海に潜らずに海面を突き進む事、数日。其の間の航海と言えば雨が降れば船員が一斉に慌ただしく大穴の空いた天井や、壁から侵入して来る雨水を拭き取り、時にはバケツで掬って海へと投げ捨てと、兎に角慌ただしい日々だった。が監禁されていた部屋にも砲弾により壁が大きく破損していたのだが、今は木の板を釘で打ち付けた、簡易的な処置が施されている。


「お腹空いたねー」

「………。」

「ね?」

「…そう、だね」

「ねー!もうペコペコだよ!」


の隣にはベポがおり、時折空腹の音を鳴らす腹を撫でつけている。壁には白い壁紙が貼り付けられ、家具は少なくシンプルなものの、何処か温かみのある部屋にとベポは居た。明るい茶色のソファーに二人して腰掛け、ぼんやりと天井を眺めながら二人は同じ時間を同じ空間で過ごしている。


「…いいわけ?拘束してなくて」

「え?だって必要ないでしょ?」

「………。」


の手足には以前の様に枷は無い。代わりに毎日取り替えられる白い包帯が巻き付けられており、部屋に関しては監禁部屋では無く、ベポの自室だ。海賊と一戦を交えたあの日から、はベポと同じ部屋で寝起きしている。突然の対応の変化に戸惑い、警戒を怠らなかった日々だったが、気を張る事がどれ程無駄なものかと痛感させられる程に実に平和な毎日だった。


「いつもだったらもうご飯の時間なのにー!」


ソファーの背凭れに大きく仰け反り、口から涎を垂らすベポは、全くもって隙だらけで溜息すら零れる。此れでも一応、捕らえられた側と、捕らえた側なのだが、其の事実すら何処にも見えないのだから、此れ程にとって毒気を抜かれた事は無い。しかも、其れだけで無く所持して居た銃まで返される始末なのだ。どういった思惑で、何の策略なのか分からないが、こうも自由にされてしまうと逆に自由に身動きが取れないのが現実で、は数日間結局歯向かう事も無く、兎に角大人しく日々を過ごしていた。


「もう我慢出来ない!!!」

「!?」


突如声を荒げ、勢い良く飛び上がる様に立ち上がったベポに、の肩は何事かとビクリと跳ねる。両手を高く伸ばし、言葉にならない雄叫びを上げるベポを、驚愕に早い鼓動で鳴る心臓を手で押さえながらはベポを見上げた。途端、ぐるりとへと振り返ったベポの目が、何処か血走った様に見えるのは恐らく気の所為では無い。初めてが、ベポが獣に見えた瞬間だった。


「厨房に行こう!何でこんなに遅いのか理由を聞かなくちゃ、この怒り収まらないよ!!」

「…あ、そう…」

「テンション低い!!そんなんじゃ、いつまで経ってもご飯お預けだよ!?ほら!立って!行こう!!」

「…ひ、一人で行ったら?待ってるから…」

「ダメ!!!一緒に行くの!!!」


半ば強引に手を掴まれ、ベポは扉を力任せに押し開け廊下へと出る。縺れそうになる足を何とか動かし、厨房へ向かってズンズンと大股で廊下を進むベポの後ろを早足に歩いた。何時もなら廊下にまで漂う美味しそうな匂いが、今は無い。厨房の扉が見える角を曲がった所、突如ベポは立ち止まり、其の大きな背中に顔から突っ込みそうになっては慌ててブレーキを掛けるのだ。


「………?」


飛び出す様に部屋を出て来たというのに、廊下の曲がり角で突如立ち止まったベポには首を傾げた。何があったのだろうか、そう思って顔をベポの背中から覗かせると、其の向こうに見える光景には呆気に取られる。どうやらベポの様にクレームを付ける為に訪れたのだろう、他の沢山の船員達が厨房前の廊下に溢れ返って居たのだ。


「よぉ、ベポ。やっぱお前も来たか!」

「何時もだったらもう食べ終わってる頃だもんな。腹減って仕方ねぇーよ」


厨房前に集まる船員達は落ち着かない様子で騒がしく、至るとこから空腹を訴える腹の音が上がる。中には力尽きた様に廊下に座り込む者や、意識が無く倒れている者までおり、重症者が多い。群れる集団の中、やって来たベポの姿を見て声を掛けてきた船員達は、腹を摩りながら困った様に笑いかけて来るのだが、ベポの表情は晴れなかった。


