少女の長年の願い、探し人である青年との再会の日は運悪く天候があまりよくはなかった。空に敷き詰められた曇天。現在雪は降っていないものの、本日早朝まで降り続いていた雪の所為で道はほんのりと白い雪が積もっていた。両端の隅っこになるとそこそこ雪が積もっている。時刻は11時43分。約束の時間まであと17分。はすでに待ち合わせの場であるターミナル前に来ていた。思ったよりも早く目覚めてしまった為やる事がなく、早めに着ておいても損はないと思っての行動だった。


「どうしよ、今更になって緊張してきた…」


高鳴る鼓動は止められない。周囲の冷気によって冷える指先に向かって暖かい息を吐いて誤魔化した。両手の平を合わせて擦り合わせて摩擦を起こして手を温める。設置されている時計を見上げた。約束の時間まで、あと9分。


「会ったら何を話そう…何を聞こう…。その前に話してくれるかな…。うん、してくれなさそう」


思ったより簡単に出た答えに自虐的な笑みが零れる。元よりちゃんとした会話が出来るとは初めから期待はしていない。一目会えれば、この瞳にその姿を焼き付けることが出来ればいいと思っていた。視線を周囲へと映す。天人や侍、スクーターで忙しそうに行き来する人たち。その中前方に、懐かしいものを見つけた。番傘、黒のチャイナ服に番傘を片手に持って真っ直ぐこちらに向かって歩いてくる姿。傘の所為で顔は見えない、肩より下に見えるその身体は男のもの。前に持ってきているオレンジ色の1本の三つ網が見える。時刻は11時59分。約束の時間まであと1分。其れはの前方5m程のところで立ち止まった。人で溢れ変えるターミナルの前、しかし何故かとその影の間を通るような人はいなかった。ゆっくりと傘が上げられる。白い首が見えた、続いて顎、口、鼻、そして相変わらずにっこりと笑われた瞳が見えた。その奥の青い色は未だ見えない。


「神威…」


は近付こうと一歩前に踏み出す。しかし、一歩踏み出して止まった。余儀なくされたのだ。ぴたりと踏み出して硬直する身体、否。震える身体。ドクンドクンドクン、五月蝿い程に高鳴る鼓動。ドクンドクンドクン、歓喜からの高鳴りではない。ドクンドクンドクン、身体が手が足が脳が遺伝子が細胞が血が、全てによる一斉の悲鳴。嫌な汗が噴き出す。寒いのに熱い、額から頬へ伝い、顎へと降りて地に落ちる汗。の様子を見ても神威は笑顔のまま。


「やっぱりは…」


神威が言葉を発した。ずっと昔、最後に聞いた声よりも幾度が低くなった声。その声はの身体に染み込む様に浸透した。は顔だけを無理矢理上に上げて神威を見る。神威は、笑顔のままだ。


「弱いままだね」


鋭い風が頬を掠めた、目の前の光景に目を疑った。誰も居なかったはずのと神威の間にはいつの間にか銀時の姿が。に向かって突き出された神威の手を、木刀で軌道を逸らせていた。夜兎の神威だ。只の手でも立派な凶器となる。ぎりぎりと、木刀と神威の手が力で押し合う。危なかったのだ、あと一歩。と神威の間に銀時が割って入らなければの頭部は神威によって粉砕されていただろう。言わずもがな、即死である。は己の身体に起きた逆流するような感覚にその場に膝をついた。ひんやりとした柔らかい雪の感触が服を通して伝わってくる。熱いものが胃の中から、身体の隅々まで行き渡っていたものが溢れた。突如、酷い吐き気に襲われる。咄嗟に手で口元を押さえて耐えようとするのだが溢れ出るものは止められなかった。


「げほっ、ごほっ、…ぁっ…、」


ぴちゃり、びちゃり、地面に積もる雪に紅い液体が零れ落ちて染み込んでいった。血の気が引いた、は恐る恐る口元を押さえていた手の平に視線を落とす。そこは真っ赤に染められていた、己の紅に。


「そんな…、」


今までは、昨日のような頭痛や貧血はよく多々あったこと。しかし吐血となると話は別。今まで体験のしたことのない症状には自分の残りの時間を嫌という程に理解させられた。の前方では弾かれるような音が鳴る。神威が後ろに飛んで距離を置いていた。どうやら銀時が木刀で神威の手を弾き飛ばしたようだ。銀時はの様子を見てぎょっとするとすぐにその場に膝をついての肩に触れる。


「おい!しっかりしろ!!お前…血…」

「どうやらもう限界みたいだね。その身体は」


笑みを絶やさない青年、は己の血を見て硬直したままだった。目を見開き、雪に染み込んだ血と、手にたっぷりと付着した血を凝視していた。銀時はぎりっと奥歯を噛み締める。この騒動に気付いたのか周囲には人や天人の姿はなく、かなり離れた場所で見守るようにと多くの観衆がいる。観衆の視線の先にはと銀時と神威しかいない。


