島はとても活気があり、何処からとも無く陽気な音楽が流れる。老若男女、問わず人々は行き交っており、其の中にはムキムキに鍛え上げられた自慢の腕を露出させ、我が物顔で道のど真ん中を歩く男達もいた。此の島には他の海賊も少なからず上陸している様で、島の人々も恐れた様子が無い事から、海賊が上陸するのが珍しい事では無い事を物語っていた。


「船長ー、人数分確保しました!」

「なら手筈通り別行動だ」

「了解!」


島の端、活気立つ中心部から少し外れた所にある、こじんまりとした宿から、部屋の予約を取った未だ若い船員が笑顔と共に顔を覗かせれば、ローは一度頷く。力強く返事をした船員は数人の船員達を引き連れて島の中心部へと出掛けて行ったのなら、ベポやシャチ、ペンギンは持ち込む荷物を宿の中へと次々と運んでいった。


「おい」

「………。」


横目に見られながらの乱暴な声掛け。相変わらず濃い隈に彼には睡眠欲というものが無いのかと疑ってしまう。


「一先ず服は適当に誰かのを借りておけ」

「…?」


訝しむ様にが眉を顰めるも、ローは言うだけ言って踵を返すと、宿には入らず街の方へと向かう。遠ざかっていく背中に一種の呆れの息を吐いたのなら、はコンクリートで固められた地面に視線を落とした。水滴一つなく乾いた地面は、雨が降っていたのは昨日今日の話では無い事を示していた。


「(借りておけって…。説明しないで行くし…)」


確かに服は汚れ、着心地はお世辞でも良いとは言えない。けれどわざわざ服を借りてまで着替えたいとは思わなかったのは、身体がそもそも汚れているからという理由と、海賊の男の服なんて着たくもなかったからだ。


「ゴロちゃーん」


宿の中から、すっかり御馴染みになった渾名を呼ばれて意識を向ける。扉からはペンギンとシャチが顔を覗かせており、店内を指差しながらを手招きしており、は立ち止まったまま目を細めれば、ペンギンとシャチは一度息を吐いて己の腰に手を置いた。


「風呂入って来いよ。片付けは俺等がしとくし」

「男女交代制の大浴場らしいんだけどな、先使っていいってよ」


風呂、其れは日本人が愛してやまない文化でもあり、今最もが求めているものである。風呂、風呂、風呂。其の言葉が何度も頭の中を駆け巡り、は此れでもかと目を見開けば、ペンギンとシャチはにやりと笑みを深めるのである。


「服は俺の貸すから入って来いよ。あ、パンツは貸さねーからな!」


むしろパンツは此方から願い下げである。顔を真っ赤にしたシャチを尻目に、はペンギンとシャチを見た。目をキラキラとさせる其の姿に、ペンギンは身を引いて中へと促せば、従う様には宿の中へと踏み込んだ。風呂に入れるのであれば、出来れば綺麗な服を着たいのは当然で、は早々に海賊の服なんか、なんて気持ちを最早遠い彼方へ投げ捨てた。


「流石に一人にさせんのはアレだからな、ベポと一緒だけどな」

「アイツも一応雄だけど、メス熊にしか興味ねぇから安心しろよ!」


宿は外観の通りの内装で、全体的に柔らかな雰囲気を醸し出していた。木造の作りで木の香りが程よく漂い、土壁は和を感じさせる。引き戸の扉を開ければ暖簾が垂れ下がり、此の先が更衣室である事を容易に理解した。風呂の熱気と湿気が扉を開けた瞬間に肌に掛かって、は恍惚の表情でペンギンとシャチに振り返る。


「ゆっくりしてけよ。俺らは部屋に居るから何かあったら遠慮すんな!」

「タオルは中にあるらしいぜ。先にベポは入ってっから」


ペンギンとシャチは爽やかな表情で言い残し、速やかに其の場を離れると、取り残されたは暖簾を手で払い除けて中へと侵入する。天井、壁、床は全て木で覆われ、衣服を置く棚と、積み重ねられたタオルが目に留まった。の傍らには靴箱があり、其処には見覚えある靴が一足だけ隅に置かれている。


「やっと来た!こっち、こっち」


泥塗れの汚い靴を脱いで棚に仕舞えば、前方ではオレンジ色のつなぎを脱ぎ捨てた、所謂裸体のベポが手を振っている。其の傍の棚には同じくオレンジ色のつなぎがあり、どうやら着替えも同じ服を着るらしい。裸体にも関わらず全くもって卑しさが無いのは、ベポの全身が真っ白な毛に覆われているからだろう。


「背中、流しっこしよ!任せて、俺うまいから!」


誇らしげに両手を腰に当て、仁王立ちするベポに、は何とも言えない複雑な表情を浮かべて素足で木の床を歩いた。背中を流す事に上手いも下手もない気がするのは、きっと気の所為では無いだろう。