「何でご飯まだなの!!」

「おおっ、なんかスゲー怒ってる?」

「俺だって怒るよ!お腹ペコペコだもん!!」


鼻息荒く、船員に詰め寄る其の姿は温厚なベポにしては珍しい光景だ。其れ程までに空腹で気が立っているのだろう。そんなベポに見かねて、直ぐ傍に立っていた船員が、親指で厨房の扉を指しながら先程耳にした情報を口にするのだ。


「なんでもコンロが故障したらしいぜ。火が点けれねぇってんで調理が出来ないんだとよ」

「そんな!」

「今、中でシャチとペンギンが直せねぇかって見てるぜ」


ベポに詰め寄られていた船員が続いて言い、ベポは視線を閉ざされた厨房の扉へと向ける。すっかり意識は船員達から外れ、ベポは再びの手を引きながら船員達の群れの中を掻き分けて進むのだ。


「シャチー!ペンギンー!直った!?」

「「今から見るんだよ!!」」


厨房の扉を開け放ったと同時に、中にいる人物を視界に捉えるよりも早くベポは声を荒げる。剥き出しの鋭い牙と、血走った目が普段の可愛さを掻き消してしまっているが、コンマ一秒で素早く声を揃えて返答したシャチとペンギンは、ベポの豹変っぷりに一切の動揺は無い。どうやら気が立っているのはベポだけではなく、シャチやペンギンも同様の様だった。


「俺だって腹減ってんだよ!」

「其処で黙って見てろ!」

「すいません…」


むしろ八つ当たりの様にシャチとペンギンに怒鳴られ、先程までの威勢はどうしたのか、すっかり落ち込むベポの変わり様といったら、とても見ていられるものでは無い。大人しくなったベポを視界から外すと、シャチとペンギンはベポに引き連れて来られたに見向きもせずに火の点かないコンロへと再び意識を向けるのである。


「どうだ?」

「ダメだ。完全に切れてる。火種さえ点けたらいけそうか?」

「…無理そうだ」

「冗談だろ」


コンロをバラしながら、シャチは配線や内部を、ペンギンがフライパン等の接地面である表面を見る。しかしどうやら完全に故障している所為か、二人の顔色は悪い。其の場凌ぎすら困難な様で、そうなると状況は最悪そのものだ。


「どう…?」

「「ダメだな」」

「!!!」


シャチとペンギンが、お手上げだと言わんばかりに手を上げ、ベポの表情は真っ青になる。扉の向こうでシャチとペンギンの判断を聞いていた船員達も絶望に打ち拉がれており、今にも顎が外れんばかりに、あんぐりと口を開いていた。


「どうにかならねぇかな…」

「どうにか出来るならやってるって」

「けど、これじゃあもうダメだ。修理するにしても、しようがねぇよ」


シャチとペンギンが同時に深い息を吐く。淡い希望を持ってフライパン片手に尋ねたコックは苦虫を噛んだ様に渋い顔をしていた。ベポは既に放心状態で、は居心地の悪さを感じながら視線を彼方此方と彷徨わせている。


「火使わないで食えるやつ、なんかねぇのかよ」

「サラダくらいだな。…後は生肉だとか、兎に角加熱しないことには…腹壊すと思う」

「…一日くらい食わなくても大丈夫だろ」

「大丈夫なわけないよ!!!」


コックに何か出来ないのかとシャチが問えば、首を横に振って至極残念そうに絶望的な言葉を口にするコック。そんなコックの返答に諦め混じりにペンギンがぽつりと零せば、嫌だと勢い良く顔を左右に振って拒絶の態度を取るベポ。そしてベポは漸くの手を離したのなら、其の手を大きく広げてコックとシャチ、ペンギンへと訴えるのである。


