心の傷はアネモネ
家が近所だったって事で、私には二人の幼馴染がいる。名前は“いっちゃん”と“かっちゃん”。
「出久!おめー本当に何も出来ねえな」
「出久ってデクって読めるんだぜ!!」
「かっちゃんすげー字読めるの!?」
「読めねーの?」
「んで、デクってのは何も出来ねーやつのことなんだぜ!!」
「やめてよぉ」
「かっちゃんすげーーー頭ヤベーーー!!」
かっちゃんは“やれば出来てしまう”タイプで、所謂ガキ大将の乱暴者だった。良し悪しは兎も角、自信に満ちたかっちゃんの背中はいっちゃんや、その周りの子達からすればカッコイイものだったらしい。
「おぉー、こりゃまたすごい“個性”だなあ!」
「ヒーロー向きの派手な“個性”ね!勝己くん!」
幼稚園の時、かっちゃんに“個性”が発現した。かっちゃんの性格にお似合いな派手で強い個性で、其れは其れは当時周囲の人達は、かっちゃんを取り囲んで騒いでいたものだ。其の個性の所為で、かっちゃんは悪い方向へ加速したのだが、其れを咎める人や止める人は居なかった。人は生まれながらに平等じゃない。これは齢4歳にして皆が知る社会の現実である。
「デクって“個性”がないんだって」
「えー」
「ムコセーっていうんだって」
「ダッセー」
皮肉な事にあれ程ヒーローに憧れていたいっちゃんは“無個性”だった。個性が無ければヒーローにはなれない現実が、どれ程いっちゃんの心を抉っただろう。放心するいっちゃんを見て、かっちゃんは笑ってた。其の二人の対照的な顔は今でもはっきりと覚えてる。嫌だった。
「そういえばちゃんも“個性”出たんだよねー」
「通り抜ける“個性”だよね」
「ヘンテコだよな、使い道ないしー」
「ダッセー」
次いで発現した私の“個性”を皆が笑う。通り抜けるだけの個性は、かっちゃんの“爆破”に比べたら地味だし、ヒーローとして見るなら使い勝手も悪いだろう。皆が私を見て笑う中、私はこっそりとかっちゃんを見た。かっちゃんは私を見てた。そして、やっぱり笑ってた。あの顔で。凄く嫌だった。
「ひどいよ、かっちゃん…!泣いてるだろ…!?これ以上は、僕が許さゃなへぞ」
いっちゃんは意地悪されてもいつもかっちゃんの後ろを付いてまわってて、臆病な性格なのに後先構わず誰かを助けようと飛び出せる自己犠牲というか正義感の強い子。そんないっちゃんを素直に凄いとずっと思ってた。
「“無個性”のくせにヒーロー気取りかデク!!」
「ひ」
かっちゃんに虐められてた子を庇ったいっちゃんを、かっちゃんと其の取り巻きの子達が個性を使って殴る。容赦の無い力で捩じ伏せるかっちゃんのやり方が、嫌いだった。
「おい」
抑え付けられて逃げる事も許されない状態で、一方的に殴られてボロボロになったいっちゃん。助けなきゃ、なんて思わなかった。だって私の個性じゃ、かっちゃんには敵わないから。かっちゃんが、怖かった。
「何見てんだよ、ブス」
まるで、敵みたいに笑いながらいっちゃんを殴るかっちゃんが。何もしないで黙って見ているだけの私を見て歯を見せて笑うかっちゃんが、凄く怖かった。
「何だお前、1年か?」
でも悪い所だけじゃなかった。だからこそタチが悪いとも言えた。学校の帰り道、下を見ながら歩いてたら上級生の男の子達にぶつかった時の事。
「あ…っ、ご、ごめ、」
「丁度良いや、ちょっと来いよ」
謝罪を口にする前に強い力で腕を掴まれた。其の日はとても暑くて、蝉の鳴き声が彼方此方で五月蝿い位に聞こえるような時期だったのに、眉間皺を寄せた男の子の顔や、振りほどけない強い力に、唯々怖くなって喉がきゅっと締まって息が出来なかった。そんな時。
「ヤロー!1年のくせに!」
「そもそもお前の所為だからな!上級生にぶつかったら謝れよ!」
「よっちゃんに言いつけたる!よっちゃん、超ツエーんだ!」
何処からともなく現れて、男の子に殴りかかったかっちゃん。一対二なのに逃げなくて、どんなに殴られたって引かなくて、絶対負ける様な場面でも、かっちゃんは負けない。
「ひっ…明日覚えてろ!!」
負け犬の遠吠えの如く吠える上級生達に向かって拳を握り振り上げたかっちゃんに、慌てて捨て台詞を吐いて逃げ出す上級生達の男の子達。そんな情けない二人組をかっちゃんの背中越しに私は眺めてた。
「がおまえらにぶつかったんじゃない。おまえらがにぶつかったんだろ」
