が江戸に来てから二日が経過した。現在の時刻は12時32分。太陽が丁度真上にあり、腹が空いてきた頃。万事屋を後にしたはその後、HOTEL IKEDAYAで一室を借りて夜を過ごした。腹が食事を、と悲鳴を上げる。しかしはベッドの上に寝転がったままピクリとも動こうとしなかった。瞼を下ろして静かに呼吸をする。昨日のことがつい先程の出来事のように鮮明に思い出せる。


「あの万事屋は―――五日以内にあの人を見つけてくれるかな…」


江戸に降り立った昨日と本日を含む二日間、そして明日からの五日間。計七日間、つまり一週間。其れがに与えられた時間である。はゆっくりと瞼を上げて天井を眺めると手をついて上半身を起き上がらせ、ベッドから降りてハンドバックを手に取った。


「食事と、あと折角だし江戸の観光でもしよう」


もう、見れないかもしれないから



















「でにいず」というファミレスでは昼食を摂った。地球の食事は美味しいと噂ながら聞いてはいたが、まさかこれ程までとは。とは感動していた。お金を払い、店の外へ出る。冷たい風がの髪を靡かせた。12月、少し空が曇りつつある。明日からは雪でも降りそうだ。


「そこの女ァ、ぼーっと突っ立ってっとどこっかの誰かさんに轢き殺されても文句は言えねぇですぜィ」


後ろから聞こえた声、何気なくは振り返ってみた。其処にはパトカーの助手席に乗った栗色の髪をした青年が窓から顔を出してを見ている。どうやら注意されていた”女”というのはのことらしい。は何も言わずにすっと後ろに下がってパトカーが通れるようにと道を開けた。と言っても、元々パトカーが通れるくらいの幅はあったのだが。は再び助手席に座る青年を見る。赤い紅いあかい瞳、とても綺麗だと思った。


「………。」

「え。あの、沖田隊長!?ちょっと何で降りるんすか!?仕事は!?」

「大事な大事な用事を思い出しやした。つーことでてめぇ一人で行って来い」

「ったく…あとで副長に文句言われても俺ぁ知りませんからね!」


ぶつぶつと、そう文句を垂らしながらも車を発進させる運転席に座る男。パトカーが発進したのを確認すれば、栗色の髪の青年はの目の前まで歩いていくと、頭の先から足の先までじっくりと見定める。は行き成りのことに首を傾げた。
青年は目を細める。白い肌、透き通るように白い。其れは万事屋のあのチャイナ娘を思い出させた。


「…アンタ、傘は?」

「?いえ、持ってませんけど…」

「何でィ。違うんですかィ」


青年は深く溜息をついた。”傘”というものに心当たりのある者は傘は?と問われると、忘れてきた。と答えるだろう。しかし青年の指す”傘”の意味がわからないような者であれば同様、持ってません。と答えるに違いない。青年はを夜兎だと思ってそう質問をしたのだ。夜兎の特徴通りであるその白い肌。夜兎ならば日光が苦手なために傘が手放せない。傘がない夜兎はありえない、青年は二度目の溜息をついた。


「…あ。もしかして夜兎のことをご存知なんですか?」

「何でィ、知ってやしたか。なら話は早い。アンタはどっちでィ?」


自身、よく似たような質問をされたことがあった。まだ故郷に居た頃、のことを知らない幼い子供達がを外で見かける度に「傘は?」「も夜兎なんでしょ?」と不思議そうに尋ねてきたことが。毎回は同じ答えを言う。「どうだろうね」と。時には幼い子供とは違って「お前はどっちなんだ」と軽蔑の目で見てくる大人達にも言われたことのある言葉、目の前の青年もに同じ言葉を言った。しかし其れは軽蔑の目ではなく、真意を確かめる目だ。はあの時、大人達に言った答えを口にする。


「どっちでもないです」


青年は目を見開いた、があまりにも寂しそうに言うから。だからかどうかは知らないが青年はがっちりとの細い手首を掴んでいた。が青年の行為に表情を驚きでいっぱいにするのも束の間、青年はの手首を引いて歩き出した。何処かへと向かって歩く青年に引き摺られるように歩くの姿は周囲からすれば少し異様だったかもしれない。


