはずもなく、胸が締め付けられる一方だった。あそこに並んでた服を買ったんだっけ、あそこに置いてあった靴に一目惚れしてたなぁ。何回試着したんだったか、忘れるくらい何度も着替えを繰り返してた。虚しくなって人混みと混じって店を出る。次に爪先が向いたのは何度も訪れ、何時間も過ごしたカジノ。ドレスコードのない会場にはカジュアルな私服姿で入る人々で溢れている。沢山の人が居るものの、其処に少女と同じ黒髪の人物すら、一人だって居なかった。


「よぉ、兄ちゃん。俺達と一緒にポーカーでもしねぇ?」


肩を突かれ振り返れば、親指で後方を指しテーブルへと招く既に椅子に腰掛ける中年程の男達がニヤニヤと此方を見ており、其の中央には一席だけ空席だった。完全に鴨にされていると理解していながらも、不思議な事に足はテーブルに進んで行き、その空白の席に腰を下ろしていた。勿論こういったギャンブルに強くはない。


「ゲームの希望は?」


ディーラーが尋ねた。其れが可笑しくて、思わず笑った。あの日と同じディーラーが同じ様に今度は自分に問いかけたからだ。


「…ポーカー」


だからあの日と同じゲームを口にする。生憎ゲームをするのは彼女ではなく、自分だけれど。ディーラーは憶えていなかった様で、すぐさまカードを切り出した。勿論結果は惨敗一人負けで、身包みこそ剥がされる事はなかったものの、財布の中は一瞬にして寂しくなった。



















「いらっしゃい」


からんからん、聞き慣れた客の訪問を知らせる鐘の音に振り返りながら声を掛ける。営業用の地声より1トーン高めの声、反射的に出る其の声は、すっかり慣れ親しんだものだ。普段なら其れで終わりの些細な接客なのだが、其の訪れた客の容姿に思わず商品を片付けていた手が止まる。ついでに言うと、大事な商品を床に落としそうになった。


「うそ、やだ!久し振りね!」


商品を其の場に放置し、カウンターに近付いて来た客に此の店の従業員の女は駆け寄る。うっとりと見つめ、頬を赤らめ口元を緩ませる姿はまさに恋焦がれている、といったもの。誰の目から見ても明らかなその態度に微笑ましさすら覚えるが、其の場の空気自体はとても乾いたものだった。


「元気そう…ではないわね」


カウンターに項垂れるように顔を俯かせて沈黙を続ける客に、女はガッカリと言わんばかりに肩を下げた。折角の久方振りの再会だというのに一言も発さない相手に意気消沈してしまうのは仕方の無い事だろう。


「お前さん、久し振りに来るってのに、何だその面は」


奥から現れた此の店の店主に、来るなりそうそう机に項垂れた客はゆっくりと顔を上げて視線を店主に向ける。店主は酷く不機嫌そうで鬱陶しそうに客を見下ろせば払う様に手を振るのだ。


「営業妨害じゃ、今直ぐ出て行け。出て行くつもりがないなら店の商品全部買って行け」

「…悪ぃけど財布の中、空っぽなんだよね」


客はははっ、と乾いた声を上げて笑った。この店の少ない常連客の内の一人である客の、其の見た事もない様な普段とは正反対の雰囲気に思わず店主と従業員の女は口を噤んで互いを見た。そして再び視線を客へ向けるが、客は項垂れたまま身体を起こそうとはしなかったので、仕方ないと女が意気込んで客へと歩み寄るのである。


「ウィルが無一文だなんて珍しいわね。どうしたの?」

「さっきカジノで巻き上げられた」


女の問いにさらりと、なかなかインパクトのある発言を口にした客、ウィルに呆然とする女、ジャスと店主のローリー。暫しの沈黙が静かな店に流れ、其の空気は珍しく異質なものだ。何故ならジャスとローリーは知っているからだ。ウィルはギャンブルがあまり好きではなく、自分では絶対にやらない事を。ローリーはあからさまに大袈裟な溜息を吐き出すと、ウィルの前に椅子を引いてき、其処に腰を下ろす。そしてカウンターに項垂れるウィルを見下ろすのだ。いつも浮かべている笑顔の面影は無く、表情もうつ伏せている為、見えない。


「惚れとったんじゃな。あの娘に」

「…それ言っちゃう?」

「バカタレめ」


うつ伏せていた顔が横を向き、その光の無い瞳にローリーの姿が映る。その覇気のない瞳が、その暗く淀んだ表情が、相当参っているのを物語っており、ローリーは舌打を零して眉を寄せた。


「お前さん、其れでも男かい。しっかりせんか」

「さすがに俺も落ち込むってー…」

「グチグチ喧しい!本当に男か?ちゃんと玉ついとるんのか?其れは飾か?え?」

「おじいちゃん、ちゃんとウィルには立派なのがついているよ」

「やめろよ!!誤解生まれるだろ!!?」


普段ならば絶対に言わないであろう冗談が口から飛び出したのはローリーなりのウィルを励まそうとする姿勢故。其れに乗って口元を手で押さえながら笑うジャスに、ウィルは顔を真っ青にさせながら勢い良く起き上がり、両手で叩き付ける様にカウンターを叩いた。そして頭も冷静になったのか、重い息を吐いたのなら、片手で頭を抑えながら静かに再び椅子に座り直すのだ。