「次の島に着くまで、あと何日かかるか分からないんだよ!?餓死なんて俺ヤダよ!!」

「俺だって餓死なんて格好悪い死に方ごめんだっつの!!」

「そもそも餓死なんか誰だって嫌に決まってんだろ!仕方ねぇことくらい分かれ!!」


ベポの言い分は、見事にシャチとペンギンの抑え込んでいた感情に触れ、二人の怒りは爆発する。喚く様に本音の感情を露わにする、其の姿は不満の色一色だ。


「五月蝿い。廊下まで聞こえてるぞ」

「船長…」


そんな時、騒がしい厨房に新たにローが現れる。呆れた表情で騒ぐベポとシャチ、ペンギンを見ながら、心底鬱陶しそうにローは溜息を吐くのだ。


「火が点かねぇくらいでガタガタ言ってんじゃねぇ」

「けど船長!」

「火がねぇと飯作れないんですよ!」


どうやら事情はローも承知の上らしく、今日はいつもの刀は自室に置いてきたのだろう、手ぶらでローは厨房の内部へと歩を進めた。戸惑いながらも、ローに声を掛けるシャチとペンギンの様子はベポへ向けていた様な威圧的なものではない。それだけローが権限、権力、地位を持っており、慕われている事が十分に伝わってきた。


「加熱が出来れば問題ねぇんだな?」

「は、はい!」

「シャチ、鉄板持って来い」

「鉄板…ですか?」

「ああ」


ローの問い掛けに、コックが緊張気味に答えれば、ローは視線をシャチへと向け、シャチは鉄板の必要性を理解出来ないものの、言われた通りに鉄板を取りに厨房を出て行けば、続けてローはペンギンへと指示を飛ばすのだ。


「ペンギンは此のコンロを処分しとけ。もう使えねぇなら置いとく必要もねぇからな」

「船長…どうするつもりなんですか」


ローに指示された通りに、コンロの取り外しにかかったペンギンが、手先を動かしながらローに静かに尋ねる。あれ程騒がしかった厨房前に集まっていた船員達も、ペンギンの問い掛けに答えるローの言葉を待っているのか、皆口を噤んで静かにしており、とても静かだ。ローはベポの方、否、へと顔を向ければ相変わらずの鋭い目付きで口を開く。


「おい」

「え?俺?」

「違う」

「………?」

「そう、お前だ」


ローが言葉を投げ掛ければ自分のことかと反応を示したベポだったが、ローはそれを否定して視線は相変わらずへと向ける。話し掛けられているのが自分の事かとが僅かに首を傾げれば、ローは肯定する様に頷くのだ。


「船長!鉄板持って来ました!」

「其処に置け」


丁度其の時、明るい声色で其れなりに厚みのある横幅60cm程の鉄板を抱えてシャチが厨房へと戻って来た。ペンギンが撤去したコンロがあった空間に、ローは鉄板を置く様に指示すると、シャチは其処に鉄板を置く。使えなくなったコンロを抱えるペンギンは厨房の隅に寄っており、シャチも其の隣へと控えて立てば、準備が整ったと言わんばかりにローは再びへと振り返ると、鉄板を背にやけに堂々とした態度で言葉を紡ぐのだ。


「鉄板を加熱しろ」

「…え?」


ローの言葉に呆然としたのはだけでは無い。ベポやシャチ、ペンギンですら何事かと首を傾げ、戸惑う。そんな中、やけに冷静なのはローだけで、静けさが厨房の中に充満した。そんな空気の中、声を上げたのは部屋の隅で控える、コンロを未だ抱えたペンギンだった。


「船長…?流石に其れは無理があるんじゃ…」

「こいつの異名を忘れたのか?」


ペンギンの問いに、すかさずローが切り返す。ローの口から零れた言葉は十分すぎる程にを動揺させた。


「“異世界の雷姫”文字通りの意味なら…お前はゴロゴロの実の能力者の可能性が高い」


今迄何処に持っていたのだろう、ローは見せつける様に数々の悪魔の実が記された図鑑を何処からともなく取り出して見せつける様にキッチンへと置いた。過去、がひたすら目を通していた図鑑が、今此処にあり、ローの手の中にあるのだ。が選んだゴロゴロの実も、勿論其の図鑑に記載されている。


「雷…電気なら金属を加熱することも出来る筈だ」


ローの仮説は正しい。能力者であることを知られてはいるものの、其の能力まで勘付かれるとは思いもしなかったのだ。付けられた異名とはいえ、其の異名と手配書が出回ったのは、数ヶ月も前の事で、其れも見落としても可笑しく様な小さな記事だった。異名から見れば直ぐに誰もが気付く様な能力だが、其れでもローが此処まで情報を得ているとは思いもしなかったのだ。