「銀さん!?」


知った声に銀時は驚いて顔を上げた。丁度神威の背後の所からだった。観衆を掻き分けてやってくる新八の姿。どうやら騒ぎを聞きつけて覗きにきた所、その中心に銀時がいて驚いているようである。実は銀時、今回の依頼のことは仲間である新八や神楽に何一つ知らせず一人でこなしていたのだ。新八の後ろには神威同様、傘を差した小柄な少女の姿が見える。銀時は咄嗟に叫んだ、其れは周囲を吃驚させる程の大きな声で。


「来るな新八!神楽!!」


銀時の叫びも虚しく、観衆の最前列に出てきた新八と神楽。みるみる内に新八と神楽の表情が歪んでいく。


「え…何ですかこれ…何で、何でさんが血…?」

「っ!!」


新八が顔を青くさせて呟いたそこ言葉が静まり返ったこの空間に嫌な程よく響く。その言葉を引き鉄に、既に瞳孔が開いた神楽は驚くほどのスピードに乗って駆け出していた。神楽が向った先、標的は一つだけである。


「新八!!神楽を止めろ!!」

「あぁああああああぁあああぁあああ!!」


神楽が背後から神威に向かって傘を振り下ろした。銀時は下唇を強く噛むと、神楽同様に神威に向かって駆け出す。ワンテンポ遅れて、新八は駆け出しての元へと向かった。


「何回言わせるつもり何だよ。弱い奴に用はないって」

「神威ィイイイイイイ!!」

「やめろ神楽!止まれ!!」


力任せに振り下ろした傘はいとも簡単に神威の傘によって受け止められる。そして其れを軽くいなせば神楽は前のめりになり、その目の前に神威が立つ。神威の表情は相変わらず笑みを浮かべたまま。これ程この笑みを憎らしいと思ったことはない。


「怒りに任せて戦うなんてただの馬鹿だよ、怒りだけの力なんて脆いだけだ」


神威の拳が神楽の鳩尾にめり込んだ。神楽の身体は勢いに乗って吹っ飛び民家へと突っ込む。すかさず銀時が神威の横腹に向かって横に木刀を引けばそれを手で受け止めて神威は銀時の顔に向かって回し蹴りをする。それを間一髪のところで銀時は顔を逸らすことで避ければ、木刀を持たぬ方の腕で神威の顔に向かって肘鉄を食らわせる。しかしそれが当たる直前で神威は木刀を掴む手を放し後方に飛んでそれを回避した。刹那、一瞬の隙も与えぬ様に神楽が其処に姿を現す。目にも止まらぬ速さで繰り出させる拳。それを全て避けつつ、いなしつつ、神威は神楽の足を狙って蹴りを繰り出す。先程の鳩尾の拳が余程効いたらしい、怒りだけではなく冷静さを取り戻した神楽は咄嗟にその迫り来る蹴りを視野に捕らえて後方へと飛んで避けた。静まり返る緊迫とした空気。三名は一瞬の隙も見せずにこの戦いに集中している。新八は目の前で繰り広げられる壮絶な戦いに唖然としつつも、の介抱をしていた。


さん!大丈夫ですか?」

「…、新八くん…?」

「はい、あの…やっぱり大丈夫じゃないですよね…?」


ようやく己の血から視線を外して新八の声に反応を示した。肩で呼吸し、その初め会った時よりも顔色が青白く見えるのはこの気温で身体が冷えてしまった所為か、吐血した所為かどちからはわからないが、どっちにしてもよくない状況ということだけは分かる。新八はの手や地面に染み付いた紅い色に視線をやりながら目に見えている返答にも関わらず尋ねる。無理に笑顔を作った所為か、その笑みはとても歪で痛々しい。それには気付いているのだろうか。


「あまり…大丈夫だと言えないかもしれません」

「そうですよね…あはは。僕、何てこと聞いてるんだろ…」


のその笑みに新八は酷く後悔した。自分がくだらない質問をしたことについて。誰がどう見たって、まだ幼い子供が見たって分かるような答えを、わざわざ求めてしまった。すると遠くの方からパトカーのサイレンが聞こえてきた。サイレンの聞こえる方へと目を向ければ観衆がどっと騒ぎ立ち、逃げるように左右に分かれるように走り出す。その開いた隙間に急ブレーキを踏んで止まったパトカーから同じ服装をした男達がぞろぞろと降りてくる。その中の一人、瞳孔の開いた男が舌打ちをしたのが聞こえた。