「ウィル」

「…何だよ」


ローリーの呼びかけに気だるげに返事を返すウィルは、ローリーの方に見向きもせずそっぷ向いている。しかしローリーはそんな態度を気にする素振りも無い。


「惚れた女の一人や二人、護ってみせんと男ではないぞ」

「…二人も居たら駄目だろ」

「強くなれ。強くあれ。お前ならなれよう」


ウィルは目を丸くさせ、ゆっくりとローリーを見た。ローリーは一度不敵ににやりと笑って見せたのなら、腰掛けていた椅子から立ち上がりゆっくりとした動作で歩き出す。


「もう今日は店じまいだ。とっとと出てってくれ」

「さっき開けたばっかりなのに」

「喧しい。閉店の準備をしな」

「はーい」


ローリーは結局、一度だってウィルの方を振り返る事無く、店の奥へと消えていく。残されたウィルは暫しカウンターの上に乗せていた己の手を見つめると、一度強く握り締め立ち上がる。ウィルが店を出れば、ジャスはクローズと書かれた看板を店の扉に掲げた。



















ローリーの店を出て、ある程度の食糧を調達し船に戻ってきた頃。船室で鳴り響くコール音に気付いた。何か緊急の任務だろうか、購入した食糧をリビングのテーブルに置き去りにして、ウィルは電伝虫の置いてある船室へと歩いていく。部屋の扉を開ければ、やはり電伝虫は着信のコールをひたすら鳴いており、ウィルは受話器を取ると其の音はぴたりと止み、蝸牛の表情が途端、険しいものへと変化した。


『わしじゃ!!』

「新手のオレオレ詐欺ッスか」

『バカ者!!!』


キーン、響く爆音に思わず顔を歪める。反射的に耳から受話器を遠ざけたものの其れだけの対処では物足りなかったらしい。蝸牛は相変わらず険しい顔をしながら一生懸命口を動かせており、電話の相手がどれほど感情を昂らせて喋っているのかが嫌と言う程に伝わってきた。いつまでも話続けられてはたまらないと、ウィルは意を決して受話器に話しかける。


「はいはい。すんません、ガープさん。それで何んスか?緊急の任務?」

『いや。ただの私情じゃ!』

「私情かよ!」


思わず声を荒げてしまったのは仕方の無い事だろう。ウィルは息を何度か吸い直すと感情を落ち着かせ、受話器の向こうから聞こえてくる声に集中する。


『ウィル、良く聞け』

「はいはい」

『ウィル!!!!』

「わかったちゃんと聞くから声のボリューム下げて!耳が痛ぇっスから!」


次に声を荒げたのはガープの方だった。適当に相槌を打ったのが不味かったのか、ガープの怒りを買ったらしい。慌てて弁解し、受話器を遠ざけながら訴えれば、蝸牛の表情が怒りを引っ込め真面目なモノへと引き締める。どうやら漸くその私情という本題に突入するようで、ウィルは受話器を再び耳へと宛がった。


『…昨日の話じゃ。パルティアの近くの海で激しい雷が起きたそうじゃ』

「雷…?」

『しかし空から降ってきたのではない。突如其の海を進んでいた軍艦から雷が発生したそうじゃ』

「おいおいおい…」


ガープから告げられる情報に開いた口が塞がらなかった。思考に過ぎるのはあの日、青い稲妻を走らせて逃げていく少女の背中。ウィルの言葉に肯定するように蝸牛が一度頷く。


『軍艦5隻が沈み、1隻が行方不明の連絡が入っておる。船は西に向かったそうじゃ』


ガープの言葉を一言たりとも聞き逃さないよう、受話器を握りなおしながら言葉を耳で拾った。この一瞬、やけに時間がスローモーションにすら感じる。胸の鼓動も何時もよりも何故か騒がしい。


『恐らく、は其処におる』


ドクン、強く心臓が脈打った。ウィルの口元に笑みが零れる。一筋の汗が頬を伝って、床へと落ちた。


『行くか?』

「勿論」


二つ返事の即答。ウィルは受話器を耳と肩で挟めば、素早く電伝虫を置いている棚の引き出しを開ける。其処にはぎっしりとエターナルポースが入れられており、其の中を書き分けるようにウィルは目当てのエターナルポースを探した。此の中に確かパルティアのエターナルポースもあったはずなのだ。


「教えてくれて有難う。…でも良いんスか?俺にそんな情報教えて」

『なあに。ただのジジイの世間話じゃ。何の問題もありはせん!』

「そっか」


それから一言、二言を交わしウィルは受話器を元の場所へと戻す。すると先程までガープの顔真似を一生懸命していた蝸牛は静かな眠りの中へと落ちていくのだ。電話を切った頃にはウィルの右手にはパルティアのエターナルポースが握られており、船の行き先をパルティアへと向けてすぐさま出航の準備に取り掛かる。ウィルが慌しく行き交う船室、リビングの机の上には買ったばかりの新鮮な食糧が置き去りにされており、其の部屋の隅にははち切れんばかりに膨れ上がった通学鞄が置かれていた。










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