日暮れの街は人々が疲れた表情で、はたまた明るい表情で行き交う。本日の勤めを終えた者達が、各自の帰るべき場所へ、家へと向かって歩くのだ。薄汚れた緑色の服が溢れ、其の影にひっそりと見え隠れする茶色の服。武装した兵のような強面の男達が槍を片手に佇み、時折上質かつ派手な衣服を纏う人々を見かける。比較的緑の服を着る人間が多く、茶色の服を着る者達は皆揃って小汚く衣服もくたびれ、素足だ。漠然と、上質な装いの者が高貴で、緑色の衣服の者が一般的な民、茶色の衣服の者が下賤、武装者は兵士なのだろうと暫く街の様子を窺っている内には悟った。
「―――――、――――――――――」
人気の無い路地に、誰かの話し声が響く。二人組なのだろう、誰かと何かを話ながら足音は着々と奥へ奥へと進んで行った。機を窺い、大通りからは見えない建物の影に入って来た所で二人組の内、一番手前に居た男の前へと身を現した。
「―――?」
片眉を吊り上げ、汗臭い男は品定めする様に頭の先から足の先まで、じっくり舐める様にを見る。其の目に確かな手応えを感じ、は暫く手入れも出来ていない無駄に長いだけの髪を揺らして、厭らしく胸の谷間が見える様に衣服を肌蹴させて妖艶に唇に弧を描く。
「私ヲ買わナい?」
拙い言葉で用件だけを簡潔に。聞いた事も無い言語は未だに会話が成立する程に流暢に話す事は出来ないし、理解も程遠いが、其れでも酷く偏った分野の言葉なら分かる様になっていた。
「…いい女だな、いくらだ?」
男が乗った。続いては返事は言葉の変わりに指を5本立てる。男への誘い文句は此の辺りで同じ事を繰り返し行う女達を見て真似たもの。金額の指定は基本的に皆3本や4本指を立てていたが、其処から更に上乗せをしては5本を立てる。というのも、こんな事をしている女は皆小汚いのだ。其れに比べて自身は小奇麗であったし、少々相場より高値にしても男は食い付いて来る自信があったのである。
「この辺じゃ見ない顔だな」
「何処にデも有る顔ヨ」
5本指を立てれば、貰える金銭は5枚の紙幣。其れが高値なのか、安値なのか、には良く分からない。其れでも金は金だ。此処では此の紙幣でしか取引が出来ないのだから手に入れる必要があったのだ。金を稼ぐには仕事をしなければならない。しかしまともな職に、は就く事が出来なかったのだ。
「早ク、シよ?」
交渉が成立すれば、あとは行為を行うのみだ。艶かしい瞳で男を誘えば、男が鼻息荒く首筋に顔を埋める。ざらりとした舌の感触がべろりと伝い、は完全に男に身を委ねれば、建物の外壁に身体が押し付けられ、自分で肌蹴させた胸元が男の手によって其の全貌を曝け出す。下着を着けていない豊胸は傷や汚れの無い艶肌で、男は堪らず片方を強い力で揉み、もう片方へと吸い付いた。
「(痛いっつの)」
強すぎる力で揉まれる胸の痛みに顔が僅かに歪むが胸に顔を埋める男は己の欲求を満たす事に集中しておりの表情には気付かない。
「(はやく終われ)」
胸から腹部、そして更に其の下へと手を伸ばす男に、すっかり板についた甘い吐息を漏らす。勿論全部、嘘の演技だ。
「(アホくさ)」
相変わらず、空気は埃っぽくて喉が痛い。
周囲に溶け込むには、此処に住まう人々と同じ衣服を纏う必要があった。だから酒に溺れて潰れた若い華奢な青年を見つけた時は、迷わず彼が着ていた緑の衣服を剥ぎ取ったし、靴は同じ体格くらいの女を見つけては気付かれない様に拝借した。人の物を盗んだのは、初めてだった。胸を締め付ける罪悪感は、仕方が無かったのだと自分に言い聞かせた。無一文の自身には此の衣服を入手する手段は盗む事しか無かったからである。翌朝、盗んだ衣服と靴を履いて、初めて人の行き交う大通りの道を歩いた。街を徘徊し、働き口を探したが、書かれた文字も、会話の言葉も何一つ分からない。