湯から引き上げた身体は火照り、白い肌に赤みをさす。シャチの服は成人男性なだけあっての身体には大きすぎたが、改めて今迄着ていた衣服を見ると、こんな汚い物を着る気にはなれず素直に借りる事にした。ズボンの裾を捲り上げ、更衣室の一角、鏡のある化粧台に備え付けられた髪をドライヤーで乾かす。指も通らなかった髪はするりと流れ、シャンプーの良い匂いがした。


「やっと出て来た…」

「3時間も良く入って…」


ベポから事前に聞いていた番号の部屋を遠慮がちに開ければ、物音に気付いたペンギンとシャチは菓子を摘みながら振り返る。汚れた衣服をタオルに包み、入ってきたの姿に言葉を失って暫しの絶句。二人の反応にデジャヴを感じた。


「なんか…見違えたな…」

「俺の服を着てるゴロちゃん…なんかエロぶへぇ!!!」


素直に驚くペンギンと、鼻の下を伸ばして頬を赤らめるシャチに素早くは近くにあった空の鞄を顔面に投げ付ける。間抜けな声を上げて鞄を顔面でキャッチしたシャチは其の場に受身も儘ならず倒れ込んだ。


「…ベポ?」

「今意識飛んでる。逆上せちまっただけだから直ぐ目覚ますだろーよ」

「………。」


の目線はベットの上でうつ伏せになったまま動かぬベポへと向けられ、ペンギンは呆れ顔で笑った。腰にはタオル一枚纏っているだけの上半身裸のベポは、反応が無いあたり、未だ眠っているらしい。傍には衣服が散乱している事から、服を着る事すら困難な程に逆上せていた様だった。


「んじゃ行くか。シャチも起きろ!行くぞ!」

「ってぇ…。ゴロちゃん厳ついぜ…」


ペンギンに手荒く身を起こされ、赤くなった顔を手で覆うシャチは苦笑いを浮かべ、ペンギンと揃って簡単な身支度をする。行動を起こし始めた二人に呆気に取られながらも眺めていれば、二人はベポを置き去りにして、部屋を出ようと扉の前で呆然と立ち尽くすに近付くのだ。部屋を出るのだろう。


「…何処行くの」

「買い物に決まってんだろ!」


ローに預けられた布袋を掲げて、にかりと歯を見せてペンギンは笑う。其の金貨はローが好きに使えとくれたものだ。


「服、買いに行かねぇとな!」


其の金貨の出所は聞かなくても容易に想像が付く。彼等は海賊なのだ、定職など就いている筈もなく、他の海賊や罪も無い人々から奪ったものだろう。汚い金だ。其れでも、着替えの服は勿論の事、下着も欲しい所で、は素直に甘える事にするのである。出来れば、其の金は他の海賊から得たものである事を祈って。海賊から奪ったものならば気兼ねなく使えるからだ。


「お。ゴロちゃん出掛けんのか?」

「いくらでも好きなの買って来いよ!」


ペンギンとシャチが廊下へと出て、其の後ろを三歩程空けてが歩く。宿には他の船員達も居た様で擦れ違えば必ずと言って良い程に皆挙って声を掛けてくるのだが、掛ける言葉は大体同じ様なもので、向ける表情は優しい笑み其のものだ。


「すっかり綺麗になって!別人だな!」

「風呂は久々だったんだろ?気持ち良かったか?」

「シャチの服、借りたのか?何か首元よれてんなー!」

「おい!もっとマシなの貸してやれよ!」

「うるせー!これが一番マシだったんだよ!」

「お前も服買って来た方がいいんじゃねぇのか?」


時にはシャチをからかう声もあり、其の度にシャチが声を荒げるので耳が痛かった。話し掛けられれば曖昧な顔をして目を逸らし、やり過ごしていただが、次第に其の表情は徐々に歪んでいく。一言残して立ち去る者が大半ではあったが、後を付いて来るしつこい面々も居たからだ。の眉間には深く刻まれた皺が寄り、目は不機嫌であると表す様に細められ吊り上がり始める。


「宿の厨房、特別に今日貸してくれるって女将が許してくれてな!」

「折角だから日頃の礼も兼ねてゴロちゃんの好きな物を作りてぇんだが…」

「うちのコックの飯は美味ぇぞ!知ってるかもだけど!」

「好きなもの言っとけ言っとけ!腕によりをかけて作ってくれるぜ!」


しつこい面々、其の代表がハートの海賊団のコックである。へらへらと笑みを浮かべながらの好物を尋ね、答えを聞き出そうとずっと後ろを付いて歩くのだ。コックだけならまだしても、事情を察してコックの肩を持つ者達が同じく付いて来るものだから、の後ろには何時の間にか強面の筋肉質な男達の群れが出来ていた。


「なーなー、ゴロちゃん!何が好きなんだ?何食べたい?」


同じ宿に宿泊してる一般客も居るのだが、の後ろを付いて回る男達を見ては避ける様に部屋に引き返したり、目を背けたりするのだからの苛立ちは増していく一方である。宿の玄関先に来て靴を履き替えれば、外まで付いて来るつもりなのか、靴を履こうとする面々に遂にが硬く閉ざしていた唇が開かれる。