「そうか!加熱された鉄板をコンロ代わりにすれば…」

「肉が焼ける!!!」

「肉!肉!お腹空いたよおおおお!!」

「メニューは肉とは言ってねぇぞ!?まあ肉だけど!!」


ローはまるで試す様に、ほんの少しの変化すら見逃さない様にと観察する様にを見る。ローの確信に近い推測をどう切り返し、切り抜けようか。は思考を巡らせている間にも、食事にありつける喜びで騒ぎ出すペンギンとシャチとベポ。そんな三者にメニューは肉ではあるものの、突っ込まずにはいられないコック。の能力が何なのか云々よりも先ず食事にありつけるのか、否かの方がよっぽど此の空間にいる船員達には重要な問題のようだった。


「お前の能力は分かってる。其の能力を今活かした所で互いにメリットしかない筈だ」


にやりと口元を吊り上げ、ついにローは其の顔に笑みを浮かべるのだ。肯定もせず、否定もせず、黙り込んだままのの反応が、ローの推測を確信に変えたらしい。は深い溜息を吐く。今迄で、此の世界に来てから一番深い溜息だったような気さえした。


「…したこと無いから、出来るかは分からない」

「やった事が無くても出来る筈だ」

「………。」


何を言っても無駄らしく、は渋々ベポの後ろから前へと出て、鉄板の置かれたキッチンの前へと立った。皆が目を輝かせ、期待に満ちた表情での背中を見つめている。は左手を冷たい鉄板の上に添えると、ほんの少し目を細めて意識を集中させた。イメージは体内で練り上げた電気を手から鉄板の内部への流す様に。バチリ、静電気の様な微弱な電気がの身体から放たれた。


「どうだ?」

「………。」


ローの問い掛けには反応を示さない。只ひたすら鉄板を見つめ、添えた左手から放電した電気を鉄板へと流し込む。どれだけそうしていただろうか、暫くしてが鉄板から手を離すとローはコックへと合図する様に目で促した。


「じゃあ…」


コックは冷蔵庫から肉を一切れ取り出し、油の引いたフライパンの上に其れを乗せて恐る恐る鉄板にフライパンを乗せる。刹那、激しい肉の油が焼ける音と、それに伴い香る芳ばしい匂いが溢れ出すのだ。


「「「「焼けたーーー!!!」」」」


ベポ、シャチ、ペンギン、そして肉を焼く張本人であるコックが驚愕に声を上げ、様子を眺めていた厨房の外に群がる船員達が野太い歓喜を上げる。ローは満足そうにへと、にやりと笑ってみせた。


「出来るじゃねぇか」

「…たまたま」

「そうか。まあ、感謝しといてやる」


ローの口から零れた感謝の言葉。感謝と言うには些か上から目線の偉そうなもので、全くもって有り難そうには聞こえなかったが、其れでもがローへと抱く印象からはあまり想像出来ないものだった。あの冷酷無慈悲そうな男の口から、感謝の言葉を聞く日が来るとは。思わずは言葉を失う。


「部屋に戻る。飯が出来たら呼びに来い」

「了解!」


すっかり機嫌を良くし、手際良く調理する手を動かすコックに声を掛け、ローは厨房を抜け、人の群れの中を進んで去って行く。残ったのは空腹に腹を鳴らした男達ばかりで、は居心地の悪さを感じながら厨房の隅に呆然と立っていた。


「すごい!君って銃も上手だし、火も点けれて何でも出来るんだね!」

「火は点けてねぇっての!でもすげーよ!ゴロゴロの実ってのは加熱も出来るだな!」

「ってことは金属の加工も出来るかもしれねぇよな!」


ローの去った厨房では、一番に先ずベポがに声を掛け、続いてシャチとペンギンが興奮した声色でに駆け寄る様に集まって来る。三者の表情は数十分前とは正反対に明るく、緩んだ其の顔は見ていて悪い気はしない。廊下からは続く様に様子を見ていた船員達の感謝の言葉が飛び込んで来て、は視線を右往左往させた後、斜め下へと落とすのだ。


「すまねぇ!火力が弱くなってきちまった。また加熱頼めるか?」


肉を焼きながら同時に大鍋でスープを作るコックが困った様に笑いながらへと鉄板の加熱を依頼する。一度した以上、断る理由も無く、実際空腹なのはも同じ事なのだ。此れだけいい匂いを嗅がされてしまって食にありつけないのは、あまりにも酷な話で、は再び鉄板へと左手を翳すのである。










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