「なんか寒くなってきちゃった…。先に入っててもいい?」

「うん」

「じゃあ待ってるね!」


足早に浴室と繋がる引き戸を引いて湯気で真っ白な世界に溶け込んだベポを見送れば、一人になった空間では己の服に指を掛けた。緊張感している所為か、衣服を脱ぐという動作は遅い。熊とは言えど、知り合って間も無い相手に裸体を晒すのは何処か恥ずかしさがあったからだ。土や埃で汚れた服を脱ぎ、空いた棚に畳んで置く。其の隣には汚れ一つ無い綺麗な白のTシャツとジャージらしき長ズボンが置かれていて、シャチの服だと察した。


「汚…」


布一枚も纏わぬ己の身体を見下ろして、嫌悪感に顔が歪む。服を着ていたものの、染みていたのか肌にも汚れは付着していて、其の悲惨な光景を目にして改めて不快を感じた。積み重なったタオルから一枚、小さなものを取って浴室と繋がる引き戸へと手を掛ける。むわりとした熱気が身体を覆い、思わず目を細めた。



















「あっづいいいいいいいい…」


「おお、ベポ。戻ったのか…ってアツ!!」

「湯気出てんぞ湯気!!」

「目の前がチカチカする…」


確保した宿の一室、片付けも粗方終わり、暫しの休憩として名目を打って酒を片手に寛いでいたペンギンとシャチは、空いた扉と共に聞こえた声に顔を向けると、其のベポの様子に跳び上がる。真っ白な毛皮からは、同じく真っ白な湯気が立ち込めており、見ているだけでも暑苦しい。すっかり逆上せてしまった様で、覚束ない足取りのベポは目を回しながら部屋の中へと入ると倒れ込む様にベッドの上に勢い良く落ちた。


「そういや結構時間経ってんな…まさか今迄湯船に浸かってたのかよ!」

「うん…」

「そりゃ逆上せるか」


明らかに不調のベポに駆け寄り、部屋に掛けられた時計を見れば、ベポとが風呂に向かってから既に2時間が経過している事が分かる。そんな長時間湯船に浸かっていようものなら、ベポの様に千鳥足になってしまうのも当然の事だった。


「ゴロちゃんは?」

「未だ入ってる…」

「「………」」


姿の見えないの所在を尋ねれば、ベポはぐったりと倒れながら居所を吐く。シャチとペンギンは固く口を閉ざすと、身動き一つすらしないベポを見下ろした。監視の為にと風呂に同行させたというのに、其の監視官が先に出てきてどうする。


「まあ…仕方ねぇよな」

「ベポ、お前は良くやった」

「すいません…」


しかし2時間である。暑さに只でさえ弱いベポにしても上出来過ぎる結果であり、最早賞賛ものだ。ペンギンとシャチは身体を張って任務遂行を果たそうとした仲間を責め立てる事が出来ず、かと言って褒め称える事も出来ず、曖昧に濁してベポの元を離れれば、すっかり覚めてしまった酔いに、もう一度飲み直しだと再び胡座を掻いて座り、酒を掲げた。



















ベポが倒れ、ペンギンとシャチが飲み直しを始めた頃、は浴槽の縁に腕を組んで顔を預けながら、身体を芯まで温める湯船に浸かっていた。隅々まで綺麗に洗い流した身体は、とても心地が良く、爽快感を与える。久方の湯船も、眠りを誘う程にの心まで解していた。


「―――、―――――…♪」


思わず溢れる鼻歌は、大好きなアーティストのバラード曲である。広々とした空間に、湯の音と鼻歌が調和し、隅まで響き渡った。白い肌の上で散らばり漂う漆黒の髪は、ゆらゆらと水の流れに乗って揺らめく。


「―――♪―――…、」


ふと、口ずさんでいたメロディーが止まる。大浴場には再び静けさが舞い戻り、は凭れかかっていた浴槽の縁から身を少し起こすと顔に張り付いていた髪を指で払った。


「………、」


ぽっかりと、胸に穴が空いた様に虚しさが落ちて来た。あれ程気分が良かったというのに、全てが嘘の様で一瞬にして消え去る。


「…っ、」


胸の前で手を強く握れば、声が漏れそうになって歯を食いしばった。無意識とは言え、何故此の世界には無い歌を口ずさんでしまったのか。あの世界の事さえ思わなければ、こんなにも虚しくなる事はなかったというのに。握った手に手を重ね、湯船の中に頭の先まで潜った。ふわりと髪が湯の中で広がる感覚と、暖かい熱が優しく頬を撫でる。強く閉ざした瞳を開けて見ても、広がるのは当然の如く、唯の浴槽だ。虚しさだけが広がり、悲しさが募る。どれだけ願えど、願う先には行けず、酷な事に自分にあるものや、過去の思い出も、全て向こうのもので形成されているのだ。いっその事、全て忘れられたら良いとさえ思った。全てを忘れ、陽気な島人の一人となれたら。決して、忘れる事など出来ないのだけれど。










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