身体中ボロボロで、鼻血を出して、しかも涙目。痛かったと思う、怖かったと思う。なのに、かっちゃんは逃げないで、私を助けてくれた。怖くて地面に座り込んでいた私を見下ろしたかっちゃんを、私は初めてカッコいいと思った。小学一年の夏、私はかっちゃんを好きになった。初恋、だった。
「帰るぞ」
「う、うん、」
けれどこの恋心を伝えるつもりは無く。胸にそっと秘めておくだけで十分だった。伝える事で何かが壊れるのが怖かったのもあるが、かっちゃんの特にいっちゃんに向けての酷い言動は相変わらず嫌いだったし、怖かったからだ。好きだけど、嫌いで怖い。矛盾した気持ちにもやもやしながら、目で追う癖に目が合いそうになると背けて、近付く所か遠くなる距離感。そして其の距離感を決定的なものにする事件が起きる。
「かっちゃん!やめてよ!」
「うるせぇ!!黙ってろ!!」
小学校の卒業式の日。卒業証書を手に帰ろうとした時、かっちゃんが正門の所で同級生の男の子の胸倉を掴んで殴ってた。驚いて、やめて欲しくて、何時もなら見て見ぬ振りをするのに何を思ったのか其の日は珍しくというか初めて私は駆け寄ったんだ。かっちゃんの腕を掴んで止めようとしたものの、いとも簡単に勢い良く手を振り払われて、落ちる卒業証書と、額の左側に熱と痛み。
「い゛…っ、」
反射的に痛みを感じた箇所を抑えれば、まるで火を触った様な熱さ。個性を纏った手で殴り掛かろうとしていたから、きっとかっちゃんの“爆破”をもろに受けたんだろう。
「あ…」
かっちゃんが初めて情けない声を出した。でもそんな顔を見る余裕なんてないくらい痛くて痛くて仕方が無かった。いっちゃん、いつもこんなに痛い思いをしてたの?いつもこんな痛い事をされてたのに一緒に遊んでたの?痛い、熱い、痛い。涙が止まらなくて、体が震えた。いたい。いたい。いたい。いたい。
「おい、」
かっちゃんの手が伸びて来たのが見えて、反射的に“個性”が発動する。まるで弾かれる様に乾いた音を立てて、かっちゃんの手がほんの少し後ろに飛んだ。目を見開いてこっちを見るかっちゃんを私は強く睨む。涙でぐちゃぐちゃになった顔じゃ迫力なんて無かったと思うけれど。溢れたこの感情を抑える事なんて出来なかった。
「私に、“触んないで”」
痛い。痛い。痛い。痛む額の左側からぬるりとした何かが流れて頬を伝い、ママが折角卒業式の為に用意してくれたシャツに赤い染みがついた。
「かっちゃんなんか大嫌い」
心の傷はアネモネ
「ー、聞いてる?」
特別優れた個性を持っている訳でも無く、特別人より秀でたものも無い様な、そんな何処にでも居る様な凡人。其れが、折寺中学三年の15歳である。
「聞いてるー」
強いて他と比べて違う点をあげるなら、父は海外に単身赴任中。母は専業主婦だが頻繁に父に会いに行ったままなかなか帰ってこないので、父は仕方ないとしても母も家(日本)を殆ど留守にしている事。育児放棄と言われても仕方ない現状ではあるが、愛情は注がれていると思っているし、何より父と母がラブラブ過ぎるだけの話なのでは気に留めては居ない。居ないのだが。
「みっちゃんにはもう電話してあるから!」
みっちゃんとは、母の友人である“光己さん”の事。大きなキャリーバッグを片手に母は太陽の様な笑顔で玄関の扉を開けて外へと出ると手を振った。
「何時もの事だから分かってると思うけど戸締りはしっかりね!が好きそうなお土産帰ってくるから期待してて良いわよ!」
「うん、わかった」
これから愛する夫の元へ行く為、空港に向かう母を笑顔で手を振り見送った。閉ざされた扉に踵を返してリビングへ。トースターにパンを入れて焼いている間にコップに牛乳を注ぐ。リモコンでテレビをつければニュース番組が表示され、天気予報を確認。今日の天気は晴れ、降水確率0%だ。
「(布団干してから学校行こっと)」
父と母の出会いは高校の時だそうだ。一年の時に同じクラスになり、父の一目惚れからの猛アプローチから交際がスタートし、結婚に至ったらしい。良い歳になった今でも相手の事が好き過ぎる二人を見るのは、年頃のからすれば少し照れ臭い所もあるのだが、其れでも仲が悪いよりは断然良いので気にしない。父と母は仲が良い。とても喜ばしい事だ。但し、どうしても嫌な事がにはあった。
「…光己さんと勝さんは好きなんだけどなぁ…」
隣に立つ一軒家には、とても若々しい奥さんと優しい旦那さん、そして息子一人の三人家族が住んでいる。奥さんと旦那さんの名は光己と勝。そして一人息子は勝己という。両親が頻繁に家を空ける事もあり、留守中は殆ど爆豪夫婦が面倒を見てくれていた。昔は完全に爆豪家に世話になっていたが、中学に上がったと同時に夕食だけ世話になり、其れ以外の生活は自分の家だ。理由は単純なもので、光己と勝の息子である勝己がオブラートに包んで苦手、ストレートに言って嫌いだからである。
