時折、同じ夢を見る事がある。其れ程、頻繁に見るという訳では無いのだが、割と定期的に其れは見る。其の夢を見た時は必ず目が覚めた時にも覚えていて、目覚めは頗る悪い、そんな夢。



登場人物は多くは無く、たった二人だけ。名前を知らない斧を持った男と、最初にを拾った老婆である。二人とは全く別の島で出会い、其の二人に接点は無いのだが、たった一つの共通点があった。其の“共通点”こそが、此の夢の最大のメインにして、最高の傷なのである。



其の日は久々に其の夢を見た。最後に此の夢を見たのは何時だったか、覚えていない。しかしそれ程、過去の事ではないはずだ。夢の展開は何時も同じで、同じストーリー、同じ役者、同じ結末を迎える。其れもハッピーエンドではなくバッドエンドだ。



先ず登場するのは斧を持った男。きっと彼が“一番最初”だったからだ。だから夢の中でも順番に忠実に、一番最初に登場する。男は斧を振りかざして襲い掛かってくる。其れを震える指先で引き金を引いた。発砲音。男の胸を貫く弾丸。飛び散る赤い血飛沫。命を奪う感覚を、初めて憶えた日。其の犠牲になった、男。



次に登場するのは最後の登場人物であり、此の世で最初に出逢った人物。恐怖に青褪め、後退り逃げる老婆を一歩一歩追い詰め、背が壁にぶつかった時の老婆の絶望する顔と言えば、脳裏にしっかり焼き付いていた。命乞いをする老婆に構いもせず、一斉の躊躇も無く、一切の容赦も無く、一切の同情も困惑も、無く。右手に鮮やかな青の稲妻を迸らせ老婆を焼き殺す為に顔を鷲掴みにした。聞くに堪えない断末魔を上げ、身体を黒く焦がす老婆を、唯々無情な瞳で見下ろした。肉と魂の悲鳴を、初めて聴いた日。其の犠牲になった、老婆。



二つの遺体が足元に転がり、血溜まりに一人立つ自分。真っ赤に染まった掌と、返り血を浴びた衣服に、鼻に付く鉄の臭いに頭の中を引っ掻き回される様な錯覚を覚えた。意味も無く、喉を両手で血が出るまで掻き毟り、奇声の様な悲鳴を上げ続けた。両眼から溢れる液体は何色だったか、頭を何度も振り払い、ジタバタと其の場で右往左往暴れまわり、叫び、叫んで、叫び続けた。呆然と冷静な思考回路ではいられなかったのだ。こうして訳の分からない事でも、何かをしなければ、他の何かで思考を覆って居なけば、己が過去に犯した過ちの重大さに頭が心が身体が、死んでしまいそうだったから。



「―――――!―――っは……ぅ……!」



そして決まって此処で目が覚める。べっとりと汗ばみ、頬にへばり付いた髪が酷く鬱陶しかった。荒い呼吸を何度も繰り返し、は身体を小さくさせるように身を捩じらせ、更に隅にで身を縮こまる。こうして自分の身体を抱きしめる様に、守る様にして落ち着くまでじっと動かないのは此の夢を見て起きた時に必ず取る行動だった。



「―――――…っ、……ひっ…く…!」



強く強く身体を抱き締め、は零れる声を必死に殺そうとした。は頻繁に此の人を殺した時の夢を見る。夢とは言えど、現実に自分が起こした過去だ。実を言うと殺した人間は二人だけでは無く、もっと沢山いるのだが夢に出てくるのは何時も男と老婆の二人だった。其れが何故なのか、薄々は気付いていた。恐らく其れは意識の問題なのだろう。



「―――――死に、たく…ない………っ、死に……な、……!!」



数々の人々を殺めて来たが、其の中で故意的に手を下したのは夢にも登場する二人だけである。他は逃げ惑う中、防衛反応で反撃に出た時だけで、は自ら進んで誰かを殺害しようとしたのは、其の二人以外居なかった。



「ごめ、んな…さい……ご……ご、ご、め………、…い…!」



は此の悪夢を見て目覚めた時、決まって殺した二人の事を考える。届く事は無いであろう謝罪をひたすら呟き続け、懇願し、決して許されること等無いと知りながらも祈った。そして痛感するのである。嗚呼、自分は人殺しなのだと。