「鬱陶しい」

「ひでえ!」


苛立っている所為か、其の声は普段にも増して低いものだったが、男達は流石数々の修羅場と死線を潜り抜けて来ただけあって全くもって怯える様子も無く、効果は無い。先に靴を履いたペンギンとシャチは宿の外へと出れば、コック達を鋭く睨むに振り返り、行くぞと声を掛けるのだ。忌々しげに、重苦しくは息を吐く。


「…なんでも、いいから」

「そうはいかねぇ!ハートの海賊団、コックを務める俺は!ゴロちゃんの好きな飯を聞き出すまでは引き下がりはしねぇぜ!」


どん、と握り拳で胸を叩き誇らしげに言うコックには此の上ない苛立ちを覚える。思わず零れそうになる舌打ちを何とか飲み込めば、何度と口にした言葉を今一度コックに投げ掛けるのだ。


「ない」

「んな訳ねぇだろ?誰だって好き嫌いはあるもんだ!」

「そんなことない」

「いいや、ある!」

「ない」

「照れるなって、遠慮すんな!やっぱ肉か?肉が好きなのか?」

「肉でいい」

「適当に言ってるだろ?ちゃんと好きなの言えよー」


豪快に笑ってコックは仁王立ちした。本当にが好きな物を告げるまで引く気は無いらしい。面倒だ、面倒以外に何も無い。外には資金を持ったペンギンとシャチが控えており、としても早く自身の身にあった衣服に着替えたい。何せ、下着も汚れていた為、今は未着用だからだ。透けてはいないものの、やはり気になるのはが女子である事に他ならないからである。


「………ぐ」

「え?」

「だから…ハンバーグ、」


渋々と目を逸らしながらは己の好物の名称を口にした。コックは満足そうに笑みを零すと、袖を捲り上げながら「夕食、楽しみにしとけよ!」なんて台詞を吐いて早足に廊下を引き返して行く。そんなコックの後を同じく付き纏っていた船員達も付いて行くのだから、廊下はすっかりと人気が去り、静けさが戻って来るのである。


「意外とお子ちゃまだな」


ぽつり、状況を見守っていたシャチが素直な気持ちを零せば、はシャチの顔面に誰のものかも分からない靴をフルスイングで投げ付ける。鈍い音を上げ、アスファルトの上にシャチの身体が倒れた。



















宿を出て人気の多い島の中心部へと向かって歩を進める。ペンギンとシャチが前を歩き、其の後ろをが周囲を興味深そうに見回して歩いていた。雑貨屋や靴屋、服屋も多く、硝子越しに飾られている商品を眺めながらはペンギンとシャチの後ろを付かず離れずの距離を保って歩く。


「ここの店はどうだ?」

「ゴロちゃんには未だ無理だろ!ほら、ここら辺が…」

「お前、また投げられんぞ」


胸の辺りを揉む様な動作をするシャチを呆れながら諭すペンギンに、指された店には目を向ける。全体的に露出が多い衣服を扱う店は、一番目立つ店頭に胸を強調させる様に胸元が大きく開いた赤いドレスをマネキンに着せている。不服ではあるが、確かにの身体には合わない洋服にはそっと目を逸らした。もっと色気のある妖艶且つ出るところが出た女性でないと着こなす事は出来ないだろう。


「気になる店があったら言えよ。気まずいなら店の前で待っとくから」


ペンギンが後ろを振り返りながら言えば、は目を反らす様に顔を背ける。其の時、視界の端に掠めた建物に目が止まれば、自然と足取りは遅くなった。


「いい店、見つかったか?」


付いて来ないにペンギンとシャチは立ち止まり、立ち止まって一点を見つめるに首を傾げる。其の視線の先を追う様に目を向ければ、煌びやかな看板を掲げる店を見て目を細めるのだ。


「おいおい、ゴロちゃん。冗談だろ?」

「やめとけって。痛い目見るぞー」


ある一点を見つめながら動かぬに苦笑しながら、ペンギンとシャチは先に進もうとを促す。が、は二人に振り返ると真っ直ぐな瞳を向け、其の見つめていた先を指差すのである。


「好きに使っても良いんだよね」


ドレスコードは無いのか、ラフな格好をした老若男女が出入りする建物は、歓喜し出て来る者や、絶望に項垂れて出て来る者。期待を胸に建物に飛び込む者と、様々だ。ペンギンは手の中にある布袋を見下ろす。ローに服代として預かった金ではあるが、服以外に使ってはならないとは言われていない。しかし、こんなものに使って良いのかと、困惑してしまう。


「早く」


ペンギンとシャチを尻目には心無しか早足に建物へと向かって歩き出した。其の後をペンギンとシャチは慌てて追い掛ける。店内に入ればタバコの臭いが充満し、独特な騒がしい音に満ちた。心配気にを見つめる二人を、一度としては振り返らなかった。










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