「また万事屋んとこの騒ぎかよ」

「旦那も好きですねィ」

「いやー、でも流石にこうも派手にされると困っちゃうな!」


続いて栗色の髪の青年、三十代近くと思われる体格のいい男がパトカーから降りてきた。順に土方十四郎、沖田総悟、近藤勲。真選組のトップスリーである。土方は煙草にマヨネーズの形をしたライターで火をつければ紫煙を吐き出しつつ様子を窺うように周囲を見渡す。銀時、神楽、神威の間に流れるその緊迫した空気に眉を潜めつつ、その後方で新八が介抱するの姿を見て土方は眉間に皺を寄せた。


「何だぁ?いつものおちゃらけた雰囲気がねぇ。どういう事だ」

…、」

「あ?」

!!」


土方は隣から聞こえてきた細くか弱い声に更に眉間の皺を一つ増やす。その声の方を見れば唖然と目を見開き、ある一点を血の気の引いた表情で見る総悟の姿があった。そして全力で駆け出した総悟、今度は土方が唖然とした。


「何だぁ…?どうなってんだこりゃあ」

「よくわからんが…」


土方は今度は隣にいる真選組のトップに君臨する近藤へと視線をやる。その面構えは真剣そのもので土方自身、気を引き締めるには十分すぎる程のものだった。


「あまりいい雰囲気じゃあねえってことだけははっきりしてるな」

「…ああ」

「トシ」

「分かってる、包囲しろ!!」


土方が後方に待機していた隊士達にそう指示すれば、彼らはきびきびと素早く行動に移す。銀時、神楽、神威を中心に円形に取り囲めば各々が腰の鞘から刀を抜く。勿論標的は神楽や銀時ではなく、神威一人。


「騒動の経緯は屯所の方でじっくり聞かせてもらおうか」

「アリ?問い詰められるのって俺だけ?」

「あったりめーだ」


土方の言葉に首を傾げて相変わらず笑顔で尋ねる神威に、銀時は一瞬たりとも神威から視線を反さず余裕を装ってそう言い放った。実際は余裕なんてものはない、一瞬でも気を抜けば其処をつかれてしまう。これは喧嘩とは程遠い、殺し合いだった。鳩尾に一度攻撃を食らっている神楽といえば辛そうな表情ではなるが両手にはしっかりと傘を構えたまま。神威は黙り込んで考え込む素振りを見せると、視線を真っ直ぐ銀時へと向けた。


「アンタの仕事はこれで終わり?なら俺はもう帰ってもいいの?」

「…ああ、こっちも穏便に済ましてぇところだ」

「待つネ。そんな簡単に逃がさないヨ」

「神楽に決定権はないよ、弱者は強者の言う事を聞くしかないんだからね」


構えを解いた神威はそう告げると傘を持ち直してくるりと踵を返した。背を向けた神威に殴りかかろうとする神楽を銀時は制すと神威は「じゃあね」と手をひらひらと振りながら去っていく。その呆気ない戦闘終了に驚きながらも隊士達は、突如高くジャンプし民家の屋根に飛び乗って屋根の上を飛んで帰って行く神威の姿を呆然と見ていた。神楽は力任せに両手に持っていた傘を地面に叩きつけると悔しそうにその手をぎゅっと握り締めてその場に膝を抱えて座り込む。見かねた銀時はわしゃわしゃと神楽の頭を撫でるとくるりと後ろに背後にいるはずであろうの方へと視線を向けた。


「しっかりしなせェ!!!!!!」

「銀さん!!さんが…!」


の肩を掴んで必死な形相で呼びかける総悟。その隣で銀時に助けを求める新八の表情は青白い。はというと総悟に肩を掴まれ揺さぶられているにも関わらず無反応で、その目を固く閉じたまま微動だにしないに銀時は駆け出した。神楽も新八の声に顔を上げての状態を見たのだろう、銀時に続いて神楽も駆け出した。


!しっかりするネ!返事するアル!!」

「大丈夫だ。呼吸はある、気を失ってるだけだ。だが…」


銀時は言葉を濁して視野の傍らにある血を見た。吐血するなど、健康状態にあるならばありえない。何らかの病にかかっているということ、つまりそれは一刻を争う。神楽が冷えてしまったの手をぎゅっと握って泣きそうな表情での名を呼ぶがやはりに反応はない。其処に土方と近藤も駆けつけると手や地面に血を零し、固く目を閉じたの姿に驚き目を見開くがすぐに状況を読み込んだ。


「とりあえず屯所に運ぼう。昨日うちの隊士で重傷者が出てな、今ならまだ屯所にいる。医療の腕前なら俺が保障しよう」

「ああ、頼んだ」


近藤の案に銀時は頷いて答えれば、総悟がの背と膝裏に手を回して抱き上げ出来るだけの身体を揺らさないように駆け出してパトカーの後部座席に乗り込む。同時に近藤が運転席へと乗り込めば、パトカーを猛スピードで発進させた。土方はフィルター近くまでになった煙草を地面に落とすとそれを足でもみ消して残った万事屋メンバーに視線を落とす。


「行くぞ」


その場にはの零した紅い血と、もみ消された煙草だけが残された。









運命の人





















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