「(こんな筈じゃ無かったこんな筈じゃ無かったこんな筈じゃ無かった)」



震える指先は白く、自分の意思通りに動く、紛れも無く自分自身の指である。しかし、以前よりも手全体の皮は分厚くなり、荒れ知らずだった肌には沢山の細かい傷があった。タコも今まで出来た事すら無かったというのに人差し指の第二関節にはすっかりと硬くなった其れがある。そして大きく異なる点は、其の手はすっかり赤く染まってしまっているという事。



「(人を殺す為に強さを求めたんじゃないただあたしは帰りたかっただけでそんなこと)」



人殺しは大罪だ。其の罪はとても重い。元の世界に帰る為に、其の前に殺されたく無くて、ただひたすらに力を求め、強さを手にした。其れは元の世界に帰る為に必要なもので、其の日が来るまで自己防衛として使用する事以外、必要の無いものだった。其の、はずだった。



「(なんでどうしてこんなことに)」



だと言うのにどうだ。自らの意思で人二人も殺し、仕方が無かったと言い訳すら抜きにすれば、もっと沢山の血を浴びて此処まで来ていた。生きている、しかし、此の状態で、此の汚れた心と身体で、果たして自分はあの頃の気持ちのまま、あの世界に帰れるのだろうか。以前と変わらぬ笑顔で父や母に「ただいま」と言えるだろうか。「おはよう」と、友人達と言葉を交わせるだろうか。正直言うと、には其の自信が無かった。そんな事を考え始めると終わりが見えず、はどんどん己が歩んで来た道のりを激しく後悔するのである。しかし後悔すれば後悔する程、ならばどうすれば良かったのかと余計に苦しむのだ。



















「(………鎖…?)」


泣き疲れて眠り、ゆっくりと浮上した意識。乾いた、しかししっかりと重みのある音に閉ざしていた瞼を上げる。視界に映った手足を拘束する手錠と足枷に、冷水を浴びさせられた様な感覚を覚えた。


「(しまった…!)」


一瞬にして蘇る記憶。一番最後の記憶は背後に回った白熊に手刀をされ、受け止められた事。それから意識は途絶えた事から現状を瞬時に察するとは思考をフル回転させる。見渡した景色は、飾り気一つない殺風景な一室で、日が暮れている所為か窓から差す月明かりで辛うじて周囲が把握出来る程度だった。動きを拘束する為の枷と鎖が、事態が最悪なものである事を物語っている。


「(この…鎖…!)」


すぐさま脱出を試みるも、身体に力が全くと言っていい程に入らなかった。能力の発動を試みるも、其れは不発に終わる。むしろ余計に力が入らなくなった気さえした。そしては確信するのである。


「(海楼石…!)」


パイロブロインという成分を含み、海同等のエネルギーを発する特殊な石。其れを海楼石と呼ぶ事を知ったのは数ヶ月も前の事。悪魔の実の能力を封じる力がある事は知っていたが、こうして改めて体験してみると其の力に戸惑いを隠せない。硬度も高い此れを自力で破壊する事も出来る筈も無く、は早々に両手を上げた。全くもって此処を脱出する術や策が思いつかない。


「(最悪…)」


まさに、その一言に尽きる。


「(海軍の服は着てなかった。海軍じゃない。潜水艦の海賊なんて聞いたことない…でも、あの男…)」


只者じゃない。大きな刀を持った人相の悪い男の顔を思い出しながら、は緊張を走らせる。彼等は海軍でも海賊でもなさそうだが、腕が立つ強者達であることは明白なのだ。恐らく今居る場所も潜水艦内の何処かの一室に間違いないだろう。となると、見ての通り監禁状態にあるわけだが、わざわざ拘束器具に海楼石を用いている事からが悪魔の実の能力者である事を知っている可能性が大きいと考えられる。ますます相手は気の抜けない強敵だということだ。


「(この枷が外れた時…)」


其れが逃げる最大にして唯一のチャンスだろう。悲しくも所持していた全ての銃は取り上げられているが、海楼石さえ無ければ能力は使えるのだ。最悪銃を捨てる事になるが逃げ切れない事はないだろう。は待つ。其のチャンスが訪れる日を、じっと静かに待った。










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