「(自炊なら出来るし…晩御飯も大丈夫って今日言ってみよっかな)」
焼き上がったパンにマーガリンを塗って、ニュースを見ながら齧り付く。シンリンカムイが指名手配されていた敵を捕縛したらしい。流石若手プロヒーローだ。パンを平らげたら残った牛乳を一気に飲み干して食器はシンクへ。手慣れた様子で食器を洗えば自室に戻って布団を干してから洗面台の前に立った。鏡に映った自身を見ながら、耳の高さで髪を2つに結ぶ。茜色の髪は父親譲りだ。
「いってきます」
誰も居ない家に、誰に言った訳でも無く呟いて家を出た。
「えー、お前らも三年ということで!!本格的に将来を考えていく時期だ!!今から進路希望のプリント配るが皆!!」
教壇に立つ教師がA4用紙を片手に、やけに気合を入れて言う。そして何を思ったのか、教師は進路希望のプリントを撒き散らすのだ。
「大体ヒーロー科志望だよね」
途端、一斉に其々の個性を発動させて挙手する生徒達。窓際の一番後ろの席に座るは挙手する事なく、唯、其の中で何気無く幼馴染の二人を見た。一人はやや俯きながら小さく挙手をし、もう一人は机の上に足を置き挙手すらしない。対照的な二人の名前は緑谷出久と爆豪勝己。家が近所で親同士交流がある事から、物心ついた時には既に一緒に居た幼馴染だ。
「せんせえー“皆”とか一緒くたにすんなよ!俺はこんな“没個性”共と仲良く底辺なんざ行かねーよ」
「そりゃねーだろカツキ!!!」
「モブがモブらしくうっせーーー!!!」
机の上で脚を組む勝己に、没個性と馬鹿にされたクラスメイト達がブーイングを飛ばすが、鋼の心を持つ勝己にとっては痛くも痒くも無く、クラスメイト達を見下した目で笑うのだ。
「あー、確か爆豪は…“雄英高”志望だったな」
騒がしい教室が、教師のたったそれだけの一言で一瞬にして静まり返る。そして信じられないと言わんばかりに勝己を見ながら、また騒ぎ始めるのだ。
「国立の!?今年偏差値79だぞ!!?」
「倍率も毎度やべーんだろ!?」
「そのざわざわがモブたる所以だ!模試じゃA判定!!俺は中学唯一の雄英圏内!」
まるで騒ぎ立てるクラスメイト達を黙らせるかの様に遮って立ち上がり、机の上に飛び乗って仁王立ち。こんなにも行儀が悪いのに教師は指導する所か触れもしないのは、何時もの事だから、はたまた言っても聞かないので諦めているからか。
「あのオールマイトをも超えて俺はトップヒーローと成り!!必ずや高額納税者ランキングに名を刻むのだ!!!」
「あ、そいやあ緑谷も雄英志望だったな」
教師の言葉に一瞬にして再び静まり返る。勝己に集まっていた視線は一人残さず緑谷へと向いた。皆が緑谷を見て、まるで示し合わせたかの様に一斉に吹き出す。
「はああ!?緑谷あ!?ムリッしょ!!」
「勉強出来るだけじゃヒーロー科は入れねんだぞー!」
「そっ…そんな規定もうないよ!前例がないだけで…」
無理だ無理だと言うクラスメイト達に、立ち上がって反論する緑谷には眉を顰めて両手で耳を塞いだ。塞いだ所で音は聞こえてくるのだが。
「こらデク!!!」
「どわ!!?」
勝己が“爆破”を纏った拳で緑谷の机を殴りつける。黒い煙を上げて倒れる机と、後ろに吹っ飛ぶ緑谷。教師は相変わらず教壇に立ったままで止める気配は無い。
「“没個性”どころか“無個性”のてめェがあー、何で俺と同じ土俵に立てるんだ!!?」
「待っ…違う、待って、かっちゃん。別に…張り合おうとか、そんなの全然!本当だよ」
は凄く嫌な気持ちになっていた。担任である此の教師は分かっているのか分かっていないのか、よくこうして勝己のカンに触る様な、緑谷を皆が馬鹿にする切っ掛けの様な事を口にする。一見イジメにすら見えても可笑しく無い状況なのに、笑って見ているだけで止める事も無い。
「ただ…小さい頃からの目標なんだ…それにその…やってみないとわかんないし…」
「なァにがやってみないとだ!!!記念受験か!!てめェが何をやれるんだ!?」
皆が馬鹿にして笑って緑谷を見下ろしていた。拳に爆破を巻き付けて笑って酷い言葉を吐く勝己が、勝己の後ろでニヤニヤと笑うクラスメイト達が、止める事も叱る事も無く見ているだけの教師が、そして何より、そう思いながら何も出来ずに見ている事しか出来ない自分を含めて全部全部、は嫌いだった。