「あの、ちょっと…」

「沖田総悟って言いやす。総悟って呼んで下せェ」

「えっと…総悟くん…?何処に向かって…」

「黙って来なせェ」


有無を言わさず黙々と歩き続ける総悟には早々に諦め、黙った後ろを歩いた。瞬時に何を言っても無駄だと悟ったのである。ふと、視線を青年から強く掴まれた手首に落とすが青年の様子から見て手首を掴むその手は解放してくれはしないようだ。


「(何でィ、この女…何でこんなに寂しそうに笑うんでィ)」


総悟はぎりっと歯を食いしばった。不快感でいっぱいだった、その心の内は。腹の中で何かがぐるぐると動き回っている感覚を覚える。ちらついてしまう、自身と同じ栗色の髪を持つ今は亡きあの人が。


「あ、総悟くん。私はと言います」


総悟は顔だけを後ろに向けて振り返った。其処には微笑み己の名を告げたの姿。見たところ、同じぐらいの年頃と判断したは総悟に親しみやすさをもった笑みを向けた。再び総悟は目を見開くこととなる。そしてみるみる内にその表情が歪んだ。クエンスチョンマークを頭上に浮かばせるの手首を持つ手の力を強めてさっさと再び歩き出す。の手首は、恐ろしいほどに細かった。


「(何でこんなにコイツと姉上が重なるんでィ…!!)」


総悟は脳裏で優しく微笑む姉の姿に下唇を噛む。今は亡き最愛の姉、繋ぐことの出来なかったその命。病に蝕まれ体をぼろぼろにして逝ってしまった。少女のあの寂しそうな笑みが、姉の死に際の笑みに似ていた。放っておいてはいけないような気がしたのだ。


「真選組屯所…?」


その門に掲げられた文字を読んでみる。手首を掴む腕が緩む気配はない。歩き進むたびに総悟と同じ服装をした男達が道を開けるように開いて頭を下げる。どうやら総悟は真選組で、それも上の方の地位にいる人物らしい。同じぐらいの年頃なのに凄い、とは感心する。同時に、心の中から消えやしないあの愛しい人も、若くして上の地位にいることを思い出した。


「そこに座りなせェ」


廊下の突き当たり、右手の一室。其処の戸を横に引いて総悟は漸くの手首を掴む手を放した。総悟に指示されは部屋の中を窺う。広い部屋だった、十畳はあるだろう。部屋の片隅に綺麗に畳まれた布団、そして部屋の中央には丸いちゃぶ台が置かれている。物の少ない、シンプルかつ綺麗な部屋。総悟が顎で示した場所はちゃぶ台の置かれた辺り。此処まで来てしまったのだ、仕方ないと自分を納得させてはちゃぶ台の向こう側へ腰を下ろした。


「茶ぁ、入れて来まさァ。すぐに戻って来やすんで」


総悟はの返事も聞かずに戸を閉めて出て行ってしまう。総悟のものと思われる足音も徐々に小さくなっていき聞こえなくなれば、一人部屋に残されたはぐるりと周りを見渡す。


「本当に物の少ない部屋…」


ぽつり、と呟いた言葉は意外と部屋に響いた。布団があることからして恐らくここは誰かの私室、総悟の部屋だと思われる。は視線を落として思考を巡らせた。何故、自分はここに連れてこられたのだろうかと。特に何も仕出かしてはいない、真選組は地球の警察だと聞く。やましいことなどは生涯一度もした覚えはないし、強いて挙げてもパトカーの進行を少し邪魔しただけだ(邪魔したといえる程邪魔はしていない)総悟と交わした言葉の中でも特にそれといった事は言ってはいない。


「もしかして…地球じゃ夜兎ってだけでも駄目なのかな…」


ぽつり、と思ったことを口にする。翌々思えば総悟と話した内容は夜兎のことだけ、はとても複雑な心境だった。


「(夜兎だからって理由で連行されるのもなんだかアレだけど…ちゃんとした夜兎じゃないのに連行されるのも…何だかなぁ…)」


が眉間に皺を寄せて考え込んでいると再び開かれた戸、お盆に湯飲みを二つ乗せた総悟が立っていた。戸を後ろ手に閉めれば、ちゃぶ台の前に膝をついて淹れたての暖かいお茶を己の前との前へと置く。が「有り難う御座います」と言えば総悟は「礼を言われる程の事じゃありやせん」と表情を変えずに答えた。そして総悟自身、と向き合うようにそこに腰を下ろせば胡坐を掻いた状態で真っ直ぐとの瞳を見据える。は反らすことなくその瞳を見返す。異質な居心地の悪い沈黙ではなく、かといって自然な居心地のいい沈黙でもない、静寂に包まれる。