至る所には警備の武装した兵が立っており、は直ぐに踵を返して人通りの無い路地へと入ったのである。兵士が目を光らせる此処は、誰か権力者が支配する街なのだろう。銃刀法違反、なんて通用しない。凶器を持ち歩く兵達に此の街はあまり治安が良くないのだと考えられた。そんな危ない街で身元不明の言葉の通じない女が居れば一体どうなる?安全の保障等、何処にも無いのだ。戸籍だって勿論無い。怪しい人間を野放しにしてくれるような雰囲気が此の街には無かった。人の目に付く仕事は危険だ、身元を調べられれば直ぐに気付かれてしまう。ならば何の仕事があるのか、こんな自分でも出来る仕事、何があるだろうか。そうして導き出された仕事が、原始的且つ、女だからこそ需要のある、“身体を売る”仕事だった。礼儀作法も、他国の言語を操る頭も、身元を証明する書類も、何もかもが一切必要無い。身体さえあれば成り立つ仕事だった。
「また来るぜ」
「………アりガとう」
ぐしゃぐしゃの紙幣を受け取り、事を終えた男を軽く手を振って見送る。地面に座り込んだまま乱れた衣服を整え、重い息を吐けば、未だ慣れない倦怠感が押し寄せてきた。
「(華のCAが今じゃ娼婦って)」
乱れた髪を手櫛で整え、遠くから聞こえる宴会の音を聞いてはまた客が此処へやって来るのを待つ。酒を飲んだ足で此処へ男が女を買いに来るのは然程珍しい事じゃ無いらしい。実際、さっきの客の男の連れは近くで待機していた女を買っていたし、もう少し奥へと行けば同じ様に身体を売る女が至る所に潜んでいるのだ。
『超笑える』
誰にも伝わらない母国の言葉を音に乗せ、笑った。面白い事なんて何も無い、人生が一直線に転落したというのに。生きる為とは言え、身体を汚す選択をするつもりなんて一欠けらも無かったのに案外平然と受け入れて客を待つ自分が居る事に笑える。今の客は中年くらいだろうか、次の客は同じ年位の若い男が良い。どうせするなら不細工より綺麗な顔をした男が良い。どちらも同じ金額しか貰えないのだから。
「――、―――。」
次の客の声がして、はゆったりと立ち上がる。髪を掻き上げて外壁に背を預け、次の客はどんな容姿であるかを想像した。が、結局顔なんてどうだって良くって、もう男はみんな客、金にしか見えなくなっていた。
「オ兄さン、私ヲ買わナい?」
月明かりを背に浴びて逆行で顔の見えない男の胸に飛び込んで耳元で囁く。は美しい容姿をしていた。以前は念入りに手入れを施していた腰まである長い黒髪は絹の様で、二重の大きな漆黒の瞳はつい触れてしまいたくなる妖艶を持っている。陶器の様に白く美肌で、何と言っても自慢なのは豊胸と、ウエストのくびれだ。其の美貌とスタイルを持って甘く囁いて迫れば、基本男は断る所か良い顔しかしないのだ。
「さっき一発ヤった?」
「ナいショ」
覆い被さって来る客に微笑み、衣服の隙間から素肌を撫でる手を感じながら足を動かす。男越しに見えた夜空には真ん丸とした満月が輝いており、其の空を一羽の輝く鳥が飛んだ。
「(綺麗な、鳥)」
鳥に見える其れはどういう原理か光を放ち、ひらひら、ひらひらと気紛れに舞い踊る。まるで此方を心配そうに窺っている様にも見えて、愛おしく思えた。
『大丈夫』
自然と零れた日本語で、旋回する鳥に語りかければ、鳥は戸惑いつつも暫くしてから羽ばたいて消えていった。夜空に見える光は月だけとなり、瞼を閉ざす。
「何か言ったか?」
「ウウン、何モ」
聞こえたのか聞き覚えの無い言葉に反応を示した男に微笑んで首を振る。納得したのか、其れとも興味が無いのか男は愛撫に夢中だ。押し付けられた唇。其処から割って入ってくる舌と唾液。気持ち悪い、とさえ思っていた其れ等も、今となってはもう何も感じない。金の為、これも立派な仕事の一つなのだから。此の街に来て、娼婦となって、一ヶ月が経とうとしていた。
BACK | NEXT
|