「(何でこんな…姉上と重なるんでしょうねィ)」

「(何でこんなにあたしを見る瞳が悲しそうなんだろう…)」


各々の思いがあり、しかし各々の思いは決してお互いに通じることはない。すると不意に、総悟が自虐的にくしゃりと笑った。それが余りにも儚くて切なくて寂しげで脆くて強くて弱くて、同時にも悲しくなった。


「総悟くんは…」

「はい?」

「もしかして私と誰かを重ねて見てる?」


総悟の瞳がみるみる内に見開かれ、その瞳の奥がぐらりと揺らぐ。嗚呼、何て脆い。そうは思わずにはいられなかった。総悟は噛み切れんばかりにその下唇を必死に噛んで何かを必死に堪えると、その口角を無理に吊り上げて、笑った。


「何言ってんですかィ。そんな風に見えやしたか?そりゃあすいやせん。気を悪くしましたかィ?」

「気を悪くだなんて…そんなことありません。我慢しなくていいんですよ、嘘なんて付いても意味ないです。瞳は誰にも偽ることが出来ません」


揺らぐ揺らぐ、勢いよく燃える火のように危なげに暴れる波のように揺らぐその瞳の奥。どうもは昔から人の気持ちをよく察知する能力に長けていた。どんなに表情や態度、言葉を偽ってもその瞳の奥にあるものだけは隠しきれないらしい、曰く。の言葉により一層揺らいだ。そしてくすんだ。総悟の中のものが壊れた瞬間だった。


「重なるんでさァ…死んだ…姉上に、顔とか雰囲気が似てるわけじゃないんでィ。何か…アンタのその寂しそうに笑った顔が…姉上の死に際と被っちまう。大切だったんでィ。誰よりも、姉上が大事だった…でも、俺は何も出来なかった…!」

「悔やむことはありませんよ」


ぎゅっと力の限り握る拳やその肩は確かに小刻みに震えて、俯きながらぽつりぽつりと言葉を零す総悟はとても痛々しく見えた。はその場から腰を上げて立ち上がれば総悟の横へと腰を下ろし、その強く握られた手を解放するように手を広げさせる。案の定手の平には深く爪痕が残っていてもう少しで血が滲んでしまう所だった。その傷ついた手をそっと優しく撫でるようには手を重ねる。総悟よりも何倍も白いその手。それは透き通るような白さであり、そして同時にその手に本当に血が流れているのかと疑いたくなるほどの白さ。


「お姉さんは、総悟くんのような弟を持てて幸せだったと思います」









          『自分は十分幸せに生きれた』




          『あなたは私の自慢の弟―――…』









愛しい愛しい姉の最期の言葉。顔を上げれば優しく姉の様であり、姉とは違う優しい微笑みを浮かべる。涙が出ない、はずがなかった。総悟は深く項垂れて、自身の手を優しく包むの手を額に押し当てて声を殺して泣いた。は黙って総悟が泣き止むまで待つ、待つ、待つ。静かな部屋の中、ただ総悟の嗚咽だけが聞こえた。数分後、意外と総悟は早く顔を上げた。少しばかり目の下が腫れぼったく瞳に潤みが残っているもどうやらすっきりはしたらしく、表情は明るいものだった。


「すいやせん」

「いえ、お構いなく」


ふわっと優しく微笑みにつられるように総悟も笑みを零した。総悟は今だ包まれたままの俺の手に視線を落とす。痛々しく爪痕の付いた手を、両手で優しく触れたの手。白い、兎に角白い。あのチャイナ娘よりも白い。最早白いという範囲じゃない、青白かった。


「(守りたい…俺は…この人を守りたい…)」

「総悟くん?どうしたんですか?」

「なんでもねェ。それよりいつまで敬語でいるつもりですかィ。どうせ同い年でさァ、此処はお互いタメ口といきやしょう」

「そう、だね。同い年なのに敬語って可笑しいもんね」


くすり、と笑みを零す。最初に見た寂しそうな笑みとは全く別物の可愛らしい笑みだった。総悟も同様に笑みを零すと心の中で誓いを立てる。強く、強く。魂に誓った。


「(この人を守る…。絶対に、何があっても…)」


青年が少女に恋をした瞬間だった。









運命の人





















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